第八節 残る不安
セリカの身体を自分の身体に預けさせ、楽な姿勢にさせる。
リオもこちらへと駆け寄ってくる。
横たわるセリカの首からはしるヒビは既に全身を侵し、疼く度にヴァンパイアへと変化していく。
今まで丸かった耳の先が尖っていく。
「ウゥ……」
セリカが苦しそうに唸る度、その口から見える八重歯が生き血をすする牙へと変わっていく。
ヒビが一際大きく疼いたかと思うと、ヒビは少しずつ消えていった。
「セリカ!!」
リオがセリカの身体を懸命に揺する。
ふと、水溜りに移る自分の顔が目に入る。
黒色の髪に黒色の瞳。
それだけ見れば今までと変わらない。
しかし、その顔はあの小説に出てきた少年に良く似ていた。
いや、少年そのものだ。
――どういうことだ?
頬を引っ張ってみると痛みを感じる。
水に反射する顔も引っ張られ、皮が伸びている。
導き出される答えはただ一つ。
――あの小説の主人公になった?
しかし、理由が分からない。
なぜ、どんな理由で、どうやって、あの少年になってしまったのか、全てが分からない。
ただ、この姿にならなければ自分とリオもセリカと同じ運命を辿っていただろう。
リオは変わらず、セリカの体を揺すっている。
リオの気持ちが届いたのか、セリカが少しずつ目を開いていく。
「リオ? そんなに必死になってどうしたの…ってヴァンパイアは!!」
飛び起きたセリカは辺りを見回す。
「ヴァンパイアなら、逃げてしまったわ。 あなたをヴァンパイアに変えて」
「そっか、逃げちゃったのか……。 やっぱり、噛まれたのは夢じゃなかったんだね」
首元をさすりながら、セリカが答える。
「それで、ハルはどこに行ったの? あと、その人は誰?」
――さてどう答えたものか。
「ハルならちゃんといるわよ、ここに」
そう言って、リオはこちらを見る。
「え…でも……」
信じられないのも当然だ。
なにせ、自分でさえ信じられないのだから。
「ハルだよ、セリカ」
「そんな……」
セリカはまだ信じられないようで、こちらを訝しげに見る。
何か、証明できるようなこと……。
今日一日、何をしてきたかを思い出す。
「今日一緒にガイスさんの店に行って、海鮮丼を食べた。 そのあと店を出たらヴァンパイアが屋敷に向かっていて俺達はヴァンパイアと戦った。 これでもまだ信じられない?」
「そんな…本当に?」
「本当よ。 実際に変わるところを見ていたから間違いないわ」
「じゃあ、なんで?」
セリカとリオが説明を求めるようにこちらを見る。
「俺も分からないんだよな……」
頭を掻きながら答えると、リオがため息をついた。
「まったく…とりあえずヒュムと合流して、屋敷の中でゆっくり話しましょう?」
「そうだな、これからどうするか考えないと……」
ヒュムと合流するために、これからのことを考えるために、屋敷の入口へと向かった。
*****
「お姉様!!」
膝を抱えて待っていたヒュムがこちらへと駆けてくる。
「先ほどキースの群れが飛び去っていくのが見えましたけど、ヴァンパイアはどうなったんですか?」
「逃げていったわよ。 セリカをヴァンパイアに変えてね……」
リオがセリカの方を見る。
セリカの耳は尖り、牙がちらりとこちらを覗く。
「セリカさん……」
「あはは、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。 身体がヴァンパイアになっただけだし、私が私なのは変わらないし」
セリカの口から出たその言葉は、出会った頃のセリカからは想像もできなかった。
セリカの中でも何かが変わっているのだろうか。
「それに私よりも……」
全員がこちらを見てくる。
「この方は?」
「見た目は全然違うけど、ハルよ」
「ハル様もヴァンパイアに? それにしては牙もないですし……。 どうしてこの姿になったのですか?」
首をひねりながら、こちらをまじまじと見つめてくる。
「俺も知りたいよ。 噛まれてないから、少なくともヴァンパイアではないよ」
ヒュムがさらに考え込む。
それにつられるように自分も考えてみる。
「ここでそんなに考え込んでも、答えなんて出ないわよ。 とりあえず話は屋敷に戻ってからでも遅くはないはずよ」
「そうですね。 屋敷に戻って少しずつ考えていきましょう」
その時、キースの群れがこちらへと向かってきたかと思うと、屋敷の扉の前へと集まっていく。
「ちょうどジークも戻ってきたみたいだし、屋敷に戻るわよ」
リオはまた一人で屋敷へ向かう。
「ま、待ってください。 お姉様!!」
ヒュムがその後を追って駆けていく。
こちらも続いて、屋敷へと向かう。
「私達、これからどうなるんだろうね……」
隣を歩くセリカの顔は先程までの態度が虚勢であったことを物語っていた。
*****
ジークの身体がソファーに沈み込む。
「ヴァンパイアになっちゃったセリカちゃんと、見た目がガラッと変わったハル君。 はてさて、どこから話そうか……」
そう言いながら、腕と足を組んでうーん、と唸り始めた。
「ハルのことはわからないことが多すぎるから、まずはセリカからね」
セリカの方を全員が見つめ、セリカは少し恥ずかしそうに頬を掻いている。
「セリカちゃんの身体はヴァンパイアを倒せば元に戻るだろうね」
「問題はそのヴァンパイアがどこに逃げたか分からないことですよね」
今度はリオとヒュムが唸る。
そんな二人を横目に、先ほどまで唸っていたジークは髪の毛をいじって遊んでいる。
「それなら、戻ってくる前にネイデルの方角へ海を越えているのを見たよ」
「本当に? …って、それならなんで追いかけなかったのよ!!」
元に戻るにはヴァンパイアを倒さなければいけないのに、どうして見逃したんだろう。
「いやぁ、追いかけても仕方ないと思ったんだよ。 この身体にも不自由してないし、まさかセリカちゃんが噛まれてるなんて思ってもなかったんだよ」
やれやれと軽くため息をつくジークに、怒れるヒュムは肩を少し震わせたかと思うと、牙を剥いた。
思いっきり頭を叩かれたジークは、続きを話しだした。
「第一、あのヴァンパイアが僕を変えたやつとは限らない。他のヴァンパイアに頼まれたのかもしれないしね」
「なるほどね……」
「まぁ、セリカちゃんを元に戻したいならこちらも海を越えないとね」
「結局ネイデルに行かなきゃいけない訳か……」
クラーケンを倒さないといけないという元々の問題に戻ってくる。
話が堂々巡りする前に、ジークが話を切り替えた。
「さて、次はハル君についてだね」
「そうは言っても、何もわからないのよね」
確かに自分でも何も分からない。
しかし、ジークは自信満々に口を開いた。
「手がかりはあるよ。 ちょっと待ってて」
ジークは書庫へと向かい、あの小説を取ってきた。
*****
「さてと、ハル君の姿なんだけどさ…えっと…」
ジークはパラパラとページをめくっていく。
「あったあった、この小説の男の子にそっくりじゃない?」
ジークが挿絵のページをこちらへと向ける。
少年は右手で剣を引き、左手には詠唱したであろう炎を宿らせている。
「これって……」
ジーク以外の三人はまるで合わせたかのように、こちらと小説を見比べる。
「本当に…そっくりだね…」
セリカがぽつりと呟く。
「この小説は今日の朝、ヒュムに頼んでおいた本なんだよね…」
そう言いながら、小説をテーブルに置く。
「さて、なんでこの小説の少年とハル君が似ているかなんだけど…」
ジークは説明を求めるかのようにこちらを見つめる。
「正直、俺にも分からないんですよ。 この本を読んだときに変な夢を見たくらいで……」
「変な夢、ね……」
ふむと唸って、ジークは右手で顎を擦る。
「見た目がいきなり変化したってことは、もしかしたら闇の魔法かもしれないね」
――闇の魔法。
それは悪魔のみが使いこなす魔法。
戦術書にそのような記述があったことを思い出した。
「闇の魔法だと、ハル様も悪魔か魔物ってことになるけど……」
自分が悪魔なんてとんでもない。
ましてや、魔物のはずがない。
「まぁ、闇の魔法が使えたとしても、私の力を使ってる時点で悪魔でも魔物でもないわよ」
「確かにそうだね。 それならなんで闇の魔法が使えるのか……」
ジークの言葉に一同が沈み込む。
続くと思われた沈黙を破ったのは、セリカだった。
「あのさ…さっきリオが言ってたのって、魔物は女神の力を使えないってこと?」
「そうよ?」
セリカは少しずつ青ざめていく。
「それじゃ、メルにもらった力は……」
「当然、使えないわよ」
セリカはゆっくりとソファーの上で膝を抱えた。
*****
「そんな落ち込むことでもないよ。 老いることは無いし、空だって飛べる」
そんなジークの言葉もセリカには届かないようで、膝を抱えたまま動こうとしない。
「そんな落ち込むほどの事じゃないわよ」
「だって、もう…メルにもらった力が……」
セリカは涙ぐみながら、両手を見つめる。
「なんか勘違いしてるみたいだけど、無くなったわけではないわよ?」
一瞬、リオの言葉が部屋の中を静まり返らせた。
「え?」
顔を上げたセリカが腫れた目でリオを見つめる。
「どういうこと?」
「だから、あんたがヴァンパイアになって一時的に使えなくなったってだけ。 あのヴァンパイアを倒すことができれば、元通り使えるようになるわよ」
「よ、よかった……」
セリカは膝に顔をうずめると、再び泣き始めた。
「ちょっと、なんで泣くのよ」
「だって…だって、もし無くなったら思うと辛くて……。 だから、まだ使えるってわかって嬉しいの」
セリカの喉から漏れていた声が少しずつ落ち着いていく。
「さて、話を戻すわよ」
「ハルが何者かっていう話だよね?」
「そうよ。 もしかしたら魔物だったりして」
そう言って、リオは笑っている。
自分の話へと戻り、少し憂鬱になる。
自分が人間以外の何かだなんて信じられない。
魔物なんて、そんなはずは……。
心の中をそんな不安が覆っていく。
「それってそんなに大切なことなのかな? たとえ魔物だったとしても、ハルはハルなんじゃないかな……」
一瞬、セリカが何を言っているのか分からなかった。
しかし、セリカが言ってくれたその言葉でとても心が安らいだ。
「まぁ、こいつが何なのかを知るために旅をしているようなものだしね」
リオが少し哀れみを込めた目でこちらを見てくる。
いつもならイラッとくるが、今は少しばかり嬉しかった。




