第七節 ヴァンパイア襲来
店から出ると、辺りに影が落ちる。
空を見上げると、コウモリの大群が屋敷の方へ向かっていた。
「相変らずすごいね……」
セリカが呆けて立っているのに比べ、リオの顔はやけに真剣だった。
まるでそこにいるものが信じられないかのようだった。
「屋敷に急ぐわよ!! あれはまずいわ!!」
リオが少女の大きさになり、屋敷へ急ごうと引っ張る。
――いつもなら一人で勝手に行くのに、どうして連れていこうとするんだろう。
その疑問もリオの叫びで解け、そして焦りに変わった。
「あれは本物のヴァンパイアよ!!」
*****
屋敷の近くまで来ると、ヒュムがこちらへと駆けてきた。
「よかった!! 皆さま無事だったんですね!!」
「ジークは…まだ戻ってきてないようね。 屋敷は大丈夫なの?」
珍しくリオが動揺しているところを見ると、どれほどの事のか不安になる。
「分かりません。 私は畑で作業していたので見つからずに済みましたが、やつは屋敷の中に入っていきました。 多分、狙いはジークだと思います」
「眷属の様子を見に来たってとこかしらね……。 問題はやつをどうするか、ね」
「このまま屋敷にいるとは思えないですし、街の人々に被害を出す前にどうにかしないと……」
そう言いながら二人がこっちを見て…いや、セリカの方を見つめている。
「セリカだけが頼みね」
「そ、そんなハルだっているよ?」
「ヒュムに聞いたら、ハルはジークに全く歯が立たなかったって言うじゃない」
「そ、それはそうだけど……」
リオたちの目に、自分の無力さを再び思い知らされる。
「ヒュムはここでジークを待っていなさい。 ハルもついてきなさいよ、少しくらいなら戦力になるでしょ」
そう言って屋敷へと向かうリオ達の背中を追う。
確かに自分は弱く、ジーク相手に何もできなかった。
――俺はまた何もできないのか。
そこで俺は、自分が自分であることが嫌になった。
*****
屋敷の入り口に三人で立つ。
「だ、大丈夫だよね……」
セリカの額に不安が流れる。
「ヴァンパイアだって魔物よ。 勝てないわけではないわ」
そう言うリオの顔もどこか険しい。
ここにいるのが自分ではなく、ジークだったらどれほど安心するのだろう。
そんな思いに胸が打ちひしがれる。
「行くわよ」
リオが扉をゆっくりと扉を開けた。
*****
エントランスには変わらず静寂が広がっている。
「な、何もいないみたいだね……」
「今のところね……」
一歩一歩、少しずつ前へと進む。
「もしかして、もっと奥の部屋にいるのかな……」
「そうかもしれないわね」
「案外すぐ後ろにいるかもしれませんよ?」
扉の裏から知らない声が響く。
気づいたときには、扉が閉まる音が部屋に響いた。
「さて、少し話を伺えないですかね?」
おそるおそる後ろを振り向く。
燕尾服を来たその姿は、一見すると人間とさして変わらない。
しかし、その肌からは血の気が失せ、目の色が反転している。
「そんなに怯えなくても今すぐに襲ったりなどしませんよ。 ここに住んでいたはずの眷属を探しているんですが……」
そう言って、ヴァンパイアはそれぞれの顔を覗きこむ。
なぜか自分の時にだけやけに長く見つめてくる。
「香りが……」
――香り?
顔を遠ざけると、ヴァンパイアは少し困ったような顔をした。
「君達から眷属の香りがしますが、近くにはいないようですね……」
ヴァンパイアは顎に手を添え、軽く首をかしげる。
「十中八九、散歩にでも行っているのでしょう。 さて、それまで何をしていましょうか……」
「何もしなくていいわよ!!」
リオはヴァンパイアに向け声を荒げる。
歯をむき出しにして睨みつける様は、どちらがヴァンパイアか分からなくなる。
「あんたが神界にどれほどの被害を出したか、例えどれだけの時が経っても忘れないわ!!」
「おぉ、こわいこわい。 では、今の貴女に何ができるというんですか? 力を失った女神様?」
リオの歯が悔しさを響かせる。
「確かに私は何もできないわよ。 でも今はこの子達がいるのよ!!」
しかし、後ろにいるセリカの手は震えていた。
「わ、私だってやるときはやるんです!!」
「おやおや、可愛いですね…いいでしょう。 ここではなんですから、外で相手をして差し上げましょう」
ヴァンパイアが誘うように扉を開ける。
「やってやろうじゃない!!」
自分が戦うわけではないのに、リオは何故かやる気で向かっていく。
実際に戦うセリカは相変らず手を震わせている。
そして自分はというと、自分が何もできないという諦めなのかどこか落ち着いていた。
*****
「この辺りがいいでしょう」
ヴァンパイアがそう言った場所は、ジークにやられた場所だった。
「さぁ、始めましょうか……」
ヴァンパイアが軽く両手を広げる。
あの手の開き方、姿勢、少し緩んだ口元。
嫌でもヴァンパイアの姿がジークの姿と重なる。
――でも、何かが違う。
その何かが分かる前にセリカが叫んだ。
「ウォータ・フリーズ・ウェポン・アロー・シュート!!」
氷の矢が光を乱反射させながら、ヴァンパイアへと向かう。
「サンダー・シールド」
ヴァンパイアはすかさず雷の盾で身構える。
雷の盾に近づいた氷の矢は触れた途端、細やかな光の粒となって消滅した。
「第五詠唱とは、すごいですね」
ヴァンパイアは嘲笑しながら右手の人差し指を頭に当てる。
「しかし、頭脳が足りない」
そのまま右手をそっと口元まで下ろす。
「フレイム・ブレス」
ヴァンパイアの口から轟々と炎が吐きだされる。
セリカもすかさず口元に手を当てる。
「ウォータ・ブレス!!」
セリカの口元から生まれた水流は、炎の息をかき消しながらヴァンパイアへと向かう。
一瞬、水流の向こうで何かが蠢くのが見えた。
水流が通り過ぎた後にヴァンパイアの姿は無かった。
「ですから、頭脳が足りないと言っているのです」
ヴァンパイアの声は聞こえているのに、ヴァンパイアの姿が見えない。
「ど、どこ!!」
落ち着いてヴァンパイアの場所を探る。
――だめだ、分からない。
そんな思いの中に、ふと小説の中の英雄が現れた。
――あいつならどうする、どう考える。
すぐ近くであって、見えない場所。
頭脳が足りない……。
普通は思いつかない……。
頭の中を閃光が走る。
「セリカ!! 下だ!!」
「え?」
「惜しかったですねぇ……」
気付くよりも少し早く、セリカの足が半ば地面に沈み込む。
「あ、足が……」
セリカは必死にもがくが、地面から足が抜ける気配はない。
そんなセリカの前の地面が盛り上がり、地中からヴァンパイアが現れる。
「いやぁ、間一髪でした。 危うく反撃されてしまうところでした……」
そう言いながら、ヴァンパイアは服を軽く払う。
セリカは座り込むが、やはり足は抜けない。
「ど、どうやって……」
「さぁ、どうやってでしょうねぇ……」
ヴァンパイアがセリカにゆっくりと近づいていく。
隣で唇を噛んでいたリオがついに口を開いた。
「セリカ!! 貴方も――」
「サンダー」
雷は容赦なくリオを打ち抜く。
「……」
リオは口を微かに動かしたかと思うと、目を閉じた。
「大丈夫ですよ。 気絶しているだけです」
ヴァンパイアは高らかに笑っている。
――俺がなんとかしないと。
「グランド・プラント」
腰の剣を引き抜こうとしたところで植物の蔓が手足に絡まる。
「貴方はそこでゆっくりと見ていてください」
手足の自由が奪われ、何もできなくなる。
ヴァンパイアはセリカに近づき、頭をつかみ持ち上げる。
「さて、それではいただきましょうかね。 久しぶりの生き血を……」
ヴァンパイアの牙がセリカの喉元に近づく。
どうすればいい……。
牙がセリカの喉に当たり、突き刺さった。
「うぁ、あ……」
牙が突き刺さった部分から、セリカの身体に紫色のヒビが走る。
――守れなかった。
牙が引き抜かれ、セリカの身体が力なく倒れる。
セリカの全身に広がったヒビは脈を打つように光る。
「貴方に力が無いせいでこうなってしまったんですよ? もう少し早くこの娘に助言していれば変わったかもしれません」
一歩、また一歩とこちらへと近づいてくる。
「今の貴方では、私になど到底かないませんよ」
こんな俺じゃなければ、今の俺じゃなければ……。
「諦めるのです。 そして、我が眷属となるのを受け入れるのです」
――変わりたい。
「そんなに怖がらなくても、同胞として快く受け入れますよ」
――こんな弱い自分じゃなくて、もっと強く。
「さぁ、我の眷属に!!」
――あの英雄のように変わりたい!!
想いに呼応するかのように、真っ黒でどこか悲しい霧が自分の身体をを包んだ。
*****
「そ、そんな馬鹿な!!」
ヴァンパイアの声がなぜか遠くから聞こえる。
足先から、腰、胸へと感覚がなくなっていく。
身体を見ると、感覚がない部分が黒くなっている。
叫ぼうとするが、声はおろか口すら動かない。
無痛の黒がついに首元までたどり着く。
――何が起きたんだ?
必死に考えるが答えは出ず、黒になった。
*****
暗闇の中に意識だけが揺り起こされた。
目の前に広がるのは黒一色。
――ここはどこだ。
頭の中で響いた声に違和感を感じる。
自分の声にしては微妙に高い。
それに加えて、口調が自分のものではなかった。
――あれ?
目の前の黒色が少しずつ薄くなっていく。
まず見えたのは、自分の手。
これも自分のものより少し白くなっている。
着ている服などは特に変わりはなく、巻きついていた蔓も消えていた。
次に見えたのは、後退っていくヴァンパイアの姿。
こちらを見つめながら、口をガタガタと震わせ、こちらに指をさしている。
「ど、どうして…貴方が……」
視界が広がっていき、横たわるセリカが目に入る。
首筋からは変わらず紫のヒビが走っている。
セリカ……。
自分のすぐ横に倒れていたリオは意識を取り戻していた。
「あんた、その姿は……」
腰の剣が左手に当たる。
ゆっくりと右手で剣を引き抜く。
そして、まるで戦い方を知っているかのように身体が身構える。
左手を相手に向け、右手で剣を引く。
「ひっ……」
剣先をヴァンパイアに向けると、ヴァンパイアはさらに後退った。
冷静になるためか、ヴァンパイアは震わせていた口を噛むように結んだ。
無理やりきつく結んだせいか、口から血が流れだしている。
一瞬の沈黙の後、ヴァンパイアは跳び退いた。
そして、右手を口元に当てた。
「フレイム・ブレス!!」
炎の塊がこちらに迫ってくる。
しかし、なぜか炎の飛ぶ方向が見える。
右足で強く地面を蹴り左へ跳ぶ。
すぐ右を雷が通り過ぎる。
着地してすぐヴァンパイアへ向け跳ぶ。
「俺はお前を許さない!!」
真正面から近づくこちらへ向け、右手が向けられる。
「サンダー!!」
ヴァンパイアの右手から雷がほとばしる。
――分かる!!
「フレイム!!」
左手から放たれた炎が二つに分かれ、片方が剣に宿り、もう一方が蔓を燃やす。
「ウ、ウォータ!!」
今度は水が飛び出し、こちらも違う魔法を唱える。
「サンダー・ウェポン・スピア!!」
雷の槍を激流へと突き出す。
――あと一歩!!
ヴァンパイアの顔がぐにゃりと笑う。
「グランド・プラント!!」
ヴァンパイアの左手がこちらに向き、蔓が射出される。
激流の横から槍へ向け、蔓が迫る。
「これで、終わりですよ!!」
ヴァンパイアは勝利の笑みを浮かべている。
今の状況では、詠唱し終わる前に先に蔓が槍に当たるだろう。
そして、もし蔓が槍に到達した場合、この槍は消滅してしまう。
すなわち、激流を押さえるものが無くなり、この身は飲み込まれてしまう。
それでも、焦ることは無い。
なぜなら、この右手には――。
「頭脳が、足りない!!」
炎の宿った剣で蔓を薙ぎ払うと、シュワッと蔓が音を立てて消える。
雷の槍が水流をかき分け、ヴァンパイアの胸へと突き刺さる。
「な、なんという……」
ヴァンパイアは両眼玉を落としそうなほど開眼しながら、胸に突き立つ槍を見る。
「くっ……」
ヴァンパイアはその場で倒れ、動かなくなった。
急いでセリカの元へと急ぐ。
セリカの身体は変わらずヴァンパイアへ変化しようとしている。
「な、なんで!!」
その時、後ろでバサッと何かの羽音が聞こえた。
「まさか!!」
後ろを振り向くと、キースの群れとなったヴァンパイアが飛び立っていた。
群れに向け魔法を放とうとするが、既に距離が離れすぎていた。
「くそっ!!」
その場には今もヴァンパイアへと変化を遂げつつあるセリカのうめき声が響いていた。




