第五節 不思議な体験
朝日を写す海の煌めきに目を細める。
時間はまだ早朝だというのに、街にはもう商人たちの声が響いている。
「さてと……」
朝日を嫌う目をこすりながら、ベッドから這い出る。
今まで使っていた弓ではなく、昨日買ったばかりの片手直剣を握る。
握った感触にはまだ慣れず、まだ片手で支えるだけで精一杯だ。
剣を腰の鞘に納め、衣装箪笥から鎧を取り出す。
これもまた、買ったばかりの鎧。
ガチャガチャと金属音が部屋に響く。
体が一気に重たくなり、少し動きにくさを感じる。
身支度を一通り済ませて、部屋を出た。
*****
屋敷の玄関を出ると、入り口の段差にジークが座って待っていた。
「おはよう、ハル君」
「おはようございます」
「さてと、ここでは狭いからもう少し広い所へ行こう」
ジークに連れられ、屋敷の裏手へと回る。
裏手には少し広めの空き地やちょっとした畑などがあり、畑ではヒュムが野菜を収穫していた。
「おはよう、ヒュム」
ヒュムもこちらに気付いたようで、言葉を返す代わりに手を振ってきた。
「よし、ここなら大丈夫だろう」
そう言って、ジークがこちらに向き直した。
「これから君達が倒さなければいけないクラーケンはとても強力な敵だ。 相手をするにはそれなりの覚悟と力が必要になる。 セリカちゃんの魔法の素質は何も申し分はないが、君は力が足りなさすぎる。 そこで、君を鍛えてあげようってことなんだけど……」
ジークがこちらをじろじろと見つめてくる。
「まずは、その鎧を脱いでくれるかい? 君にその鎧はまだ早いよ」
確かに鎧が重すぎて、さっきから身動きが思ったように取れない。
ジークはそれを完全に見透かしていた。
「そうですね……。 分かりました」
ジークに言われた通り鎧を脱ぐと、重圧から解放された身体がとても軽く感じた。
「さて、それじゃあまずはどれくらいの力を持ってるか量らせてもらうね」
そう言いながら、ジークは両手を軽く広げた。
「さぁ、ハル君も構えて」
そう言われて、やっと腰の剣を構える。
構えると言っても、どう構えていいのか分からず、結局片手剣を両手で構えてしまった。
「それじゃ、行くよ」
ジークの掛け声と同時に接近を試みる。
「はぁ?」
思い切り地面をけり、水平に跳ぶ。
「グランド・プラント」
ジークが唱えると、地面から植物の蔓のようなものが生え、身体の自由を奪われた。
「何も考えずに突っ込むのは、さすがにどうかと思うよ」
ジークが意識を解くと、身体を拘束していた蔓は消えていった。
「君はまず、戦い方を学ぶべきだね」
そう言ったジークにはもう戦う気はないようだった。
「おすすめの本は後でヒュムにでも持って行かせるから読んでみて」
そう言うと、ジークは軽く伸びをして空を見上げた。
「今日はいい天気だし、僕はちょっと散歩に行ってくるよ。 じゃ、また後でね」
ジークは畑にいるヒュムに駆け寄り何か話をすると、コウモリの姿になり飛んでいってしまった。
多少、弓の扱いには自信があるくらいで、魔法も剣もうまく使えるわけでもない。
戦闘はセリカに頼ってばかりで、自分一人では何もできなかった。
ジークに核心を突かれ、しばらく立ち尽くしていた。
***
ジークにあまりにもあっけなくやられてしまった。
自分が思っていたより何倍も早く、無残に。
何が間違っていたのかを考える。
まず、片手剣を両手で構えてしまった。
よくよく考えれば、片手剣を装備すれば必ず左手が空く。
分かっていたはずなのに、何も買っていなかった自分を悔やむ。
他にはないか、と思ったところで考えるのをやめた。
――駄目だ。 知らないことが多すぎる。
屋敷の中へ戻ろうとすると、収穫を終えたヒュムがこちらに近づいてきた。
「お疲れ様です、ハル様。 ジークから話は聞きましたよ」
我が子を見るような穏やかな表情を浮かべ、こちらを見つめる。
その優しさは今の自分の心にはあまりにももったいなかった。
そして、惨めになった。
自分の力の無さをひどく痛感する。
「俺はどうすればいいんだろ」
つい、弱音が口から零れてしまった。
「ジークにも言われた通り、ハル様は戦い方を学ぶべきです。 書庫にそういった本もあったはずな
ので、一旦書庫へ向かいましょう」
言われるがまま、屋敷の中へと入る。
居間のある二階ではなく、一階の右奥の扉に入る。
そこには自分の背丈の何倍もある本棚が、壁際にびっしりと並んでいた。
部屋の真ん中には簡素な円卓と椅子が用意されていた。
「どうですか? この本全部、私とジークが月日をかけて集めたんですよ」
ヒュムは本棚に近づき、ジークに頼まれたらしき本を探す。
「ジークの言っていた本は…これとこれかな……」
ヒュムは本を抜き出すと、こちらに戻ってきた。
「ジークから渡すように言われているのは、この二冊です。 他にもこの部屋にある本なら全部読んでも大丈夫ですよ」
「ありがとう、とりあえずこの二冊を読んでみるよ」
ヒュムからいかにも古臭い二冊を受け取る。
「では、私は家事に戻ります。 何か御用があったら何でも言ってくださいね」
ヒュムが部屋を出ていくと、途端に部屋が静まり返った。
静寂の中、受け取った本を眺めてみる。
『戦闘術《上》』
『悪魔と戦った英雄』
先にいかにも戦術が載っていそうな方を開いてみる。
文字がずらりと並び、読み切るには相当な努力が要りそうだ。
次にもう片方の本を開いてみる。
こちらはどうも小説のようで、セインという男の子が英雄になるまでの物語らしい。
「こっちから読んでみるか……」
今まで本なんてめったに読まなかったので、少し気合を入れ何年かぶりの読書を始めた。
*****
光を跳ね返す湖にゆっくりと霧が立ち込める。
湖上に二人、自分と知らない少年が立っている。
ここはどこだろう……。
そう思い辺りを見回そうとするが、思い通りに身体が動かない。
声を出すこともできず、ただただ吐息を漏らす。
書庫で読書をしていた、というのが信じられなくなる。
まるでこちらを見ろと言っているかのように、突如として少年の右手に剣が現れた。
それに呼応するかのように、新たに黒い影のようなものが現れた。
少年は右手の片手剣を両手に構え、影に対抗しようと懸命に振るう。
しかし、簡単に防がれ続け、少年の顔に焦りの色が見える。
とうとう影は、剣を弾き飛ばした。
立ち尽くす少年の頬には雫が滴っていた。
一瞬視界が暗転し、再び光を取り戻すと少年は青年へと変化していた。
その右手には変わらず片手直剣が握られ、左手には何も持っていなかった。
しかし、その構え方は先程のように両手に構えるのではなく、剣を右手で水平に持ち左手をその刃に当てている。
「――。 ――。」
青年が詠唱すると、剣は燃え身体は風に覆われた。
そんな青年に向け、虚空から無数の影が襲い掛かる。
青年は影たちを剣で切り、魔法で焼き払っていく。
――こんな風に自分も戦えたら。
そんなことを考えたところで、視界が一気に暗くなった。
*****
目を覚ますと、そこは書庫の円卓の上だった。
どうやら、読書の途中で眠ってしまったらしい。
「だめだ、ちゃんとしないと……」
一度頬をはたき、もう一方の戦術書を読みだした。




