序章
小鳥のさえずりが響き、日の光が木々から漏れる森の中、薪として使う枯れ枝を集める。
集めるといっても、薪として使うにはそれなりの大きさが必要な上、この薄暗い中だと簡単には見つからない。
「なんで俺が薪を拾わないといけないんだよ……」
ここに来る数時間前までは、まだベッドの上で眠っていた。
そこを母親にたたき起こされた挙句、薪を取りに行かされたのだ。
昨日から薪が切れそうだとは言っていたものの思うことは一つ。
――面倒くさい。
不満ばかり募らせていても仕方がないので、他のことを考える。
母親が言うところによると、五歳の時まではルネと呼ばれる村に住んでいたらしい。
そして、ルネに住む人々の多くは自分を嫌っていたらしい。
どうして嫌われていたのか、気になったものの教えてはくれなかった。
村での生活に嫌気がさした母親は自分を連れて村を出た。
そして、森の中に小屋を建て、そこに移住した。
小屋では二人きりの生活だったが、旅団に所属する道具屋や狩人が時折立ち寄ってくれていたおかげで、いろいろなことを知ることができた。
弓などの道具の使い方や、イノシシの狩り方、その他色々教えてもらって今に至る。
考え事をしていたおかげで、いつの間にか薪も十分に集まっていた。
「さてと、そろそろ帰るかな」
とりあえず、集めた薪を紐で縛る。
昔は麻紐が手に食い込むのが苦手でうまく縛れなかったが、麻紐の感触にも随分と慣れきつく薪を縛れるようになった。
そんな感慨に浸りながら、縛り終えた薪を背負う。
一瞬、自分が森のどこにいるか分からなくなる。
太陽の位置から小屋への大まかな方角を探る。
「あっちだな」
寝起きの身体に鞭打ちながら、小屋に向け歩き始めた。
***
「ただいま~」
家に帰ると、少し呆れたような声が返ってきた。
「もう、そんなに疲れてないでしょ……」
そう言った女性は、長い髪を揺らしながらせっせと家事をこなす。
「寝起きに薪拾いなんてしたら、誰だって疲れるよ」
「まったくもう……あとちょっとでお昼ご飯できるからちょっと待ってて」
「はいはい」
椅子に座り、窓の外に目を向ける。
彼女の名前はルー。
ルーは自分にとって母親に変わりはないが、血がつながっていない。
三歳ぐらいの時に、孤児だった俺を引き取ったという話を聞いた。
まぁ、髪の色が違うから何となく気づいてたけどね……。
ふと、窓の外に目をやる。
澄んだ青い空、ふわふわとした白い雲。
空を飛んでいるあの鳥は、一体なんという名前の鳥なのだろう。
「何ボーっとしてるの? ほら、お昼ご飯できたわよ」
窓の外から視線を戻すと、ルーが二人分の食事を運んできた。
「今日はキノコのスープかぁ……」
キノコのスープは決して嫌いじゃない。
――ただ、前に母さん失敗したんだよな。
「文句あるなら食べなくていいのよ?」
「いや、食べる」
食べないわけにもいかず、無言でスープを食べる。
キノコの芳醇な香りと、チーズやミルクで作ったホワイトソースの甘みが程よく混ざっておいしい。
「……美味しい」
口から漏らした言葉に、ルーは恥ずかしそうに頬をかいた。
「ありがとう、今日はすごく上手くできたのよね」
ルーもスープを一口、また一口と食べ始めた。
「本当においしいわね。これからこの味付けにするね」
口に出す言葉もなくなり、黙々とスープを食べ続ける。
しばらく沈黙の後、突然ルーがハッと声を上げた。
「そういえば、ハルは明日が誕生日だっけ? 何かお祝いしないとね」
今日は第二炎月の二十一日。
確かに、明日は誕生日だ。
誕生日、と言っても生まれた日ではなく、ルーと初めて出会った日だ。
「もう十六にもなるし、お祝いなんていいよ」
そう言いながら、スープを食べる。
正直、あんまり祝われても実感がないんだよな……。
「そんなこと言わないで。 こういう時は素直に『ありがとう』って言えばいいのよ」
「はいはい、ありがとう」
「まったくもう……。それで、プレゼントは何が欲しい?」
プレゼント……。
何が欲しいと言われても、特に思いつくものは無い。
強いて言うなら、もう少し猪狩りを楽にしたい。
いつも使っている弓を見ると、弦は少したるみ今にも切れそうだ。
「そうだな……。新しい弓が欲しいな」
「せっかくなんだから、自分のためのものを頼めばいいのに」
――そんなことを言われても、欲しいものなんてないんだけどな。
「いいんだよ。俺が今一番欲しいのは弓なんだよ」
「分かったわよ。明日、村まで行って買ってくるわね」
「ありがとう」
話がひと段落し、再び静寂が訪れた。
黙々と食べていたせいか、思ったより早く食べ終わった。
「ごちそうさま」
昼食を食べ終え、自室へと戻る。
これから何をするか悩みながら、ベッドに寝転ぶ。
しかし、その思考も強烈な眠気に上塗りされた。
「な、なんだ……?」
意識はそこでプツンと切れ、一日が突然終わった。
***
翌朝、ルーの大きな声で目を覚ました。
「ハル、早く起きなさい‼」
「はいはい、今起きる」
見たところ既に朝のようで、何がどうなっているのか分からなくなる。
何とかベッドから身を起こして、一階へと向かう。
「やっと起きてきた」
「別にいいじゃん、何時まで寝てたって」
――せめて、今何がどうなっているのかを整理する時間が欲しい。
「いつまでもそんなこと言ってるから、まだまだ子供なのよ」
「それより母さんこそ村に行かないの?」
「なんで?」
ルーはどういうことか、とぼけたような顔をした。
「なんでって、弓を買ってくれるって約束だったじゃん」
「何言ってるの? うちにそんなお金なんてないわよ。そんなことより、薪が切れちゃったから取りに行ってきてくれない?」
おかしい、昨日約束したはずなのに……。
「どうして? 今日、俺の誕生日だろ?」
とぼけるのもいい加減にして欲しいと思いながらルーに訊く。
どういうことか、ルーは再びとぼけた。
「何言ってるの? 誕生日なんてとっくに過ぎたじゃない」
「え?」
――とっくに過ぎた?
そんなはずは……。
「その時、何もいらないって言ってたじゃない」
ルーが何を言っているのか分からず、思考が一旦停止する。
気づかぬうちに誕生日が過ぎ、それに加えて自分は何もいらないと言ったらしい。
「とりあえず薪が切れたから、取りに行ってきて」
まず物事を整理するために今日が何日か、確認を試みる。
「ちょ、ちょっと待って。今日、何日?」
ルーは深くため息をつき、口を開いた。
「第二水月の十一日よ」
第二水月…ちょっと待て、整理しよう……。
一年は七属十二種に分けられ、神格化されている光・闇は年初めと年終わりに制定されている。
それ以外の十個の月は五属性で分けられる。
光月・第一炎月・第二炎月・第一水月・第二水月・第一風月・第二風月・第一地月・第二地月・第一雷月・第二雷月・闇月。
――よし、ここまでは大丈夫だ。
昨日は第二炎月の二十二日。
今日は第二水月の十一日。
つまり、大体二か月間ほどずれている。
何をどう考えても、明らかにおかしい。
「俺がおかしくなった? いや、そんな……」
「――ハル!」
ルーの声で我に返る。
「あんた、大丈夫?」
「あぁ、うん……」
――大丈夫じゃないけどね。
「それじゃ、早く取ってきて」
「え?」
「薪」
「……わかったよ」
俺は頭を冷やすためにも、愛用の弓を持って家を出た。
つい昨日訪れたばかりの森に足を運ぶ。
「一体、何が起きたんだ? なんで誕生日が通り過ぎてるんだ? この森も昨日来たばかりのはずなのに……。そんな簡単に薪ってなくなるもんなのかな」
薪が無くなったというのも、信じられない。
昨日、拾ってきたばかりの薪がなくなる訳がない。
最終的に出た答えは一つ。
――何か、驚かせようとしているのだろうか?
そんなことを考えながら、薪を集めていると急に辺りが暗くなった。
空を見上げると、家よりも大きな鳥が空を優雅に飛んでいた。
「でっかい鳥だな……」
その鳥はまるでこちらを見下ろすかのように数回旋回した後、飛び去っていった。
「よし、これくらいでいいか」
ルーをもう一度問いただすために、薪を両脇に抱えて家へと帰った。
***
……はずだった。
着いた先にあったのは見知らぬ女神像、住んでいた家は忽然と消えていた。
「あれ? 家がなくなってる……。いやいやいや、マジかよ……」
あたりを見回ってみるが、やはり家は見つからない。
「どうなってるんだ?」
女神像の前に座り込み、どうするか悩む。
今日は何かおかしいとは思っていたが……。
突然、どこからか声が聞こえてきた。
「あんた、どうしたの?」
「家が消えてるんだよ、って、誰かいるのか?」
辺りを見回してみるが、人らしき姿は無い。
「あ、あれ?」
「こっちよ、こっち」
声のする方を向くと、女神像がほのかに光っていた。
光は一瞬強まって像から飛び出したかと思うと、小さな人型になった。
「おどろいた?」
「あんた、誰だ」
「あんたとは何よ! これでも神様なんだからね!」
いきなり神様と言われても、信じられる訳がない。
それよりも家を探さないといけない。
「そんなことはどうでもいい。ここはどこで、俺の家は一体どこに行ったんだ?」
「あんたこそ何様よ! この森にはもともと家なんてないし、あんたは今さっき突然現れたのよ!」
……もともと家なんてない?
俺はその言葉を、うまく飲み込めなかった。
「はぁ?」
「はぁ? ってなによ! 親切に教えてあげてんのに!」
イライラして頭を掻きむしる。
理解できないぞ……。
昨日の明日は今日じゃなくて、それをルーに問い詰めるために家に帰らなくてはいけなくて、しかしその家もなくなっている。
「意味わかんねぇ……」
「なにが?」
「ここがどこで、どうして家がないのか」
あまりにも突然すぎる上、何もかもが狂っている。
「だからさっきから言ってるじゃない。あんたの家なんかここにはずっとなかったし、あんただってついさっき急に現れたんだから。少しは言ってること信じなさいよ」
そんな簡単に信じられる訳がない。
どうして家がなくなったのか、意味が分からない。
これからどうすればいいのかも分からなくなってくる。
「急になんでこうなるんだよ……」
「知らないわよ、そんなの。少なくとも私にとって、あんたは監視対象なのよ」
「監視?」
どうして監視されるのかもわからない。
――頭が痛くなってきた。
「そ、だって明らかに怪しいじゃない。いきなり森の中に現れるし、意味の分からないことを言うし、だから監視するの。神様の一人としてね」
「俺はただ、家を探しているだけなんだけど」
家が見つかれば、ルーが見つかって、誕生日のことが問い詰められるはずだ。
「それがわからないから監視するのよ。そんなに身の潔白が証明したいなら、森の南にある村に行くわよ」
……村?
「何のために?」
「ここにいたって、らちが明かないでしょ。第一、村に行けば他に人間がいるし」
「村、か……」
覚えている中では一度も村なんて行ったことがない。
確かに村に行けば、情報は得られそうだが少し悩む。
「そうと決まればちゃっちゃと行くわよ!」
半ば強引に決められてしまった。
「分かったよ……」
とりあえず考え事は村に行ってからすることにして、村に向かって歩き出した。