赤錆と花
新之助はとりあえず、全部、そう小男の耳も含めて全部を引っつかみ、用具室の裏へと身を隠した。
(また、夢の続きかよ…)
夢だとわかっていても、現実に帰れるとわかっていても、新之助の恐怖感は高まり身を隠さずにはいられなかった。
(こんな夢初めてだ…)
まどろみの中、夢の続きをみることはあったが、間を置いて、さらに夢の続きを見るなんて。それもとびきりの悪夢の続きだった。
新之助は、見慣れぬごつごつとした自分の指を見た。
(まるでドワーフみたいな体だな…)
幼い頃、新之助がハマった童話に出てきた、確か鍛冶や石工が得意な妖精だったと、思い起こしていた。
(どうせ夢なんだ、こうなったらこの世界を楽しんでみよう…)
そこまで思い、新之助は自分で自分の考えに驚いた。
(楽しんでみるだって?俺は、そんな楽観的な人間だったかな…)
「まぁでも、とにかくだ…」
新之助は、押し付けられたリュックを引っくり返してみた。
「なんだこれ?」
中にはペットボトルに半分入った水。まるで二昔前のゲーム機のような物、そして小男の耳。ろくな物が入っていないことにため息が出る。
「はぁあ。耳って…」
それが、本物、生き物だったモノの一部分ではないことぐらいは、死体を触ったことがない新之助にでも違うことがわかった。硬質で、プラスチックに似た素材で出来ているのではないかと新之助は思った。
(それにしても、なぜこんな物が残って、それを俺に押し付けたのか…)
意図が新之助には不明だった。いくら考えてもわからない耳は置いておいて、他に使えそうな物はないかと、新之助は試しに機械のスイッチを探し、入れてみた。
「おっ電源入るじゃん」
液晶画面に浮かび上がってきたものは。
「地図!?」
見れば見るほど、この近辺を示した地図だった。
ボタンが何個か付いていたので、押してみたが特に変化はなかった。
「これ…だけかよ…」
新之助はがっくりと、機体の電源を落とし、灰色の世界を見渡した。
その時、外水道が目に入った。
(水か…今は喉が渇いていなくても、そのうち必要になる。水は絶対だ)
新之助は辺りに注意を払いながら、外水道へ向かって、座った姿勢のまま進む。
あの人間のような生き物は、とりあえず俺の命を奪うようなことはしないようだったから、こんなに警戒しなくても良いのかもしれないが…
「ふっ」
(夢なんだってば、俺)
蛇口を捻ると、赤錆だらけの水が、色の無い世界が血を吐き出したように噴き出した。
「…ダメだな」
わからないことだらけの中で、新之助は一つ閃いた。
この世界の自分の家に行ってみよう、と。
人間のような黒い生き物…
(そうだな仮に、墨人間(すみにんげん)と名付けよう。墨人間は町のいたるところに生息していた。だけど、こちらが黙っていれば、ちょっとこちらを見るだけで素通りして行く)
初めに出会い頭、ばったりと遭遇してしまった時は、心臓が痛くなるくらい驚いたが、墨人間はなんのリアクションも無く通り過ぎて行ったのであった。
(なるほど…)
新之助はそこからは、大胆に、一直線に我が家を目指したのだった。
新之助の家は学校ほど、荒廃した感じではなかった。
ここまで来る途中の家々も、綺麗とは言えなかったし、窓ガラスが無いなんて当たり前なのは確かだったが、さほどいつもと変わらないというのが新之助の感想だった。
ただ、色味が無いことと、つねに曇り空なのは、新之助の気持ちを落ち込ませた。
新之助の家も、庭木はすべて枯れ、母親が大事にしていた鉢植えも、ただの土くれが鉢に入っているだけだった。これが夢だとわかっていても、それはなぜか新之助を酷く悲しい気持ちにさせた。
家の中に入ってみる。
生姜焼きが載っていたテーブルも、テレビを含めた家電は一切見当たらなかったが、唯一残っていたのは、黄緑色のソファだった。
新之助はソファに腰をおろす。
(そうだ、ここの水は)
台所だった部分に、管と蛇口だけが立っている。
蛇口をひねると、ゆるゆると水らしきものが出てきた。体育館の外水道のような赤錆水ではなさそうだが、飲んでみる勇気もなかった。
(でも、まぁいざとなったらだな。水源確保と…)
そこで新之助ははっと思い当たった。
また、コロシアムに連れて行かれるかもしれない。可能性はある。
(あいつら…墨人間の背の高い方と低い方は、学校の下の階で俺を張っていたんだ。わかる奴等には、俺の居場所がバレている可能性が高い)
急いで、自分の部屋に向かって階段を駆け上り、扉を開ける。
見事にがらんどうだ。しかし、なぜか勉強机だけが残っていた。
全部の引き出しを引っくり返してみたが、たいした物は出て来ない。ゴミ屑と、ちびた鉛筆、今も使えるかどうかわからないが、中学生の時に買った紙粘土。
とりあえず、鉛筆と紙粘土はリュックへ入れる。
(しかし武器になりそうな物はないもんだねぇ)
「そうだ!!」
新之助は外の物置小屋に何かあるのではないかと思い出し、階段を駆け下りた。
だが物置小屋の中にあったのは、時代遅れの竹箒(たけぼうき)とちりとりだけだった。
「まいったなぁこのチョイスはなんだよ」
頭を掻き毟りながら、庭の石に座る。
(ん?)
尻に違和感があった。
尻の方のポケットに手を入れると、釣りの時なんかに使う透明な糸、テグスが出てきた。
(これはなかなか)
「そうか待てよ…これって…ひっ」
その時、リュックがブルブルと震えだし、新之助は驚いて悲鳴を上げてしまった。
正確には、地図の機械がブルブルと赤い点滅をしながら震えていた。
(嫌な予感…)
機体のスイッチを入れると、案の定だった。髑髏(どくろ)のマークがこの家を目指して急接近してきている。
「やべぇ!!」
(逃げるか!?)
新之助はとっさにそう思ったが(待てよ…!!)
落ち着いて機体を見た新之助は気がついた。髑髏マークと家の間にはまだ距離があることに。
新之助は急いでナイフで箒をばらし始めたのだった。
「新!!」
「うわっ」
「ちょっとあんた、こんな所で寝て。風邪引くわよ」
「母さん…」
「あっ夕飯も食べてないじゃないの!!」
そこは朝日が差し込む、我が家のリビングだった。
「朝ごはんに食べて行ってよね」
「あぁ」
新之助はソファから体を起こした。
「新?」
「ん…なに?」
「顔色悪いわよ。ほら、やっぱり風邪でも引いた…」
「あーわかった、わかった。大丈夫。俺シャワー浴びてくるわ」
「新!?本当に大丈夫」
背後から何度も声をかけられたが、そこは無視をし、浴室へ向かう。
途中、玄関から庭を見る。
庭木は、朝日に照らされて生命感全開といった感じだった。
母親が大事にしている鉢植えの花も美しい水色の花を咲かせている。
新之助は、花の名前も知らなかったが、心にぽっと暖かさが湧いた。
人が花を愛する気持ちが、少しわかったような気がした。