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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第7章 殲滅戦開始
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7-2 先生は強い

 自分の目を疑うという場面はこれまでに何度か経験している。自分の考えている範囲をあきらかに逸脱したことが起きたときだ。

 松島先生が無傷で、三十体近くもいた強力な霊獣を一掃しているというのは、まさしく目を疑う場面だと言える。

校舎裏には閑散とした空気が立ち込めている。俺と皐月が到着したのはちょうど先生が最後の化物を斃したときだった。ヘドロのような黒い液体となって地面に溶けていく霊獣が断末魔の叫びをあげていた。

「あの男、妖魔退治の類であれば俺より強いな」

 そう呟いたのは先に到着していた末次だ。腕を組みながら暢気に観戦していたらしい。

 化物を片付けた先生は、今度は末次に戦意を向ける。

「先生、この人は大丈夫です」

「……そうか。助かった」

 先生も相当疲弊していたらしい。震える手つきでポケットからタバコを取り出した。

 末次という死霊の存在に、皐月は大して関心がないらしい。彼女はさばさばした様子で「こんにちは」などと末次に挨拶している。

「悔しいですが松島の腕は源次郎を超えている。つまり、今の退魔師に松島以上の人材はいません。さすがの彼も危ないかと思いましたが、心配はいらなかったようですね」

 皐月は俺の手を握りながら息をついた。

「松島、ご苦労様です」

 先生は後ろ髪をかき、こちらを振り向いた。

「これはこれは、お姫様ではありませんか。お久しゅうございます。お元気でなにより」

「皮肉な挨拶はけっこう。それで、加賀詩織はどこに?」

 バツの悪そうな先生の表情からとても嫌な予感がした。

「あー、それがな、加賀詩織は化物退治に手一杯で連れ去られてしまった」

 やっぱり。

「そうですか。仕方ありません。すぐには殺さないでしょうから、まだそのへんに……」

 あっけらかんとした態度の皐月が途中で言葉を切って、校舎裏の奥を指差した。暗くてよく見えないが、何かあるらしい。

「いましたね。こっちに来ます」

「え? どこ?」

 何も見えない。見えないが、

「やってくれたねぇ、退魔師とやら。いささかも油断していなかったはずだけどねぇ、どうやら君は予想の範疇を超えていたようだ」

 と声がした。

 皐月が「あれが志摩蓮介ですか?」と尋ねてきたが俺には見えないので「たぶん」とだけ言った。松島先生はかなり疲れているようで、火をつけたタバコの煙をため息混じりに吐き出している。

「末次くん、遅かったじゃあないか。君がいればこれほどの惨事にはならなかったはずだよ?」

「はあ、申し訳ござらん」

 末次は暢気な姿勢を崩さない。隙だらけなようで隙がないところが彼らしい。

「君は私が使役する霊獣だよ? そのような態度では困る」

 使役する霊獣とはなんだろうか、と考え込んでいると、皐月と先生が二人で解説のような会話を始めた。

「霊獣……ということは、志摩蓮介はどうやら四国の祈祷師のようですね」

「ああ、そのようだな。犬か蛇か……あそこは猿もいたな」

「まあ犬神統でしょうね、あそこなら陰陽師の術も多少使えるはずです」

「犬神統か、たしか、陰陽師から派生した呪術使いのことだな? ある祈祷師が恨みを持った相手に呪詛をかけようとし、自分の愛犬を首だけ出るように地中に埋め、『どうか私の恨みを果たしてくれ』と犬に頼んで首を切り落とし、その犬の霊を操って相手を呪い殺したと言う伝説がある」

「その犬神の呪術を人間に応用したということですか」

「うーん、興味深い。人からつくりだす霊獣か。この土地の霊反応ならば可能だろう。なぜ何百年の間、陰陽師はこの土地の異常に気づかなかったのか」

 二人の会話にはまったくついていけないが、俺も形だけ頷いておく。うんうん、と繰り返し頭を上下して頷く。これで俺の鼻がとがっていたらキツツキにでもなれそうだ。なんのこっちゃ。

 しかし、犬神というのは聞いたことがある。陰陽師が式神を使役するなら、犬神統は犬の霊を使役する。そんな単純な話ではないだろうが、俺はそう理解している。つまり、志摩蓮介は犬神統の人間で、この町に寄生しながら悪巧みをしていたのだろう。

「最初に気づいたのが志摩蓮介という祈祷師だった。これがこの町の悲劇を生んだのでしょう。彼は桜花家にもパイプがあったので、ごまかしもきいたではないですか?」

「なるほど、な。この町は奴にとって格好の実験場だったわけだ」

 先生はタバコの火を靴の底でもみ消し、もう一本取り出して火をつけた。吸い殻はポイ捨てだ。足元にはすでに一箱分近く落ちている。この人、化物退治しながらも吸っていたのだろうか?

「おっと、それは少し違うねえ、退魔師。ここで生まれた霊獣たちは家老の寺内将権の仕業さ。私はその手伝いをしただけだよ」

 闇の奥から人影がうっすらと見え始める。こちらに向かってゆっくりと近づいてきた。

 その人影がくっきりと姿を現したとき、志摩蓮介が加賀詩織を脇に抱えていることに気がついた。ちょっとおっぱいに手がかかっていることが俺をイラつかせたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「おい、詩織は無事だろうな?」

 俺が声をかけると、志摩は「誰だお前は」といった顔をしてこちらを睨んだ。志摩にとって俺は眼中にないということだろうか、少し切ない。

「心配しなくとも、この娘の肉体には興味ないのでねえ、傷一つ付けてないよ。ただし、変な動きをすればどうなるかわからないよ」

「おっぱいを触っておいて、興味ないだと? ふざけるなよ」

 俺の背後からもの凄い殺気を感じた。

「啓介、ふざけているのはあなたです。緊張感というものが足りないようですね」

「す、すみません」

 たしかに、不思議と緊張感が湧いてこない。以前とは違って、何があってもどうにでもなるという自信が湧いてくる。

「わ、私だってもう少しすればきっと育ちますから待っていてください」

 うーん、と背伸びしながら怒る皐月は子供にしか見えない。先生はやれやれといった様子だ。

「いや、お姫様はもう育つのは無理だ、これは何度も言い聞かせたはず。爺様もいろいろと手を尽くしていたではないか。一生そのちんちくりんな身体だ。あきらめなさい」

 にやにやとした薄笑いで子供(九歳の女の子)をいじめる大人(教師)の図は道徳を排している感が半端ではない。

「ぐぬぬ」と拳を握る皐月から見て、本人も認めているだろうということがわかる。可哀想に。

「あのね啓介。そういう哀れみの顔をされるのが一番傷つくことに気づいてください」

「ご、ごめんなさい」

 緊張感が足りない俺たちに呆れたのか、末次と志摩で会話をはじめた。

「ところで志摩殿、約束通り妻に会わせていただきたいのですが?」

「それでは私が誘拐したような口ぶりだねえ」

 ……いやあんた実際そうでしょ、と俺は思わずつっこむ。

 志摩は抱えていた詩織を落ち葉が敷き詰められた地面に寝かせ、身体の上に人型に切り取った紙を置いた。

「へぇ、志摩蓮介は陰陽術も使えるのか」

 先生は感心して「桜花にも関わりがあったのだったな」と独り言を漏らした。

 詩織の上に置かれた式紙が淡白く光りだす。早く詩織を取り戻したいが、人質にされているため動けない。しかし、彼女が危ない状況なのに危機感が出ないのはなぜだろう。

 光りだした式紙が浮びあがる。さらに強い光が大きく膨らみ、やがて一人の人間の形に収束した。鈍色の和服を着た美しい女性が、長く麗らかな艶のある黒髪をなびかせて現れる。閉じられた瞼がゆっくりと開かれた。高名な美術品を見たときの、眼を奪われる感覚とは違う。たちまち自分の霊魂が彼女の瞳に引きずり込まれるかのような、強烈な引力を彼女の黒々とした瞳に感じた。精緻につくられた日本人形の造形美に、儚くも確かな生を吹き込んだことによって、侵しがたい神々しさを得ている。そう思った。

「美月さん……か?」

 ――皐月に似ている。

 姿かたちもそうだが、まとっている雰囲気がまるで同じだ。皐月が成長していれば、きっと美月さんのように完成された美を手に入れていたことだろう。和服の上からでもわかる胸と腰つきの完璧さは何とも形容しがたい。

「成功したようだねぇ」

 嬉しそうに、志摩は呟く。

 美月さんは彷徨わせていた瞳を末次のほうでとめ、何かを言おうとしたが、突然ふらりと倒れ込んだ。

「ああ、この下には美月くんの式が詰まった肉体が埋まっている。万が一、術を使われたら困るからねぇ。何もできないような依代を与えてあげたよ。でも、話すことくらいはできるだろう?」

「うぅ……うう」

 うめき声をあげながら、美月さんは末次に何かを言おうとしている。しかし言葉にならない。助けを求めているようにも思える。

「美月!」

 駆け寄ろうとした末次を、志摩が止めた。

「おっと末次くん。感動の対面を邪魔して悪いが、そこの退魔師どもを片付けてからにしてくれ。こっちにはまだ作業が残っているからねぇ」

「美月を……妻をどうするおつもりで?」

「なに、たいしたことはない。ちょっと鍵を開けてもらうだけだ。まず残りの霊獣と田淵信三郎の依代を手に入れなくてはいけない。そいつらを殺してくれれば……そうすれば必ず美月くんを引き渡そう」

「必ず……ですぞ」

「約束する。……ん? 末次くん、霊刀はどうした?」

「ああ、彼にあげてしまいました」

「なんだって?」

「心配ご無用。脇差で充分です」

 末次はこちらを振り向き、腰に差した小刀を抜いた。しかし末次に殺気はまったく感じない。俺にはそう思えた。

 

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