7-1 啓介、タダで刀を貰う
「起きろ、啓介。こんなところで寝ていては風邪をひく」
「…………ん?」
呼び起こされた俺は、起こしてくれたであろう目の前の人物を見て驚き、寝ぼけ眼から一気に目が覚めた。
「……末次!」
「おはよう」
がばっと身体を起こし、状況を整理する。
場所は霞丘高校の坂。俺が寝ている間に何もしてこなかったということは、末次に敵意はない。携帯の時計を見て、あまり時間が経っていないことを確認する。
「なんであんたがここに?」
俺がおっかなびっくり尋ねると、
「一応の主に呼ばれて歩いてきた途中でお前を見つけた」
と応えた。
ニッコリと笑った爽やかな笑顔は、男の俺から見ても美しいと思える。美月やおさきを骨抜きにするのも納得だ。
末次は腰にある刀を鞘ごと外して右手でぶら下げた。
その刀に目が行く。
「…………」
やはり素晴らしい刀だ。
彼の右腕にあるのは霊刀――加州清光。鍛冶町に住んでいた六代目長兵衛藤原清光が、突然、何を思ったのか非人の住む小屋で刀を打ち始めた。そのため彼は「非人清光」あるいは「乞食清光」と呼ばれたが、その見窄らしい小屋で数多くの名刀を生み出した。魔に魅入られた清光が拵えたのは霊力の結晶だったという。
「ん? 何だもの欲しそうな顔をして。この刀が欲しいか?」
末次は刀を俺につき出した。
「え?」
「ほれ、見たいなら見てもいいぞ。加州清光。名刀だ」
「そ、それくらい知ってるよ」
おそるおそる、突き出された刀に手をかける。
「遠慮するな、もともと俺の刀ではないし、もう必要のないものだ」
「……? じゃ、じゃあ遠慮なく」
持つとずしりとした重みを感じた。鞘の中にあってもわかる刀身の霊力が両手に伝わる。静電気を持続的に当てられているかのように、ぴりぴりとした感覚があった。
「すご……」
思わず漏れた感嘆の声は、鞘から刀を抜いた瞬間に霧散した。一瞬、刀身が白い光を放って輝いているように見えたからだ。しかしその光はたちまちのうちに消え失せ、本来の色であるはずの白刃の色にもどった。
「これが、霊刀……」
起こった不可解な現象に眼を瞬かせた。
「どうだ、気に入ったか?」
「うん」
立ち上がり、清光を振ってみる。振るたびに、大気の霊が切り裂かれて真空がおこる。
重さは俺が精製する高温物質の剣とほとんど変わらない。だが段違いの霊力と刃の鋭さを感じた。これならば俺の剣が小枝のように折られるのも納得だ。刃こぼれ一つもしないだろう。
「どうだ、欲しいか?」
「うん。欲しい」
「そうか」
「うん」
「なら持っていくといい」
「ありがとう……え?」
あまりにも軽い末次のノリが冗談だと思わせたが、彼の真剣な表情を見るとわからなくなった。
「本当に、くれるのか?」沸き起こる期待と戸惑いを抑えながら訊いた。「この刀を?」
「ああ、そうだ」
「清光を?」
「同じだろう」
「そ、そうですね」
これは夢か、と思った。そもそも、こうして末次と話していることも……ましてや末次の刀を触らせてもらっていることも、不可解なことのように思える。
「いらないのか?」
「欲しいです!」
しかし、これは夢などではない。
「なんでだ? 武士の魂なんだろう? 刀って」
「もともと俺の愛刀ではないと言っただろう? とは言え、いつの間にか手にしていたこの刀を持ち主に返すこともできなくてな……持て余していたのだ。誰か相応しいものがいれば譲ろうと考えながらも、時間が経ちすぎてしまった」
「そんな……俺にはもらう義理がない。俺は、あんたを斃そうとした」
「気にするな。久々の試合、楽しかったぞ。弟子ができた気分だった」
「弟子って……」
たしかに、そんな感じだったけど……。
「本当にいいのか? もらっても」
「いいと言っている」
「あとで、やっぱり返してと言われてもダメだぞ?」
「くどいぞ」
末次は面倒くさそうな顔をして、俺に近づいた。
「啓介、その刀で構えてみろ」
「え?」
「早く!」
「はいぃ!」
びしっと青眼に構える。末次は眼を細め、訝し気に俺を見わたした。
「啓介、何かあったのか?」
「え? 何か、というと?」
「いやなに、先日よりも随分強くなっている。というより、欠けていたものが補われている」
そう言って末次は、俺の下腹部を殴った。しかし、あまり痛くはない。
「ふむ、気が以前とは比較にならないほど充実しているな」
俺は「なんでだろう」と考え、ある大事なことを思い出した。皐月に霊魂を返してもらったから強くなったのだろう。むしろこれが本来の力といえる。
「末次、ここに女の子はいなかったか?」
皐月が俺の傍にいたはずだが、見あたらない。
「女子か? いや、見なかったな。お前に張り付いていた紙ならあったが」
「紙?」
「ああ、襲ってきたから斬ってしまった。お前の足元にある」
見ると、人型の紙が真っ二つになって落ちていた。まだ僅かに霊力が残っている。式神の依代となる式紙だ。なぜ式紙がここに?
「なんにせよ、啓介がそこまで強くなったのならば安心だ。その刀を存分に役立たせてくれ。俺が持っていても宝の持ち腐れだったからな」
そう言って末次はこの場から去った。
俺は去っていく末次に清光をもらったお礼も言えなかった。足元の式紙に目が離せなかったからだ。
「まさか…………」
紙を拾い上げる。皐月の霊力が染み込んでいた。
「まさか……!」
これは皐月ではなかろうか。死霊である皐月があれほどしっかりした霊体を持ち得るとすれば、優れた依代が必要だ。この紙は、皐月の依代だったのではないか? だとすれば、皐月は今、依代を失って霊魂のみが彷徨っている。あるいはもう消滅している。
「いや……」
まだわからない。これは皐月の使役する式神の依代だったかもしれない。じゃあ皐月はどこに?
「待てよ」
美月さんが言っていた。陰陽師は霊体では術を使えない……と。ならば同じく霊体である皐月は式神を使役できないことになる。
「嘘……だろ? これ、皐月なのか? 末次に斬られて、死んだのか?」
皐月だった紙を抱きしめる。彼女の温かみが伝わってくるように感じた。彼女はもうこの世にはいない。
「皐月……さつきぃぃぃぃぃ!」
「なんですか?」
すぐ後ろからかけられた声に、俺はひっくり返るほど驚いた。振り向くと、小桜模様の青い着物と無地の黒い羽織に身を包んだ和服姿の皐月が立っている。
「私の名を叫ぶなど、嬉しいことをしてくれます」
「え、皐月、え? お前、どうして」
俺は斬られた紙を皐月に見せる。
「あら、護衛の式を斬ってしまったんですか? もったいない」
「これ、皐月じゃなかったんだ」
「は? 何を言ってるんです? これが私のわけないでしょ。帰って着替えてくる間、寝ているあなたを護衛させていた優秀な式神です。よくこれが斬れましたね、さすがです」
「よかったあ」
喜びのあまり抱きついてしまう。小柄な皐月がすっぽりと腕のなかにおさまった。たちまち体温が上昇したようで、彼女の身体が湯たんぽのように熱くなる。
「なっ、な、何を……!」
「よかった。本当によかった」
「そ、そういうスキンシップは望むところですが……あ、あの……離してください。苦しいです」
「ああ、ごめん」
身体を離すと「ぷはぁ」と可愛らしい吐息を漏らして、皐月は名残惜しそうに俺の顔を見上げた。
「あの……続きはいつでもできますので……」
と上目遣いで言ってきた。愛おしい想いが溢れてきたが、飽くまで性的なものではなく、庇護欲的な何かがかき立てられた。九歳の身体であるから当然の感覚であろうが、成長した皐月を見たいと思わせる。これで詩織のように豊満な身体であれば間違いなく襲っていたことだろう。
「今は時間がありません。急ぎましょう」
「どこに?」
そう言うと、皐月は呆れた顔で腰に手をやった。
「まだ寝ぼけてますね。このままでは松島正と加賀詩織が危ないので助けに行かなくてはいけません。急ぎましょう」
「あっ!」
自分と皐月の過去の記憶が脳に溢れたせいで、そのへんの記憶が遠のいていた。たしかに今は急がなくてはいけない。先生が一人で戦っている。
「急ごう」
「あっ……」
皐月の手を引っ張って、走り出す。履物が草履であった彼女は転びそうになり、俺は「ごめん」と謝った。




