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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第六章 桜の花
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6-4 老齢の執事(過去編)

 午後8時。カーテンを締め切っているため外の様子は窺えない。テレビから流れるくだらないバラエティ番組が、いつも通りの無為に訪れた夜を感じさせる。

 整頓し終えた部屋を見渡し、皐月はため息を吐く。

「なんで律儀に掃除なんてやっちゃうんだろう。どうせすぐ元に戻るのに。無駄なことを……」

 しかし、ほんの少しだけリフレッシュした心持ちに気づき、まあ無駄でもないかと皐月は思い直した。

「あれ……読みかけのやつどこやったっけ?」

 整頓したばかりの本棚を漁ろうとしたとき、部屋の向こうに人の気配がした。

「誰ですか?」

「……ノックをする前に気配に気づかれるとは、姫も武道をやられますか?」

「源次郎でしたか。せっかくですが武道は遠慮しておきます。それより……」

 八十島家は古武術を伝える家系でもある。退魔師の修行をする場合、ほとんどの者が八十島流の武術を学ぶ。ちなみに退魔師とは、陰陽五行説に八十島流の「気」を取り込んだ独自の理念を持つ、武術集団でもある。まあ、そんなことよりも……

「あたしを姫と呼ぶのはやめてくださいと何回言わせますか」

 と、皐月は苦々しく思ってしまう。なぜか退魔師連中は、彼女のことを姫と呼ぶ。源次郎が言わせているのではないかと、近ごろ彼女は勘ぐっている。

「まあ、よいではありませんか。それより、夕飯はどうします? 今日は茶の間まできてもらいたいものですが」

「いえ、ここで食べます。持ってきてください」

「いやいや、今日は大事な話があります。出てきてもらいたい」

「……珍しいですね。どんな話です?」

「明日から男子を一人、この屋敷に迎えることになりました。その話です」

「………………は?」

 皐月は思わず間抜けな声を出した。

「歳は姫より一つ年上ですな、名前は……」

「ち、ちょっと待って、なんでそんなことに?」

「聞きたいですか?」

「話しなさい」

「では、出てきてもらいます」

「うう……」

「出てこないなら詳細は話せませんな。得体の知れない男子が同じ屋敷をうろつく恐怖に耐えられますかな? 知っておいたほうがよろしいのでは?」

「わ……わかったわよ」

 恐る恐る、扉をあける。一週間ぶりに人に会う緊張感が、皐月の腕を痺らせる。人間嫌いになりつつある自分をひしひしと感じる。ちなみに紫は人としてカウントできない。

 扉の向こうには笑顔いっぱいの好々爺がいた。老人とは思えない屈強な肉体に、年相応のしわくちゃな顔がアンバランスだ。いまは袴を脱いでいて、着流し姿である。

 皐月は源次郎の顔から目を逸らしてしまう。育ての親である源次郎でもこれなのだから、面識のない男子など、どうしたらいいかわからなくなるだろう。確実にコミュ障となっていく自分に、皐月は危機感を覚えている。

「おおっ! 久々に姫の美しいお姿が見られて、爺は幸せにございます。では、参りましょう」

 そう言ってから源次郎はくるりと背中を向け、歩き始めた。

 八十島家の屋敷は、広大な敷地を持っているにもかかわらず不自然にも縦に細長い造りをしている。玄関から入って一番奥の書斎に着くまでに、百メートルほど続く廊下を歩かなくてはならない。その長い廊下から出られる外には大きく広がる立派な庭があり、その庭を挟んだ向こう側は二階建ての、これまた大きな道場が築かれている。つまり、西から道場、庭、屋敷というふうに敷地を三つに分けているため、屋敷が南北に伸びる細長い構造になってしまっている。

 この妙な造りのせいで、二階の奥にある皐月の部屋から一階の茶の間まで移動するためには、一度玄関近くの階段を下りて書斎手前の茶の間まで長い廊下を歩くという手間がかかる。計三分ほどの道のりだ。

「…………?」

 いつもは4・5人ほどいる屋敷に、人の気配が全くしない。そのことに、皐月は違和感を覚えた。

 目的地にたどり着き、皐月は畳の上に正座する。

「…………?」

 またしても違和感。

 いつもの、輪島塗の座卓ではなく、家族が団欒を楽しむための昭和の遺物……卓袱台が、八畳部屋の中央に置かれていた。しかもその上にはガスコンロととんすい・レンゲがある。

「お待たせしました」

 一度台所に引っ込んだ源次郎が持ってきたのは土鍋だ。

「これは……源次郎が……?」

「ええ、腕によりをかけて作りましたぞ」

 誇らしげな源次郎を横目に、鍋の蓋を開ける。鱈、鮭、帆立などの海鮮物と、白菜、水菜などの野菜が豪快にぶち込まれている。まさに男の料理。

「源次郎……ほかの人はどこへ?」

「使用人たちにはしばらくの間、暇を与えました」

「なぜ?」

「明日からここに住む男子が、危険だからです」

「…………」

「まあそう睨みなさるな、本当は姫も出て行かれたほうがいいのですが、そういうわけにもいかないようですので」

「当たり前です。常識です」

「いやいや、いつも通りなら安全なところへ放り出すところですが、今の姫は引きこもっていらっしゃるので」

「もうこうして出てきました。引きこもりではありません」

「でもまた引きこもるのでしょう?」

「む……」

 紫も源次郎も、本人に面と向かって引きこもりとか言わないで欲しい、と引きこもりを自覚していながらも皐月は思ってしまう。

「その男子には道場で寝泊りしてもらってはどうです?」

「まあまあ、そう酷なことを言ってやりますな、彼にも事情というものがあります」

「…………はあ」

 とりあえず事情を聞くしかなさそうだと、皐月は重い気持ちを隠せずに深いため息をついた。

 ぐつぐつと鍋が煮立った頃合を見て、源次郎が蓋を開ける。噴き出した湯気は、食欲をかき立てるかぐわしい香りを部屋中に漂わせた。

 昆布だしと醤油の質素なつゆだが、なかなかに美味しい。海鮮と野菜の味がよく染み込んでいる。欲を言えば、砂糖と塩、みりん等も少し加えたいところだが、皐月は言い出せずに我慢した。源次郎の話に集中するためだ。

「実は昨夜、医師である古い友人に『助けてくれ』と泣きつかれまして、その場に飛んで行ったところ一人の男子がおりました。歳は……姫の一つ上です……。身体の弱そうな鼻垂れ小僧でしたわ。そいつがまたとんでもない気の持ち主でして……」

 源次郎の話によると、その男子の名前は霧島啓介という、今年で十歳になる少年だそうだ。

 二日前、その少年と母親の二人が大火傷を負った状態で病院に運ばれた。二人は同程度の酷い火傷だったそうだ。しかし、母親が意識不明の重体であったにもかかわらず、少年の方はしばらく経つと、何事もなかったかのように目を覚ました。全身麻酔を施そうとした麻酔科医は仰天した。少年の身体にあったはずの火傷が、綺麗さっぱり消えていたからだ。

 少年の運がよかったのは、その病院の院長が八十島源次郎の友人だったことだろう。「気」の力を用いた医療法で高い効果を見せつけたことのある源次郎は、医学界へのパイプをいくつか持っていた。時おり、患者を見てくれという依頼が来るという。

 源次郎が駆けつけたとき、少年の傷は完全に治癒していたが、精神不安定の危険な状態だった。それだけではない。いきなり叫びだしたかと思えば、火元がないにもかかわらず、少年の身体が自然発火して重度の火傷を負い、そしてまた治癒する、の繰り返しだった。病院側はベッドを三台燃やされ、看護師が二人火傷を負う被害を受けた。しかも火災報知器が何度も作動し、その度に病院内が大混乱をきたすという始末。院長が泣きつくのも当然と言える。

 自然発火現象だな、と源次郎は断定し、火元は少年の感情から出る気であると診断した。

 万物(物質・生物や現象など)は木、火、土、金、水の五行から成り、その全ての根源が霊気であるとは源次郎……ひいては退魔師の持論である。その説を持って、少年の感情からあふれる不可視の力(気)が現象化(発火)したものだと説明した。

 ただ、不可解な点が多い。自然発火の頻度の多さと、治癒の原理だ。ここまでの症状は異常だと思い、さらにどうすればいいかは源次郎にもわからず、とりあえずは自分が引き取ると申し出た。

 少年の母親はいまだ意識不明。父親には連絡がとれたものの、自分には関係無い、の一点張りであり、他に近しい親戚もいない。こうして、少年……霧島啓介を無事(?)、八十島家へ迎え入れることとなった。

「まあ、そういうことです。いいですか? 決して、霧島啓介には近寄らないようにしていただきたい。姫の美しいお顔に火傷の痕ができようものなら、この八十島源次郎、辛い決断をせねばなりません」

 そう言った源次郎の顔は、皐月を震え上がらせるのには十分すぎる気力が込められていた。一ヶ月前、顔に怪我を負い、しかもずぶ濡れの状態で帰ってきた皐月を見た源次郎は、淡白なセリフを吐いたが、表情は今のように凄まじいものであった。

 きっと源次郎は怪我を負わせた美瑠久たちを突き止め、適当な〝処置〟を施したに違いない。辛い決断とは、霧島啓介に対する処置であることは容易に想像ができた。

「……わかりました」

 元より関わる気などない。同年代の人間など、どうせくだらないに決まっている。ましてや男子など、相手の見た目ばかり気にしているくせに、中身が気に食わないとすぐに手のひらを返す薄情なやつらだ。

 ――でも……

 先ほどの話で、ほんの少しだけ、その少年に情がわいてしまった。

少年の自然発火によって母親を傷つけたことは明白である。自分の力のせいで、一番近しい人間を傷つけてしまうというのはどれほど辛いものなのか。精神不安定の状態から察するに、相当の心的ストレスであったに違いない。父親には見捨てられている。かわいそうだな、というのが、皐月の正直な感想だ。

 ――それに……

 近寄るな、と言われれば一目だけでも見てみたいと思うのが、人の性というものである。

 近寄らないし関わりはしない。見るだけ、と皐月は心の中で先に言い訳をしておいた。

 鍋の具はすでに食べ終わり、程よい満腹感が身体を温める。

「うむ、では締めの麺といきますか」

 と源次郎はうどんでもご飯でもなく、ラーメンを鍋に投入する。

 その活き活きとした表情はとても老齢だとは思えない。

「わたしはもうお腹いっぱいで……」

「食べなさい」

「あ、いえ、だから……」

「食べなさい」

「うう……はい」

「よろしい」

 源次郎はたまにだが、こういうふうに皐月の父親、あるいは祖父のように振る舞う。それがなんとも言えない鬱陶しさと嬉しさを、皐月に感じさせる。

「……あっ」

 しぶしぶと口にしたラーメンは、皐月の予想に反して美味しいものだった。

 思わず全て食べてしまったという彼女の様子を見て、源次郎は顔をしわくちゃにしながら豪快に笑った。


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