6-3 引きこもりのお姫さま(過去編)
「主さま。もう術の修行はお辞めになられたのですか?」
そう問われたのは、もう何回目だろうか。いい加減うんざりしてしまう。
「しつこいなあ、もうやらないって言ってるでしょう?」
「しかし……」
「うるさい。陰陽師なんてものになっていったいなんの得があるの? それに、桜花家はもうわたし一人なんだし、これで終わりでいいじゃない」
「主さま。桜花家の陰陽術が絶えてもいいなどとは申さないでください。千年にもわたる妖との戦いの歴史と偉業が、あなたさまへと繋がっているのです。これまで、どれほどの人間が、桜花家の類まれなる優秀な力に助けられてきたか……」
「妖なんてこの時代にはほとんどいないじゃない。陰陽師だってもういない。誰もこんな力、必要としてないわよ。それに、式神の分際でわたしに指図しないでちょうだい」
「主さまはもう桜花流の術をほぼ修められておいでです。その歳でその力量。私がこうして現界できたのも、あなたさまが二百年に一人の逸材であるなによりの証。その技を、妖に苦しむ人々の役に立てないのでは宝の持ち腐れにございます」
先ほどから皐月に説教を繰り返しているのは、紫という式神だ。ショートカットの色っぽいお姉さんという雰囲気。丈の短い和服は『くのいち』を思わせる。
皐月のそばには、いつも彼女がいた。父がいなくて寂しいと思わなかったのは、あるいは彼女のおかげかもしれない。
しかし、皐月が普通の女の子として成長できなかったのは紫の責任であった。紫は最高位の式神であり、彼女を使役できるのは、二百年に一人出るか出ないかと言われている。つまり、幼い頃から彼女を使役している皐月は、歴代・桜花家の中でもとりわけ優秀であるということだ。
紫は、桜花家に伝わる秘伝書の読み方を皐月に教え、皐月は見事に技の一つ一つを確実に会得していった。師匠もいない桜花家最後の一人である皐月が術を継承できたのは、ひとえに紫のおかげだ。逆にいえば、皐月が普通の女の子として生きられなくなったのも紫のせいでもある。そういうこともあり、この頃皐月は紫のことを恨まないまでも、少し鬱陶しく思っている。
「もう放っておいてよ」
「まあ、それはおいおい話し合いましょう。それはそうと、主さま。学校のほうには行かなくてよろしいのですか?」
「……だから、放っておいてってば」
皐月が学校に行かなくなってから……つまり美瑠久たちに人形を壊されてから、もう一週間が経つ。額から血を流し、全身水浸しで帰って来た皐月を、彼女の保護者である八十島源次郎は一目見て、「何があったのですか?」ではなく、「どうしますか?」と聞いた。皐月は「しばらく考えます。学校へはもう行きません」と言っただけで、それ以上はなにも告げなかった。学校からの連絡が一切来ないということは、源次郎がなにかしらの処置をしてくれたのだろう。
源次郎は退魔師の創始者であり、七十歳を超える老齢の豪傑だが、桜花家当主である皐月を丁重に扱う。彼女の保護者というよりは、彼女に仕える執事といった感じだ。
「放ってはおけません。この状況を見れば……」
紫は皐月の部屋を見渡し、顔をしかめた。
「存じておりますよ。私もこの時代のことは頭に入っています。主さまのような人を、引きこもりと言うのでしょう?」
「うぐっ……」
レトロなゲーム機と大量のソフト。ネットでセット購入した古本の漫画の山。これまたネットオークションで大量に買い込んだ古いロックバンドのCDと、源次郎の部屋から持ってきた古いオーディオ。溜め込んでいたお小遣いで買える範囲の、大量の娯楽品が乱雑に散らばっている。紫が顔をしかめたのは、この惨状を見てのことだった。
「遊び呆けるにしても限度がございます。とりあえず整頓はしたほうがよろしいのでは? 友達どころか、これでは将来、もらってくれる殿方などおりませんよ?」
時おり紫は、このように主を小馬鹿にしたような口の利き方をする。この女、実は相当のSだな、と密かに皐月は思っている。
「知らない。友達とかもいらない。欲しい時は自分で選びます。もうくだらない連中はこりごり」
「もらってくれる殿方、という言葉は無視ですか?」
「うるさい!」
皐月の反応を見て、紫は楽しんでいるように思える。
「主さま……いったい学校で何があったのです?」
「べつに……」
「わかりました、これからはどこへ行くにも、私がお供いたしましょう。これで安心です。これで自由に外出できるというもの。さあ、学校に行きましょう」
「紫がついてきたら余計に安心できないわよ。あたしは、これからは〝普通〟でいたいんだから」
「普通でいることが、幸せにつながるとは限りませんよ?」
「べつに幸せになりたいとは言ってない。ただ、納得できる生き方がしたい。今のままだと納得できない。だから陰陽師としてじゃなくて、普通に生きてみたい。道を選ぶのはそれからでも遅くないでしょう?」
「この間から普通の女の子になりたいと、どこぞのアイドルのようにおっしゃっていますけど……」
「な、なによ……」
紫は部屋を見回してから、ふっ、と鼻で笑った。
「わかったわよ、あとで整頓するから黙っててよ」
「源次郎殿も困っておいでです。お顔くらい見せてもよろしいのでは? 源次郎殿ならきっと相談に乗ってくれます。じっくりとお話すればよろしいでしょう」
「う……」
源次郎の名前を出されると皐月は弱い。
「まだ、駄目。これ以上、源次郎に頼っていられない。あたしは、源次郎の役に立ちたいの」
「それなら、なおさら桜花の力を使うべきです。源次郎殿の退魔道と、桜花流の陰陽術。二つが合わされば勝てない敵などおりません」
「それもまだ駄目。あたしが納得できない。こんな力を持ってるから、あんなくだらない連中に馬鹿にされたかと思うと納得できない」
紫はため息をつく。
「まったく……桜花家の天才というのは、どの時代でも一筋縄ではいきませんね」
「へぇ……そうなんだ」
「ええそうです。ひとつ前の主さま……と言っても二百年ほど前になりますが、その方などは式神ごとき身分である私に甘えっぱなしで、友のように扱いなさる大変なお方でした」
そう言った紫は、懐かしむような、嬉しそうな顔をしている。
「その人のこと、好きだったんだ。男の人?」
「いえ、美しい女の人ですよ。あなたさまに瓜二つでございました」
「あたしはあなたを友達扱いなんてしないわよ? 甘えたりもしない。式神は所詮、式神なんだから……」
「ええ、そのように扱って頂ければこちらとしても気が楽です。あの方は少々変わったお人でしたから。私のはじめての、友と言えるのでしょうか」
「なんかのろけ話みたいな雰囲気になってきたわね……とくに用がないなら、出て行ってちょうだい」
「しかし主さま……」
「出て行ってちょうだい。やっとセクシーギャルの勇者を作れたところなんだから」
皐月の目はすでにゲーム画面に移っている。
「はあ、そうですか……わかりました」
そう言って紫は、空気に溶け込むように消えていく。その消え際、「しかし主さま……」と目を細め、散らばった漫画を指差した。
「年頃の女子が、バトル系の少年漫画ばかり読むのはどうかと思いますよ?」
「うるさいっ。おっ、おもしろいんだからしょうがないじゃない……!」
声が荒ぶってしまったのは、皐月も少し気にしているところだったからだ。




