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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第六章 桜の花
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6-1 桜花皐月の記憶(過去編)

 桜花皐月には大事にしている市松人形がある。

 父が唯一、彼女に渡したプレゼントだ。

「……皐月。その人形はね、生きているんだよ。モノにもね、人間のように霊気が宿るんだ。その人形にはお父さんの力が込められている。いざという時は、きっと皐月の力になってくれる。だから大事にするんだよ?」

 母は高齢出産の無理がたたり、皐月を産んだと同時に他界した。父は男手一つで皐月を育てたが、あまりいい父親とは言えなかった。会えるのは月に一度くらいで、皐月は父の部下である八十島源次郎の家で暮らした。それは今でも変わらない。変わったとすれば、皐月が小学2年生になったころ、父が突然行方をくらませたことだ。警察や源次郎が必死になって探したが、行方はわからなかった。皐月にとっては遠い肉親である父だったが、なぜか彼女は、父のことが好きだった。会う度に、父は彼女の頭を撫でた。その度に、身体の芯から暖まるほどの幸福感を得た。そんな父が最後に会ったときにくれたのが、この人形だった。

 怪談話に登場しそうな日本人形。普通の子供なら不気味に思うその人形を、皐月は喜んで受け取った。



 6月上旬に漂いはじめた夏の気配は連日の雨によってぬぐい去られた。いまは一度盛り上がった人々の心持ちに冷水を浴びせたかのように、ひんやりとした空気が漂っている。そんな6月中旬。例年通りの梅雨入りにもかかわらず、傘を持つ手が億劫になったり、弾かれた雫が足元を濡らしたり、なにより光陽の恵が失われたことの不快感だったり、そういったことで誰もがため息を吐かずにはいられない。毎年くる季節だとしても慣れはしないだろう。

 ましてや小学生などという直情でモノを表現する年頃であれば、なおさらである。そしてそういう直情で行動する彼・彼女らは――季節の陰鬱さに文句を言うくらいならば可愛いものだが――素直であるがゆえに、ときには残酷な仕打ちも何気なく行ってしまうものだ。

 桜花皐月はその日も、いつも通りに小学校の門をくぐり、そして学友と共に勉学を学び、そして放課後は家路につく……はずだった。

 皐月は同級生とは一風変わった女の子である。いや、同学年である小学4年生にかかわらず、全学年を見まわしても、彼女のような女の子はいない。皐月は小学生特有の直情的で愚かな振る舞いや思想はなく、大人びた雰囲気と聡明さ、なにより誰もが振り向かずにはいられない美貌の持ち主だった。当然のように教師連中は彼女を贔屓にし、特別扱いした。ほとんどの男子生徒はその初となる恋心を、彼女へ捧げた。女子生徒は羨望の眼差しを持って彼女と触れ合った。

 しかし皐月にとって心地の良い場所は、長くは続かなかった。学年が上がるにつれ、直情さに嫉妬心と狡猾さを芽生えさせる時期が来るものである。それは通例、女子が早く手に入れる賢さ、あるいは残酷さである。彼女らは人の粗を探し当て、その粗を強調することで人を貶める。自分より劣っている人間がいることを強く主張する。そうすることによって、自分の優位性を無意識のうちにアピールしている。しかも貶める相手が、今まで誰も敵わないと思っていた人物であるなら――今までその人物に溜まっていた鬱積があるとしたら――それは誰にも止められない流れを汲むに違いない。事実、そうなった。そして悪いことに、その人物……桜花皐月は、探すまでもない大きな粗があった。

 ――どうしてこうなったのか。

 普段と変わらない日常を過ごしてきたはずなのに、ある日突然、今まで仲良くしていた友達がよそよそしくなった。それだけではない。ロッカーのものは全てゴミ箱に捨てられ、廊下に掛けてあった体操服は外に投げ捨てられていた。下駄箱にあったはずの外ばきは当然のようになくなっており、探してみたところ、うさぎの飼育小屋の中に打ち捨てられていた。どうしてこうなったのか、最初は全く理解できなかった。しかし次の日、登校してみてやっとわかった。  

 机の上に彫刻刀で刻まれた文字が書いてあった。

『妖怪』『幽霊』『不気味ちゃん』『ペテン師』

 はじめは、よくもまあ小学生にそんな語彙力があるものだ、と皐月は感心してしまった。そして、

「ああ、やっぱり気持ち悪がられてたんだ、あたし」

 と妙に納得できる部分があったことに、落ち込んでしまった。

 皐月は物心がついた頃にはすでに霊が身近な存在だった。桜花家は古くから陰陽師の名家であり、皐月は今ではその一族最後の一人である。霊を集めることも、霊と会話することも、そして霊を抹殺することも、彼女にとっては何よりもたやすいことだった。いけなかったのは、皐月が人目を気にせずに霊退治に勤しんでいたことだろう。彼女にとっては術の試し打ちであって、他愛もないことだとしても、周りからすれば、何もないところに妙な呪文を唱えている気味の悪い少女としか思えないだろう。友達に憑いていた微量の呪を解いたことも、何度かある。

「桜花さんってさぁ、霊感あるって自慢してるイタい不思議ちゃんだよねぇ」

「え〜だってさぁ、しょうがないじゃん。だって自分が幽霊なんでしょう? そりゃあ仲間と一緒にいたいはずよ。だからそっとしとこーよ」

 ――じゃあそっとしておいてもらいないだろうか……。

 昼休み。一緒にご飯を食べる相手もおらず、一人で窓の外を眺めながら、給食を食べ終わったところだ。梅雨に入り、連日のように雨が降り続けている。もともと雨の多い北陸地方ではあるが、雨が続くことに嫌気が刺すのは他の地方とかわらないだろう。その嫌気とは別に、皐月にとっては陰鬱な日々が一つずつ消化されている。

 つい最近まで「皐月ちゃん」と呼ばれていたのに……。これまで積み重ねてきた人間関係や想い出が、はじめからなかったかのように崩れ去っている。今まで生きてきた自分を、真っ向から否定されたように感じた。

 まさにテンプレート的なイジメがスタートして、もう一ヶ月ほど経っている。女子はこそこそと聞こえる程度に悪口を言い、教師は全く気付かない……フリをしている。

 そして男子は……

「おい、いい加減にしろよ女子。桜花は何もしてねーじゃん」

 というふうに、時々かばってくれる。とくにクラスの中心人物である中野建太が率先して、皐月の味方でいてくれる。しかし建太は女子の間で一番人気があり、そのことが、女子の嫉妬心をさらに仰ぐ結果となっている。

「建太君って、桜花さんのこと好きなんでしょ〜? じゃあさぁ、今から告っちゃいなよ〜。今だったら絶対オーケーしてもらえるって〜。『幽霊のあたしと付き合ってくれるの? ありがとう〜』って上目遣いで甘えてくるよ、きっと」

 そう言ったのは飯島美瑠久。彼女が中心となって、皐月をイジメているように思える。小学生でありながら髪を茶髪に染め、化粧をし、ブレスレットやペンダント、指輪など、派手なアクセサリーを平気で身につけている。中学生の彼氏がいる、といつも自慢げに話をしているつまらない女だ。

 美瑠久は見た目どおり、派手で傲慢な性格をしており、彼女に逆らえる女子はいない。基本的に馴れ合いを求めるのが女子だ。だから、美瑠久のように攻撃的な人物がまぎれこめば、波風を立たせないようにするため、彼女を立てることが自然の流れとなる。

「ふっ……ふざけんなよ! そんなんじゃねーよ」

 建太が顔を真っ赤にして言った。

「だって〜、建太君わかりやすいんだもん。桜花さんなんてさっきから胸がキュンキュンしちゃってるよきっと。『建太君かっこいい! わたし幽霊だけど建太君と結婚したい! 許されない恋だけど、結ばれない愛だけど、わたし、建太君に一生ついていくわ』って」

 芝居がかった美瑠久のセリフに、クラス中から笑いが起きる。

 よくもまあ、次から次へと口がまわるものだ、と皐月はまたしても感心した。

「う……うるせーよ!」

 今にも建太はきれてしまいそうだ。

 たまらず、皐月が止めにかかった。

「建太君……もういいよ。ありがとう」

 優しく、なだめるように声をかける。その優雅な雰囲気は、とても小学生とは思えない可憐さを秘めていた。これでは、男子連中が恋心を射止められるのは当然だと言える。

 しかし、羞恥に赤く染まった健太の顔は、皐月が間に口を出したことによって、さらに歪められた。

「別に俺は、桜花のことなんて好きでもなんでもねーよ! 勘違いすんなよ! 誰がこんな幽霊みたいなやつ好きになるかよ!」

 そう言って、健太は教室を出て行ってしまった。それを見て、再びクラス中に笑い声が響く。

 ――なんだ、これは。

 思わず苦笑する。別にこっちだって好きでもなんでもない相手だったけど、少し傷ついてしまった自分に、笑ってしまう。

 ――なんの茶番だろう。

 やがて、あまりの馬鹿馬鹿しさに皐月は苦笑してしまう。そのニヤけた顔が、クラスメイトにとっては奇妙に思えたらしい。

「何笑ってんだよ、気持ちわりぃ」

 美瑠久が戸惑いながら言った。

「やっぱり頭いかれた幽霊は、やることなすこと意味不明だね〜」

 最近まで皐月と一番仲が良かったはずの鈴木由美が、美瑠久に便乗する。

 ――なんて、くだらない場所だ。

 ――なんて、くだらない連中だ。

 今まではそんなくだらない連中から逃げたくなくて、この場所にとどまっていた。くだらない連中と同じレベルにいたくないから、反抗もしてこなかった。でもこれ以上我慢していたら、こんなくだらない連中よりも下に見られてしまう。それってどんな生物よ。それこそ人間以下の霊にも劣るわ、と皐月は思った。

 言い返そう。こいつらを言い負かして、謝らせよう。

「…………」

 そう思っても、なにも口にできない。そんな勇気が湧いてこない。

 ――ああ、なんて情けない。

 あまりの情けなさに、目頭が熱くなる。

「っ…………」

 下唇を強く噛み、涙を出すことは必死でこらえた。こいつらの前で泣くことだけはできない。でも、ここで逃げることもしたくない。

 ここで逃げてしまえば、健太のように笑われる。それは嫌だ。それなら……

「やっば……こいつ泣きそうじゃね? 『建太君助けて! わたし泣いてるよ! 早くわたしを抱きしめて、慰めて!』って?」

「あはは、幽霊が泣くわけないじゃん」

「まあ見てなって、絶対泣かしてやるから」

 ……こうして目の前で笑われたほうがましだ。



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