1-3 美少女委員長と怖ーい担任
「いいかげんにしろ! 転校生」
起きれば、もう放課後だった。俺は全く感覚のない左腕にイラつきながら身体を起こす。
「すごい痺れてる」
呟きながら左腕をぷらぷらさせていると、目の前にクラス委員長がいることに気付いた。少し長めのスカートに、伸ばした髪を丁寧に後ろで結んでいる。大人しそうな外見だが、強気な性格と人情あふれるリーダーシップで、クラスでの人気と信頼はダントツらしい。名前は加賀詩織だったはずだ。
「やっと起きた? あなた今日一日、漏れなく寝てたね」
クラス委員長は呆れと怒りを隠さず混ぜたような声を出した。
「あー、いや……でも一回起きたぞ」
「一回っていうのは、授業一コマぶんのこと? それとも一瞬のこと? もし後者なら今後あなたの言葉は聞かずに話を進めます」
俺は何も言わずに頷いた。もうしゃべらないほうがいいらしい。どうも既視感がある。皐月といい、加賀さんといい、俺は女に逆らえない性質でもあるのだろうか。
加賀さんは「よし」と一言呟いてから続けた。
「あなた転校してきてからずっとまともに授業受けてないよね? 学校嫌うのは勝手だけど、迷惑かけるのはやめて。あなたが露骨に寝ているから先生方が困ったりイラついたりしてんの。しっかりと授業を受けている人は迷惑なの。わかる? 松島先生があんなに怒るなんて、あなたが来る前は考えられなかったんだから。とにかく、みんなに迷惑がかかるから、しっかり授業をうけろとは言わないけど少しは工夫してください」
こう淀みなく、きっぱりとした意見を堂々と言われると反論のしようもない。
「すまん。最近は寝るのも遅いし寝覚めも悪くて……みんなに迷惑をかけているとは知らなかった」
「……アルバイトしてるんだっけ?」
「うん。……まあ、そんな感じ」
学校側には苦学生ということで、親戚の職場でアルバイトをする認可をもらっている。アルバイトというか、仕事なんだけど。
「……家庭の事情もあるだろうし、あまり深く言いたくないけど、学校生活に支障がでることは避けるべきだとおもうよ」
そう言うと、加賀さんは少しだけ優しい顔つきになった。クラスのみんな――俺のことも含めて気遣って心配しているらしい。人気があるというのも頷けるほどに、よくできた人だ。ていうか可愛い。皐月とは別のベクトルを向いているが、同じくらい美人だ。
「わかった。気をつけるよ」
加賀さんは俺の言葉を聞いて安心したらしい。
「……ふふ。よかったぁ。霧島くんって、あまり悪い人じゃないんだね。……もっと不良なのかと思ったよ」
と言って微笑んだ。
胸が高鳴る。
これはいけない。
自制しなくては――。
「加賀さんって……」
「な、なに……?」
俺が言葉を詰まらせると、加賀さんは怪訝そうな顔をした。
同年代の女の子と会話なんて、覚えている限りではこれが初めてだ。ずっと山奥に篭りきりだったものだから、同年代の女の顔なんて、この任務に就いて久しぶりに拝めた。同じ人間に変わりないと思ってなめていたが、女の子って、こんなに可愛いものなのか。これはいけない。未知の世界だ。自制しなくては……。
正樹さんが言っていた――女は悪魔だと。女の大半は男などゴミのようにしか思っていないのだと、涙ながらに訴えていた。そのときの俺は、ゴミなのは正樹さんだろう、と半分だけ冗談で言ってしまったが、気を付けなくてはならない。騙されてはいけない。俺が確認すべきことは――
「加賀さんって、俺のこと好きなのか?」
――まずはこれだ。
「…………はぁ?」
加賀さんは汚いゴミでも見るかのように蔑んだ目を向けてきた。
正樹さんが言っていたのはこの目のことだったのか!
確かに怖い……。
「ど、どうなんだ?」
「……参考までに聞かせてもらうけど、なんで私があなたのことを好きだって、そう思ったの?」
「うん、まず、放課後の教室で2人っきりになるまで俺を起こさなかったことだ。俺と2人で話したかったのだろう? それと笑顔だな。そんな綺麗な笑顔は好きな人の前でしか見せないはずだ!」
「…………なるほど、ちょっと待って……。今、どうやってあなたを諭してあげようか考えるから」
「う、うん」
「……うん。とりあえず、時計を見てちょうだい」
言われたとおりに時計を見る。
「……もう17時を超えていたのか」
「そうね、委員会の集りが終わって教室へ荷物を取りに来てみれば、まだあなたが寝ていた。さすがに寝すぎだろってイライラして叩き起こしたの。ついでに生活態度について説教を喰らわせようと思ったわけ」
「……なるほど」
「あと……私は誰にでもこんな態度です」
「は、八方美人ってやつか?」
「殺すわよ?」
「すみません」
「あなた、ほんとに変わった人だね」
「あ、あまり人間のことには詳しくなくて……テレビとかネットの情報まで鵜呑みにしてしまう傾向があるかもしれない。それに、女性はみんな可愛くて同じ顔に見えてしまう。……困った」
「なんか損なのか得なのかわからないね、それ。まあ、霧島くんのことは好きでもないし嫌いでもないよ」
「そうなのか……。じゃあべつに俺のことをゴミだと思っているわけでもないんだな?」
「ご、ゴミって……。そんなことは思ってないよ。ただ、かなり変わった人だなって思うくらいかな」
「そうか、じゃあいいや」
よし、これからはもっと人間観察をするようにしよう。……主に女性を。
俺が女性観察の第一歩として加賀さんをなめまわすように眺め始めたとき、教室のドアが開かれ、松島正先生が入ってきた。
我らがクラス担任で、いつも俺に厳しく接してくる。歳は三十前後だろうか。よく整った顔をしているのだが、眼鏡越しの瞳は猛禽類を思わせる獰猛なギラつきを見せている。まあ、ただ単に睨んでいるだけなのでしょうが。
「霧島。今日はまた随分と快眠だったではないか。あまりにも気持ちよさそうに寝ているものだから説教は放課後まで待っていてあげたよ」
「ありがとうございます」
悍しい霊気を浴びたときのような寒気が伝わってくる。俺が思うに、この松島正という男は只者ではない。
まず身のこなしだ。全くといっていいほど隙が無い。どんな武道を極めたとしても、生活においては必ず無駄な動きがあるものだ。しかし、俺が見た限りでは、松島に無駄な動きというのは一切無い。
そして眼だ。爺様に匹敵するほどの眼力を持っている。――はっきり言って怖い。
「加賀、このような男と一緒にいるのはよくないな。君にとって悪影響にしかならない」
「え、あ……す、すみません」
加賀さんは完全に怯えている。強気の彼女がここまで怯えるほど、松島の表情と声には異常な怒気が孕んでいる。
「加賀さんは先生の代わりに、俺に説教をしてくれていたんです。それに、別に俺は悪影響なんて……」
「黙れ!」
松島は近くにあった机を蹴り倒した。けたたましい音が静寂だった教室に鳴り響く。俺の隣にいる加賀さんは「ひっ」と可愛らしい声を漏らした。
「霧島、お前は授業なんて無駄なことだと思っているだろう?」
「……はい」
「学校とは学問だけではなく、人とのコミュニケーションや常識も学べる場だ。無駄なことなど一つもない……と、言ったらお前はどう反論する?」
「……コミュニケーションや常識、それすら俺が就く仕事には必要ないです」
「なるほど、いかにも世間知らずの餓鬼が吐き出しそうなセリフだ。反吐が出る。コミュニケーションを必要としない職業などない。自分勝手で生きられるほど、社会は甘くないぞ」
「…………」
「何か言い返してみろよ。餓鬼なら餓鬼らしく陳腐な考えを出してみろ」
「…………」
学校とは本当にめんどくさい場所だ。みんなと同じようにできなければこうして教師に説教される。こっちが反論などすれば余計に怒り出すものだから、俺は何も言わないようにしている。
「だんまりか。……そういえばお前、両親はいないのか? 保護者と名字が違うようだが――」
松島は眼鏡を細い指で上げながら、気持ちの悪い笑顔を貼り付け、
「親がいなければ、クソみたいな人間が出来上がるというのは本当らしいな」
と、言った。
「なんだって……?」
今言われた言葉にとっさに反応できないほど、俺は狼狽した。
頭の中で、母親の顔が浮かんでくる。
外を見たら、もう夕方だ。
夕方はやばい。
頭に激痛が走る。
「どうした霧島。頭が痛いのか? ……それとも、何か都合の悪いことでも思い出してしまったか?」
松島の声は聞こえない。姿も見えない。
聞こえるのは、懐かしい母の声。
見えるのは……真っ赤な……。
真っ赤な――。
「親がいなかったからクソみたいな人間になったのか、親がクズだったからクソみたいな人間になったのか……。どっちなんだ? 霧島……」
赤い。
夕陽だろうか。
いや違う。
あれは――。
「そんなことは関係ないですし、霧島くんはそんな酷い人間でもありません!」
――その一言で、醜く変化した母は遠退いた。
赤い視界が、現実を取り戻す。
頭痛が晴れる。
俺の横で、加賀さんが声を張り上げて怒っている。
「家庭の事情で人格を否定するなんて、先生こそ常識というものを学んだほうがいいんじゃないですか!?」
さっきまでのおどおどした様子は消え去っている。睨みつける松島の眼に屈することなく、加賀さんは気丈に発言した。その姿は、わずかな雲間から刺す光の如く、とても美しく感じた。
松島は鼻で笑う。
「……ふぅん。実に惜しいところだったが、邪魔が入った。よかったな? 霧島」
「先生! 霧島くんに謝罪してください」
松島はそれに反応することなく、
「霧島、お前のような餓鬼が生きていけると思うなよ……」
そう吐き捨て、背中を向けた。もう出て行くらしい。
「俺への説教はもう終わりですか?」
俺はやっと平常心を取り戻す。
「説教? ああ説教なら、これからだ」
松島は意味深に微笑みながら、教室から出て行った。
「これからって……。俺はもう帰るぞ。何であんなに怒ってたんだ? あの人」
「あ、あなたの態度が悪いからでしょ!」
加賀さんは俺を睨みつけ、「でも……」と言葉を続けた。
「さっきの発言はおかしい。酷いよ。以前はあんな人じゃなかった。超がつくほど生真面目で、怒ったことなんて一度も見たことなかった。やっぱりあなたが転校して来てからよ、厳しくなったのは」
「へぇ……」
それって、俺は関係してるのか……?
その俺の疑問を悟ったらしい。
「ま、まあ、あなたのせいではない……かもしれないけど」
そう呟いて、加賀さんが松島の倒した机を直そうと歩き出す。
そのとき――その机が急に動き出した。
投げられた小石のように軽々と加賀さんへ突進してくる。
「きゃあぁ!」
俺は咄嗟に加賀さんを後ろから抱え、教壇の方へ飛んだ。
机は壁まで一直線に飛び、凄まじい音を立てて床に落ちる。
机は、霊気を纏っているように思えた。
「なんだ? あれは」
ガタガタと音を立てながら、机は俺たちを探しているように動き回り、再びこっちに突っ込んできた。俺は加賀さんを抱えたまま、教卓を盾に屈む。怪奇机は俺達に向かって教卓に激突した。激しい音と衝撃が起こる。
怪奇机は勢いを殺さずに教卓を押し込んでくる。
俺は足に力を込め、少量の高温物質を練り上げてから、教卓ごと怪奇机を思い切り蹴った。
怪奇机はまだ押してくる。が、勢いは少し弱まった。
「もう少し強めか……」
力の加減が難しい。強すぎれば机が焼けてしまう。それは少し困る。
さっきよりも少し高めの温度で、もう一度蹴った。
軽く焦げ臭い煙を吐き出しながら、机は沈黙した。霊気も消えている。
「なに……!?……なんなの?」
加賀さんが俺の腕の中で怯えている。先程とはうって変わって小動物のようだ。……すごく可愛い。
まあ、それは置いといて、机が独りで飛ぶなんてことは異常だ。何らかの力が掛かったのだろう。その力を与えたのは、机を蹴った松島である可能性が高い。
「……説教ってこういうことかよ」
一体、松島とは何者なのだろうか。以前とは性格が豹変し、このように異常な力を見せるということは、死霊が憑いた状態である可能性が高い――ということだろうか。そうだとすると厄介だ。憑いた死霊を倒すことなんて、少なくとも俺には不可能だ。しばらく様子を見て、無理だと判断したら爺様に相談してみよう。
「今のは一体なに?」
「わからないけど、幽霊の仕業かな」
あまり怖がらせないように軽い口調で(よく考えたら幽霊の時点で怯えさせているようにしか思えないが)おどけて見せた。しかし加賀さんは蒼白な面持ちで震え出す。
「ゆ、幽霊……? やっぱり……」
「やっぱり?」
「あ、あの……さっき、見えちゃったから……」
「……何を?」
「し、白いモヤモヤが。たぶん、きっと、あれが幽霊」
「……」
「ご、ごめんね。変なこと言って。信じてくれないと思うけど、イタい女だって思うかもしれないけど、私、昔から幽霊が見えちゃって……。その……」
加賀さんはため息をついた。
「いや、やっぱりごめんね。何言っているんだろうね、今のは忘れて」
「さっきはどんなのが見えた?」
「……え?」
「机が飛んで来るとき、何が見えた?」
「え? あ、ああ。えっと……白くてモヤモヤしたものが机にまとわりついて、それが爆発したように見えた。あ、あと、松島先生にも白いモヤモヤが付いてて、それがすごく不気味で怖かったの」
「……さっきはそれで怖がっていたのか」
霊気っぽいものは感じたけれど、白いモヤモヤなんて全く見えなかった。……白いモヤモヤって表現、なんか可愛いな。
「し、信じてくれるの?」
「もちろん。俺も霊は見える。俺がやっている仕事は、幽霊退治だから……」
「……え? 幽霊、退治……?」
「うん。さっき机を蹴って黙らしたような感じで幽霊退治をやっている。退魔師っていうんだけどね」
「ほ、本当に……? そんな仕事が……?」
「まあ、信じなくてもいいよ。霊が見える仲間だって思ってくれればいい」
「…………」
加賀さんは何か考えているような、困ったような顔をしている。
「それにしても、死霊が見える一般人なんて初めて見たよ」
本来、人間は基本的に、死霊をはじめとする霊が見えない。大気、電気、湿気などが見えないように、霊も視覚では認識できない。だから退魔師は、霊を「気」と呼んでいる。人間が世界と認識しているのは霊による二次的な産物だ。その二次的産物のなかに人間も含まれているため、同じ次元のものしか感知できない。
科学的に証明できることばかり教育する現代において、何の訓練もせずにはっきりと霊を視認できる人間は本当に数少ない。霊は存在を否定すれば絶対にわからない類のものだ。加賀さんは、数少ない人間の一人なのかもしれない。
俺が思考に耽っていると、
「あ、あの……そろそろ離して、もらえるかな……?」
むにゅっと柔らかい感触が、先程から腕の中にあることに気付いた。そういえば加賀さんを後ろから抱えて教壇の上に座り込んだままだった。ものすごく柔らかいが、これは一体……?
「ん? ……あ〜、なるほど」
おっぱいだった。
見るとさっきまで蒼白だった加賀さんの顔が真っ赤になっている。これはいけない。しかし言い訳は男らしくない。男ならば堂々たる態度をみせるべきだ――って爺様が言っていた。
「なかなか豊満な乳房だ。恥じることはないぞ」
「他に言う言葉があるだろ!」
肘を俺の鳩尾に食い込ませ、加賀さんは素早く立ち上がる。「変態!」と叫んでから走って教室から出ようとして、
「……ちょっと今は、混乱してるから。頭が冷えたら、また話しかけるね」
と言って去って行った。
「なるほど、可愛いおなごじゃ」
俺は苦しみながらも、堂々とガッツポーズを決めた。