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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第五章 傍らに咲く花
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5-6 逃走

 学校の坂を駆け下りる。

 辺りは死霊で埋め尽くされていた。

「美月さん。これは百体なんてもんじゃないぞ……軽く倍はいってるんじゃないか?」

 つまり霊獣とやらは百体だが、死霊という括りならもっといるってことか。この数を封印した美月さんって、やっぱり只者ではないな。

 術全般に耐性のない俺は、先程から身体にへばりついてくる妖魔どもを祓えない。たいした敵ではないが、数が多すぎる。高温物質を出そうにも、先ほどから反応が弱い。経験上、逃げ腰が入った状態では気力が出ないから、それは予想通りではある。難儀な能力だ。

 そして逃げ腰な性格である以上、この能力は相性が悪い。いわば、今の俺はほとんど丸腰状態というわけだ。

 詩織を見捨ててきた。松島先生に加勢できずに逃げてきた。そんな醜態を晒したにもかかわらず、自分が生きていることに安堵を覚えている。そんな自分を許せるはずがない。それに呼応するように、全く力がはいらない。気が乗らない。退魔師失格だからと、能力を剥奪されたかのようにも思えた。

 やけに暗いなと思えば、ポツポツとあった電灯は全て割られている。細曲がった月だけが光源となり、心許なくも道を照らしている。

 左右から絶え間なく、霊獣からの、何かしらの攻撃が来る。それらを躱す。今は躱すことしかできない。もしかして爺様は、才能の無い俺に、取り敢えず逃げる術を教えようとしていたのではないか。この状況は、爺様が想定していた通りなのではないか。そして教えてもらった剣・体術は、こうして逃げることに役立っている。

「っ…………!」

 直感で立ち止まる。不気味で強力な気を感じた。

 案の定、このまま走っていれば死んでいたとでもいうように、目の前のコンクリートは砕かれ、傍の桜の木は切り刻まれた。

 先ほどの肩の張った妖怪が目の前にいる。俺の高温物質を砕き、先生に蜂の巣にされたはずだが何のダメージも見当たらない。

「なぜお前がここにいる? 先生はどうした?」

 ここにこの妖怪がいるということは、先生が見逃したか、先生が死んだかの二択だ。

 まあ前者だろう。後者であるというのは考えたくもない。しかし、いかに先生とはいえ、あの数の霊獣を相手に勝てるとは思えない。改めて、自分が逃げてきたことに対して取り返しのつかない間違いを犯したかのように感じた。同時に、どうすれば間違いを取り戻せるかという思考に切り替わり、その場で動けなくなってしまう。これからどうやって自分の失敗を償っていけばいいのか、わからなくなってしまう。

 取り敢えず状況を整理しようとしても、絶望感しか沸かない。丸腰の状態では、目の前の化物によって殺されてしまうことは確実だからだ。

 退いて隙を見せれば殺される。素手で向かっても殺される。立ち止まって攻撃を躱すことに集中しても、いずれは殺されるだろう。必死の状況。

 この状況を打開するためには、先生が言った「救援」を待つしかない。つまり、助けが来るまで立ち止まって攻撃を避け続けることが、現状ではベスト。

 肩の張った霊獣が襲いかかる。全長は三mくらいだろうか。巨大な肩から伸びる腕は大木を思わせるほど強大なものだ。人間にとっては「殴る」という単純な動作であっても、この化物がすれば建物の解体でもするかのように大げさな行為となる。霊獣の腕の一振りは、避け続けるには無謀な攻撃力と攻撃範囲がある。その攻撃を、紙一重に避ける。風圧が顔面にかかり、頬の皮膚を少しばかり削がれた。圧倒的な力の差。高温物質が出せたとしても敵わない相手だろう。

「くっ……!」

 ダメだ、ギリギリに避けてはダメージを受ける。余裕を持って躱さないと……。

 攻撃を2、3回避けると、霊獣は俺を掴みにかかった。

 退路を防ぐように広げられた左右の巨大な手のひら。

 化物が見せた明らかな「隙」。これを見逃さないようにと、無意識に、高温物質で、無造作に伸ばされる化物の手を切り落とそうとした。

 ――しまった!

 致命的なミス。高温物質は先ほどとは違って反応を示したものの、精製が間に合わなかった。咄嗟のことで、力が十分に使えない状況を完全に失念していた。弱々しい剣とともに、俺は化物の手で握り潰された。

 肋骨が粉々にされる感触。あまりの衝撃に目の前が真っ白になる。

 そのまま、地面に叩き落とされる。化物は拳を振り上げた。最後は叩き潰して確実に殺したいらしい。

 俺の脳内で走馬灯が駆け巡る。

 一瞬のうちに巻き起こる記憶の渦。母親の暴力。自然発火現象。厳しい訓練。何のために生きてきたのかわからないほど、無為に過ごした日々。こうして死んでしまっては、全く生産性がない日々であったことは疑いもない。

 その、意味のなかったはずの人生の中に、小さくも、一際暖かい記憶があった。

 爺様と「一人の少女」と過ごした日々。心から一緒にいたいと願い、誓いあった少女。

 でも、なぜかその少女は泣きそうな顔をしている。いや、泣いている。俺はその少女を憎んでいた。殺してやりたかった。

 矛盾した記憶だが、偽りなどないだろう。殺してやりたい。俺から奪ったものを取り返してやりたい。今の俺は不完全で、穴のあいたバケツのように機能を発揮できない欠陥品だ。だから、取り戻したい。少女を殺せば元に戻る。それが魂からの、俺の意思だ。

「…………」

 こんなことが……今では思い出せない少女に対する殺意が、俺が最後に思い浮かんだことなのか、と自嘲気味に苦笑した。こんなくだらない男は死んでもいいだろう。だれも悲しんだりしないだろう。

 高々と上げられた巨大な拳。唯一の光源である月が遮られて、何もない暗闇が広がった。

 死の直前ともなれば、意外と冷静になるものだな、と思った。

 虫の声、風が揺らす木々の音。

 脳が最後の記憶を渇望しているのか、周りの情報……とりわけ、音に関する情報を拾い集める。それらは、まだ自分が生きていることを主張しているかのように「生」を感じることができた。

 虫の声、風が揺らす木々の音。死霊どもの嗤い声。

 聞こえてくる。

 虫の声、風が揺らす木々の音。死霊どもの嗤い声、人の足音…………。

 ……人の足音?

 化物の拳が振り下ろされた。

『――止まれ』

 凛とした声。

 その一声で、全てが静止したように感じた。耳からではなく脳内に直接語りかけるような音に、時をとめられたかのように錯覚した。虫の声も、風が揺らす木々の音も、死霊どもの嗤い声も、もちろん化物の拳も、全てがとまっている。骨を折られた痛みさえ、とまっている。キーンと響く耳鳴りだけが、世界がまだ動いている証に思えた。

 ――馬鹿な……そんなはずはない。

 声の持ち主は、はあ、はあと息を切らす。

 走馬灯に出てきた少女と瓜二つ……いや、同一人物。

 あの頃と全く変わらない姿で、そこにいる。なぜ気づかなかったのか。こんなにも近くにいたのに。この町にきてから、ずっと……。

「……皐月」

 あの頃は、自分よりも大きかったのに、今では自分よりもずっと小さい。それはそうだ。彼女はたしか、十歳かそこらだったはずだ。身体が小さかった俺よりも、彼女は成長が早かったから……。俺よりも年上だったにもかかわらず、姉のように振る舞い、導いてくれた。

「はぁ……はあ……けっ……啓介……」

 死霊なのに息は切らすものなのかと、妙に感心した。いや、感心してどうする。

 皐月はようやく息を整え、俺を睨んだ。とはいえ、安堵に満ちたその瞳は優しく揺らめいている。

「こんな夜中に……私に黙って外出するなんて、何を考えているんです? やっとボスを倒したので自慢しようとしたら、あなたがどこにもいない。電話を何回かけても出ない。そんなことはありえないのですが、嫌われてしまったのかと、少しだけ思ってしまって、その……ちょっと泣いてしまったじゃないですか。松島に電話したら学校にいるって言うし……。いいですか? 妻にすると誓った相手に黙って出かけるなど、そんなことをしては倫理的にも道徳的にも反する人非人のすることであって、背徳感を感じることに快感を覚える変態さんくらいでないと許しません。ええ、大丈夫です。私のマニュアルにはそういう変態さんになり果てた時の対応もしっかり網羅してあります。ですから気にしなくてもよろしいのですが、やはり普通の人間であって欲しいといいますか、そのへんはその、調教が必要になってしまいますので、啓介が苦しいと思いますので、考慮して差し上げているのです」

 滑らかに、畳み掛けるように弁じ立てる様子は、内容はどうあれ圧倒されてしまう。こんなに喋る奴だったのかと感心してしまう。いや、そんなことより……。

「……見える」

 皐月の姿が見える。

 ビシッと指を指した皐月は、以前の和服姿とは一変してラフ……すぎる格好をしていた。

 見覚えのある大きなTシャツは膝の少し上まで小さな身体を包んでいる。その下はパンティなのか短パンなのか、Tシャツの裾からは白い足しかみえないため判断できない。間違いなく寝巻き姿だ。小柄な体躯。ふっと湧いて出てきた記憶が正しければ、あの頃と同じ、十歳くらいだろう。

「うう……寒い」

 皐月は寒そうに両腕をこすり合わせている。

「おい……。そのTシャツ、俺のだろ。しかもそれ、昨日寝巻きに使って洗濯機にぶち込んだはずだけど……?」

「うぐっ……そ、そんなことはどうでもいいのです。それより……七年ぶりにした会話がそれですか……もっと他にないのですか? こっちは、その……わりと緊張してるのに」

「緊張って……」

 たしかに、こうして会話するのは久しぶり、というより、俺からすれば初めてのような気がする。もしかしたら、皐月の畳み掛けるようなセリフも、緊張を紛らわすためか、照れ隠しなのかもしれない。

「なんで、今になって姿を……」

 言いかけて、鋭い痛みが蘇った。同時に、静止していた化物も動き出す。つまり、振り上げられた拳が向かってくる。

 動こうにも、折れた肋骨が強烈な痛みを響かせるため、動けない。

「拙い……!」

 死ぬ。今度は走馬灯はでない。あっけない最後。

『止まれ』

 皐月の声。

 再び化物と痛みがとまる。

「力の加減が難しいですね」

「何が起こってるんだ?」

「言霊ですよ」

 皐月が言った。

「脳……あるいは脳に相当するところに直接語りかけるのです。言葉は脳にとって思考するために必要な存在ですから無視できないのですよ」

「お前は……いったい何者……」

 俺のセリフを遮るように、皐月は「すみません」と謝った。

「話したいことはそれこそ山のようにあるのですが、今は時間がありません。とりあえず、ゴミ掃除から始めさせてください」

 皐月は化物に向き変える。そして心底嫌悪しているという表情を隠しもせずに見せた。目を閉じ、右手を広げて自らの美しい顔を覆った。

「啓介、申し訳ありません。今の私は大きな術を使えないので……」

 皐月はそこまで言うと、突然、人が変わったかのように声色を変化させ、妙な呪文を唱えだした。

『万人例外在ラザリキ、不和ノ御霊ヲ持テ余ス、シキヂンソハカ、シキヂリソハカ、シキヂラソハカトキリタモウ』

 まるで、憑き物を体内に取り込んだかのような……。

『一シニ切リテ、二シニ受ケテ、三シニ切リテ、四シニ受ケ、五シニ切リテ、六道返シニ切ッテ撃ツ』

 それは正しくspirit-possessionの状態。日本で言うところの精霊憑依に相当する。

 彼女は今、自分以外の何者かの力を受けている。

『其ノ御霊、我ニ宿リシ魔導ト為ス』

 唱え終わったと同時に、皐月の眼が見開かれる。指の隙間から漏れる瞳の輝きは、燃えるような緋色をしていた。


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