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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第五章 傍らに咲く花
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5-5 現れた敵

 男は首だけになってから、ニヤニヤと笑いだした。しかし、もう何もできないらしい。

 最初から首を切っていればよかったのか、と思い、そんな残酷なことを思っている自分に少し驚いた。これが成長と言えるのかはわからないが、自分も変わってきているらしい。

 剣を振りかぶる。そして切っ先を男に突き刺し、止めを刺そうとした。

 しかしその寸前。野太い男の声がそれを制した。

「ちょっと待ってくれないかい? そう何回も貴重な霊獣を殺されては堪らない」

「…………?」

「そいつは、寺内将権の傑作だから大事にしたいのだよ」

 声の主は黒々とした肌の大男。魚類を思わせる大きな目玉がクリクリと動いている。

「えっ……?」

 見覚えのある男だ。ほんの数日前……でも数日前には絶対に存在しているはずのない人物。末次と美月さんの記憶で見た人物。つまり、この時代の人間ではない。

「志摩……蓮介……?」

 小塙の霊を鎮めていた霊能力者であり、末次に敗れた剣の遣い手だ。

「うん? 君は……なぜ私を知っているんだい? 私を知る手段など無いはずだが?」

 志摩が倒れている詩織に近づき、抱き起こした。詩織は相変わらずぐったりとしている。

「おい、その娘をどうするつもりだ?」

「なに、殺しはしないよ。ちょっと仕事をしてもらうのさ」

「仕事だと?」

「ああ、なかなか解けない檻を開けてもらうのさ。このままだとせっかく寺内殿と私がつくった傑作たちがみんな死んでしまう。もったいないだろう?」

「それって……妖怪ども解き放つってことか?」

「妖怪? ああ……妖のことかい? 違うよ、こいつらはねぇ、生きているよ。人間よりも妖よりも優れた傑作さ」

 目の前の男が何を言っているのかわからない。わからないが、止めなくてはいけないことだけはわかる。詩織を助けなくてはいけないことははっきりとわかっている。

「なぜ、そんなことを?」

「そんなこととは?」

「なぜ霊獣どもを解き放つ?」

「ほう、霊獣を知っているのかい? ならわかるだろう? いわば宝を掘り起こす、みたいなものだと理解してくれればいい」

「そんなもの……理解できるわけがない。あんたは、美月さんに信頼されていた。寺内将権を止めようとしていたじゃないか」

「君は……いったいどこまで知っているんだい? 不思議な力でももっているのかい?」

「いいから答えろ!」

「退魔師というのは、厄介な連中だね」

「…………」

 こいつは俺のことを……退魔師のことを知っている?

「やっと陰陽師が滅んだかと思えば、次は退魔師だって? 名前を変えただけじゃないか。私を安心させてはくれないものかねぇ。本当に邪魔なやつらだねぇ」

「なんだって?」

 さっきから何を言っているんだこいつは。霊獣を解放しようとしたり、陰陽師や退魔師を邪魔扱いしたり。こいつは、寺内将権を止めようとしていたじゃないか。末次に説教していたじゃないか。美月さんを励ましていたじゃないか。

「桜花家だけに気を配っていたが、もう埒があかない。もう我慢の限界だ。さあ美月くん。やつらを解放してくれ」

 志摩の手が詩織の首筋を這う。

「うっ……ううっ……」

 詩織が呻き声を上げる。どうやらちゃんと生きているようだ。しかし安心してはいられない。辺りはいつの間にか、重苦しい空気が漂っている。眼に見えるほどはっきりした黒い歪みが、空間にポツポツと現れ始めた。

「その手を離せ!」

 地面を蹴る。右手の物質が緋色の濃さを強める。

「くく、一緒にいた男はどうした? いないのか? それは……実に好都合だねぇ」

 黒い歪みが形を定める。大きな塊は化物の様相へと変化した。

 次々と……封印が解ける。

「あの男には細心の注意を払っていたが、君はたいしたことはないようだね。田淵信三郎を倒せたのはまぐれかな?」

 ――くる!

 鈍い痛みが脇腹を突く。咄嗟に掲げた高温物質は粉々に砕けていた。

「っ……!」

 信じられない。攻撃は見えていた。しっかりと防いだつもりだった。なのに……。

「その貧弱な武器ではこいつらは斃せないよ? 術もなにもない男が、退魔師を名乗れるのかい? 陰陽師から名前だけ変わった集団かと思ったが、随分と格が落ちたようだねぇ? これは誠に……朗報だねぇ」

 ゆっくりと立ち上がる。大丈夫。まだ戦える。

 攻撃してきたのはあの霊獣か。肩が大きく盛り上がった怪物。

 再び高温物質を練り上げる。

「陰陽師は滅んだ。桜花家は邪魔してこない。美月君はようやく見つけた。退魔師は貧弱な集団。クッ……クククク。やっと私の好きにできる世がきた……実に喜ばしい」

 霊獣の数がどんどん増えていく。目測で二十、三十……もっと増えていく。

 確かな絶望感が身体を重くする。周りは霊獣で埋め尽くされた。勝ち目は万が一にも見当たらない。

 右手の物質が色を失い、とうとう霧散した。

「その武器は君の霊気……感情によって威力が変わるのかい? だとしたら、もう戦意喪失ってことかい?」

 また……諦めるのか?

 でも……勝ち目がない。

 いつから俺は、こんなにも弱気でヘタレな男になったのだろうか? いつから、すぐに気が抜ける弱い男になったのか。最初からか? いや……。

 何かが足りない。欠けているものがある。だから、穴があいたバケツのように、溢れていた気が抜けていく。

 そのとき――ヒュ、という風きり音が耳を掠めた。

 見たことのある弾道の軌跡。

 マシンガンのような弾の嵐が、巨大な肩をもつ化物を貫く。

 息を弾ませた救世主が、俺と化物の間に割り込んだ。

 志摩蓮介が面倒くさそうな表情をその救世主に向けた。

「すまない……ちょっとお姫様からお叱りの連絡がきたものでな。離脱していた」

 松島先生にしては珍しく、しおらしい雰囲気だ。

「ああ、お前を危険な目に合わせたと知れば喰われてしまうかもしれん」

「先生……」

「逃げろ」

「……え?」

 曇のない瞳が、言葉の真剣さを伝えている。

「おそらく救援がくる。お前はそいつと合流しろ」

「ちょっと待ってください。先生はどうするんです!?」

「心配ない。この程度なら窮地とは言わないよ。ただし、お前という足枷がなかったらの話だがな」

「っ……!」

「自分を責める必要はない。責められるべきなのは、この町の危険性を全く把握していなかった私と爺様だ。いいから行け! 邪魔だ」

「…………っ」

 動けない。どうすればいいかわからない。

「霧島……さっきの戦い、なかなかよかったぞ。助けに入らなかったのは必要ないと判断したからだ。相手は凄まじい遣い手だったがよく倒した。お前はあれでいい。バカ正直に剣を振り回していれば勝てる。ヘタレては勝てん。わかったか?」

「はい」

「わかったら早く行け、ここは大丈夫だ」

 先生に背を向ける。

 なんて情けない。なぜ「戦えます」の一言が出てこない。逃げられるという安心感が、なぜこんなにも心を軽くするのか。本当に自分という人間が情けなく思える。

「霧島……」

 だから、呼びかけられても、振り向くことさえできない。

「死ぬなよ……」

「わかってます」

 やっとその一言を呟き、俺は走り出した。



「あんな貧弱な男を逃がして、何の得があるんだい?」

「ふん……楽しみにしていろ。お前を斃す役割は、あいつに担わせる」

「ほほう……君ではないのかい?」

「退魔師を舐めるなよ? 一人ひとりが、お前ごとき、軽く凌駕している」

「まあ、どっちにしろ無理だけどねぇ」

 走りながら、そんな会話が聞こえた。



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