5-4 怒りの剣と奇妙な侍
「ええっと……美月さんの話では、多くの霊が蠢いていた所らしいので、おそらく……」
おそらく寺内屋敷の土蔵だろう。
おさきが潜入し、殺害された場所。そして、霊獣をつくりだすために禍々しい儀式を繰り返していた場所。
「その土蔵ではどんな儀式が行われていたんだ?」
「詳しくはわかりません。ただ、霊獣を生み出す実験が行われていたようです。土蔵の中にある穴の中は、夥しい数の屍でいっぱいでした」
「霊獣か……たしか四国にある伝承に、そんな記述があったな。つまりそこで、おさき……先日の球体妖怪も眠っていたわけか」
「はい、おそらく」
「そうすると、なぜ球体妖怪はここではなく、古墳公園で目覚めたのだろうな?」
「さ……さあ」
「やはり指揮するものがいるな」
「……え?」
「……まあいい。それより急ぐぞ」
「は、はい」
記憶を探りながら、移動する。旧校舎の、さらに裏側。
竹藪の手前。さらさらと、笹が擦れる音がする。
「多分、この辺だと思いますが」
「ん? 何も感じないが……いや、結界がはられているのか?」
「結界?」
「結界は他人を拒否するための仕切り、あるいは入った者全てを暗示にかける領域だ」
「入った者を暗示にかけるって……どうやって対処するんですか?」
「なに、簡単なことだ。暗示をかける結界の場合は、気付けばいい」
「気付く?」
「そうだ。まず自分が結界に入ったことに気付く。次にどんな暗示にかかっているのかに気付く。そして気付いたことを意識して、正常な世界を自分の頭で強く描けばいい」
「簡単に言いますね……。それで、ここがその結界の中だって言うんですか?」
「わからん。私が入った時点で気付かないほど高度な結界は、考えにくい……。場所はここで合っているのか?」
「さあ……もう少し奥のほうだったかな?」
さらに奥へと進む。
さらさら、さらさらと、音がする。
細く、曲がった月が、竹の隙間から微かな光を差す。
ここだ……。
江戸時代にあった土蔵は残っていない。あるのは体育館ほどの広さがある不自然な土地の隙間。なぜこんな広い空間に一切の建物がないのかは、多くの生徒が共有して持っている疑問だ。
一際大きい風が吹いた。
笹の音が、狂った音響のように響く。
「あれ……?」
その開けた場所に、一人の男が佇んでいた。
武士を思わせる二本差しの袴姿。末次かと思ったが違う。ひょろっとした長身の男がこちらを見て笑っている。
「先生……あれは死霊ですか…………って……あれ?」
振り向くと、先生の姿が見えない。
どこに行ったのだろうか。見回してもどこにもいない。
「先生……?」
ケタケタ、ケタケタと、背後から笑い声が聞こえる。
笹の音かと思ったが、笑い声だ。
男が、空を仰ぎながら笑っている。
揺れる竹が、月の光をもゆらゆらと揺らし、男の姿を疎らに見せる。男の顔は縦に割れていた。右半分と左半分が均等に割かれ、くっついていながらも少しズレた容貌は不気味である。右眼はなく、空いた空間から血が滴っていた。
どこかで見たことがある。
しかし、どこで見たかは思い出せない。
ケタケタ、ケタケタと笑いながら舌を出した。男の舌は、これまた半分に割かれている。ころころと飴玉のようなものを二つの舌で転がしている。よく見ると転がしているのは目玉だった。
やはりどこかで見たことがある。
右眼の空間から滴る血をそのままに、男は腰の刀に手をかけた。
――拙い。
感じる霊力はこれまでの霊獣の比ではなく大きいものだ。
俺一人だと確実に殺られる。
こんなときにあの人はどこへ……?
「…………」
男が一歩、一歩と近寄ってくる。
俺は震えだす足に力を込めた。ここは――逃げるしかない。
そう思ったとき、男の後ろで倒れている人を見つけた。ここからでは黒い影にしか見えないが、あれは人だろう。
「……あれは?」
眼を凝らす。
風が吹き、竹を大きく揺らした。
さわさわ……さわさわ……。
月あかりが、大きな影の、影を除く。
人間が、男の後ろで倒れている。
大きな塊となって蹲っている。
「先生……?」
――いや、違う。
女性だ。
しかも、俺がよく知る女性。守らなくてはいけない大切な人。
あれは―――加賀詩織だ。
「っ……!」
クラスメイトの加賀詩織が倒れている。
生きているか死んでいるかもわからない。
手が震える。
恐怖からくる震えではない。驚きと……怒りだ。
なぜ、あんなところに彼女が倒れているのだろうか。
なぜ、今日に限って彼女を送らなかったのか。
なぜ、守ろうとしなかったのか。自分に対する怒りが溢れ出る。
化物が、声を張り上げて笑った。
耳から脳へかけて鋭く突き刺す甲高い笑い声。
その瞬間、足を震わしていた恐怖が取り払われる。身体を動かす怒りが熱となって体内に帯びる。今度は自分への怒りではない。それもあるが、目の前の化物に対する憎悪が、己の力と融合しかのように噴き上がった。
噴き出した熱は右手に美しい刀を創る。
刀鍛冶が槌で叩きつける刀。その赤黄色に輝く刀に似ている。
硬度と重量は鋼に匹敵し、熱は鋼が溶けるほど高い。
強敵を前に怯えは微塵もない。
あるのは、燃えるように熱く、鋼のように硬い闘志。そしてそれらが混ざった気の結晶である刀剣のみ。それだけが、術が使えない霧島啓介の持つ唯一の武器。それを扱うための卓越した剣術こそが、目の前の敵に対する唯一の対抗手段。
先程までうるさく感じた笹の音が一気に遠ざかる。
己の身体から、充満する気の力を感じる。
何かを察したのか、侍は笑うのをやめ、刀にかけた指を弾いた―――。
俺が一歩踏み込んだのと、男が抜刀したのは、ほぼ同時だった。
そして、俺が剣を叩きつけるのと、男が刀を抜き去ったのも、また同時だった。
一瞬にして縮まった5メートルほどの距離に、男は存在している片眼を白黒させる。
叩きつけたのは脳天。
赤黄色の光がざっくりと男の身体に浸入した。
信じられないという表情を最後に、男は顔面を真二つにされながら崩れ落ちる。そして、静かに崩れ落ちた。
「…………」
あっけない終幕。
しかし――。
――何かおかしい。
変化がない。
なぜこの高温物質を受けて燃えないのか。
閃きのように瞬時に感じた疑問のおかげで、間近に迫った死から紙一重で回避できた。
倒れていた男の手が伸びる。抜き身の刀が鼻先をかすった。
「っ……!」
ヒュ、と風を切りながら続けざまに迫り来る二太刀目を、後方に飛びながら弾く。
立ち上がった男は長身を揺らめかせ、縦に裂かれた身体を両手でつなぎ合わせた。
「そんなのありかよ」
ああ、そういえば、最初から真二つに裂かれていたっけ?
ため息をついてから、気を引き締め直す。当然だが、この敵は尋常な死霊ではない。これが霊獣だろう。見た目は人間なのに「霊獣」というのは変な話だ。霊体は生きているかのように確かなもので、妖怪と人間の中間くらいの存在だろうか。なるほど、俺がこの町にきてから妖怪だと思っていたのは、すべて霊獣とやららしい。とは言え、俺にとっては妖怪も霊獣もかわらない。どれも等しく死霊だ。
離れた距離を再び縮める。
今度は油断していなかったらしい。敵もしっかりと応戦してきた。鋭い打ち込みが耳をかすめる。
――疾い!
凄まじい剣戟だ。並の腕前ではない。生前はさぞ名を轟かせた剣士だったのだろう。
身体を捻りながら避けたが、体勢がいけなかった。すかさず追い討ちをかけてくる太刀を高温物質で受け止めたが、素早く足を払われ、俺は地面に転がり落ちた。相手の撃ち込みはまだとまらない。
一歩先まで近づく死を感じる。一瞬の判断ミスが、殺される運命に葬られる。
まだ死ぬわけにはいかない。まだやることがある。
充実した気が熱く身体を動かした。しゃがみこんだ状態で、剣を振り上げる。
下段からすり上げるように男の左腕を切り落とした。しかし刀を握った手ではない。男は片腕となっても、疾風の如き剣筋で撃ち込んできた。それを立ち上がりざまに躱す。
男は悔しそうに刀を振る。それを再び避ける。
己の勘を信じて避ける。
繰り返し来る隻腕の剣撃。
前方、後方、左右に避ける、避ける、避ける。
すべて紙一重だが、確実に避ける。
「…………っ」
大丈夫だ。
ちゃんと躱せる。
八十島一刀流は精錬された必殺の型など存在しない。間合いを――空間を支配し、相手の先を読み、それに合わせ敵を撃つ臨機応変の剣術。それこそが、あらゆる敵、具体的には死霊・妖怪を含めた様々な敵に対する最も実践的な戦法。
空間を読み取り、勘のみで攻撃を避ける。
その勘にも、根拠はある。
末次が言う、気の使い方、感じ方を意識すればわかる。気の流れが以前よりも手に取るようにわかる。
それを、避ければいい。
避ける。避ける。避ける避ける避ける。
ここまで完璧に躱せるとは思わなかったが、いまはどんな攻撃も当たる気がしない。末次の記憶を覗いたことで、彼の術を無意識に学んだからかもしれない。
男はとうとう剣をとめ、眼を大きく見開いた。憎々しげに俺を睨む。
その首を撥ねた。
宙を舞った首が、鈍い音をたてて地面に落ちる。
末次が例外だとすれば、やはり1対1では負けない。
首を撥ねられた男は、そこでようやく沈黙した。




