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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第四章 薄幸の女
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4-10 まだ誰も知らぬ黒幕

 夢を見た――いや、夢かどうかも曖昧だ。

 映像も音声もないテレビを見ているような感覚。ただ、ボーッと何かを眺めながら思考だけは巡っている。

 ただし、その思考は俺のものではない。他の誰かの意識のなかに、自分はいた。

 時刻も、場所も、景色も、匂いも、音も、一切がわからない隔絶した世界に、自分はいた。果たしてここがいつの時代なのかも定かではない。それほど、この男のなかはわかり難い。多くの死人の記憶を覗いてきたが、こういう感覚ははじめてだ。

 そう、俺はある男の記憶を覗いている。どれほど時間が経ったかはわからないが、長い間、ここでじっとしている。百年ここにいたような気もするが、数時間しか経っていないという気もする。

 そこで、百年というのは彼の感覚で、数時間というのは俺の感覚だということに思い至った。忘れかけた自分――霧島啓介という存在を強く意識する。すると、彼との同調から少し剥がれてしまい、客観的なものの見かたというものができるようになった。何も映さなかったテレビがやっと電源を入れたかのように、彼の意識の情報が流れ込む。打ち寄せる巨大な津波のごとく流れ込んだ情報は膨大な量であった。瞬く間に百年――あるいはもっと莫大な――時の記憶が溢れては飛び散った。滝の水を両掌ですくったかのように、残った彼の記憶は僅かなものだった。あるいはそれは、記憶というには小さすぎる欠片だった。彼が巡らせた思考の、ほんの一部に過ぎなかった。


 ――器が必要だ。依代となる器が必要だ。彷徨う御霊に、器を与えよう。

 ――桜花が羨ましい。あの式神が欲しい。赤でも黒でもない、あの紫色の式神のような強い下僕が欲しい。

 ――揃った。あの老人は素晴らしい働きをした。引き出された霊魂は極上だ。

 ――さて、用意した器は数少ない。いったい誰に与えよう?


 ――ああ、君はおさきというのかい。素晴らしい悋気だ。汚れた己を蔑み、清き人すべてを恨み、愛する人を欲したか。まさに尊き人の御霊。君に器を授けよう。さあ受け取りたまえ。君が殺したすべての人間が、君を象る器となる。膨れた憎悪に塗れた怪物となるだろう。まさに至高の霊獣なり。かの豪族の墓場にて、我が呼びかけを待つがよい。


 ――やあ、久しぶりだね、加賀末次くん。妻への想いが、君の手を殺人の血色に変えたんだね? それもまた尊き人の御霊だ。誇らしく思えばいい。私を殺したのなんて、それほど大事ではないのだよ。君にも器を与えよう。さあ受け取りたまえ。君の愛しい妻から剥いだこの頭髪が、君を象る依代に相応しい。君には美月くんの御霊を探し出してもらわなくてはならない。彼女の封印は、彼女にしか解けない。頼んだよ。悠久のときを覚悟してもらいたい。


 ――ここにも素晴らしい御霊があるねえ。おお、これは驚いた。誰かと思えば田淵信三郎くんじゃあないか。君には志があったんだね? 寺内将権の狂気に気づき、潘に見切りをつけたかい。世は動乱期だったようだね。佐幕派でも尊皇派でも、君なら立派な働きができただろうに。残念だね、脱藩に失敗して、家老に仕える死霊となったのか。君にも器を与えよう。しかしもう少し待って欲しい。手元にはもう器がないのだよ。用意できたならばすぐにでも与えよう。美月くんの肉体には、極上の死霊がひしめいている。彼らを解放できたなら、それらを君の器としよう。


 男の名前は志摩蓮介。

 犬神統でありながら人を用いた呪を編み出す鬼才。目的は彼自信も明瞭ではない。ただ欲しいと思ったからだろう。人の欲求に正直なだけだろう。人の命をかけた呪詛の至高を求めたのだろう。ただそれだけで、死霊の宝庫である小塙潘に寄生し、寺内将権を誑かし、桜花家に媚を売り、そして――すべてを破壊し尽くしたのだ。俺が生きるこの時代において、彼の思惑を阻むものはもういない。そう彼は思っている。

 その許されざる事実に、俺は何も感じることができない。彼のなかでは、彼がすべてだ。

 やがて、志摩蓮介の霊魂から俺の意識が剥がれる。

 完全に剥がれたころには、膨大な記憶のなかで僅かに拾ったはずの、志摩蓮介の思考の痕跡はなくなっていた。

 目覚めたころには、どんな夢を見ていたのか、まったく思い出せなかった。



               (第五章に続く)





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