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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第四章 薄幸の女
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4-8 博識さの無効化

 保健室には超絶美少女がいる、という話を何度か聞いたことがある。

 病弱らしく、よく保健室を利用するそうだ。あまりに儚げな雰囲気の、そして現実離れした美しさであるため、実は幽霊なのではないかという噂まで立った。俺はその噂を聞いたとき、学校中の男子が沸き立つほどの女を一目見ようと保健室に足を運んだが、印象の薄い普通の女の子だったという記憶しかない。もう顔すら覚えていない。何度思い出そうとしても無理だ。

 まあ、そんなことはさておいて……保健室である。

 保険の石塚先生は不在のようだ。ならばなぜ鍵が掛かっていないのだろうかと不審に思ったが、二つあるベッドのうち、一つが使用されていてカーテンが掛かっていた。誰かが寝ているのだろう。

 ……困ったなぁ、これでは込み入った話ができない。

 そう思ったが、とりあえず俺は美月さんを空いているベッドに寝かせた。

「あ……あの、私は別に体調が悪いわけでは……」

 美月さんはまだ眼が赤いものの、さっきよりは落ち着いたようだ。

「まあまあ、あなたは体調が悪いということになっているので、格好だけでも……」

「この布団は、気持ちがいいですね……ふふ」

 人の話を最後まで聞かず、美月さんは布団に潜り込んでギシギシと音を鳴らした。ベッドの弾力を堪能しているらしい。隣に他の生徒がいるのだから、少しは体調が悪いふりをしてほしいんだけど……。

 美月さんは何かが吹っ切れたのだろうか。泣き止んだ瞬間に、元の明るさを取り戻した。

 ――強い人だ。

 心からそう思う。

 子供っぽい仕草は、おそらく地の性格からくるものだろう。普通その性格ならば甘ったれた大人に成長しそうなものだが、美月さんは違う。心にしっかりとして振れない芯が入っており、他人を気遣う優しさも持っている。柔軟な理解力もある聡明な人だ。一度記憶を覗いたからわかる。この人は、深刻な事実を細部まで理解した上でも、こうして自分を保っていられる。賢さの中に無邪気な優しさがある。こうした、人としての深みがあるから、普段子供っぽい仕草をしていても、ときに畏怖さえ覚える強さを感じることがある。

「遅れてすまない……」

 先生が入ってきた。

 眼鏡のレンズ越しに鋭い目つきが光っている。

 松島正。霞丘高校の教師であるが、本職は俺と同じ退魔師だ。それも、俺とは比べ物にならないほどの実力を持つ。以前現れた強力な球体妖怪を屠った。なぜ最初から俺と協力して仕事しなかったのか、と疑問に思ったが、先生は爺様に、「この仕事はなるべく啓介一人にやらせろ。早く成長させねばならない」と言われたそうで、それを過大解釈した先生は俺を鍛えようとしてくれたらしい。他の生徒の前では猫をかぶっていたが、俺の転校とともに性格を元の嫌味なものに戻し、俺に厳しく当たり始めたそうだ。

 本人には言わないが、あれは無駄な心遣いだったと思う。そのせいで、俺は先生が妖魔のものだと勘違いし、詩織も怖がってしまった。配慮が足りない人のようだ。

 しかし強力な妖魔が出現し、もう俺一人では無理だと判断した先生は、俺と接触したということだ。

 先生は強い。でもあまり調査能力はないようで、この地で三年間仕事しているが、ほとんど成果を挙げられていない。今持っている情報もほとんど俺が教えたものだ。

「さて……この日を待ちわびたぞ、お前が美月とやらか?」

「はい、そうですが……あなたは?」

「先生。隣に人がいるので、とりあえず場所をかえましょう?」

「ん……? 誰かいるのか?」

「みればわかるでしょう……」

 俺は隣のベッドを指差す。

「ふむ……」

 突然、使用されている隣のベッドに向かった先生は、閉じられているカーテンを勢いよく開け放った。

「ちょっ……! 先生!」

 そこには…………誰もいない。

「霧島……誰もいないぞ?」

「ほんとう、ですね」

 じゃあなぜ仕切りカーテンが掛かっていたんだろう?

 ベッドの上には、一冊の漫画があった。

「あっ……これ」

 一昔前の青年漫画だ。インドの神話をモチーフにした伝奇漫画。妖魔と契約し、操ることができる主人公が、不死身の身体を持って強力な妖怪たちと戦うという話。

「これめちゃくちゃ面白いんだよな」

 パラパラとめくる。懐かしい。いまだに、俺以外でこの漫画を読んでいる人を見たことがない。ぜひこの本の持ち主と会って語りたいものだ。

 布団はまだ暖かい。誰かがここでこの漫画を読んでいたのだろう。

「保険の石塚先生は外出している。ちょうどいいからここで話そう」

「はい」

 漫画を元の位置に戻し、先生と美月さんのほうへ振り向いた。

「美月さん。紹介します。こちらは俺と同じく、退魔師の松島正先生です」

「…………」

「…………」

 俺以外の二人は睨み合い、沈黙した。お互いに何かを見ているようだ。

 沈黙を破ったのは、美月さん。

「……あなた。私の何を疑っているのですか?」

 先生は口の端を釣り上げる。いつも通り気味の悪い笑み。

「なんだ? 心が読めるのか?」

「読めませんよ」

「そうか……疑問は複数ある」

「いいでしょう。一つ一つ答えて差し上げます」

「上からだな……?」

「その下品な笑みを消すなら、対等に扱いましょう」

「言ってくれる……」

 なぜ出だしから仲悪い?

「ちょっと、ケンカ腰はやめましょう。先生、これから美月さんの協力を仰ごうとしているのにその態度はいけません」

「む……」

「美月さん、先生はいつもこんな感じで笑います。疑り深いところも性格です。受け流してあげてください」

「え? そうなんですか? 下品な殿方とはあまり会ったことがありませんので」

「む……」

「まあまあ。とりあえず先生、俺が話しましょうか?」

 煙草を取り出し、保健室にもかかわらず吸い出す教師。

「ああ頼む。この女は好かん。死霊の如き分際で生意気にもほどがある」

 その言葉に、美月さんはピクっと眉を動かす。

「ちょっと待ってください。確かに私は霊体で、依代はこの娘の肉体を借りています。しかしこうしてお話できるほどには霊気は定まっています。ですから、いまは同じ人間として扱ってください」

「死霊は死霊。人は人。同じく霊素の産物ではあるが本質は全く違う。死霊は人間の廃棄物に過ぎない。人のためには、死霊はこの世から絶えるべきだ」

「退魔師とやらは乱暴な考えを持っているようですね?」

「陰陽師もたいして変わらんだろう?」

「たしかにそういう陰陽師もいますが、私は違います。相手が正しく生きたいと願い、そのために安定した霊気を使っているのなら、死霊であれ私は人として接します」

「立派な考えだ、反吐が出る。そもそも、安定した霊気を保っている死霊などいない」

「目の前にいますよ?」

「ふん、怪しいものだ」

 このままでは話が進まない。

「だからケンカはしないでくださいってば」

「霧島、やはり私がこの女を尋問する。少し興味が沸いた」

「……大丈夫ですか? 不安しかないんですけど?」

 俺の言葉は当然のように無視される。

「おい霧島。人間の意思、感情、人格はどのようにして形成されると思う?」

「え? どうしたんですか、いきなり」

「いいから答えろ。今からこの女の正体を探る」

「はあ。意思、感情、人格ですか……それは当然、その人に宿った霊素……つまり霊魂がつくり出します」

「うむ。思った通りの回答だが、それは正解ではないな」

「え?」

 ……違うの?

「結論からいうと、意思、感情、人格は全て脳で形成される」

「いや、だから、脳に宿る霊が……あれ?」

「馬鹿かお前は。霊素はエネルギーだ。この世全ての根源であり、神であり、霊魂の元だ。対して、我々の心や身体、そして脳は、霊を活かすための道具。人間とは、霊が持つ『建設の意思』を、心と身体という道具を用いて表現している生物に過ぎない」

「そ、それくらい教わりました」

 ちょっと忘れてたけど。

「電気機械に例えるならば、霊素が電気、機械本体が心と身体だ。この場合、個性が出るとしたらどれだ?」

「機械の本体ですかね?」

「そう、同じように、人格などの個性は脳や身体によって形成される」

「はあ……」

「…………」

 美月さんは黙って聞いている。

「脳の話をしよう。脳は意識を生み出す。意識は、遺伝で決まる脳内ネットワークの初期構造と、経験や知識などの記憶によって生まれる。つまり我々は、生まれ持った脳の構造と、生きてきて脳に蓄えられた知恵で思考し、行動している。感情については諸説あるが、人間が記憶を取捨選択するための機能として、感情があるという説が一番しっくりくる」

「……感情が、効率のいい記憶術ってことですか?」

「そうだ。人間は曖昧な記憶しかできない。大量に入ってくる情報を、いるものと、いらないものに仕分けする必要があると考えたからだろう。そのために感情が役に立つ。悲しい、嬉しい、怖い、面白い、ときには退屈だと思えることも、記憶に残りやすいだろう? 人間はこのような感情を得たことによって情報の記憶を効率化し、また言葉によって高度な思考力も得た。これらは全て脳がおこなっている。世にあふれる霊素の力を、自然界最高傑作であるこの脳を使って発揮する人間こそが霊長と呼ばれるにふさわしい」

 松島先生は自らの頭を指差す。

 あいかわらず、気色悪い笑みを美月さんに見せている。

「さあて……そこの女はなぜ生前の人格を保っていられるのかな? 加賀詩織の脳を使っているのか? 違うな、脳は持ち主である加賀詩織の人格しか持っていない。ならばなぜなんだろうなあ」

「先生、ちょっと待ってください。死霊とはいえ記憶や人格は持っているでしょう?」

「たしかにな。感情は人間の強みでもある。これが神である霊素との相性が良すぎた。強い感情を持って死んだ場合、同じく発した霊気……俗にいう魂が生き残ってしまい、霊体を生み出してしまう。厄介なことに、少量ではあるが、霊は記憶を持つ」

「じゃあ問題ないじゃないですか、死霊にも記憶と人格があるということで」

「違う。末次もそうだったが、霊に宿る記憶がこれほど完璧なわけがない。普通の死霊は記憶が曖昧だからこそ、不完全な形となるのだ。だからこいつと末次には、脳の役割を担っている何かがあるはずだ」

「あの、さっき美月さんが言ってましたよ? 詩織の身体を依代に使っているって。依代が脳の役割を担っているんでしょう?」

「生きている人間を依代に? まさか、それこそ桜花家レベルの術でないと無理だ」

「だから、この人はその桜花家の人間なのでしょう?」

「私が聞きたかったのはそこだ。この女は本当にあの桜花家の人間だったかどうかだ」

「なんて回りくどい人だ……最初っからそう尋ねればいいのに……」

 もしかしてこの人、自分の博識さを美月さんにひけらかしたかったのでは?

「うるさいぞ霧島。で、どうなんだ女。答えてみろ」

「…………」

 美月さんは、いつの間にか目を閉じていた。

「……………………」

 神妙な顔つき。

 緊張が走る。

「み……美月さん」

「………………………………」

 返事がない。

 もしかして、詩織と入れ替わってしまったのだろうか。

 そう思い、彼女の肩を揺らそうと手を伸ばす。

 その時――、

「…………クゥ」

 と、彼女は可愛らしい寝息をたてた。

 うん。間違いなく美月さんだな。

「寝てんじゃねーぞこの野郎おお!」

 思わずつっこんだ先生は火のついた煙草を握りつぶす。……熱そう。

 美月さんは「ふわぁ〜」と大きな欠伸。

「……? ああ、もうお話は終わりですか? なかなか興味深い話でしたね……」

 目をこすり、もう一度欠伸。

「美月さん……、あなたへの質問で、話は中断されていますよ?」

「そうでしたっけ? まあいいではありませんか。そんなことよりも、私はこの時代の料理を食べたいです。この娘の好物はパスタというそうですよ? とても美味しそうです」

 この娘というのは詩織のことかな。

 ちなみにパスタはこの時代の食べ物でもないと思うけど……。

「殺す……絶対殺す……」

 もう爆発寸前の先生はパチンコ玉をジャラジャラさせている。かなり危ない。

「まあまあ先生」

「とめるな霧島。やはり退魔師と死霊は相容れない」

「私を死霊としてではなく、陰陽師として扱ってはいかがですか?」

 彼女はあっけらかんとしている。

「無理だ。殺す」

 やっぱり話が進まない。

「いま彼女を殺したら、加賀詩織も死んでしまいますよ?」

「心配するな、やつを引っ張り出す術がある」

 ダメだな、これは。

「先生。どうです? あとは俺が話を聞きますんで、先生は退室しては? いまは彼女から話を聞くことが先決だと思います。百体の妖魔を、相手にしなくてすむかもしれませんよ?」

「むう」

「とりあえず、俺が話を聞くだけでも……」

「く……そうか? そうしてくれると助かるが……」

 握りつぶした煙草を保健室のシンクへ放り投げる教師。

「この女、使えないと判断したらすぐに私を呼べ。その場で消す」

「わ……わかりました」

 灰で真っ黒にした手を洗ってから、先生は退室した。


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