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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第四章 薄幸の女
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4-6 拾った命は大きい

 昼休みが終わり、五時間目。

 午後の授業というのはどうしても眠くなる。

 瞼を持ち上げるのに必死で、授業を聞くなんてことはできないから、これはもういっそ寝てしまったほうが効率いいのではないかと思う。

 潔く目を閉じる。

 しかし寝ようと覚悟してしまえば、寝ることに抵抗していた力が解放されてしまう。その余力を頭の中で持て余す形となって、逆に眠れない。難儀なことだ。

 結局は目を閉じただけの状態となってしまった。

 仕方がないので、俺は仕事について考えることにした。時間は有効に使わないといけない。

 それにしても……。

 よく生き延びているものだな……。

 古墳公園で球体妖怪と戦い、末次に再敗した日から、もう一週間経っている。

 やっぱり末次は強い。尋常な強さではない。

 球体妖怪を葬ったあの日、末次が先生を倒したあと、俺は末次に向かっていった。しかし情けないことに、剣を交える直前でビビってしまった。自分よりも圧倒的に強い先生を無傷で倒した末次に、俺なんかが勝てるわけがないと思った。一度完敗したせいでもある。ピクリとも動かない先生をみて、俺もこうなるだろうと考えてしまった。

 負ければ死ぬ。

 修行でも常に意識していたことだ。しかし実際にそんな状況になってしまえば、恐怖で身体が動かなくなってしまう。生きたいという心が強くなって、逃げ出そうとしてしまう。戦うなんて論外だ。だから、身体は戦う力なんて出してくれない。自然と諦めだけが自分を支配する。俺は剣を落とし、膝を地面につけてしまった。完全に屈服してしまった。いま考えればあまりにも情けない。毎晩布団の中にもぐりながら、悔しさで泣いてしまうほどだ。

 戦いを投げ出した俺を見て、末次は刀をおろし、

「死ぬのが怖いか? 少年」

 と言った。俺は何もしていないはずなのに、呼吸困難に陥るほど息を切らし、流れる汗は尋常な量ではなかった。未熟を絵に描いたような負け犬だった。

「少年、名前は何という?」

「……霧島……啓介」

「啓介か……いい名だ。ならば啓介、いいことを教えてやろう」

 末次はとうとう刀を鞘に戻し、リラックスした状態で話し始めた。

 先生は相変わらず動かない。

「……殺さない……のか?」

「別にお前たちを殺すために来たわけではない。そっちが先に仕掛けてきたから応じただけだ。そこの男も生きておる。少し気を失っているが……。俺がここに来たのも、誰かに呼ばれた気がしたからにすぎない。ひどく懐かしい声だった……。ここに女はいなかったか?」

「……いや、いない」

「そうか……たしかにおさきの声だと思ったのだが……。まあよい、それよりも、いい話をしてやろう。次にお前と会ったら、話そうと思っておったのだ」

「いい話?」

「うむ。まあそう固くなるな、楽にしていい。戦う気はないと言っただろう?」

「…………はあ」

 とはいえ、さすがに緊張を解くことはできない。

「啓介。怖がる必要はないぞ。お前は十分強い」

「嫌味か?」

「そう腐るな。昨夜お前と剣を交えて思ったのだが……剣の腕のみに関していえば、俺とお前はたいして変わらん。足さばきなどは俺より疾いくらいだ。だから試合もせずに諦める必要はない」

「……世辞はいらんぞ?」

「世辞など言うものか。だが、いまのお前では何度やっても俺には勝てん」

「剣の腕は変わらないのに、何回やっても勝てないって?」

「そうだ。俺とお前では、気の使い方に差がありすぎる」

「…………?」

「今のお前は、死に対する怯えと、どうせ勝てないという諦めが強い。だから力を出せない。それは、負の気が大きすぎるからだ」

 なんでこいつは、いきなりこんな話を始めたのだろう?

 まるで爺様のように、出来の悪い教え子に言い聴かせるように、末次は饒舌に語る。

「俺は江戸で修行をしたことがある。しかし学んだのは剣術ではない。気の扱い方を習っていた。禊、座禅などの神道や仏教の修行を繰り返した。やがて相手の気が見えるようになってきた。相手の攻撃より僅かに先行して、殺意の気が見える。ただそれを避けるだけで、相手の打ち込みなどは一切当たらない。反対に、こちらから大きな気を送り込めば、相手は面白いように怯むようになった。さっきお前が俺を畏れたのも、この気を送り込んだからだ」

「……なんだよそれ……超能力でもあるまいし……」

「信じられんか?」

「あんたには相手の気が見えるのか?」

「……そうだ」

「自分の気を、相手に飛ばすこともできるのか?」

「……そうだ」

「…………」

 確かに「気」というのは存在する。世界の創造主たる霊が正しくそうだろう。退魔師はその「気」を大事にしている。

 末次は真剣な眼をしている。

 見た目は似ても似つかないが、やはりどこか爺様に似ている。

 そこで俺は、自分にこうやって何かを教えようとしてくれた人は、いままで爺様しかいなかったことに気がついた。

 だから俺も、なぜか真剣に耳を傾けようと思った。

 たとえそれが、荒唐無稽な話であっても……。

 ……気の扱いを会得した武術家の話は何度か聞いたことがある。爺様に教えてもらった。

 旧日本軍の軍事探偵で、「人斬り天風」と恐れられた中村天風。ヨガを学んだ彼は「心が身体を動かす」と主張して心身統一道の説法活動を行った。彼は気を送り込むことで荒れ狂う鶏をピタリと止めた。

 また、天風は紙で吊るされた竹を木刀で斬ったという。普通、そんなことをしようとすると、先に紙が破れて竹が落ちてしまう。彼はまず、気で竹を斬り、そのあとに木刀を通すことで竹を斬ったという。

 次に、合気道の創始者である植芝盛平。宗教家でもある彼は気の扱い方を熟知しており、多くの武道家から神様のように扱われた。名だたる剣道家、柔道家、銃剣道家などが見事に投げ飛ばされた。これは眉唾物だが、弾丸を避けたという逸話もある。彼は相手の攻撃より先に来る光を察知し、躱すことができたという。そのあまりの強さに、八百長ではないかと揶揄する者も少なくなかったが、実力が嘘であるなら、軍の武術指導など任されないだろう。

 末次という男の強さは、その武道家たちの逸話の次元にあるのではないだろうか。とくに「神打ち」という技は、志摩蓮介がつけたその名の通り、神懸かった力を持っている。

「どうすれば、あんたに勝てる?」

「そうだな、まずはその、すぐに気弱になる負の気を抑えることだ。落ち着け。お前もそうだが、大抵の人は落ち着けない。落ち着く場所を知らないからだ。みんな、落ち着け、落ち着け、と心で叫ぶのみ……。それではいけない。落ち着くとは、気の重みを肚の下に移すことだ。力強く地面を感じ取れ。そうすれば、落ち着ける。それが出来るだけでかなり強くなれる」

「重みを下に……」

「それと、たとえ命のやり取りであっても、負ければ死ぬなどと考えるな。戦うと決めたなら、勝っても負けても実力を出しきる。実力を出せば確実に勝てるのだ。そうやって前向きに考えれば、力も沸く。人とはそういう生き物だ。心が身を強くするように出来ている。啓介の実力ならば、なおさらだ」

「なぜ……俺にそんな話を……? 俺はあんたを敵視しているのに」

 末次は空を見上げて、しばらく沈黙した。何かを考えているのか、何かを思い出しているのか……。再びこちらを向いたとき、彼は何やら悲しげな表情をしていた。

「……俺はな、いずれ道場を開いて、子供達に剣を教えることを生きがいにしようと考えていた。剣だけではなく心の強さも教えようと、日々思っていた。そこにはわがままで焼餅やきな妻が、教え子ばかりをかまう俺に文句を言っているかもしれない。それを見て俺が、どっちが子供なんだ、とからかっているかもしれない。そんなことを考えるのがたまらなく好きだったのだ。しかしそんな将来も潰れた。……俺が壊した。だからもう考えまいと思っていた」

「…………」

「だが、昨夜啓介の剣を見て、久しぶりにかつての夢想をありありと思い出した。剣を交えながら俺は、気が弱いお前の剣をもったいないと感じた。どうにかしてやりたい、育ててやりたいと思ってしまった。だからだ、こんな話をしてしまうのは」

「俺はあんたたちのような死霊を滅ぼすために、この町に来たんだぞ?」

「そうだったな。それでも……だ」

「あんたの奥さんも、見逃すわけにはいかないぞ?」

 その言葉に、末次はピクリと眉を動かした。

「それは……少し待ってくれ。せめて妻にもう一度会いたい。醜い妖魔となっていても、一言謝りたいのだ」

 そういって末次は目を伏せる。

 末次の奥さんは加賀美月。かつては桜花美月という名で、凄腕の陰陽師だ。そのことを末次は知らないらしい。美月さんが知られたくなかったようで、ひたすらに隠した。

 美月さんは、今は俺のクラスメイトである加賀詩織の身体に憑いている。このことを末次に教えるべきだろうか。しかし、いつ美月さんが目覚めるかわからない。末次を詩織に会わせても、彼女は怯えるだけだろう。詩織は死霊を極度に怖がっている。さて、どうするべきか……。



「おい、そこの男。機会を伺っているようだが、殺気が抑えられておらんぞ」

 末次が突然大声を出した。

「…………え?」

「なんだ……バレていたのか」

 さっきまで倒れていたはずの先生が、むくりと立ち上がる。

「先生! 死んでたんじゃなかったんですか?」

「勝手に殺すな」

 先生はポケットから取り出した煙草に火をつけ、

「手加減されたようだ。一度気を失ったが、すぐに覚めた」

 と言いながら土を払う。

「よ……よかったぁ」

「だから言ったであろう? 俺はお前たちを殺そうなどとは考えておらんと。そちらが問答無用で仕掛けてきたから刀を抜いたまでだ」

「そうかい。それは悪かったなぁ。こっちはあんたみたいな人間らしい死霊は初めて見るからな……。それにしても……どうしたものかな。さっきの話ぶりだと、とりあえず私たちは見逃してもらえるのかな?」

 末次は顔をしかめた。

「見逃すも何もない。勝手にすればよろしい。……貴公のその粘っこい話し方、志摩殿そっくりだ……」

「……ん? まあよくわからんが、こっちの勝手にさせてもらおう。霧島、帰るぞ」

「……え? あ、はい」

 平然を装っているが、先生の顔からは脂汗がにじみ出ている。一刻も早くこの場から去りたくて焦っているようにも見えた。

「ああそうだ……。おい侍。質問がある」

 しかし、その焦りを押しとどめても、末次に訊きたい話があるらしかった。

「俺のことか、なんだ?」

「なぜお前はそんな霊体を持っている?」

「……わからん」

「いつからこの町にいる?」

「……百五十年ほどさまよっている」

「百年ほど前から、この町に霊が出現しなくなった理由はわかるか?」

「……さあ、近頃は妖魔の類が多いようだが」

「……そうか。では最後だ。一四七年前……慶応二年だな、この町で大洪水が起こった。その時のことはわかるか? 文献ではその日、大量の妖怪が出現したとあるが?」

「洪水……慶応二年……。知っている。俺はその時死んだ」

「なんだと?」

「鬼に殺された」

「鬼?」

「そう、鬼。かつては寺内将権という人間だった鬼だ」

 先生は俺の方を見て頷いた。

「なるほど、霧島の話と辻褄が合うな」

「それだけか?」

「悪いな、質問はそれだけだ。死霊と会話する機会が訪れるとは思わなかったが、いい経験になった。感謝する」

 背を向けた先生は、颯爽と歩き出す。敗者とは思えない堂々たる姿だ。かっこいいのか悪いのかさっぱりわからない。

 俺はその背中を追う。

 だが先生の足取りは少しふらついているように思えた。

 振り向くと、末次は動かずにこちらを見ている。

「啓介、先ほど言ったこと、しかと身に付けよ」

「は……はいっ!」

 なぜか、敬語で返事をしてしまった。

「では、またな……」

 それだけ言って、末次は消えてしまった。それを見てから、改めて彼が死霊であることを認識させられた。今までの死霊に対する考えを、根底から覆すような人間らしい死霊。あの死霊も人間も変わらないのかもしれない。少なくとも末次は変わらない。それは、先生も十分に感じていることだろう。

「あの死霊と仲良くなったか?」

「いや……そんなことは……」

「ふん……勘違いはするなよ。我々退魔師は、死霊や妖怪を抹殺することが使命だ。公にはされていないが、国に雇われている職だ。つまり公務だ。しっかり働け」

「……はい」

「それにしても困った。これから現れるかもしれない百体の妖怪だけでも困難極まりないうえに、あのような化物じみた強さの死霊が出てきては、私の手には負えんな」

「爺様に助けを求めるべきでは?」

「それは無理だ。爺様は今、国家の大事に関わる仕事に就いている。退魔師の存亡をかけた勝負に出ているらしい。とてもじゃないが、こちらに送る戦力などないだろう」

 つまり、最悪の状況ってやつか……。

「とりあえず、美月とかいう陰陽師と接触して、話を聞こう。うまくいけば妖怪どもをもう一度封印できるかもしれんからな。最悪、妖怪どもは私が何とかしよう」

「え? 百体全てですか?」

「ああ、仕方ないだろう。なに、心配はするな、時間はかかるが何とかなるだろう。問題はあの侍だ。やつには退魔の力が使えない。やつは死霊というより人と考えたほうがいい。つまり対人の戦力が必要になるわけだが、私にはそんなものはほとんどない。だから……」

「どうしました?」

「お前に任せる」

「お……俺が? む、無理でしょ」

「ふん、情けないやつだ。まあ聞け。退魔師は普通、魔の者を滅するための技術を磨く。当然だな。だがどういうわけか、お前は違う。お前は一人隔離され、爺様直々に教えられたと聞く。それも退魔術ではなく、爺様はなぜか武道を叩き込んだ」

「え? みんなは術を習ってたんですか? ずるい……」

「なにがずるいものか……それが当然だ。これでわかったな? お前は他の退魔師の誰よりも、対人能力が高い。だからあの侍に勝てるとしたら、お前しかいない」

「ちょ、ちょっと待ってください。武道を教わったからって、強いとは限らないでしょう?」

「何を言っている。お前は爺様から免許をもらったのだろう? 八十島一刀流の目録を受けたのは、いまのところお前一人だぞ」

「えっ?」

「だからわかっただろう? 今度やつと戦うときは、ビビって膝を折るなんてことにはなるなよ?」

「み……見てたんですか」

 俺は恥ずかしくて顔を伏せる。

 だが、負けて悲しいとは思わない。

 次は、もしかしたら勝てるかもしれない。

 悔しくは思うが、希望がある。それが少しだけ嬉しい。

 しかし……。

 考えてみると、末次を無理やり消す必要があるのだろうか? 

 美月に会わせてあげて、この世から未練を消してやるほうがいいのではないだろうか? 

 今までは問答無用で死霊を葬ってきたが、末次はその対象から外してもいいのではないか? 

 先生も言った通り、彼は死霊というよりも、人間として扱ったほうがいいのではないだろうか?

 考えると、疲れがどっと湧いてきた。

 横をみると、先生も息があがっている。

 その日、俺と先生は二人とも、学校を休んだ。

 



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