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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第四章 薄幸の女
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4-5 ニーソの破壊力

「後悔しているか?」

 松島先生はそう問いかけた。

 おさきという女の話をしたばかりだ。

 だからこの問いは、おさきという名の球体妖怪を斃したことを後悔しているか? というものだろう。

「…………」

 だとしたら答えられない。

 これは人殺しとどう違うのだろう?

 人間としての過去を持ち、人格も宿したあの哀れな女は、人間とどう違うのだろう?

 後悔していない、と答えれば、俺は人殺しを何とも思わない人間になってしまうのではないだろうか。

「後悔などしなくていい。お前は仕事をしただけだ」

「でも……」

「うるさい。いいか? 人は死ねばそこで終わる。全て終わる。だから終わったところで始まった死霊は人ではない。産業廃棄物のようなものだ。たとえそれに意思があったとしても、人に害を成す化物でしかない」

「…………」

「まあ、悩めばいい。だがこれだけは覚えておけ。お前は退魔師だ。死霊に苦しむ人々にとってのヒーローだ。誇りを持て。人を助けて後悔し、化物に同情するのは退魔師ではない。それは偽善者であり、助けを必死で求めている人からすれば悪人にほかならない」

 先生の声はいつも通りのトーンで、冷たい響きがある。

 その冷たさが、俺の頭を冷やしてくれる。

 思考が巡る。

 だけど、まったくわからない。

 一人の女の夢を奪った。

 それだけはどうしても忘れてはいけない、という思いは、きっと間違っていない。

 霧島啓介はヒーローなんかじゃあない。

 化物を斃して、胸が痛む。

 今はこれでいいじゃないか。

 そう思えば、少しは楽になった。

 霊に苦しむ人がいるなら、斃さなくてはいけない。その死霊に人としての魂があったのなら、それを壊してしまったという後悔を背負っていけばいいじゃないか。

 俺はとりあえず、そう考えることにした。



          ◇



 昼飯を食べ終わったころ、昼休みの教室はさらに喧騒を増していた。

 友達同士でどうでもいい談義に熱中する者が多い。

「マジやべーよな」「マジそれなー」「マジか終わってんなそれ」……お前ら最初に「マジ」ってつけないと話できないの?

 部活仲間で集り、今日の練習について話し合う者も多い。

「おい今日ヤツ来ないってさ」「マジかよ! じゃあテキトーに走って素振りして終わりでよくね?」「それだ! じゃあ今日カラオケ行かね?」……おい、部活くらい真面目にやれよ。あと先生に向かって「ヤツ」とか言わないほうがいいぞ。

 他にも、携帯ゲーム機を取り出す眼鏡集団、男性アイドルグループのライブに行って東京で泊まって来たと自慢する女子たち、といった感じで各々盛り上がっている様子だ。

 学生とは呑気なものだ。楽しむことしか考えていない。きっと勉強や部活を真剣にしている者もたくさんいるだろうが、昼休みくらいは羽を伸ばしたいのかもしれない。ほとんどの生徒がこの時間を好きに使っている。

 俺も例外ではない。

「…………ふむ」

 開いていたグラビア雑誌をパタン、と閉じて、俺は物思いに耽る。風に乗って鼻腔をくすぐる印刷物の香りは、何やら耽美な妄想を引き立てた。

 やはり美しい女性とは神秘的である。これまでの認識を遥かに凌駕した革命的存在。美しいと一言で表しても、彼女たちはそれぞれ違った魅力を持っている。顔立ちは言うに及ばず、身長や体つきにも多岐にわたる造形美が展開されている。

 正解は一つではない。いや、正解など存在しない。雑誌からの視覚情報だけでも、脳の深いところ、つまり人間の根源に関わる何かが刺激されるのだ。これに嗅覚の刺激さえあれば完璧だろう。雑誌特有の匂いも悪くないが、女性の香りには到底及ばない。出版社はそこらへんを工夫するべきだな。

 繰り返すが女性の美しさに正解などはない。しかし、好みというものはある。俺の場合はやはり、おっぱいだ。ただし華奢な身体にでかい胸は不自然極まりないと考えられるため、程よい肉感を持ったスタイルが理想だ。とりわけ、「足」が重要になってくる。

「……う〜む」

 教室を見渡す。これまでは顔にばかり目が行っていたが、今の俺はレベルが違う。ちゃんと身体もしっかり見定める。しかし……。

「……ふう〜」

 ため息しか出ない。スカートから伸びる足はどれもこれも俺の好みではない。細すぎる、太り気味、妥協すればあるいは……と思わせる女性はあったが、ここは心を鬼にするべきだ。

 鬼と化した俺は教室を見渡す。

「……ん? ……おっ? ……おおっ!」

 いた! 完璧な御御足。

 少し短めのスカートと黒ニーハイソックスの間に輝く白い太ももは誰も侵してはならない聖域。程よく、しっかりとした肉感を下手に露出せず、さりげなく、慎ましやかに披露するとはまさに「いとおかし」な世界。

 なるほど、

 あれが――

 絶対領域か! 

 そのあまりの破壊力に目がくらむ。雑誌で予習していたものの、実際に目の当たりにすればこの様だ。情けない。情けないぞ霧島啓介。この困難に立ち向かえないで何が退魔師か。

 修行に反復練習はつきもの。ということで俺はあの絶対領域を忘れないため、凝視して頭に叩き込むことにした。すると、その美脚がこっちに近づいてくる。いかん、まだ頭にインストールしきれていない。足が……俺の目の前で止まる。

「ちょっと啓介くん、そんないががわしい雑誌を持ってきて堂々と教室で鑑賞するなんて、学校をなんだと思ってるの?」

「……ん?」

 聞き覚えのある足……いや声に反応して、俺は目線を上げた。

「あっ……加賀さん」

「……むぅ」

 我がクラスの委員長。美貌と器量の良さを兼ね備え、さらには武道・学問優秀の才色兼備である加賀詩織さんは不機嫌そうに眉をひそめている。

 商店街で化物騒ぎがあった次の日から、詩織は俺によく話しかけるようになった。放課後、詩織の部活が終わるのを待って一緒に帰ることが日課になり、自然と仲もよくなった。昨日は俺の女性の好みをしつこく聞かれて、携帯していたグラビア雑誌を広げて説明しようとしたら殴られた。すぐに手を出すのはいけないことだと思う。……でも可愛いから許しちゃう。

「えっと……もしかして、怒ってる?」

「当然でしょ? こんな雑誌は家で……い……いや、やっぱり家でもダメ。……ダメです!」

 そう言って詩織は雑誌を取り上げ、くるくると丸めて俺の頭を叩く。鋭くスナップを効かせた面打ちは気持ちのいい音を鳴らした。

「おい……普通に痛いぞ剣道部」

 詩織が「コホン」と咳払い。

「と……とにかく。こんな雑誌はダメよ。どうしても興味があるなら……その……じ、実際の女の子を見なさい」

「女子は頼めばこんな服を着てポーズをとってくれるのか?」

「とるわけないでしょ!」

 パカン、とまた頭を叩かれる。

「だ、だから痛いってば」

「そういうのは、付き合う女の子に頼むの」

「ほほう。付き合う女……か。つまり、好き合う者ができればいいわけだな? ……でも、それってかなり難しくないか? 俺が好きになった人が、俺のことも好きになるなんて、確率的に低いと思うけど」

「別に両想いだからって付き合うわけじゃないよ? 確かにそれが理想だとは思うけど、好きだって言われて心が揺れて、思わず惹かれちゃう場合もあるし、この人のこともっと知りたいなって思って付き合うとか、いろいろな形があるよ。男女が付き合うっていうのは他の人間関係と一緒で、やっぱり複雑なものだから、好き合う=付き合うではないと思うよ」

 詩織は畳み掛けるように説明する。前傾した彼女の身体からいい香りが漂ってきた。

「……なんかすごいな加賀さん。達観してるというか何というか……」

「……むぅ」

 彼女が口を尖らせる。可愛い。

「……え? 何?」

「何でもない! とにかく、そういうのに興味があるなら、まず相手を見つけることね」

「加賀さんは男と付き合ったことあるのか?」

「……ないわよ」

「何で? そういうのは興味ないのか?」

「あ、あるよ、もちろん。そうね……もし今、私と付き合いたいって人がいたら……付き合っちゃうかもね」

 詩織は腕を腰にあてたり組んだりとせわしなく動かす。

「もしかして、尻軽?」

「んなわけあるか! え、えーと……そうね……普通、付き合う相手っていえば、学校の昼休みとかで話すくらい仲が良くて、いっしょに帰ることが日課で、お互いの秘密を打ち明けるとかもして、あとは……相手の家に行ったこともあるとかかな。あ、もちろん家の前まででも可。うん、これが普通ね。スタンダード、王道、テンプレート。まずはこういう人を探しなさい?」

「やけに細かいな……そのテンプレ」

「い、いないの? そういう人は……」

 詩織は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに足をこすり、スカートの裾をつまんでいる。露になっている太ももを隠すように……。あっ、そういえば……。

「そういえば加賀さん、スカート短くした? 髪下ろしてるし……いつもと雰囲気が違うような……」

 そう、今日の詩織はいつもとは違う。短いスカートとニーソ。後ろに束ねていた髪を下ろし、背中にまで伸びた黒髪はテレビでも滅多に見られない清楚そうなアイドルといった雰囲気を出している。

「……むぅ、また〝加賀さん〟って言った。四回も〝加賀さん〟って言った……」

「……へ?」

「名前で呼ぶって……約束だったのに……」

「あっ……」

 べつに忘れてたわけじゃないけど、学校だと他の男子の目が痛いから彼女の名前を呼び捨てなんて、ちょっと抵抗が……。

「ご、ごめん……今度からは……」

「……いま」

「……え? いまって?」

「いま……呼んで。じゃないと、また忘れちゃうでしょ?」

 確かにそうかもしれないけど……なんか恥ずかしいな。名前だけじゃなくて、他にも気の利いたことを言った方がいいか……? わからん。

「こ、コホン……えっと……今日の詩織、可愛いな」

「…………ふぇっ?」

 素っ頓狂な声を上げた詩織は耳まで赤くした顔を両手で隠し、なぜかしゃがみこんだ。

「か……かかか、可愛いって言った……!」

「どうした?」

「な、なな、なにこれめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……!」

「大丈夫か? 詩織」

「ひゃあ! み、耳元で名前を呼ぶな!」

 なんだよ……呼べっていったのに。

「あ、そうだ。さっきの付き合うって話、もし俺が付き合うとしたら詩織がいいな。テンプレ? に当てはまるのは詩織しかいないし。性格も容姿も好きだ」

「す……好きなの? 私のこと?」

「うん、好きだ」

「……へ、へぇ〜。そっか、好きなんだ? ふ、ふへへ」

 詩織は奇妙な笑い声を上げ、腕を組みながら立ち上がる。

「これで、付き合うって状況になったのか?」

「ちょっ! ちょっと待って、違うわ! 放課後、帰る時にもう一度、その……す、好きって言いなさい。そこで私が了解したら、付き合うってことになるわ」

「なるほど、付き合うには儀式みたいなものが必要なのか……」

「そう! 大事な儀式よ」

「わかった。それじゃあ……付き合うことになったら、是非して欲しい格好とポーズがその雑誌の三二ページに……」

「そんなもんするわけないでしょ!」

 また叩かれた。

「痛ぇっ!」

 話が違う!? 雑誌から離れるために男女交際をするって話だったんじゃあ?

 詩織は丸めた雑誌でもう一度俺を叩き、自分の席に戻っていった。しかし怒っている様子ではなく、ご機嫌そうにニヤニヤとしている。……くそっ、可愛いから怒れない。

 あ、でも……。

 その雑誌は返して欲しいんですけど?


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