3-8 圧倒的な差
「末次? さっきの話に出てきた侍か……。だとすると、やつは……あれで死霊なのか?」
「そうです」
先生が疑問に感じたのも無理はない。死霊とは到底思えない生命力が彼には宿っている。人間よりも人間らしい感情を秘めた美しい顔立ちに、一瞬見惚れてしまう。
「先生、気をつけてください。……強いですよ」
「そのようだな」
先生はポケットから右腕でナイフを取り出し、それを片手で平正眼に構えた。よく見ると短いナイフの切っ先からは薄く空気の揺らぎがある。ナイフから先は視認できない刃を形成しているのだろう。
キラ、キラ、と空中に銀の光が無数に浮かび上がる。この公園に飛び散ったパチンコ玉が、再び兵器として敵の周りを取り囲んだ。
末次は何か言いたげにこちらを睨んだが、それは一瞬のこと。パチンコ弾が霰のように末次を打ち付けた。弾は正確に侍霊を打ち抜く……はずだったが、そこには土煙が舞うばかりで敵の姿が見えない。
「ちぃっ……!」
舌打ちをしながら先生は姿勢を低くて身構え、公園をぐるりと見回した。おそらく末次は墳丘の向こう側、つまり俺たちから見えない場所に身を隠している。
「先生、あそこ」
「ああ、わかってる。だが見えないところに弾を打つことはできん。このまま距離をあけたまま迂回する。お前はこの場に留まって、敵が出てきたところを叩け」
「はい」
宙を舞っていた銀色の弾が、今度は先生を取り囲む。守りの体勢なのだろう。用心深く墳丘を回り込む。
俺は高温物質を練り上げる。火のように吹き出した物質は美しい刀剣を形にした。鋼のように硬く、炎よりも熱い剣。周りの空気は陽炎のようにはかなく震える。
『――今度は俺も本気を出そう』
身体が震える。それは微々たる震えだったが、武者震いなのか恐怖からくるものなのかはわからない。しかしどうしても、この震えがおさまらない。歯がカチカチと鳴った。
先生はゆっくりと動いている。静まり返った公園で、先生の足音は針が落ちる音よりも小さく、ほとんど聞こえないといってもいい。しかし、足音を殺そうと気を張った歩き方ではなく、ごく自然に、ただゆっくりと歩いていた。
やがて墳丘の裏が見えるところまで差し掛かったとき、しゅ、と音がした。同時に先生が後ろへ飛ぶ。末次は先生の眼前にまで迫っていた。まだ抜刀はしていない。
銀色の光が瞬く。無数の弾道を描く直線の光と、居合抜きによる曲線の光が同時に、そして同化したかのように重なった。
「勝った!」
思わず叫ぶ。末次の刀は先生に届かず、逆に弾丸は直撃したはずだ。
だが先生は舌打ちして横へ逃げる。返される刀を避けるために……。
「馬鹿な」
末次は右斜め前方に飛びながら刀を抜き払ったのだろう。弾丸をいくつか避け、残りを刀で払った。相変わらず凄まじい腕だ。
「先生!」
完全に末次の間合いに入っている。鉄のぶつかり合う音がして、鍔迫り合いに入った。その、ほんの一瞬の間に、末次はグッと刀を押し、すぐに引きながら、刀を握った左拳で殴りつける。一度押されてから、刀のみを引かれた先生は身体を大きく前傾してしまい、末次の拳をもろに顎で受けた。
「うぐっ……!」
殴られた力を利用して、先生は大きく仰け反りながら後退する。なんとしてでも末次の間合いから離れたいのだろう。当然のように追いかけてくる鋼の凶器にむかって、弾丸が突き刺さる。横腹を弾かれた刀は軌道をずらされ、虚空を斬りつけた。それでも攻めは止まない。両者共に……。
俺は必死に走っているが、いま二人の間に入れば自分が巻き添えを喰う。そればかりか、誤って先生を斬りつけてしまうかもしれない。その考慮が自分の足を止めた。
二人の戦いは凄まじかった。
守りから攻めの体勢に切り替えた先生は、球体妖怪にしたような蜂の巣作戦(勝手に命名)で、集中大量銃撃を行っている。末次は距離を開けて、先生の周りをぐるりと回るように走る。その走りは円を描くものではなく、ジグザクに、緩急をつけたもので、弾道を予測しているかのように避ける。避ける先を無くそうと、多方向に同時発射された弾丸は、末次の刀で弾かれた。多くは土煙をまくだけで、末次には全く当たらない。
「クッ……!」
先生の表情に、明らかに苛立った色が浮かんだ。その一瞬の隙を見逃す相手ではない。
――拙い!
俺は今度こそ二人の戦いに割って入ろうと走り出す。
一瞬にして間合いを詰めた末次は、踏み込むと同時に上段に構えた刀を振り下ろす。常人には一撃にしか見えないだろうが、あれは二つの斬撃を放つ驚異の剣技。小塙潘の剣豪志摩蓮介が、その不可能に近い技を目の当たりにして『神打ち』と名づけた必勝の剣。
幕末最強の剣客集団である新選組のなかでも、最強と謳われた一番隊組長沖田総司は、一挙動で三度の突きを放つ『三段突き』を使ったと言う。どう見ても一回の突きにしか見えないが、じつは神速をもって放つ三段の突き。現代においては眉唾物とされ、ありえないだろうと言われている。
末次は、その域に達していると言っていい。志摩蓮介の場合、一太刀目に額を斬られ、二太刀目に反撃する刀を弾かれた。志摩でなかったら、一太刀目で脳を裂かれ、二太刀目で刀ごと胴を真っ二つにされていただろう。驚嘆すべきはスピードとパワーだけでなく、頭の回転にもある。志摩はしっかりと受けの体勢をとっていたにもかかわらず、末次の剣は針のように狭い隙を塗って額を斬り、さらに志摩の攻撃を予測して叩き落とした。これを一挙動だ。まさしく神技だろう。神打ちという名前も、決して大仰ではない。
「あっ!」
俺は目の前の光景に瞠目する。先生はその神打ちを躱した!
一の太刀を引きつけてから寸前で躱し、二の太刀を、ナイフを砕かれながらもその衝撃で自ら吹き飛び、無傷で地面に倒れた。しかし……。
神打ちはそこで終わらない。完璧な残心をもって追い打ちをかける。三太刀目だ。高速の剣は先生の無防備な胴を撃つ。悶絶した先生は斬られた腹を抱えてうずくまり、微動だにもしなくなった。
「うおおおお!」
ようやく間合いに入った俺は、赤い曲線を描いて末次に撃ち込む。それを待っていたかのように、末次は振り向きざまに攻撃を弾き、後ろに飛んで間合いをとった。
静まり返った公園は、朝のひんやりとした冷たい空気に包まれている。
視線を少しだけずらす。先生はやはり、ピクリとも動かない。
先生を介抱したい衝動に駆られたが、それは目の前の敵が許してくれないだろう。俺が視線をずらした隙を見逃したことさえ不思議なくらいだ。
俺が鋭く睨んでいるにもかかわらず、末次は涼しげにこちらを眺めている。やはり、人間にしか思えない表情をしている。曖昧な記憶による、霊体の欠陥も一切見られない。完全な人間。いや、あるいはこれが、完全な死霊なのだろうかと思った。
「ほう。昨夜の少年か。少しは強くなったか?」
末次は小さく、だけどはっきりと透き通る綺麗な声を出した。
「…………」
心臓が全身を叩いているかのように大きく動いている。
剣を握る手は震え、何もしていないのに身体は疲れきっていた。
荒い呼吸を繰り返したせいか、喉だけでなく口の中まで水分が干上がっている。
「では約束通り、今回は本気を出そう」
その言葉に、一際大きく心臓が鳴った。
敵を中心とした風景が、白く霞んで見える。
再び視線を先生に向ける。やはり動かない。腹を斬られれば、どのみち死ぬだろう。
先生でさえ傷一つ負わすことのできない圧倒的強者。
この強敵に勝てる想像が全くできない。
圧倒的な敗北のみが、頭の中を占めた。
爺様には剣の天才だと褒められ、ここ数年では負けたこともない。
だから、剣で向かい合いながら湧き出るこの感情には、まだ慣れない。
――怖い。
恐怖が己を犯す。足が竦み、剣が震える。
さっきは自分に言い訳をした。先生と末次の間に入らなかったのは、巻き添えや邪魔になるからなどではなく、この恐怖が大きかったからではないか。
負ける。つまり、死ぬ。
死ぬことなど怖くないと思っていた。しかし感情の原始であり、本能に近い恐怖を、どうやって抑えられることができるのか。
末次が青眼に構える。
その構えに、俺は震えが止まらなくなり、確実な負けを悟った。
昨夜の敗戦が、狂ったテープのように繰り返し、繰り返し、頭を巡る。剣は折られた。動きは見えなかった。攻撃は一切届かない。繰り返し、繰り返し、絶望感がにじみ出る。
神打ちが来れば、絶対に避けられない。あの二擊を躱しても、先生のように追撃を喰う。
だめだ、勝てない。
全身から力が抜けていく。一度力を抜くと、緊張に解放されたおかげで一瞬だけ幸福に感じた。腑抜けになった身体はもう使い物にならない。
「なんだ少年。また気が弱まっておるな。まるで成長していない……と言っても、あれから時間も経っておらんので仕方ないか」
末次が近づいてくる。
「まあ、それでこそ鍛える甲斐があるというもの……今日は試合はなしだ、少年」
ついに俺は、戦うこともできず、
――その場で膝を付いた。
(第四章に続く)




