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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第三章 霊夫婦
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3-6 球体妖怪

「グアアアアアア」

 固定した形の口から邪悪な旋律が響く。それは単音ではなく複数からの不協和音が構成されていた。何か言葉を発しているようにも聞こえるし、ただの呻き声にも聞こえるから不気味だ。

 そして、妖怪のギラついた眼が初めて動き、松島を捉える。

 ――瞬間、眩い光が発し、凄まじい音を立てて地面が割れた。

 それを予測していたのか、足元の地面が割れる寸前に、松島は横へ倒れるように飛んでいる。

「先生!」

 俺は駆け寄ろうとするが、すぐに体制を立て直した先生が手を上げて「来るな」とでも言うように俺を制した。

「奴の裏へまわれ!」

 その一言で俺は弾かれたように走り出す。整備もされていない荒れた墳丘につまずきつつも、化物の背中らしき場所を目指す。飛び交うパチンコ弾が耳元で風を切る。

 これ、一発でも当たったら死ぬんじゃなかろうか、と恐怖を感じながらも、自分の間合いに化物を捉えた。血のような液体を撒き散らかし、呻き声を上げている。やはり何か言葉を話しているようだが、「あ」の形で口が固定されているため、うまく喋れていない。

 球だと思っていた身体には微かにデコボコとした模様が浮かんでおり、よく見ればそれは、ぐちゃぐちゃに折りたたまれた人間の手足だった。百人分(あるいはもっと多い)ほどの手足が、化物の身体を敷き詰めている。パチンコ弾がその身体を貫くたびに、ベキベキと手足の骨が砕ける嫌な音が響いた。あまりにも嫌な音に身震いする。

「妖怪ってのはこんなに気持ち悪い奴らなのか……」

 俺は高温物質を剣の形に練り上げ、球体妖怪の体に思いっきり突き刺そうとした。しかし、模様のようにへばりついていた手足がいきなり伸びて剣に巻きつく。

「うおっ……!」

 当然のように高温物質に触れた手足は燃え上がる。それでも、化物の霊体に炎は届かない。剣を抜こうともがくが、しっかりと掴まれているようで、俺はその場に留まってしまう。それがいけなかった。

「や……やばっ……!」

 球体の表面――俺のすぐ目の前に、人間の頭ほどある巨大な眼球が現れ、妖しい光を放った。先ほど地面を割った光だ。

 その光はうねりを上げて空を走る。それは天より落ちる雷に相違なかった。

 瞬時に剣を手放し、身体をひねりながら真横にダイブしていたが、身体を少しかすめたらしい。強大な電力が全身に響いた。かすっただけなのに、脳が焼き焦げるのではないかと思うほどの強烈な衝撃が走る。

「霧島!」

 先生は叫んだが、俺はその声に応えられない。痺れで指一本すら全く動かせない。まだ意識があるのか、と不思議にさえ思った。

 化物は再び眼球を俺のほうに向ける。絶望感さえ痺れているのか、俺は呆然としながら死神の鎌を眺めていた。

 ――ドクン、と心臓だけではなく全身が跳ねる。

 雷はまだ落ちていない。まだ生きている。俺の中を何か熱いものが巡っていた。それが巡る度に身体の痺れが薄れていく。燃えるような熱が、雷による痺れを溶かしていく。急速に身体の機能が回復するのを感じた。

 目の前に少女が見えた。

 人形のように美しい少女。殺さなくてはいけない存在。この世から消滅させなくてはいけない存在。それを意識してはじめて、その少女が皐月だと認識できた。

「さ……つき……」

 声を出せるまでに回復したとき、妖怪の眼が光りだした。あの雷をまともに喰らえば、確実に命を落とすだろう。

 ――だめだ、間に合わない。

 俺がそう思ったとき、宙に浮かぶパチンコ弾が一斉に妖怪の眼球を貫く。大量のエネルギーを溜め込んでいたであろうその眼は、激しい光を撒き散らして破烈した。

「グアアアアアアア」

 化物が油然と燃え上がる。表面に貼り付けていた無数の手足が剥がれて燃え去った。

 一瞬見えた皐月の姿は消えている。幻だったのだろうか?

 東にそびえる山の稜線から、ようやく顔を出した朝陽が真横に世界を照らす。陽の届かぬ場所は、未だ名残惜しげに夜の闇を抱えていた。

 陽の光が辺りの色を明瞭に浮かばせる。手足がもげた妖怪球体は、つるりとした肌色をしていた。その肌色の中に、ぽつんとあるのは「あ」の形をした紅い口のみ。

「ああ、ああああああ」

 先の不協和音とは違い、化物は人間に近い声を出した。そこではじめて、この化物が女であるとわかった。

「しぶといな」

 先生がナイフを手にゆっくりと妖怪に近づく。どうやらあのナイフはとどめを刺すためのものらしい。

 肌色の球体が震え出した。

 身体のところどころに、黒い直線が浮かぶ。

 黒い線は切り傷のように見えた。

 球体妖怪の皮膚に、一定の長さの切れ目がどんどん増えていく。

 それらの線が――一斉に開かれた。

 大量の眼球が妖怪の表面で見開く。

 ひとつひとつに強い光が宿っていた。

「まじ……かよ……!」

 今日の俺は驚いてばかりで嫌気が刺すが、これは仕方がない。もしこれら全ての眼から雷が放たれれば、町に多大な被害を与えることは間違いないだろう。もちろん、至近距離にいる俺たちはひとたまりもない。

「数にものをいわせるのは貴様だけではないぞ――化物」

 先生の声に反応するかのように、パチンコ弾が妖怪の周りをドーム状に囲んだ。小高い墳丘を、陽に照らされて光り輝く珠は星のようだ。

「その気味の悪い目玉に、天の雷は仰々しすぎる。少し慎みを覚えたまえ」

 ドーム状に化物を囲っていた弾が化物から大きく離れ、その半径を広げる。古墳公園を包み込み、輝く様はプラネタリウムのように綺麗な星を浮かばせた。

「ああ、あああああ」

 化物の表面に巡らされた数多の眼球に、より一層の眩い光が宿った。

 ……ちょっとやばいでしょ、これ。

「霊魂は記憶を貯蔵する……。それは擬似的な脳をつくっているからと言われている……。邪悪な意思も感情も、霊体変化への理に相違ない。それは貴様のせいではないかもしれない。この町の地脈によるものかもしれない。しかし、それでも貴様が我々にとっての害であることに変わりはない。貴様がここで消滅するのは、自然界の総意であると心得ろ」

 表面より漏れ出た微弱な電気が宙を走る。もう限界だ。

「せ、先生……はやく……!」

 俺が叫ぶと同時に、弾が流星群のように球体妖怪へと降り注いだ。眼球を余すことなく潰していく。爆竹のような破裂音がパチパチと響き、化物の内部から爆発を起こした。

「あああああああああああ」

 二度目の炎に包まれた妖怪は奇声を轟かせる。

「す……すぇ…………っ!」

 はじめて聞き取れる声をだした。

 まだ燃えている。だが妖怪はまだ消滅しない。

 その巨大な炎の中に大きな光が見えた。

 今度は球体そのものが眼球となって現れる。

 黒く焦げた皮膚を捨て、空に飛び上がった。

 ――まだ消滅しないのか!

 大きな眼球に黒目が三つある。その黒目が虫のように白目の中で蠢いていた。

「霧島! 私の霊力は現界だ。最後くらいは役にたて」

 すでに身体はなんとか動かせるほどに回復していた。急いで高温物質を練り出す。剣ではなく、槍の形をとった。その槍に、みなぎる力を感じる。俺にしては異常に大きいエネルギー。持つ手が溶けてしまいそうなほどの熱を秘めている。――力が増している。

 ふらふらと立ち上がり、その高エネルギー物質を妖怪に向けて投げ放った。赤い残像を映しながら勢いよく――一直線に巨大な眼球へ突き刺さる。

 ボッ、という音をたてて、一瞬にして眼球は三度燃え上がる。そして、地上に落ちる頃には黒炭となって……やがて、今度こそ、消え去った。


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