3-4 一人の中に二人の美女
目覚めるとそこは、もはや慣れ親しんだ自室のベッドだった。
「今度は……美月……さんか」
上体だけ身体を起こす。波打つように響く頭痛が、ガンガンと俺を襲った。
「いっ……てぇ」
部屋は真っ暗で何も見えない。手探りで携帯電話を拾う。
まだ夜中の3時だ。
ディスプレイにはメールが23件と表示されていた。
「なんじゃあ、これ」
……全て皐月だ。
一件ずつ流し読みするが、頭痛もあってなかなか頭に入らない。
簡単に要約するならば、『加賀詩織にはもう近づくな』ということらしい。
「そんなわけにもいかないだろうが……」
彼女の中には美月さんがいる。この町の異常性を理解している人物――いや、死霊だ。今回の任務においては重要人物に違いない。
やっと、この町についてわかってきた。
それは、幕末の時代まで遡ってわかったことだ。
俺は痛む頭を抑えながら、昨晩のことを思い出す――。
「――桜花美月という名でした」
どこからどう見ても、クラスメイトで委員長の加賀詩織にしか見えなかったが、彼女は美月と名乗った。それも、俺に纏わり憑く死霊――皐月、と同じく〝桜花″の姓をもっていたという。
誰でもいいから、初めから順々に説明して欲しいと思ったが、美月と名乗る女は、皐月と話をしているようだ。とりあえず俺は黙って聞こう。
「ええ、そうです。確かに私は桜花と名乗っていましたが、あなたはいったい……? え? そうでしたか。あなたが……」
皐月の声は全く聞こえないため、何を話しているのかさっぱりわからない。
「はい。私は女の身でありながら桜花流を修め、妖退治に明け暮れました。……そうです。言うまでもありませんが、桜花流の陰陽師は人に非ず、と恐れられる力。結果的に私は、鬼子とまで蔑まれました。その噂が朝廷にまで届き、桜花家が潰される危機に立たされ、私は家を追い出されたのです」
桜花家というのは、陰陽師の一族なのか?
俺は陰陽師について、あまり多くのことを知らない。
平安時代に隆盛を誇った妖怪退治の集団。あるいは占いのスペシャリストだったという。
俺たち退魔師と、陰陽師の違いとは、力の使い方にあると、爺様に聞いたことがある。
退魔師は、己の霊力――つまり万物の起源でありエネルギーでもある気の力を利用することで、妖怪に対抗する。
対して陰陽師は、己の肉体を力とするらしい。もともと人間の身体とは、世界に存在する霊の力を最大限発揮するために、自然界が作り出した神秘だという。その神秘の力を操るのが陰陽師だ。その力は多岐にわたり、多くの術を使いこなした。しかし、現代の人間は、昔に比べて非常に弱まっている。度重なる自然破壊や自然の軽視、さらには神秘を否定する人類が、自らの霊力の劣化に拍車をかけた。霊を活かすはずの肉体が弱まったのだ。だから陰陽師は滅んだとされる。霊力を利用した神秘の力が使えなくなったからだ。
「私は小塙潘の、かつての兄弟子――志摩蓮介という方の養子になりました。そして、その地で加賀家に嫁ぎ、加賀美月となったのです」
志摩蓮介という名は聞いたことがある、というか知っている。末次が斬り殺した、あの大男のことだ。
おそらく皐月が、美月本人の情報を引き出そうとしているのだろう。皐月にとってそれが何のメリットとなるのかはわからないが、要領よく進んでいるらしいということはわかった。しばらくは口を挟まないほうがよさそうだ。
「夫の名前は、末次といいます」
「末次! そうだ、その末次について教えてくれ!」
……あっ。
思ったそばから口を挟んでしまった。でも仕方がない。目下最大の敵は、あの侍霊だ。たやすく負けてしまった悔しさから、あの侍の情報を渇望してしまう。
俺の強い反応に、彼女は怯えたように身を竦める。
「あ、あなたは……?」
「俺は霧島啓介というものです。死霊にまみれたこの町を救うために派遣された退魔師で、末次という死霊を……」
……倒さなくてはならない、と言いそうになって口をつぐんだ。あなたの夫を倒しますなんていうのは、さすがに言えない。しかしそれだけの言葉で、彼女は驚愕の表情を浮かべた。
「末次さんを知っているのですか!? それに、死霊……ですって?」
「え? あー、えっと……?」
美月さんは、末次が死霊になったことを知らないらしかった。先ほど末次に会ったことも忘れている。夢の中の出来事だと思っているのだろうか。
「末次は、死霊で……その、すごく強くって、でも死霊だから、俺が倒さなきゃいけなくって……」
俺がどう説明しようか悩んでいると、例のごとくノートが飛んでくる。
『もうしゃべるな』
「ういっす」
ガムテープも飛んでくる。
なるほど、と頷いてから、口にガムテープを貼った。
「末次さんが? 死霊に? ……なんてこと! 信じられません。あれは、夢ではなかったのですか。それに、この町は死霊に溢れていると? ……なるほど、私が出てきたということは壺と私の依代のほうは壊れてしまったのですね」
……壺? 最近このワードをどっかで聞いたような。
「きっとこの娘……詩織さんですか? が割ってしまったのでしょうね。仕方ありません。あのような急拵えの装置、長続きするとは思えませんでしたから。だとすれば、閉じ込めた霊獣どもが出てくるのも頷けます。……そうです。この町に出現した霊獣を百体ほど閉じ込め、私の霊魂を、とある壺に閉じ込めました」
そうか、加賀詩織が割ったっていう壺の話か。つまり、壺のなかに閉じ込められていた美月さんの霊力によって、死霊どもがどこかに閉じ込められているってことか? いったいどこに? 壺に封じ込まれていたわけではないだろう。
壺のなかから出てきた人の形の紙というのが、美月さんがこの世に残るための依代だったのだろう。その紙に、美月さんの霊魂が宿っていた。でも加賀さんがその紙に触れてしまって、美月さんの霊魂が加賀さんに移ってしまったということか。陰陽師の霊魂が宿ったんだ、加賀さんが霊視できるようになったことも、これで納得がいく。
「私にはもう霊獣たちを封じ込めておく霊力がありません。勝手なようですが、あなたたちに任せるしかないようです」
霊獣って何だろう。聞いたこともない呼び名だ。死霊のことか? 妖怪のことか?
「……うう……」
美月さんが急に、苦しそうな表情を浮かべる。
ガムテープを一気に剥がす。口から血が出たと思うほど、痛かった。このガムテープ、粘着力強すぎるだろ……。
「ど、どうしました? 美月さん?」
「……どうやら、今日はもう限界のようです。身体を、この娘に返します」
おいおい、俺はまだ何も質問できてないぞ。
「ちょ、ちょっと待ってください。今、あなたとその身体の持ち主は、いったいどういう状況なのです?」
「今は……身体を共有している、状態です。い、今までは眠った状態でしたが、霊獣に触れて、私が目覚めてしまったのでしょう……」
「ずっと、その状態が続くんですか?」
「い、いえ……、新しい依代が用意でき次第、この身体を抜けます」
そう言った途端、彼女の身体が揺れる。
急いで飛び、彼女を支えた。抱っこする形となる。漂う女の香りに、心を奪われそうになった。
……しまった! 皐月の前だった!
俺は警戒したが、今回は何も反応がなかった。部屋を見渡すが、何の気配も感じない。おかしい、俺が他の女に触れているのに、何も反応がない。見れば、部屋の戸が開け放たれている。もしかして、今ここに皐月はいないのでは?
女性の暖かい体温を感じる。加賀さんの、素晴らしい肉感を持った柔らかい身体が俺の腕に緊張を走らせた。それと同時に、魔に取り憑かれたかのように抱く力が大きくなる。自然と顔が近くなる。まるで強力な引力をもっているかのように、惹きつけられる。グラビア雑誌の表紙を飾っていても決しておかしくないエロボディが、いま、俺の腕の中に……!
そこで、おかしなスイッチが入った。
彼女の顔が目前となり、その、ぷるんとした唇に吸い付かれるように、さらに近づく。明らかに変態行為だ。
しかし、加賀さんの目が開いたことで、金縛りにあったかのように身体が凍りついた。
彼女はキョトンとした目をしている。
――まずい。
俺はこわばった頬を、無理やり動かし、ニコッと笑って見せた。
まだわからない。もしかしたら、美月さんかもしれない。美月さんだったら、事情を説明すれば、何とかなりそうだ。……たぶん。
俺はゆっくりと、彼女から顔を遠ざける。
「あなたは、加賀詩織さんで、間違いありませんか……?」
なるべく紳士に、壊れ物を扱うかのように……。
「え……ええ。そう……だけど……?」
詩織のほうでした。……ど、どうしよう? な、何とかごまかせないだろうか……。
「い、今……私に何をしようとしたの……?」
「じ、人工呼吸を……」
「私、呼吸が止まってたの?」
「い、いや別に?」
ああ、なんで正直に言ってしまうんだ俺は。
もう無理だ、素直に謝ろう!
「ご、ごめん。あまりにも可愛かったものだから、つい……」
「き、キスしようとしたの?」
加賀さんは頬を真っ赤に染めている。
「ごめんなさい!」
「え……あ、あの……その……」
彼女の反応が、少しおかしい気がした。
体温も急に上がり、身体は汗ばんできている。
「身体、大丈夫か? 熱があるようだけど?」
俺は真っ赤になった彼女の顔に、手を伸ばした。
「きゃあ! だ、大丈夫よ! とりあえず離れてくれるっ!?」
伸ばした手を、素早い手刀ではじかれた。さすが剣道部だ。
「ごめん……」
俺は急いで離れる。彼女は身を守るように両手で身体を抱いていた。
完全に嫌われた。もう学校で会っても、加賀さんには話しかけられないだろう。気分が重くなる。もはや学校に行く意味がないとさえ思った。うん、もう行かない。
「あの……ここは……?」
彼女は怯えているように見えた。
俺は深海で闇に葬られた心をそのままに、これまでの経緯を話したが、とりあえず、加賀さんの中にいる美月さんのことは伏せておいた。自分の中に他人がいるなんていうのは、きっとおぞましいことと思うだろう。
加賀さんは時々顔を青白くさせながらも、俺の話を最後まで聞いて、ありがとうと言った。
時計を見れば、もう十時を過ぎている。加賀さんは「もう帰るね」と言って、玄関に向かった。道もわからないだろうし、さすがに一人で返すわけには行かない。俺が「送っていくよ」と言ったら、素直に「じゃあお願いします」と返ってきた。
「霧島くん、今日は本当にありがとうね……。それと、足を引っ張ってしまってごめんなさい」
送っていく道すがら、加賀さんは足をとめ、頭を下げて、お礼と謝罪をした。
「え? いや、こちらこそ、さっきは本当にごめん」
警察を呼ばれても仕方がない状況だったなと思い、身震いした。
「ああ! そうだよね、さっきのはビックリだね」
「ま、まことに恐縮です」
「う〜ん、じゃあ……詩織で」
「……はい?」
「だから、詩織で」
「な、なんの話でしょう?」
「呼び方。それで呼んでくれたら、許してあげる」
加賀さんの歩調が緩まる。もはや止まっているくらい、ゆっくりだ。俺はそれに合わせた。
「それで許してくれるのか?」
「さあ。それはどうかな?」
「話が違う……。あと、歩くの遅すぎないか? 早く帰らないと親御さんが……」
彼女は楽しそうに笑った。
「とにかく、はい、呼んでみて」
無視された。
「あ、ああ。……詩織」
「う〜ん。もう一回」
「……詩織」
「ふむふむ……もう一回」
「詩織。……なあ、なんなんだ? これ」
もう完全に足が止まっている。
「はい、じゃあ学校でもそう呼んでね、〝啓介くん〟」
「ああ、わかったよ」
何か違和感があったけど、何だろう?
「じゃあ、また学校で」
加賀さん……詩織が、俺に背を向ける。
「おい、どこに行くんだよ」
「私の家は、ここです」
いつの間にか目的地に着いていたらしい。立派な屋敷だ。
「近かったな……」
歩いて十分の道のりだった。
「啓介くん……何回も言うけど、今日はありがとう。……すごく、かっこよかったよ」
玄関門前の灯りが、詩織の美しい顔を照らした。頬をうっすらと赤く染め、満面に、美術品のような綺麗な笑みを浮かべている。それは仰々しく天使を描いた西洋画よりも、神々しく俺の目に入った。
そして俺の反応を見ることなく、彼女は走っていった。
――明日も学校へ行こう。
沈んだ心が、浮力をもって飛び上がったようだった。
俺がすっかり浮かれた気分で家に帰ると、再び滅入る光景があった。
台所の机の上に、包丁が突き立てられていた。
メモと思わしき紙もいっしょに刺さっている。
『許すまじ』
そのたった四文字は、俺を震え上がらせるには十分だった。




