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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第二章 異常を孕む町
13/58

2-8 師匠?

「……………………」

「…………どうにも解せんな」

 声に反応してゆっくり目を開くと、末次の刀が俺の眼前に据えられた。

「殺さないのか?」

 完膚なきまでの敗北。しかし、悔しさよりも、死ぬことへの恐怖が数倍も勝っていた。

 思わず口を抑えそうになるほどの吐き気が襲う。

「いい剣筋だ。足もいい。ただ、気が弱い。不自然すぎる」

「なんだって?」

 末次は一歩下がり、間合いを空ける。

「もう一度構えろ」

「……は?」

「いいから、構えなさい」

 末次の強い口調に、情けなくも従った。何やってるんだろう……俺。

 青眼の構えを見て、侍霊はうーん、と唸った。

「うむ、構えは問題ない」

 そう言って俺に近づき、丹田あたりをいきなり殴る。

「いってぇ!」

「ふむ、少し気が弱いが、これくらいなら問題ない。では……なぜだ?」

「あんた、いったい何がしたいんだ?」

 殺伐としていた空気は一変していた。すでに力は抜けている。

「少年、自慢の足を使うのはいいが、小手先で技を決めようとしてはいかん。道場ならば一本とれるやもしれんが、真剣勝負は重みを持たねば死ぬぞ?」

 何だこの雰囲気。

「あんたあれか? 俺の剣の先生でもしようってか?」

 俺がそう言うと、末次は言葉を失ったかのように呆然とこちらを見つめた。それからなぜか頬を赤らめる。美青年にこういう顔をされると変な気分に……いや、ならないけどね?

「剣の先生か、うむ、悪くない。悪くないぞ、少年」

「は、はあ」

「いいか少年、生きるか死ぬかの戦いになったとき、大事なのは『気』だ。これまで研鑽してきた技も当然大事だが、人間が底知れぬ力を発揮するのは、生きたいという気がみなぎったときだ。弱気になってはいかんぞ」

「あ、ああ」

「なんだその返事は。弟子ならしっかり返事をしなさい」

「いや、別にあんたの弟子では……」

「返事!」

「はいっ!」

「よろしい」

 ……思わず爺様にするような返事をしてしまった。何だろう、この懐かしい感覚。

「少年は不自然に気が弱いな。何か、欠けているように思えるが……わからん」

「欠けている?」

 末次は刀を下げ、鞘に納めた。

「……?」

「とりあえず、君は万全の体調ではないらしい。次はその弱気を直してから来たまえ。宿題だ。今度は俺も本気を出そう」

 本当に楽しそうな笑顔を、侍の霊は見せていた。

「いや、剣での試合など本当に久しぶりで楽しかったよ。悔しければ俺の技を盗んででも勝ちに来なさい。そうすれば、少年はもっと強くなる」

 末次はくるりと背を向け、そのまま姿を消した。

 あまりの事態のスピード感についていけない。

「何だったんだ、あいつ?」

 俺は勢いよく疲労が襲って来るのを感じて、地面にへたりこんだ。胃が痙攣し始め、そしてそのまま胃液を吐く。ひとしきり吐いて治まったころに、生きているという安心感がこみあげてきた。

「何なんだよ、今日は」

 子供の死霊を消したと思ったらそこからまた死霊が出てきて、倒したと思ったら死霊が三体出てきて、さらに侍の死霊が出てきて、死霊と俺を捻り潰すが如く倒して、俺に剣を教えていったということか。 

「厄介なのが出てきたな」

 美男子な侍が強烈な印象として頭にこびりつく。俺は爺様にも剣では負けない。これほどあっさりと負けたのは初めてだ。いくら戦いを反芻しても、やはり勝てないと思った。

 しかし妙だ。死霊にしては思考がしっかりしすぎている。あれは人間と変わらないように思えた。姿かたちもおかしいところはない。だから最初、死霊か人間かで疑問が浮かんだのだ。

『――今度は俺も本気を出そう』

 末次は楽しそうに笑っていた。

「その『今度』が、俺の死ぬときかな……?」

 俺はたぶんこの町で命を落とすだろうと、そう思った。そしてまた、胃が痙攣するほどの恐怖に囚われる。

 退魔師というのはこれほど過酷なものなのか。みんながこれほどの任務を常にこなしているとしたら、俺は遅かれ早かれ死んでしまうだろう。町が異常な原因もわからないし、強力な死霊まで出てきた。自信のある剣で完膚なきまでに負けた。死霊(皐月)には付きまとわれる。沸々と沸き上がる絶望感が、胸中に暗い影を落とす。

 誰もいない商店街は、本当にこの世なのだろうか、と疑問に思わせた。

「取り敢えず救急車を呼ぶか……」

 気を失った加賀さんが心配だ。

 俺が携帯電話を取り出そうとしたとき、ヴー、ヴー、とバイブが鳴った。ディスプレイを見る。メールだ。差出人は不明。

『私は怒っています。後ろを振り向きなさい』

「…………?」

 誰だ? 俺は支持通りに後ろを振り向いた。

 蒼い和服姿の美しい少女――皐月が立っていた。小柄で、日本人形を思わせる幼い風貌。名のある人形職人が全霊をかけて造りだしたかのような完璧な造形を思わせる。腰まである綺麗な黒髪がさらりとなびいていた。

 熱いものが込み上げてくる。

 これは願望や退魔師としての使命ではない。

 ――霊魂からの命令だ。

「さて、なかなか帰ってこないものだから、ドラクエⅡを途中放棄してまで様子を見に来て差しあげたのに女と遊んでいらっしゃるとは……。弁明は立ちませんよ? 寝言で皐月、皐月、と喚くまで私の名前を脳に刷り込ませる呪い……いえ、遊びを考えましたから今夜実行しないといけません。……ついでに怪我までしているし。情けないにも程があります」

「怪我はついでかよ」とか「まだ寝言のこと気にしてたのか」とか「ゲームの途中放棄なんて重要じゃねえ」とか、軽口はいくらでも頭に浮かぶが、まったく口に出せない。口の中は唾液が全て蒸発してしまったかのように渇いていた。

 ダメだ。

 殺さなくてはダメだ。

 熱が込み上げて身体が沸騰しそうだ。

 これは俺の使命だ。

 ――この女は殺さなくてはダメだ。

 そう訴えかけるのは誰だろう?

 そいつは俺の内側に張り付いているように思えた。

「その女との関係性を洗いざらい吐いてもらいます。拷問は不得意ですが心得はありますので安心してください」

 俺は無意識に精製していた剣を握り締める。

 頭が痛い。

 あるはずもない夕陽が近づいた気がする。

 何の躊躇もなく――、

 皐月を斬りつけた。

 すぅー、と皐月の手が上がる。たったそれだけで、俺の剣は消えた。いや、消えたというよりも、吸い取られたという方が正しい気がした。

「わかってはいても、啓介にそこまで殺意を向けられるとさすがにショックですね……まあ、文句を言うために姿を見せただけなので、もういいでしょう」

 剣を失くした俺は、皐月の首を締めようと両手を伸ばす。

 しかし、伸ばした両手は行き場を失い、宙に取り残された。

 闇に溶け込むように、皐月の姿が視界から失せたからだ。俺は呼吸のできない水中から打ち上げられたかのような開放感を得て正気を取り戻した。取り戻してから俺は、自分のしたことに対して強大すぎる後悔を覚えた。今すぐ死んでしまいたいと思うほど自分に絶望した。

「皐月……ごめん……。どう…したんだ……俺……」

 再び携帯が鳴る。

『私は全く気にしていませんから早く帰りましょう。啓介が私を殺そうとするのは当然のことです。今は何も考えないでください。それと、今日はその女も連れてきてください。確かめたいことがあります』

 皐月はやっぱり、俺の心が読めるのではなかろうか。

「加賀さんを?」

 返事はない。

「大丈夫なのか? 身体のこともそうだけど、あんまり遅くなると、親御さんも心配するだろうし」

 ヴー、ヴー。

『身体に外傷はありませんよ。それに、その女の携帯電話を拝借して、親御さんに遅くなるというメールを送っときました。電源はもう切ってあります』

「お、おう……。大丈夫なのか? それは」

 というかなんで死霊がメール送れるんだ? あれか? ホラー作品でよくある、死人からメールが届いて怖いよぉっていうやつか?

 まあ、取り敢えずは皐月に従うしかない。この死霊には絶対勝てないし負い目もある。

 俺は加賀さんを背中に担ぐと、他に誰もいない商店街を歩き出した。時刻はもう八時を過ぎている。廃れた街灯は、それでも明るく道を照らしてくれた。今日はいろいろあって疲れたと思ってから、いやこれから皐月の拷問が始まるんだと考え直し、「プッ」と吹き出してから頬が緩んでしまった。加賀さんの立派な胸が俺の背中に当たるので、さらにニヤニヤしていると、横から小石が飛んできた。俺は「コホン」とわざとらしく咳払いをして、緩んだ頬を締め直した。


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