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傍らで偲び咲く桜の花  作者: 堀口直
第二章 異常を孕む町
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2-7 廃れた商店街に集まる闇

 妖怪は胴体を地面に引きずって両手を足にして移動している。物凄いスピードだ。

 俺と加賀さんは店の間に伸びた狭い路地に身を隠している。

「あ、あれは何なの? あんな気持ち悪いの初めてみたけど…………」

「よくわからないけど、妖怪かもしれない」

「よ、妖怪? 幽霊とは違うの?」

「妖怪については資料が膨大なくせにまとまりがなくて、いまだに正確なことはわかっていないんだ。とりあえず、強力で人間に害を成す化物が多いっていうのが共通認識だ」

「な、なにそれ。うぅ……帰りたい」

「正直いっておれも妖怪は初めて見るから、勝てるかどうかわからない」

「…………え? 嘘でしょ?」

 加賀さんは目に涙を貯めて潤ませている。

 逃げる――わけにはいかないよなあ。

 奴はここで仕留めないといけない。

 ただ、加賀さんを巻き込むわけには――。

 また影が差した。

 大きな手が触手のように加賀さんの身体に巻き付く。

 顔のない顔が、頭上から俺たちを見下ろしていた。

「きゃあああああ!」

 高温物資を瞬時に剣の形に練り上げ、触手を両断する。解き放たれた加賀さんは俺の後ろに飛び込んだ。この辺の動きは武道をやっているだけあって素早い。

 手を斬られた妖怪はうめき声をあげてのたうち回っている。

 ――いけるかもしれない。

 自分の剣を見て驚く。以前よりも数段レベルアップしていた。こんなに綺麗な刀の形になるとは思わなかった。これもこの異常な土地のせいなのかと思いつつ、これなら勝てるという希望が湧いてきた。

「加賀さんは反対側の路地に隠れて。声が届く範囲にいてくれ。何かあったら俺に聞こえるように叫べ。他にも近くにいるかもしれない」

 俺が早口に指示を出すと加賀さんは従順に頷き、走った。

「さっきの子供の面影は全くないな……」

 霊体は消したはずだ。どうして再び霊体化できたのか、さっぱりわからない。あまりにわからなすぎることが多いから、俺はしばらく考えるのを放棄した。

 死霊は大きな手をグーの形で俺に伸ばしてくる。

 ――速い!

 俺は避けようとしたが間に合わず、胴をかすめる。右の横腹から血が吹き出た。

「ぐぅっ…………!」

 ああ。やっぱり勝てないかもしれない。強すぎる。

 俺は深く息を吐いて痛みに耐える。

 恐怖に震える足を何とか抑えようとするが、とまらない。

 負ければ死ぬ。そんな当たり前で、修行の時から当然のように意識していたことが恐怖の元となっていた。意識はしていても、覚悟はできていなかった証拠だ。

 それでも、やるしかない!

 腹の傷を覆いながら剣を下段に構えた。血が制服のズボンまで濡らしている。かなり深くやられたらしい。

 この狭い路地では攻撃を躱しにくいと判断して、俺は構えのまま商店街のメインストリートまで後退した。死霊は片腕で追い、今度は横薙ぎに攻撃してくる。構えを上げて剣で受け止めた。俺は吹き飛ばされたが、高温物質に触れた妖怪の腕は燃え上がっている。やはり剣は以前よりかなり強力になっている。今ならどんな物質や霊体も燃やせるかもしれない。

 死霊は燃え上がった腕そのままで、再び攻撃してきた。俺は上段に構え、迫りくる巌のような拳に思い切り剣をぶち込んだ。腕は拳から二つに裂け、切り口から勢いよく燃え上がる。俺は一気に間合いを詰め、死霊の頭に高温の剣を突き刺した。

「やったか……?」

 めきめきと音を立てて死霊の形は崩れ去る。そして、消滅した。

 俺は地面にぺたりと座り込み、安堵の息を漏らした。

 血が足りないのか、少し視界が白んでくる。

 もしこんなのが他にたくさん出てくるようなら、本格的に俺の手には負えない。


「――きゃああああああ!」


 安心しきっていた。

 だから、その声への反応が遅れた。

「なっ……!」

 加賀さんの周りに――、

 ――死霊が三体。

「っ……!」

 だめだ、間に合わない。

 加賀さんが逃げようとメインストリートに飛び出す。

 俺は全速で走る。距離は10メートルほどある。

 死霊が加賀さんを捕まえ、異形の手を振り上げた。

 加賀さんがとてつもなく遠く感じる。

「まてええええええ!」

 声を張り上げても何も変わらない。

 刃物を取り付けたような鋭い爪が、加賀さんに振り下ろされた。

 ――一閃。

 きらり、と一筋の白い光が煌めく。

 美しい光を放ったのは一本の刀だ。その刀に刃を通された化物は胴から真っ二つに裂かれ、地上に転がり込んだ。

 刀の持ち主は、長身の美青年だった。俺は目を瞠る。髷を結ってはいないものの、その袴姿は時代錯誤の――侍だった。

 突然現れた侍は、襲ってくる残り二体の化物をするりと躱し、鋭い踏み込みとともに一体を二度斬りつけた。一度の踏み込みに二度の斬撃。恐ろしく速い。一太刀目は上段から縦に、二太刀目は下段から少し振り上げて横一文字に胴を払う。死霊は前かがみにつんのめり、そのまま崩れ落ちた。

 最後の一体が禍々しい奇声を張り上げ、腹から伸びる管のようなもの――元は何の機関だったのかさっぱりわからない――を侍に叩きつける。しかし、そんなものは最初っからなかったかのように妖怪の管は根元から斬られ、続いて腹から脳天までを、まるで食用の豚が加工されるかのように切断された。三体の死霊は呆気なく消滅し、闇に葬られた。

 圧倒的に強い。

 侍は刀を腰の鞘に、淀みのない所作で納める。ぱちんと鍔がなった。

「…………末……次……さん……?」

 最初に声を出したのは加賀さんだった。驚きに満ち溢れた面持ちで侍を見つめている。

「はあ……。いかにも俺は加賀末次…………あなた方は……?」

「末次だって!?」

 夢で記憶を見せられた、あの末次か? それに加賀って……? 

「い、いえ……その……」

「危ないところでしたな。妖魔の気を感じて駆けつけたのですが……。よかった。近頃は妖魔の類が多い。気をつけるのがよろしいでしょう」

 どうやら末次は駆けつけてくれたらしい。加賀さんは「ああ、ああ」と繰り返し、しどろもどろで何を言っているかさっぱりわからない。今ここにいる彼女は、俺の知らない誰かのように思えた。

「あ……あんたは末次というのか……? 人間……ではないのか……?」

 俺の不躾な質問に、末次は顔をしかめる。

「人間ではないのか、というのは?」

「いや、あんたは死霊なのかと聞いているんだけど?」

「さあ、おそらく霊なのだろうな。百五十年ほどこの町を彷徨っているからには、な……」

「……百五十年?」

 江戸時代……幕末だ。

「あ、ああ……会いとぉございました。私は……あなたに……」

 加賀さんはやっと言葉が出たというふうにたどたどしく声を発した。そして目に涙を浮かべながら、こと切れたかのように気絶して倒れた。

「おいっ……!?」

 俺は彼女を抱え、呼吸が正常なのを確認してひとまず安心する。そのまま彼女を路地の壁際に寝かせ、俺は目の前の死霊と向き合った。

 どうしても死霊とは思えない意思の力が、その瞳にありありと現れているように思えた。しかし俺は、この侍の記憶を何度も見ている。確かに幕末の世で生きていた者。つまり現代において存在しているということは、死霊で間違いないのだろう。退魔師としては、それだけで譲れないものがある。

「死霊とわかって黙ってはいられない。彼女を助けてくれたことには感謝するけど、俺は退魔師だ。悪いけどあんたを消さなくてはいけない」

 剣を練り出す。横腹から流れていた血は、すでにとまっていた。

 侍はしかめた顔を、驚きの色に変えた。俺の剣が珍しいからだろうか。彼はゆっくりと左手を腰に添える。そこには先程化物たちを一掃した美しい刀がある。

「……退魔師という言葉は初めて聞いたが、それは俺を殺す、ということか?」

「あんたはもうすでに死んでいる。自然界にとってはあんたのような死霊が邪魔なんだよ。『殺す』ではなくて『消す』だ」

「……そうか。そうだな」

 侍はなぜか染み入るように納得し、ぼそぼそと呟く。

「そう思ったからこそ、俺も出会った妖魔は全て斬ってきた。つまり、俺も斬られて当然ということか」

「……いくぞ」

 俺は高温の剣を青眼に構える。

「しかし俺はまだ消えるわけにはいかない。妻を……どこかにいるはずの妻を見つけなければいけない……」

 末次は刀を抜く。同じく青眼に構える。

 見事な構えだ。相手の刀が点にしか見えないため距離感がつかめず、すぐ目の前に刀を突きつけられているという感覚が恐怖を煽った。

 やはり強い。

 まずは俺から仕掛けた。左脚で地面を思いっきり蹴り、一気に間合いを詰める。脚力には自信があったので、相手を惑わすため、すり足で複雑に左右の動きをつけた。徐々に勢いを付け、剣を担ぎ、一呼吸のフェイントをつけてから末次の面を狙う。俺が工夫して考えた技で、咄嗟にこれを出されて防げる奴は道場にはいなかった。

 予想通り末次はフェイントに引っかかり、防ぐために斜めに手元があがった。

 ――勝てる。

 がら空きになった面に吸い込まれるかのように高温物質を振る。しかし剣は空を斬った。末次は俺の剣をかいくぐり、胴を抜いた。鈍い痛みが腹に響く。高温の剣は砕け散り、俺は地面に膝をつけ、胃の中のものを全て吐き出す。吐瀉物が服を汚した。塞がっていた腹の傷から、血が吹き出る。

「ゴホッ……ゴホッ…………な……何で斬らない?」

 末次は刃を返し、峰打ちで戦っていた。

「…………」

 末次は黙っている。もう終わりか? とでも言いたそうな顔だ。

「クソッ……! 舐めんなよ」

 俺はよろよろと立ち上がり、気合を込めて再び剣をつくった。

 この高温物質に触れれば、相手の刀は溶けて使えなくなるだろう。そう思った俺は注意深く距離を詰め、霊の刀を弾いた。

「っ……!」

 しかし――全く変化が見えない!

 やばいと感じた瞬間、俺は全力で後ろに飛んでいた。飛んでから、この間合いで引き下がったのは誤りだったと気付いた。大きな隙が生じている。末次の凄まじい一撃が眼前に迫っている。下がりながら、相手の刀を逸らそうと手元を上げる。

「うおお!」

 武器を折られ、右腕を浅く斬られたものの、なんとか避けることができた。さらに2、3歩後退り、構え直す。

 微かな月光が相手の刀を照らす。

 美しい刀身に、俺は一瞬だが目を奪われた。

 ――なるほど、名刀……いや霊刀だな。

 流石に霊力がある物質には、俺の力は歯が立たない。

 俺は再び高温物質を錬ろうとするが、霊はそれを隙と見て追い打ちをかけてきた。俺は冷静に躱しながら、さらに後ろへ飛ぶ。間合いは5m程となった。仕切り直しだ。

 高温の剣を、今度は二本精製した。

 一本は先程と同じ長さ。もう一本はナイフ程の短さだ。

 ――次で決める!

 俺は全力で駆け出しながら、短い剣を霊に投擲した。矢のように鋭く伸びる。霊は危なげもなく短剣を避けるが、その先には一気に間合いを詰めた俺の長剣がある。

 ――とった!

 赤黄色の剣は、死霊の面を捉える……はずだった。

「なっ……!」

 剣がまた折られている。まったく見ることのできない太刀筋が剣を両断していた。

 ――殺られる。

 霊刀は上段に構えられ、あとは振り下ろされるのみである。

 ――ここで死ぬ。

 もともと自分ごときの手に負える仕事ではなかったのだ。

 なぜか皐月の悲しむ顔が浮かんだ。そんなに仲が深いわけでもないのに、一番大切な存在だと思った。急に胸が締めつけられる。

「ごめん……」

 俺は呟き、目を閉じた。が、耳は閉じることができない。

 白刃の迫る音が耳に響いた。


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