香湖と亜弓
遠巻きに、亜弓と香湖は、事の経緯を眺めていたが、
不意に亜弓が好奇心いっぱいの表情で香湖に「何か大変なことになってるよ」と言って目を輝かせた。
いかにも参加したそうな口ぶりだったが、香湖は不機嫌に腕を組むと、興味なさ気に答える。
「私たちが口を挟む問題じゃない。それにここには私達の求めるものは無かった。
それだけだ。私は興味本位にこういうものを見るのは趣味じゃない。もう帰ろう」
そう言って香湖は踝を返そうとしたが、今度は亜弓が不満な声で言う。
「あの人困ってるよ。助けてあげようよ。
一戦見てたけど、私達なら勝てるよ。PS64取られるとあの人困るんじゃないの?」
亜弓は大弱りでプライズマシンの扉を開けPS64を取り出そうとしている大谷を指差しながら言った。
「そんな事は、本人の責任だ。私たちが出て行って何になる?代わりに闘うのか?」
亜弓は力強くコクリと頷いた。自身有りげな笑みと供に。
「私はそんな賭け事みたいな条件でサードをプレイするのは反対だ」
亜弓は猫のような瞳を丸々と見開いて、真面目すぎる香湖に微かな怒気を込めて言った。
「カコは怖いんじゃないの?あいつ等に負けるのが?」
しかし香湖は亜弓の挑発には乗らなかった。
「もう良いよ!もうカコには頼まない。私が助けるよ」
と言うと最後にあからさまな怒気をこめて
「これだから豪鬼使いは冷たい!」と言うと、
亜弓は肩を怒らせてずんずんと大谷たちの居るカウンターの方に進んでいった。
それを黙って見送っていた香湖は何事か考えるように目を瞑ていたが、
遠退く亜弓の背中に「待て」と声をかけた。
その声は静かだが何時もより感情的な響に聞こえた。
亜弓は立ち止まり香湖を振り返る。
香湖はずかずかと亜弓に詰め寄ると、今度は明らかに感情的に言った。
「良いか?私の事を冷たいと言うのは良い・だがな、豪鬼使いは関係ない!」
香湖は眉を吊り上げて怒りを露わにした。
「何だよ!ほんとの事じゃん!」
「違う。だいたい亜弓!私に言わせればお前こそ我儘すぎる!
何にでも首を突っ込むな。
そんな事じゃ何時か大事にあう。お前はそういうタイプだ」
亜弓も負けじと反論する。
「私はそんなに間抜けじゃないよ!
カコこそ神経質になりすぎじゃない!豪鬼使いは神経質だ!」
亜弓の理屈では豪鬼使いは冷たく神経質と言うことらしかった。
「…よし。だったら勝負するぞ」
香湖の静かな怒りに闘争の火が灯った。
「望む所だよ!」
亜弓は一歩も引かず受けてたった。
大谷は、新たに始まったその二人の揉め事を認めたが、
PS64を男たちに何とか渡すまいと考えていてそれ所では無かった。
大谷はPS64を片手に大弱りであった。軽はずみな口約束等するものではないと心底おもった。
こうなったらぎっくり腰の案山子に代わって自分で闘おうか。と考えたが、
中足ヒット確認鳳翼扇も出来ない春麗使いが勝てる相手とは到底思えなかった。
こんな事で、PS64を取られた事が店長にばれると確実に自分の首は飛んでしまう。
それどころかPS64の代金すら肩代わりさせられるだろう。
そんな事を必死で考えていたら、目の前のケン使いが声を荒げて言った。
「おい。その案山子だか何だかは来ないんだろ?だったら俺の不戦勝だ。約束は守ろうな、なあ?」
そういって、連れの二人に同意を求めた。
背の高い方の男が、それに相槌を打ち「とっとと渡しやがれ!」と大谷に凄んだ。
大谷は、うろたえながら思わず
「ちょっ、一寸待って。替りに俺が闘う…俺に勝てたら」と云ったが
それを聞いた日高は焦り、大谷の耳元で囁いた。
「…大谷さんには無理だって…俺より弱いじゃん…」
そんなやり取りに、男たちは益々イライラした様子で、ケン使いは横柄に言った。
「何をこそこそ言ってる!お前がやるんならさっさと始めようぜ。時間の無駄だ。
こんなとこに、強い奴はいない。大方その案山子とかも逃げたんだろ!」
日高は、言い返そうと身を乗り出したが、事をこれ以上荒げたくない大谷は日高を黙らせる。
「さあ、もう御託はうんざりだ。やるんならやろうぜ。
お前たちはその安い名誉をかけて、俺はそのPS64を掛けてな」
そう言うとケン使いの男は、サードの台を親指で指差しながら大谷達を促した。
そうして一同がサードの筐体の方を見やると、
二人の制服姿の女の子が、何やら今にもサードを始めそうな雰囲気であるのに気がついた。
大谷は何故か、その二人の女の子に只ならぬ気配を感じた。
そしてそれを感じていたのは、大谷だけでは無いようで、
ケン使い達も同様に、その様子を真剣な眼差しで伺っていた。
大谷はいい時間稼ぎが出来たと、内心ホッとして、
「ちょっと今あの娘達が対戦しようとしてるみたいだから、終るまで待ってね」と言った。
大谷はその間に、どきどきランドの常連のプレイヤーに連絡をつけようと考えたのだ。
ケン使いの男は「少し黙れ」と鬱陶しそうに大谷を睨みつけると、再び二人の高校生の動向に注目した。
大谷はケン使いの背中に「すまない」と小さく謝ると、そそくさとスタッフルームに潜り込み
携帯を取り出して、常連のプレイヤーの携帯番号を検索しだした。
「誰でもいい、暇な奴、来てくれよ…」
そう言いながら大谷は、先ず、一番暇そうなQ使いに電話をかけようとしたが
丁度その時、着信が入った。それは案山子からの電話だった。
大谷は慌てて電話を取った。
それは大谷にとって地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸がごとき吉報だった。
案山子は大谷のことを案じて、あの後直ぐに知り合いに助っ人を頼んだという事だった。
丁度近くに居るから、あと数十分で来るということだ。
「案山子!愛してる!」
大谷は心の底から叫んだ。
その言葉は言霊となり案山子のぎっくり腰を微かに酷くした。
大谷が斯くの如く奔走している間、サードの筐体の前で、亜弓と香湖は静かに睨み合っていた。
二人は自分たちが注目されている事に微塵も気が付いては居なかった。
「1P側か2P側の筐体を決めるぞ。じゃんけんで良いな?」
香湖は腕を組み、高圧的な口調で亜弓に言った。
「私はどっちでも良いよ。カコに決めさせてあげる」
その程度のハンデはあげる。といった軽い挑発を込めて亜弓は言い返した。
「そうか。ではその言葉に甘えよう。負けた言い訳にはするなよ」
そう言うと香湖は、1P側の筐体のレバーの感覚を試すようにクルクルと廻し始めた。
そして同様にして2P側の筐体のレバーを確かめると
「私は2P側にしよう」と静かに言い、席に着くと、コインを投入した。
軽快なクレジット投入音と供に、モニターにはPUSH 2P STARTの表示が示された。
暫くして、亜弓がコインを投入し二人は同時にスタートボタンを押す。
香湖は軽く息を吐くと、カーソルを「豪鬼」に合わせてボタンを押した。
スーパーアーツ(SA)は滅殺豪波動を選択。
一方の亜弓は既に「ヤン」を選択していた。亜弓は当然ながらSAを転身穿弓腿に合わせると選択した。
「手加減は無しだよ!」亜弓は画面の奥の香湖に向って勝気な声を上げた。
「当たり前だ」香湖はごく小さい声でそう呟いた。
白い胴着の強Kカラーの香湖の豪鬼。対する亜弓はV押しの黒いヤンであった。
かくして二人の戦いは始まった。
ケン使いの男、上代は、突然に始まった二人の女の対戦に何か只ならぬ予感を感じ、興味深そうに注目した。
隣の上代の連れの一人、背の大きい下沢はその戦いを見ながら薄笑いを浮かべて上代に
「女くせにサードなんてふざけてますね。アレが終ったら潰しましょうか?」と云った。
それを聞いた上代は嘲笑を浮かべ下沢をねめつけ、肩を上下させ軽く笑いながら言った。
「…ククク…。潰す?お前がか?下沢?…だからお前はその程度なんだ…」
言われた下沢は、上代の威圧に気おされて、言葉を詰まらせて黙った。
上代は構わず言葉を続けた。今度はもう一人の背の小さい方の連れ、中条に言う。
「中条。お前には解るだろ?あの女達、特にあの豪鬼使いの方だ…アレの動きだ」
「確かに上手いな。…或いは、アースガルドレベルかもしれない」
「そうだ…少なくとも…こんな片田舎のプレイヤーじゃあないな」
そう言うと上代は、真剣に二人の戦いを見ている日高に声をかけた。
「おい、お前!あの女たちはここの常連か?」
日高は突然、敵の男に声をかけられ、戸惑ったが不機嫌に睨みながら首を横に振り
「いや、初めて見る人たちだ」と答える。
上代は小声で「だろうな」と呟き、今度は気後れして押し黙ったままの下沢に言う。
「下沢、あの対戦が終ったらお前が乱入しろ。勝てば今度の大会、お前のメンバー入りは確定だ」
下沢の顔は明るくなった。
「ほ、本当ですか?」
「ああ、勝てればな」上代はそう言うと薄っすらと冷笑を浮かべた。
香湖の豪鬼は、まるで踊るように、画面中を駆け巡っており、亜弓のヤンを翻弄していた。
亜弓のヤンの動きもけして悪くないのだが、香湖の豪鬼はその上を行っていた。
豪鬼が一ラウンドを先取した。
「これからだからね!」と云った亜弓の声にはまだ諦めの色は無かった。
その戦いを見ながら下沢は、あの二人のどちらが相手でも勝てると思っていた。
女が強い訳はないと本気で思っていた。
やがて対戦は終わり、
モニターにはGOUKI WIN の表示が映し出されていた。
下沢が静かに動き出した。