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第十二話 死者と執着

 リステスは笑っている。

 無邪気に、楽しそうに笑っている。だが彼がその見惚れるような美しい笑顔のまま、何の躊躇もなく人を殺すことのできる人間だということを、志穂はよく知っていた。

「ねえ、シホ、知り合いなら紹介してよ。この人があの杖の持ち主なんでしょう?」

 そう言いながら、リステスは志穂とラダの傍へ近付いてきた。

 ラダを逃がさなきゃ、と思い、すぐにその考えを打ち消す。相手は王子で、騎士団長で城主で、一方ラダはこの城に潜り込んでいる身だ。下手に逃げても、兵士を呼ばれればすぐに捕まってしまうかもしれない。

 リステスだけではない。この城にはリステスの命令一つで人を殺せる人間も大勢いるのだ。

「ち……違う、よ。この人は……」

 我ながら苦しいとは分かっていたが、志穂はどうにか言い逃れようとした。

「さっき知り合ったばっかりで……ほら、この城で働いてるって。きっと、まだ仕事があるから、そんなに引き止めちゃ、悪い、よ」

「ああ、そうだね。僕の方から上役に話を通しておくよ。それなら仕事を放っても問題ないね」

 間髪をいれずにそう返され、とっさに反論が思いつかず口をつぐんでしまう。

 ラダはそんな少女をちらりと見下ろすと、自ら一歩前へ進み出た。志穂を王子から庇うように。

「……俺は確かに彼女の知人ですし、エテルベリでも共にいました」

 青年は感情を限りなく抑え込んだような、淡々とした声音で言った。

「やっぱり。名前は?」

「ラダ、です」

「ラダ。ねえ、君があの杖の元の持ち主なんだよね?」

 リステスは世間話でもするような口調で訊いた。

「あの、竜の牙の杖の、さ」

 思いがけないところから思いがけない単語が飛び出し、志穂は驚いた。

 ──また、竜だ。

 だが驚いたのは言われた当の青年も同様だった。彼は一瞬目を見開いた後、すぐに険しさを増した顔つきで少年を見据える。

「何故そうだと?」

「僕も王宮で色んな工芸品を見てきたからね。あれが何かの牙だってこと、でも象牙細工じゃないってことくらい分かるよ。それに、そう考えればつじつまが合うじゃないか」

 リステスはそれ以上説明する気はないらしい。それで、と笑顔のまま促すようにラダを見返す。

「どうして君はあの杖を持っていたの?」

「……それを知って、王子殿下はどうしようというのですか」

 言葉遣いだけなら丁寧語だったが、青年の声色はどんどん低く、冷たくなりつつある。志穂は下手に言葉を挟むこともできず、はらはらと二人のやりとりを見守った。

「別にどうもしないよ。あれはもう僕のだしね。ただ興味があるだけ」

「……あれは、母の形見です」

 もはや凍り付いたように固く冷ややかなラダの言葉に、リステスはぱちぱちと瞬きをした。

「へえ。お母さんの形見なんだ。そっかあ……亡くなったの?」

「子供の頃の話です」

「僕の母上も、僕が幼い頃に亡くなったんだよ。昔は本当に綺麗な黒髪だったのに、今は白髪でね。時々姿を見せてくれるけど、話してはくれないんだ。この城はいいところだけど、母上に会えないのがたまに瑕だね」

 そんな話を、彼は平然と世間話のように語る。死霊が見えるという彼の特性を知らなければ、意味不明な話だ。相手が死霊ではなく生きた人間でも、聞いてもいないことをぺらぺら喋るリステスの癖は同じらしい。

「お母さんの形見なら、やっぱり傍に置いておきたいよね?」

「……それは、無論」

「じゃ、従者にしてあげるから僕の近くにいるといいよ。部屋も用意してあげるから」

 この話の流れから一体どうしてそういう結論になるのか、志穂にはよく理解できない。ラダも少し呆気に取られた様子で、リステスをまじまじと見つめていた。

「そうと決まれば、さあ、こっち」

 当のリステスは気にした風もなく青年の腕を取ると、半ば強引に彼を城内へ引っ張っていった。

 ラダは困惑顔だったが、断ったり、少年を振り払って逃げたりしようとはしなかった。

 それもそうだろう、相手は王子なのである。志穂がどんなに冷たい態度を取ろうと、ロイがどんなにリステスの命を狙おうと、この城の兵士たちに捕まることはない。だがラダは違う。

(ラダは、私とは違う)

 そう、もう死んでいる志穂と違い、ラダは生身の体を持つ青年なのだ。そのことに関して、志穂は今まで複雑な思いを抱いてきた。二人の間にある埋めがたい溝を感じてきた。だが。

(私はもう殺されない、けど、ラダは──)

 まだ生きているということは、いつか殺されて死ぬかもしれないということでもあるのだ。

 その当たり前の事実が、何故だかとても恐ろしかった。

  

 

「ここでちょっと待っていて。仕事を片付けてくるから」

 城内の、リステスの部屋に程近い一室にラダを通すと、少年王子は彼を置いて一人去っていった。抜け目なく、部屋の外側から鍵をかけて。

 侍従の控え部屋か何かなのだろうか。寝台、机、椅子、棚と家具は一通り揃っているし、〈水煙亭〉には及ばないまでも、ラダが旅の途中に泊まっていた汚い安宿よりは居心地が良さそうである。とはいえ、事実上の監禁だ。

 ラダは疲れたようにため息を吐くと、木の椅子に腰掛けた。

「……王子リステスか。あれが」

「うん……」

「今まで大変だったな、シホ」

 労るような言葉に対し、志穂は首を横に振った。

「ううん。本当は、こんなことになるより前に、私がリステスから杖を取り返せれば良かったんだけど」

 右往左往しているうちに、ラダまでリステスに囚われてしまった。

 そもそも志穂が回廊の真ん中でぼんやりしていたから、ラダも心配して話しかけてくれたのだろうし、志穂とラダが一緒に話しているのを見咎めなければ、監禁されるようなことにもならなかっただろう。そう考えると、自分の役立たずぶりに嫌気すらさしてくる。

「いや。杖のことにしても、今回のことにしても、俺が不注意だっただけだ。……シホ、先程何か言いかけていたが、杖が今どこにあるか知っているのか?」

 志穂は頷き、この城で今まで見聞きしたことを一通り語った。

 礼拝堂の地下室に杖が隠されているらしいこと、祭壇と箱のこと、あの時見た影の蛇や騎士の忠告のこと──ただ、さすがにあのロイという盗賊の青年にリステスを殺すよう唆されたことだけは、語る気になれなかった。

 話を聞いたラダは眉根を寄せた。

「……怨念の影の巣、か」

「地下室の鍵と、祭壇の上の箱の鍵はもう持ってるの。だから、リステスが嘘をついていなければ、私一人でも杖を取り返しに行くことはできるんだけど……」

 鍵を返せとは、リステスは言わなかった。もしかしたら忘れているだけかもしれないが。

 だから志穂の手にはまだ錆びた鍵が二本ある。

 幸いこの部屋には、ごく小さいが窓があった。そこから通れば、実体のある鍵を持ったまま部屋を抜け出すことも志穂には可能だ。

「駄目だ。そこに本当に怨念の毒蛇がいるなら、死者の魂にとってこれほど危険な存在はない」

 しかし、ラダは思いの外強い口調で志穂の提案を否定した。

「ただの悪霊よりもさらに始末が悪い。近付かない方がいい」

「でも……」

「あの王子は、今のところ俺たちに危害を加えるつもりはないようだ。大人しくしていれば、そのうち抜け出す機会も見つかるだろう。それに、彼が何を知り、何を考えているのか……」

 そう言いかけて、ラダは途中で首を振った。

「いや。とにかく何もシホが危険を犯すことはない」

「生身のラダなら、あの蛇がいても大丈夫?」

 そう問うと、ラダは一拍置いて、ああと頷いた。

 その他にも、お互い別れていた時の動向や、この城について知っていることなど、細々とした情報交換をして話し合ったが、結局、杖を持って逃げる機会が来るまで様子を見る、という以上の方針は立たなかった。

 無難な話題が尽きた後で、志穂はようやく、先程からずっと気になっていたことについて触れた。 

「ねえ、ラダ。さっき……竜の牙の杖、って、リステスが言ってたけど……」

 ああ、と応えるラダの声は、思ったよりも淡々としていた。

「あの杖は俺の一族に代々伝わるものだ。折れた竜の牙から作られたと言い伝えられている。無論、言い伝えの真偽は確かめようがない、が……実際に強い力が秘められているのは確かだ」

 では、おそらくリステスは、何故かは知らないが初めからそのことを見抜いていて、あの杖を自分の物にしたのだ。あの物置で彼が杖を見た時の不可解な反応も、それで納得できる。もっとも、今のところ彼が杖の力を利用したりしているところは見ていないが。

 志穂は少し躊躇った後で、こう訊ねた。

「……牙があって、鱗があって。でも、竜の本体は、もうどこにもいないの?」

「分からない」

 青年は静かに首を振った。

「少なくとも、俺はこの目で竜を見たという人間と出会ったことがない。どんな異国に行っても、竜は伝承の中の存在でしかなかった」

「でも、ラダは、竜を探しているんでしょう?」

 そう訊ねると、ラダは少し驚いたように眉を跳ね上げたが、すぐに表情を和らげて頷いた。ケル婆が志穂のいた前で口にした言葉を思い出したのだろう。

「そうだ。俺は、竜を探して旅をしている。だが今のところ、何の成果も上がってはいない」

 そう言って、ラダは何か苦いものを感じたように眉根を寄せ、唇の端を歪めた。

「……そうか。俺は、そんなことすらきちんと話してはいなかったんだな」

「え?」

「竜のことだ」 

 そう言って、けれどもラダはすぐに言葉を続けようとはしない。悔やむような、躊躇うような、自嘲するような色が彼の紫の目の表面に浮かんでは消える。

 だから志穂も真っ向から問い質すことは躊躇われた。

 あるいは、予感があったからかもしれない。幾度も耳にするその言葉は、志穂があえて知りたくないと目を背けていたことに関わっているかもしれないと。

「……じゃあ、杖の力って?」

 代わりに志穂は、当たり障りのないことを口にした。

「杖の力は……すなわち死者を運ぶ竜の船としての力」

 竜。幾度も耳にしたその言葉を胸の内側で繰り返す。

 その言葉、その存在は、リステスにとって何なのだろう。

 ラダにとって、何なのだろう──。

「つまり、死者の魂、実体のないもの、理から外れた存在に対して干渉する力だ。俺の死霊術士としての力の多くは、あの杖の賜物といっていい」

「……そうなの?」

「そうだ」

 だから、とラダは真剣な顔をして志穂を見つめた。

「その地下の祭壇とやらだけではなく、城内の怨念の溜まり場にもなるべく近付かないでくれ。もしシホがあれらに引き込まれてしまっても、ろくな術も使えない今の俺では、シホを助けられるかどうか分からない」

 志穂がこくりと頷いたのを確認すると、ラダは椅子から立ち上がった。

「すまない。少し休む」

 そう言って、部屋の寝台の上に身を横たえ、目を閉じる。

 志穂は寝台の傍に佇み、血の気の失せた顔を見下ろした。身じろぎもせずに静かに眠る青年の眉はわずかにしかめられたままで、やはり以前より具合が悪そうだ。

「……ラダ」

 ぽつりとそう呟くと、

「何だ?」

 すぐに返事をされ、志穂は驚くと同時に思い出した。そういえばこの青年は眠りが浅い性質なのだ。

「う、ううん。具合が悪そうだから、大丈夫かなって……」

「俺は大したことはない。むしろ、シホの方が心配だ」

「私? 私は大丈夫だよ。ちゃんと言いつけは守るから」

「そうじゃない。あの時、俺が話しかける前、シホは何か思い悩んでいたように見えた」

 ラダは目を閉じて寝台に横たわったまま、静かな口調で指摘した。

 とっさに顔を伏せる。それは、あまり触れられたくない、自分の醜い感情に関することだ。

 けれども同時に、そうやって心配されたことが嬉しくもあった。

 しばらく黙り込んだ後、志穂は躊躇いがちに口を開いた。具合が悪そうな青年を休ませないまま会話を続けるのは気が引けたが、今を逃せば、後で自分から聞く勇気は出ないだろうと思ったのだ。

「ラダは……あの山で殺された人たちの霊を、みんな船出させたんだよね?」

「……ああ。そうだ」

「じゃあ、あの人たちは……〈山の民〉は、船出せずに死霊として留まりたいとは思わなかったのかな。みんな、痛くて、苦しんだはずなのに……その恨みを、誰かにぶつけようとはしなかったのかな」

 悪霊と化したカレンのように。リステスを殺そうとするロイのように。

 そして今の志穂のように、恨みと憎しみに惑うことはなかったのだろうか。

 いや、少なくとも、船出させられることを頑迷に拒否した者はいなかったのだろう。だからきっとラダも、あの時当然のように志穂を同じところへ行かせようとしたのだろうから。

 ラダはすぐには答えなかった。

 彼は無表情でしばらく沈黙を置いてから、やがて重々しく口を開いた。

「……騎士団が憎い、アーフェルが許せないと叫ぶ者は多かった。俺も説得するのに苦労した。だがそれでも彼らは最終的には、死霊として残るのではなく、恨みを捨てて沖つ国へ船出することを選んだ」

「どうして、そんな選択ができたの?」

「結局のところ、それが世界と、自身の魂にとっても最善のことなのだと、彼らは知っていたからだ。彷徨う死者の魂とその怨念は、世界の理を歪ませる。〈山の民〉も皆、幼い頃から教え込まれてきたはずだ」

 そこでラダは薄く目を開き、部屋の天井を──いや、どこか遠く別のところを見つめた。

「……愛も憎悪も、魂を惑わせる執着心の一つ。憎んではならない。愛に固執してはならない。この世に一度生まれ出た者は、いつか来る自身の死を受け入れなければならない。──死者が正しく沖つ国へ行き、大いなる巡りの輪の中へ還ることで、世界は正しく流れ続けるのだから」

 その淡々とした言葉は、まるで経文や道徳の文句のように空々しく、志穂の耳を通り抜けていった。

 実際、それは正しく経文だったのかもしれない。〈山の民〉、そしてラダにとっての。

「それが、教え?」

「そうだ」

「死んだ人は、執着を生む感情なんか捨てて、さっさと船出するのが世のため自分のためってこと?」

「……端的に言えば、そういうことだな」

「そんなの──」

 すべてを忘れて天国に行った方が幸せなのだとしても、それが正論なのだとしても、どうにもならないのが人の感情というものではないか。〈山の民〉は本当に、その教えを律儀に守って沖つ国へと旅立ったというのだろうか。到底、志穂には納得がいなかった。

 殺された恨み。リステスへの憎しみ。

 自身の中で渦巻くそれをすべて捨てることなど、今の志穂には到底できそうにないのに。

 志穂として存在することへの執着を捨てることなど、できそうにないのに。

「教えは、正しく守るべきものだ。でなければ伝えられることはない」

「……ラダは、どうなの? ラダがもしあそこで巻き添えに殺されていたら」

 恨みを捨てて、騎士団の所業を許して、大人しく船出する道を選んだのだろうか。

 口にしてしまってから、仮定にしても失礼な問いかもしれないと気付いたが、口に出したものは今更撤回できない。志穂は勢い込んでそのまま続けた。

「それとも誰か、心から好きな人が、殺されてたら……」

 例え家族や恋人であっても、愛も執着だと切り捨て、彼は船出させようとするのだろうか。一度は志穂やジェフを船出させようとしたように、それが世のため人のため、自身のためだと言って。

「……俺にはもう、そういう存在はいない。今後も現れることはないだろう」

「どうして。だって、ラダはまだ生きてるのに」

 問い詰めるように、彼の紫色の目をまっすぐに見つめる。

 するとラダは、一瞬気まずそうに目を逸らした。

 だがすぐに感情の窺い知れない目で志穂を見返し、先程と同じく淡々と唇を動かした。 

「俺も昔から、教えられてきた。いらぬ執着は魂を不幸にするだけだと。死霊は理から外れた哀れな存在であり、だからこの力で死者たちを船出させてやることは正しいことなのだと、信じてきた。無論、この身が死滅すれば、そのときは他人の手を煩わすことなく沖つ国へ行こう、と……」

 これまで数多くの霊を送ってきたのだろう、死霊術士の青年の声が少しだけ震える。

「だが……そうだな。俺は……きっと〈山の民〉ほど潔くはない。いくら、使命や責務と言葉を並べ立てても、所詮……」

 そこまで呟いたところで、彼ははっと口をつぐみ、青ざめた顔で口元を抑えた。そうして寝台の上で体を折り曲げ、何度か咳き込みはじめる。

「ラダ? だ、大丈夫?」

 慌てて声をかけたが、黒髪を乱した青年は口元を抑えたまま、返事をする余裕もないのか苦しそうに顔を歪めている。何か吐く容器を持ってきた方がいいだろうかと頭を巡らしたとき、ふと志穂は、寝台の足元に何かがうごめいていることに気が付いた。

 それは紛れもなく、城内を彷徨う影たちだった。

 その影のひとつが輪郭の曖昧な手を伸ばし、寝台の上、そしてそこに横たわる青年の足元へと少しずつ這い上がっていく。青年のくるぶしの辺りに影の手が触れようとしたとき、

「──駄目!」

 ほとんど反射的に、志穂は影めがけて自身の手を振り下ろした。

 もし影に実体があれば、ぴしゃりと景気のいい音が響いただろう。だがどうやら、この影の体は霊体よりもさらに曖昧らしい。振り下ろした手は影の体をすり抜けて、寝台の表面をしたたかに叩いた。

 ばん、と存外派手な音が響き、ラダに近付こうとしていた影が霧散する。

 青年が驚いたように起き上がった。彼は幾度か目を瞬かせた後、口元から手を離して志穂を見た。

「今のは……」

「か、影が、いたの」

 短い説明を聞いて、ラダは険しい顔になった。寝台から降りて、ついさっきまで苦しんでいたことを忘れたように部屋の中を見回す。寝台の下にも部屋の中にももう影がいないことを確かめると、彼はため息をついて寝台に腰掛けた。そして黒髪をくしゃりと掻き回す。

「参ったな。気付かなかった。それに思った以上に影響が強い……いや、強くなっている、のか」

「あれのせいなの? 土地が合わなくて体調が悪い、って……」

 リステスや他の住人たちが平然とした顔で過ごしているから、てっきり生者への影響力はないものと思っていた。それともラダが死霊術士だからなのだろうか。

「そう、だな。だが、今は大分楽になった」

「本当?」

「ああ。シホが影を追い払ってくれたせいかもしれない。ありがとう」

 そう言ってラダは微笑んだ。久しぶりに見たその表情は、やはり優しげで温かかった。


 

 翌日以降、リステスは頻繁にラダを連れ回すようになった。

 移動可能範囲に限りのある志穂は、二人の後をいつまでも追い回すことはできないが、後でラダに話を聞いたところによると、王子直属の侍従たちと引き合わされたりしたという。

 どうやらリステスは本気でラダを傍に置くつもりらしい。

 先日まで厨房の下働きをしていた青年が、いきなり王子の従者になろうというのだから、周りの反応が芳しいものであるはすがない。ラダは特に従者として仕事を与えられるわけでもなく、ひたすら傍に控えさせられて脈絡のないリステスの話を聞かされているだけだそうだから、尚更だ。

 とはいえ当の王子が王子なので、やはり表立っては誰も何も言わないようだ。

「……裏では何を言われているのか、想像するのも恐ろしいがな」

 疲れたようにそう呟いたラダの耳に、心ない陰口が届かないように志穂は祈った。先程廊下の隅で使用人たちが噂していた話を聞いたところ、ついに王子が幽霊に飽きてその手の趣味に目覚めたとか、いやあれは実はお抱えの霊媒師で、二人して怪しげな霊と語り合ったり儀式をしているんだとか、他にも勝手なことを散々に言われていたからだ。

 昼間はそんな調子でリステスとその周囲に半ば見張られ、夜には部屋の前に見張りつき。当然鍵もかけられる。これでは到底、逃げようがなかった。

 無論、志穂もそれを黙って眺めていたわけではない。どうにか彼を監視の目からかいくぐらせる手立てはないか探っていたし、リステスに抗議もした。だがすべて無駄に終わった。

「ラダをどうするつもりなの?」

 そう詰問した少女に対し、リステスは心底不思議そうに首を傾げたものだ。

「どうって? 僕は彼を雇っただけだよ」

「だって、ラダは従者になるって言ったわけじゃないのに……」

「彼は元々この城で働いてたんだから、城主の僕が部署を変えたって構わないんじゃないかな。それに厨房の下働きより、僕の従者の方がずっと楽で俸給の高い仕事だと思うけどなあ」

「……そ、それはそうかもしれないけど、夜はほとんど監禁じゃ……」

「見張りはね、彼のためだよ。いじめられるといけないからね」

 一見親切そうな言葉だが、ラダを他の人々にいじめられるかもしれないような立場に追いやったのは、そもそもリステス自身だろう。

「だからって──」

「ねえ、それより、バーサを見なかった?」

 尚も抗議しようとした志穂の言葉を無造作に遮って、リステスはまったく別の話題を持ち出した。

 志穂が首を横に振ると、リステスは珍しく困ったようにため息を吐いた。

「おかしいなあ。ここ数日、城のどこにも見当たらないんだ。いつもは呼べばすぐに来てくれるんだけど」

 としばらく首を捻った後で、彼はあっさりと肩をすくめた。

「まあ、いいや。シホ、バーサを見かけたら、僕が呼んでたって伝えておいてね」

 志穂は不承不承頷いた。けれども、彼女が狭い行動範囲内でいくらうろついても、もうあの侍女の死霊が様子を見に来ることはなかった。

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