第12話「最初の一歩を踏み出す子」
第12話「最初の一歩を踏み出す子」
昼休みの終わりが近づいた頃だった。
教室の空気は相変わらず静かで、ゆうの周囲には“自然な空白”が保たれている。
女子たちは距離を取りつつも、昨日より視線が柔らかい。
それでも、誰も近づこうとはしない――はずだった。
そのとき。
教室の後ろの方で、椅子が小さくきしむ音がした。
ゆうが何気なくそちらを見ると、一人の女子が立ち上がっていた。
白石。
クラスでも特に物静かで、いつも本を読んでいる子だ。
誰かと積極的に話すタイプではない。
その白石が、ゆうの方を見て――
一瞬だけ、迷うようにまばたきをした。
(……来るのか?)
ゆうがそう思った瞬間、白石は歩き出した。
ゆっくり、慎重に。
まるで“近づいていい距離”を測るように、足を止めたり進んだりしながら。
教室の空気が変わった。
女子たちが息を呑む。
男子の三浦も、驚いたように目を見開いている。
白石はゆうの机の前で立ち止まり、
胸の前でそっと手を重ね、深呼吸をした。
「……さ、崎山くん……」
声は小さく、震えていた。
けれど、逃げる気配はない。
ゆうは自然に顔を上げる。
「どうしたの?」
その一言で、白石の肩がびくっと揺れた。
だが、昨日までの女子たちとは違う。
固まったあと、ゆっくりと息を吸い、言葉を探した。
「……あの……これ……」
白石は胸に抱えていたものを差し出した。
ゆうが受け取ると、それは――
落とし物のハンカチだった。
(……俺の?)
白石は小さく頷いた。
「……昨日……廊下で……落としてて……
……渡したかったんだけど……
……その……近づいて……いいのか……わからなくて……」
言葉は途切れ途切れ。
でも、必死に伝えようとしているのがわかる。
ゆうは微笑んだ。
「ありがとう。助かったよ」
その瞬間、白石の目が大きく揺れた。
返事が返ってきた。
感謝された。
目を見て、笑われた。
その全部が、白石にとっては“初めての体験”だった。
「……っ……あ……」
白石は胸元を押さえ、
しばらく言葉を失っていた。
教室の空気が張りつめる。
女子たちは固まり、
三浦は息を止めている。
白石は震える声で、ようやく言った。
「……よ、よかった……です……」
そして――
ほんの一瞬だけ、微笑んだ。
その笑顔は、
この世界の女子が男子に向けるには、あまりにも“自然”で、
あまりにも“近い”距離だった。
ゆうはその変化を受け止めながら、静かに言った。
「白石さん、ありがとう。また何かあったら言ってね」
白石は驚いたように目を見開き、
そして、深く頷いた。
「……はい……!」
その声は、昨日までの教室にはなかった“明るさ”を含んでいた。
白石が席に戻ると、教室中がざわめいた。
「……白石さん……すご……」
「……男子に……話しかけた……」
「……返事……返ってた……」
「……笑ってた……よね……?」
ゆうは静かに息をついた。
(……最初の一歩、か)
白石の勇気が、
教室の“普通”を少しだけ揺らした。
その揺れは、
これからもっと大きくなっていくのかもしれない。
――第12話、終わり。




