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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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その薔薇は斯く申し

掲載日:2026/09/20

曇天の空の下、弟の乗せた古びた馬車は音を立てて去っていく。いつまでも耳に残る車輪の音に私は顔を覆いました。




幼いころより弟は愚かで美しい子でした。勉学は私の後追いで、姉上には勝てませんといつも笑いながら勉強に励んでいました。



あまりに夜遅くまで本を読んでいるからと、早く寝れますようにと薔薇のサシェを送ったこともあります。目の下へ黒々とした隈を飼ってましたので心配で仕方なかったのです。



時には屋敷の温室で育てられた白薔薇が満開の中、弟とお茶会を楽しんだことだってありました。





「どう、美しいでしょう」



「そうですね」




弟は嬉し気にそう言って、薔薇に見とれていました。





弟は愚かで優しい子でした。怪我をした侍女の手に軟膏を塗り、足を挫いた護衛の見習いに肩を貸すこともありました。




「お前の仕事ではないわ。ほかのものに任せなさい」



「……ええ、そうですね」




弟は目をそらしながら言いました。その視線の先には野に咲くスミレが俯いているのが見えました。



今まで目に入らなかった小さな花にさえ苛立ちを覚えましたけれども、大輪の薔薇には勝てぬ野に咲く花です。捨て置いたとしても取るに足るまいと、踏みつぶすのはやめました。




「私たちは貴族です。あなたもこの家をささえる身でしょう。私たちが声をかけねば言葉も発せられない者たちと立場が違うのです。高貴なものとしてもっと堂々としなさい。細々としたことは家臣に任せてよいのです」




私の言葉に弟は微笑みだけ返しました。



ある時期から弟は自分の割り当てられた予算の一部を孤児院の寄付に充てるようになりました。初めはノブレス・オブリージュかと思いましたが、年々その額の割合が増えていると聞いて息を飲みました。


その話を聞いた昼過ぎに、庶民の服を着てこそこそ外に出ようとする弟の姿に驚いて咎めました。




「あまりにお金を寄付しすぎてるわ。あなた、背が日に日に高くなっているのだから、衣装代もかかるのよ。それにお金だけ寄付しても何も変わらないわ」



「わかってます。お金だけ渡すだけでは何もよくないことは」



「本当にわかってますの? 社交にもお金がかかりますし、本も貴重なのですから自分自身に使うお金も残しなさいね。それにどこに向かいますの」



「ちょっと街を回るだけです。この姿のほうが今回は都合がよいので」




私はため息を漏らしました。私たちは貴族の子であるのです。庶民に媚びるような格好で家を軽んじているのでしょうか。当主である父にも注意してもらわねば私には手に負えません。



私から逃げるように裏口から去っていった弟の背は丸まっていました。





その日からです。私の目にも、弟の異常がはっきり映るようになったのは。弟は日に日に壊れていきました。



突然笑い出したと思ったら、激しく父と口論をして家の花瓶を割るのは序の口。


鞍もつけない馬で飛び出てった日もありましたし、木にぶら下げた丸太を木の棒で滅多打ちにしている日だってありました。激しい行動が落ち着くにつれて、弟は遠くを見つめるようになりました。


この世のなにもかもに興味がわかないようになったようでした。私が話しかけようとも、「ええ、姉上」ととしか答えなくなったのです。


無機質で、さりとて冷たさはない声で返す言葉が私は恐ろしくて仕方ありませんでした。




家臣たちは口々にそろえてこう言います。




「若様はお優しく、ご立派だ」




私はそうは思えないのです。すべてを諦めて破壊衝動を抑え込んでいるような微笑みがただ恐ろしくて仕方ありませんでした。




弟は屋敷で私とガセポでお茶会をして過ごすよりも、孤児院の子供たちと過ごす時間が増えていきました。貴族令息と思えないおんぼろな布切れを身に纏って、泥だらけになって帰ってくる日々。政務なんて忘れたかのように朝から晩まで一人で出歩いては夜遅く帰る日だってありました。



無邪気に子供のように笑う弟に私は腹が立って仕方なかったのです。家の仕事をせずにいつまでも幼いままでいたがっているように見えましたから。



家臣たちは感心しているようでしたが、私からしたら優しさをまとった狂気に飲み込まれていっているようにしか見えなかったのです。



ええ、わかってます。ギャンブルに嵌ったり、悪事に手を染めたりしているわけではないので咎めるのもおかしな話になってしまいますもの。表向きには領民を大事にする立派な貴族令息にしか見えませんでした。



それでも、いかに狂気を隠そうと取り繕うが、幼いころからそばにいた私にはわかってしまいました。





年々貴族としての意識がまるっきりなくなっているような態度の弟に頭を痛めていたある夜のことです。眠れない夜にそっと窓を覗くと、弟と私の侍女の一人が庭のガセボで二人っきりに顔を寄せ合っていました。胸の動悸が収まらず、様子をずっと眺めてました。




あの子はなんてことをしているのでしょう。




次の日の夜、弟と一緒にいた侍女を私の部屋に呼びました。きっと弟に無理やり呼び出されたのではないかと、自分ひとり呼ばれて明らかに動揺する侍女へ私は優しく声をかけます。




「昨日の夜、弟と二人っきりだったみたいだけれども、何をしてましたの? 弟が無体なことをしたわけはないでしょうね」



「若様は……」



「二人っきりなんて私以外が見たらなんて噂されるか。秘密にしてあげるわ。我が家にあなたは勤めているの。誤解されるようなことをしたら、紹介状も持たずに追い出されかねないわ。気をつけなさいね」





侍女は深々と頭を下げました。



もういいわ、と侍女を下げる。去っていく背をじっと見つめてしまいました。



私しか止められない。





どのように止めたらよいか、元の弟に戻すにはどうしたらよいか。





悩んでいるうちに弟はとんでもないことを引き起こしてしまったのでした。







今日も目が冴えてしまっている。まだ眠るには早いけれどもとため息をつきながら私は薔薇の香を焚きしめました。甘ったるい香りが私の鼻腔を擽ります。



幼いころにあまりに夜遅くまで本を読む弟へ安眠を願ってサシェを上げたことを思い出し、夜空に笑みを浮かべていると扉が叩かれる音がしました。




「はいりなさい」



「はい」




以前弟と一緒にいた侍女が部屋に入ってきました。頬を撫でて耳元に囁きます。




「これを差し上げますわ。あなたも最近寝れてないのでしょう。目の下が真っ黒よ」




サシェを渡せば侍女は頭を下げて去っていきました。



そのあとも眠れず、お酒でも嗜めば眠りやすくならないかと廊下に出ました。先ほどの甘やかな香りは廊下からなかなか消えてないことに私はそんなに香るものなのかと深く息を吸いました。


食堂へ向かいます。その道中、普段は使わない部屋から激しい物音がして立ち止まりました。おかしな話だと少し開いていた扉から覗けば、だれかの叫び声が聞こえてきました。




その声に私は息を飲みました。






弟です。






あの子が私の侍女に手を上げたのを見てしまいました。そしてそのまま侍女を押し倒して唇を奪い、うわごとを言いながら襲い掛かって。




「何をしているの」




大声をあげて現れた私に目もむけず、野獣のように侍女へ襲い掛かる弟。私は悲鳴を上げます。




「愛している。愛しているのは……姉上……」




うわごとのように何かを繰り返しながら侍女を襲う弟を私は押さえつけることなんてできません。慌てて夜回りの騎士を呼び出して、無理やり引き離してもなお興奮して暴れる弟。物音に驚いて起きてきた家の人々は愕然としたようにこの悲劇を見つめていました。





数日後、弟は追放処分を下されることとなりました。馬車へ乗る前に、一人わびしく去る弟へ一輪の白薔薇のしおりを渡しました。



弟は驚いた顔をして、口を一文字に結びました。



その夜、弟とお茶会をしていた温室へ一人で向かいました。白薔薇は真っ盛り。月光を浴びて輝きは増しています。あの日のどろりとした甘い匂いとは違う、軽やかな香りに身を任せ薔薇に手を伸ばします。





ああ、あの日、弟の狂気に神は罰を与えたのでしょう。




私は涙を一粒流しました。











―――

―――――

――――――――



私はなぜいま馬車に揺られているかわからない。私は私がすべきことをしたつもりだった。



姉は父の先妻の娘で、私は後妻の子。長子が継ぐか、長男が継ぐか。家臣たちが騒いだ時期もあったそうだが、私の物心つく頃には美しく凛とした薔薇のような姉上が相応しいと言われるようになっていた。


私も異存はなく、完璧な姉を支えることが誇らしかった。それに姉は私に優しかった。眠れぬと言えば、一緒に添い寝はできないと言いながら、姉のいつもまとっている薔薇の香りのするサシェを私に渡してくれるくらいには。



「姉上のようになりたい」



無邪気な言葉に姉は頭を撫でてくれたことを今でも覚えている。その時の顔は全く覚えてないが。




ああ、同じ時だったか。勉学の合間に姉は幼い私の手を繋いでくれて、屋敷の温室を歩いたことがあった。


温室には美しい白薔薇が咲き誇っていた。姉のようだと無邪気に言った時、姉は薔薇を掴んでその絹のような指先から真っ赤な血を流した。



「薔薇には棘があるのよ。覚えておきなさい」



白い手から滴る血の赤とその言葉だけが記憶から離れない。その後かなりの騒動になったような記憶がかすかにあるだけで。




やがて大きくなるにつれて華やかな屋敷に比べて領地の人々が萎れているように思えるようになった。それを確信したのは15の春。


姉を支えるために学園で友達と話して、領地のことを知らねばならないとお忍びで旅人の姿をして歩き回ったときだ。



王都から帰る道すがらですら、パンを焼く窯の煙が朝晩上がっていたというのに、煙が上がることも稀。狩りをしたウサギとの交換だと、無理言って貰った食べ物はほとんど水のようなスープだけ。



それが精一杯のご馳走だと。



領地の屋敷に戻ってすぐ帳簿を調べれば、ほとんどがドレス代や内装費、交際費などに充てられていた。



「姉上は、優秀な方、だったよな」



だが、まだ父が管理しているのだ。姉がすべて把握しているわけがない。帳簿を開く度に不自然な線が引かれていることにも気づいた。


家の執事に聞いても濁される。裏帳簿があるのかと探すも、背後に誰かしら張り付かれて敵か味方かわからない。



仕方がない。自分の支度金から領地に還元しよう。



そう考えるやいなや、領地の孤児院へ寄附を増やし、日中は汚れてもよい格好をして巡回し、他領の友人から肥料を買い付けたり作物の知識を聞いたりして実行していった。





父とは何度もお金の使い道で対立し、つい近くにあった花瓶を投げて壊したこともあった。



1年ではどうにもならなかったが、それでも去年より具のあるスープが飲める日が増えたと喜ぶ領民が年々増えていった。


屋敷に戻れば、平民上がりの文官や武官から時折声を掛けられるようになった。




「若様のおかげで家族が冬を越せる」




そんなことを言われても困るのだ。私は私がやるべきことをしているまでなのだから。姉の手の届かぬところを私が支えればいい。あの日まではそう思っていた。



「あら、去年より作柄が持ち直したようね。これで民の義務である領地税も、引き上げられますわ」



姉の放った言葉に背筋が凍った。



「いや、作物が採れるようになったとはいえ、まだ領民は」


「何? 貴方、忘れたの? 我らは貴族よ。取れるものはきちんと取らないといけないわ」



この人はそんな人だったのか。目の前が真っ暗になった気がした。姉は私の支度金の使い道をつけた帳簿をめくりながら、静かに告げる。



「あまりにお金を寄付しすぎてるわ。あなた、背が日に日に高くなっているのだから、衣装代もかかるのよ。それにお金だけ寄付しても何も変わらないわ」


「わかってます。お金だけ渡すだけでは何もよくないことは」


「本当にわかってますの? 社交にもお金がかかりますし、本も貴重なのですから自分自身に使うお金も残しなさいね。それにどこに向かいますの」


「ちょっと街を回るだけです。この姿のほうが今回は都合がよいので」



姉の言葉も一理あるのは分かっている。だが、領民あっての我らではないか。


喉から出かかった言葉は姉の地位を引きずり降ろす言葉に感じて無理やり飲み込んだ。そのまま冒険者の姿で裏口から逃げ出した。



町では頼りになる冒険者でいられる。時折魔物を倒し、作物のアドバイスをする、謎の冒険者。



家にいるよりその姿が居心地がいいのは確かなのだ。





ある日の夜だった。




姉の侍女が私に詰め寄ってきたのは、月が上がらない夜だ。眠れなくてガセポでぼんやりとしていたら、衣擦れ音とともにランタンの明かりが顔を照らした。


振り向けば小柄できっちり髪を結んだ侍女がいる。流石に二人っきりは不味いかと周りを見渡したが、夜だからか誰もいない。


侍女から小さな声で咎められた。



「あの方の地位を奪うつもりですか」


「違う。私は」


「なら、なぜ放置するのです。貴方のほうが跡取りにふさわしいなんて噂を」



口を結ぶ。ほとんど屋敷にいないからそんなことを言われているとは思わなかった。



「跡取りは姉上だ。私は、私は違う」



掠れた声で告げれば、侍女は安堵の息を吐いて去っていった。そう言えばあの侍女、無礼だったなと思いながらその夜はぼんやりと過ごした。






日に日に眠れぬ時間が増えていったある夜、夜半というのに姉上が用があると呼び出された。首を傾げながら向かえば、幼い頃嗅いだサシェの香りが私に纏わりついた。普段使わぬ部屋に先日詰め寄ってきた侍女一人。




一人?



目の前がクラクラとしてくる。幼い頃の完璧な姉が目の前に現れた。



「姉上。あの時の、姉上。薔薇の美しき、ああ、ああ、完璧な姉上。愛してた、家族だからこそ、信じてた、信じてたんだ」




幼くも儚く微笑む姉の姿に手を伸ばして、意識が消えた。





数日後、私は追放処分を下された。馬車へ乗る前に、姉から一輪の白薔薇が描かれたしおりを渡された。


私は目を見開いて、息を呑む。あの時、幻覚を見た時の香りがかすかに香っている。





ああ、やはり姉上は完璧な人(怖い人)だ。



二度と戻れないと馬車で目を閉じて運命を委ねた。



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