1. 侯爵令嬢は忍者になりたい
「追加のお茶をお願いしてきますわ。
少し失礼します」
席を立ち、柱の陰に行く。
(この距離なら吹き矢かな)
ポケットから吹き矢を取り出して、木の間に潜んでいる刺客に向かって吹いた。
おそらく問題なく命中しただろう。
何事もなかったように、カフェの店内にいるウエイターにお茶の追加を注文してテラス席へ戻った。
「ありがとう、エリシア。
少し肌寒くなってきたから、お茶もすぐ冷めてしまうわね」
「そうだな。明日からはテラスじゃなくて中の席にしよう」
クリフ殿下の言葉に、婚約者のモニカ様が微笑んで頷いた。
モニカ様の隣りに座った私は、クリフ殿下の隣に座るマリウス様にそっと目配せする。マリウス様は瞬き2回で返した。
その日の深夜、私達二人はテラスで向き合って立っていた。
「刺客は毒矢を持っていたよ。吹く前にエリシアの矢が目に命中したようだ。
影が近づくと口に仕込んだ毒で自決したらしい。
おそらく、モニカ様を狙ったどこかの高位貴族による刺客だろうが…… 懲りないよな。
モニカ様が学院にいる間は、こうしてまたどこかの家の刺客が狙ってくるだろうな。
影も俺も存在に気づいたのは、エリシアが席を立った時だ。エリシアは日に日に鋭くなってくな。頼もしいが、少し悔しい。この調子で、これからもよろしく頼むよ」
少し苦笑を交えながら言い、エリシアの頭を軽くポンポンする。
「ありがとうございます。モニカ様を狙う刺客は、今後も速やかに排除できるよう、感覚を鍛えますわ。
ご報告ありがとうございました。
では、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。いい夢を」
微笑みで返し、テラスの欄干に足を乗せ飛んだ。
そのまま壁や木を足場にして飛びながら寮の自室のバルコニーに戻りつつ、内心で雄叫びをあげた。
(頭ポンポンいただきましたわーっ!!名も知らない刺客さん!気配ダダ漏れしてくれてありがとーっ!!)
侯爵令嬢であるエリシアは8歳の頃、高熱を出して寝込んだ。二日後目を覚ましたが、夢の中で、前世日本人として生きた高校生までの記憶が映像化された。
起きた時には、
(これがいわゆる異世界転生か…まさか自分の身に起こるとは…)
と、呆然としながらも自分の身に起きた事を理解した。
この世界のエリシアは前世でいうところの勝ち組だ。
何せ高位貴族である侯爵令嬢だ。
家族仲もとても良く、使用人達も全員エリシアを可愛がっていた。
だが…… エリシアはその状況というか、自分の将来にとてつもない恐怖を感じる。
そう…… このままでは肥満児なってしまう!との恐怖だ。
侯爵家の料理は素晴らしく、お菓子もとても美味しい。なのでたくさん食べてしまう。しかし侯爵令嬢なので、運動は散歩程度だ。
父と兄は乗馬をしたり、騎士とともに剣の鍛錬をしているため引き締まった体型なのたが、母は豊満な身体つきをしていた。ドレスの下のコルセットでウエストは絞られ、食事量も少ないため、ぽっちゃりとまではいかないが少しふくよかな体型である。
エリシアは、まだコルセットをする年齢ではないため料理もお菓子もいっぱい食べた。日本人の感覚からすると、完全にぽっちゃりな子だ。
(うぅ…こんなお人形みたいな可愛らしい顔をしているのに、ぽっちゃりなのは残念すぎる〜。
やっぱりこの顔には、すらっとした手足じゃないと自分的に許せないっ!)
だが美味しい料理やお菓子は食べたいので、運動をしようと思い立つ。
令嬢は剣の鍛錬は出来ないため、こっそり部屋で柔軟や腹筋、スクワットなどを行った。
運動し始めてエリシアは、自身の身体に驚いた。
エリシアの身体はバレリーナ並みの柔軟性を備えていたのだ。
エリシアは日本人だった時、パルクールの動画や忍者の映画をよくみていた。あの軽やかな動きに魅了され、あんな風に体を動かせたらいいのになぁ〜と思っていた。
(もしかして…… この柔軟性があれば、鍛えたらあの動きが出来るんじゃない?)
侯爵令嬢の部屋はとても広い。職員室程度の広さに豪華な家具が置かれている。天井も高く、本棚の上に立って手を伸ばしても届かないだろう。日々の基礎運動で、身体は引き締まり、ある程度の筋力もついてきた。
「エリシアは、お父様やお兄様に似て、引き締まった身体つきなのねぇ」
とお母様はおっとりと言い、
「お嬢様は、成長すると栄養が筋肉になる体質なのでしょうか…」
と侍女が首を傾げるくらいには。
体も軽くなったし、これくらいの筋力があれば出来るかも。
……よし、飛んでみるか。
足音を立てずにベッドからテーブル、テーブルからソファ、ソファからドレッサー、そして本棚に登ってベッドへ飛ぶ。最初は音を立てずに着地することを意識して行った。そのうち、宙返りやバク転も交えて徐々にスピードをアップしていった。
(ふふんっ!楽勝ねっ!エリシアの身体のスペックが素晴らしいのねっ)
そして、部屋の中を高速で移動出来るようになると、夜中にこっそりとバルコニーから飛び降りて、広い庭の木やガゼボの上を縦横無尽に走って飛んでを繰り返した。
(もはや忍者じゃない?! 人の身体ってこんな動きが出来るのねーっ!楽しーっい!)
と連日夜遅く、庭で音を立てずに、まるで猿のように木の間を飛び回る日々を過ごす。
11歳になったある日、2歳上の王太子殿下の婚約者選定のお茶会が開かれた。王太子と年の近い令嬢だけではなく、側近候補の令息達も集められる。今後数回行われ、側近や婚約者を決めるとのことだった。
エリシアも例外なく招待されたが、国を背負わなくてはならない王族とか、絶対にごめん被りたいと全く乗り気でなかった。
令嬢達は皆コルセットによって細いウエストを強調していたが、運動はしないため腕や顔は少しばかりふっくらしている。王太子に気に入られたいと、皆笑顔を保ちながら雑談を交わしていた。
そんな中、顔が小さくて腕も細く、際立つ美少女でありながら無表情で笑顔を見せないエリシアは、悪目立ちしていた。
誰もエリシアには声をかけようとはせず、エリシアは黙々と下を向いてお菓子を食べ続けた。あっという間に満腹になったので、顔を上げて庭をみた。
(王宮の庭園、めっちゃ広ーい!奥の方は林になってるのね。どのくらい広いのかしら?飛び回ってみたいなぁ〜)
ふらふらと庭に向かって歩き出し、庭園の花を眺めながら奥へ向かった。
騎士があちこちに配置されており、王宮内に危険はないと判断されているためか、誰もエリシアの動きに注意を払わない。
それに味をしめて、こっそりと林に入った。
(このドレス、セパレートなんだよねぇ。中にズロース履いてるし脱いじゃお。騎士達に見つからないように気配を消してっと)
そう。庭での日課が邸宅の護衛達に見つからないよう常に感覚を研ぎ澄ましていたエリシアは、いつの間にか自分の気配を消したり、他人の気配を感じ取ることが出来るようになっていたのだ。
目指した忍者に、もはやなっていたと言っても過言ではない。
そして……
(ひゃっほーいっ!やっぱり王宮の庭は広いわーっ!たっのしーいっ!!)
と、猿になって庭を飛ぶ。
池を見つけたのでトンッと音を立てず木から地面に降りた。
瞬間気配を感じて振り向いた。
「そんな格好なので、声をかけるのを迷ったんだが……」
と令息がエリシアのドレスのスカートを差し出してきたので、慌ててスカートを履いた。
苦笑しながら、
「マリウス・ワーグナーだ。エリシア・ホーキング嬢で合ってるかな?実は、令嬢なのに鍛えたような体格をしているのが気になって、申し訳ないと思いつつ、気配を消して後をつけていたんだ。気を悪くしたならすまない。
素晴らしい身体能力だね。
家族は知ってるの?」
と聞いてきた。
「いえ、家族は知りません。こっそりと夜に気配を消して、こうした運動をしているんです。最初は痩せたくて行っていたのですが、段々楽しくなってしまって。歯止めがきかず…… 今に至ります」
と無表情のまま話したが、その内心では
(ヤバイッ!!イケメンすぎるんですけど!!
お父様やお兄様でイケメン慣れしてるはずなのに、マリウス様別格っ!めちゃめちゃ好きなタイプだー!!)
と、脳内アドレナリンが出まくっていた。
そんなエリシアの内心を知られてはいないはずなのだが、マリウス様はこう告げた。
「唐突で大変申し訳ないのだが、俺の婚約者になってくれないだろうか?」
「……はい??」