予兆
夕暮れの空は、金と藍が混ざり合ったような色をしていた。
村の奥からは夕餉の支度の匂いが漂ってきて、どこか懐かしい気持ちにさせる。けれど、カナタはその香りから目を背けるように、小道を外れて歩いていた。
誰も来ないはずの広場に、火の明かりが揺れていた。
「……え?」
思わず足が止まった。
それは夢か、幻か──そう思うほど、唐突だった。
だが確かにそこには、焚き火が燃えていて、その前に一人の男が腰を下ろしていた。
フードを深く被り、顔は見えない。
けれど、その存在感は強烈だった。風が止まり、音が消え、世界の中心にぽつりと“異物”が置かれたような、そんな違和感。
カナタは知らず知らずのうちに、少しだけ近づいていた。
「……誰?」
その問いに、男は顔を上げることもなく答えた。
「名は、意味を持たない」
「……じゃあ、何をしてるの?」
「火を見ている。君も見るか?」
まるで日常の一幕のように、自然な声だった。
だが、どこか距離のある、不思議な響きだった。
カナタは、少しだけ間を置いてから、焚き火に目を移した。
ぱちり、と小枝が弾ける音がした。赤い火の粉が宙を舞い、空へと消えていく。
「……火なんて、久しぶりに見たかも」
「そうか。だが火は、いつもそこにある」
「……何が言いたいんだよ」
男は笑ったような気配を見せた。だが、顔は見えなかった。
「君は、まだ終わっていない。そうだろう?」
その言葉に、胸の奥がずくんと痛んだ。
「……何の話だよ」
「やがて分かる。夜になれば、呼び声が聞こえる」
そう言い残して、男はふいに立ち上がった。
焚き火の炎が風に揺れる。そして、次の瞬間──男の姿は消えていた。煙のように、影のように。そこにいたはずの存在が、まるで初めからいなかったかのように。
残されたのは、まだ赤く揺れる焚き火の残光だけ。
カナタはしばらく、その場に立ち尽くしていた。