8:ほうきのおじさん
その巨大な門は、街道の両側に立てられたピカピカの太い柱と、銀色の大きな扉で出来ていた。
手で押してみたけどビクともしない。表面は太陽の熱で熱い。すぐ手を離した。
引っ張ったり、横に動かしたり出来るような取っ手は見当たらない。どっちにしろ、小さな子供の力で開くようには見えなかった。
(これ以上は前に行けないのかな‥)
それにしても、向こうに見える高い建物はなんだろう‥? 。
そう思い悩んでいると、しゃしっ、しゃしっという音が聞こえていた。だんだん大きくなってくる。
左手の方から聞こえる。どうやら音の主は、壁沿いにこちらへやって来るようだ。
それは、ほうきで地面を掃くおじさんだった。
門の向こうにある建物と同じような、青みがかった灰色のツナギ服と、同じ色の帽子を被っている。
背中に大きな袋を背負っていて、長い取っ手が伸びていて蓋付きの箱型をしたちりとりを腰にぶら下げていた。
ほうきのおじさんは、黙々と掃除をしながら僕の方までやって来た。
しゃしっ、しゃしっ‥。ほうきの音が辺りに単調に響く。
時折、ちりとりを降ろして中にごみを掃き込んだ。カタン‥、ざさっ、ざさっ‥。
僕は、邪魔にならないよう後ろに下がった。
おじさんは僕と門の間を通りすぎると、真っ直ぐ行かずに、こちらへカーブするコースを取った。
しゃしっ、しゃしっ‥。
おじさんは、僕の周りをほうきで黙々と掃き始めた。
しゃしっ、しゃしっ‥。
僕はなんだか怖くなってきた。
掃き進むほうきの通る道が、僕の周りをぐるぐると取り囲むように進んでいて、その輪がだんだん小さくなってきていたのだ。
僕はおじさんから目を離せず、何度も首を巡らせた。
おじさんは周回を繰り返しつつどんどん近づいて来て、とうとう僕のすぐ目の前に来た。
しゃしっ!、しゃしっ!。しゃじっ!、しゃじっ!‥。
ほうきの先っぽが僕の向こうずねを引っ掻いた。
「いたい!」
僕は泣き出しそうになった。
その時、ガシャリと音がして、門の一部が横へ滑り始めた。
しゃしっ、しゃしっ‥が止まった。
門の開いた空間に、もう一人のおじさんが立っていた。その向こうには、建物が沢山建っていてーー。
また、ガシャンっと音。びっくりして目をつぶってしまった。目を開くと、門はもう閉じられていた。
二人目のおじさんは、気を付けの姿勢で立っていた。ほうきのおじさんとまったく同じ格好で、袋もチリトリも身に付けてるけど、ほうきだけ持っていなかった。
ほうきのおじさんは、二人目のおじさんの前まで歩くと、同じように気を付けをした。ほうきを前に立てたまま差し出すと、二人目のおじさんがほうきに手を伸ばした。
そして二人とも、握ったままのほうきを中心にくるりと回転した。素早い足の動きで、あっという間に二人の位置が入れ替わった。
二人同時に振り返ると、互いに背を向けた。ガシャリと門が開き、一人目のおじさんは中へ入っていった。
くぐり抜けた途端に、ガシャンと門が閉まった。
二人目のおじさんは、地面を見た。何かを探すように目が動いている。
やがて、僕の足元に目を止めた。すたすたと僕の前に歩いてきた。
おじさんはほうきを構えると、僕をじっとみた。ちょっと、ぼおっとしてるような目。触るとざらざらしそうな髭が短く伸びていてーー。
「おまえ、『会社』に何かようなのか?」
急にしゃべられたので、僕はびっくりした。
「えっ‥。あの‥違います」
「じゃあ、”そこ”をどいてくれんか、掃除が出来ない」
僕は、足元を見た。
その周りを、ほうきで掃いて出来た線が、綺麗に円を描いていてーー。
あっ‥と気がついた。その円を踏まないように、大きくまたいで、そこをどいた。
おじさんは、僕が立っていた場所を掃き始めた。
門の周りはほうきで掃き清められ、すっかり綺麗になっていた。僕の立っていた場所だけを除いて‥。
(僕は、掃除の邪魔をしてたんだ‥)
知らない間に人に迷惑を掛けてたと判り、僕はしょんぼりした。
また、しゃしっ、しゃしっ‥が始まった。
二人目のほうきのおじさんは、手を休めずに言った。
「なあおまえ‥。ここに立ってたら邪魔だよって、あいつに言われなかったか?」
「さっきのおじさんに? 。ううん、何も‥」
おじさんはため息をついた。
「あいつは無口だからなぁ‥」カタン、ざさっ、ざさっ‥。
僕は、何も言えずに立っていた。おじさんは、手を止めると、僕を見た。
「そこでそうしていて、楽しいか?」
「え‥‥」
僕は、小さく首を振った。
「そうか。じゃあ、楽しいと思う事をしろ」
そう言うと、おじさんはまた掃除を始めた。
僕は、考えた。
(今日僕がした事って、「楽しい事」なのかな‥?)
よく、判らなかった。
しゃしっ、しゃしっ‥。
「‥おじさんは、楽しいと思う事をしているの?」
おじさんは振り返らずに答えた。
「どうだろうなあ‥。楽しいと思えば楽しい。楽しくないと思えば楽しくない。その日によって違うんだ」
「同じことをしてても?」
「そうだ。坊主も大きくなれば判るさ」
大人が「大きくなれば判るさ」と言うときは、「これ以上何かを聞いて俺を困らせるな」と言う意味だった。
だから僕は「うん、わかった」とだけ答えて、それ以上何も聞かなかった。
「さようなら‥」
ほうきのおじさんは、黙って地面を掃き続けていた。
ゴミなんて、ほとんど落ちていないのに。
〜つづく〜