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7:すばらしいまち

 もっと小さい頃。母さんに、ちぎり絵で街を描いてもらったことがある。

 あれは、何日も降り続く雨の為に、ずっと家に閉じ込められていた日の事だった。 


 母さんは、家中から色の付いた紙を集めてきた。白い紙をちぎり、真っ青の画用紙に沢山貼りつけていった。

 僕はそれを指差して「くも」だと言ったらしい。母さんは首を振り、「これは『おうち』なのよ」と、辛抱強く教えたそうだ。

 そのちぎり絵は「すばらしいまち」と名付けられ、窓の側に飾られた。

 「すばらしい」という言葉は、一目見ただけで、ああ凄いなと心から気に入ってしまう事なのだと教えられた。

 でも僕は、「すばらしいまち」に描かれた赤い屋根の家や、白い船の浮かんだ青い川よりも、

 家の窓から見える、サビと砂埃で赤茶色にけむって見える大工場や、水の無い川である真っ黒なナラクの方が好きだった。

 

 今、僕の目の前にある街こそが、母さんの描いた「すばらしいまち」なのだった。

 白い壁に赤い屋根、青い空を背景に、まるで絵のように。ずぅっと何軒も続いてる。

 確かに美しい眺めだった。道にはごみ一つ落ちてない。

 でも僕はその街が好きになれなかった。

 道を通る人が誰も居ないし、立ち並ぶどの家にも窓が一枚も無い事が、どうしようもなく僕を不安にさせた。まるで、目と鼻の無い人の顔を見せられたようだった。

 僕は母さんに聞いた事がある。

 「どうして、『すばらしいまち』のお家には窓がないの?」

 母さんは、

 「その方が『すばらしい』からよ」

 と、言った。

 僕はその時、母さんの言ってる事の意味が全然判らなかった。それは、本物の「すばらしいまち」を歩いてる時も同じだった。


 街道はゆるくカーブしているので、道の先に何があるのかは見えなかった。

 どこまで歩いても周りの風景が変わらないので、まるでちぎり絵の「すばらしいまち」に閉じ込められて迷子になったみたいだった。

 

 ナラク橋の上で出会った親子ーー。きっと、ここから来たに違いない。僕はそう思っていた。

 女の子も両親も高そうな服を着ていたし、車輪のついた大きなカバンを転がしながら旅行に出かけていったのだ。そんな事をするのは金持ちだけで、そして金持ちが住んでいるのはこの辺りのはずだった。

 でも、道に誰も人が居ないのでは、あの親子の事を聞いて回ることが出来ない。

 あの親子が誰なのか、そしてあの女の子は‥、あの女の子は‥。


 僕は、あの女の子の何を知りたいのだろう‥。

 夜。ナラク橋から飛び降りた女の子。その女の子と、同じ服と同じ顔をしていた女の子。二人は別人で、姉妹でも無くてーー。

 いったい僕は、”あの女の子”から何を知りたいのだろう‥。


 とつぜん、それまでとは違うものが目に入った。道端に人がいたのだ。

 どこかのおばさんだった。小さな折りたたみ式の椅子に座り、エプロンを付けたまま家の門の前でタバコを吸っている。

 僕をじっと見ていた。でも、睨んでるような目じゃなかったので、僕もおばさんを見つめた。


 「こんにちは、坊や」

 「こんにちは‥」

 僕は立ち止まり、ちょっとうつむきながら、手を後ろに組んでもじもじした。こうすれば、たいていの大人は「どうしたの?」って聞いてくるはずだった。

 でも、そのおばさんは、タバコをくわえながらじっと僕を見ているだけだった。

 僕は、そわそわと辺りを見回した。他には誰も居ない。何かを聞きたいなら、この人に聞くしかない‥。


 「あの‥。あのね‥」

 「ぅん?」

 おばさんは頬づえを付いた。

 僕は、ナラク橋(があると思う方向)を振り返った。

 「あのぉ、ええと‥。僕、誰かを探してるんです」

 「はん? 。誰を」

 「お‥、おんな‥の子です。僕‥よりちょっと大きいくて」

 「女の子だけじゃわかんないよ。名前はなんて言うの?」

 「わかんないんです。あの‥、服が、白い服の、スカートをはいていて、長い髪で。あと‥目が青くて、唇が赤くて‥」

 「そんな女の子はこの辺りにたくさんいるよ。その子がいったいどうしたの? 。何をしたいの?」

 それは絶対に答えられない質問だった。なにしろ、僕にも判らないのだから。


 「落しもの‥が、あるんです。だから‥‥」

 「ああ!、そういう事かい。その子は、この辺りに住んでるの?」

 「たぶん‥」

 「はっきりしない子だねぇ」

 ”落し物”‥。とっさに口に出てしまった言葉だった。なんでそんな事を言ってしまったのかーー。


 「おとうさん‥、あと、おとうさんとおかあさんが一緒に居ました」

 「その女の子と一緒にいたの?」

 「はい!。えと‥、グレーの長い服を着ていました。端っこにくちゃくちゃっと線が付いてて」

 「おかあさんが?」

 僕は首を振った。

 「ううん!、おとうさんが。お母さんは‥、ええと、白い服のスカートで、赤い服を着ててーー」

 「はん? 。白いのか赤いのかどっちなの!」

 「えと‥だから、白い下のスカートと、上に赤い服をちっちゃく着て‥ました」

 おばさんは、ぼりぼりと頭をかいた。


 「ああ‥うーん、そう言われてもねぇ。そういう奥さんはあちこちにいるよ」

 僕は、橋の上で見た光景を一生懸命思い浮かべた。女の子の白いスカート、太陽できらきらとオレンジに光っててーー、背の高いお父さんと、背中に穴の開いたお母さんがーー。

 「あ!。背中に穴が開いてました」

 「ん‥? 、お母さんが?」

 「はい。丸く穴があって、くろの、黒い服が見えてて‥」

 そこで、おばさんの顔が変わった。くわえたタバコをさっと手に持つと、口を大きく開けて(金歯が沢山見える)、

 「ああっ‥! 。あの家の! 。ああ~、ああ~‥」

 「知ってるんですか」

 おばさんは、地面に置いた空き缶に素早くタバコの灰を落とすと、また口にくわえた。

 「あー、いってるよいってる」

 知ってるよ知ってる‥と言ったのだろうか。おばさんは思いっきりタバコを吸い上げると、上を向き、煙をわーっと吐き出した。

 僕の顔にも煙が来た。けほん、けほん‥。

 おばさんは、空き缶の内側でタバコをもみ消した。僕はほっとした。


 「あの‥、知ってるんですか?」

 おばさんはひょいと顔を上げると、目を閉じて、アゴで釘を打つように何度もうなずいた。

 その時僕は、ようやく女の子の手がかりを掴む事が出来たのだ。

 でも僕は、素直に喜ぶ事が出来なかった。

 家を見つけて、あの女の子に会ったとしても、それから何をすればいいのだろうーー。

 「あの人達なら逃げたよ」

 ーーー「えっ!」

 「逃げた」

 「にげ‥た?」

 おばさんは、説明に困った大人がよくするように、目線をそらして頭を掻いた。

 「あー、だから‥。その、引っ越したんだよ」

 「ひっこし‥たんですか? 」

 「ああそうだよ。つい、こないだね」

 「あの、その人達‥、戻ってくるんですか?」

 「どおうだかねぇ~‥‥」


 おばさんは、傍らにおいたバッグからチョコレートの箱を出した。

 「手を出しな」

 「あ!、はい」

 おばさんは僕の手のひらに、銀紙に包まれたチョコレートを三個くれた。

 「ありがとう」

 「ポッケへ入れずにすぐ食べるんだよ。溶けるからね」

 「はい」

 歩き通しでお腹がすいていた事を、その時になって気が付いた。僕は夢中でチョコレートを食べた。アーモンド入りのチョコは滅多に食べられない。凄く美味しかった。

 「落し物ってなんなの。わたしが預かっといてやろうか?」

 僕はどきりとした。何度も首を振る。

 「ううん。いいです‥‥」

 「どうして?」

 食べ終わったチョコレートの銀紙をぎゅっと握りしめた。どうしよう、なんて言えば‥。

 「あの‥、あのぉ‥‥」

 「うん?」 

 「あのね‥、これ‥‥秘密なんだ」

 おばさんは吹き出した。

 「はははっ。ひみちゅかぁ。まいったね、子供にはかなわないよ」

 おばさんは立ち上がると、エプロンへ落ちた灰を払い落とした。


 「さぁて、家に戻らないと‥。それじゃあね、ぼうや」

 「はい‥。さようなら。チョコレートありがとう」

 おばさんは椅子をたたんで抱えると、鉄格子の大きな門に付いた小さなドアを開けて中へ入った。僕は急に大事な事を思いついた。

 「あのっ、すみません」

 「なんだい?」

 「その女の子‥、旅行に行っちゃった人達‥、なんて言う名前なんですか?」

 おばさんは、何かを言いかけて口を開いた。でも、ふふっとため息混じりに笑い、言った。

 「そいつはね、ぼうや。”秘密”だよ」

 ははははと笑いながらドアを閉めて、おばさんは家へ戻っていった。


 僕はしばらく立ちつくした。僕が「秘密」なんて言ったから、お返しされたんだ。

 失敗しちゃった‥。そんな気持で頭が一杯だった。

 

 僕はまた、とぼとぼと道を歩き始めた。

 茶色の木の壁と、オレンジの路面。青い空に白い家と赤い屋根。それがいつまでも続いていた。

 さっきのおばさん以外には、誰にも会わなかった。

 やがて、赤い屋根の波の上に、青みがかった灰色の建物がいくつも見えてきた。

 

 さらに歩くと、ぎらぎらと銀色に光る大きな門があった。

 街道は、そこで終わっていた。


 〜つづく〜


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