6:憲兵
次の日。
僕は、親子を探しに出かけた。もちろん、あの女の子に会うためだ。
女の子に会って何かを伝えたいとか、何かをするつもりだとかは考えていなかった。
暗い橋の上で出会った青白く光る小さな人影が、熱病の様にいつまでも頭から離れなかった。
とにかく女の子の姿を探し続けた。ただそうせずにはいられなかったのだ。
ナラク橋へ行くと、出口の支柱に寄りかかり、通り過ぎて行く人々の列を眺めた。
人の目をジロジロ見ると睨みつけられる事。目が合いそうになったら、キョロキョロとあたりを見回せば睨みつけられずに済む事。それを知った事だけが、この日僕が手に入れたものだった。
僕は毎日、橋の袂に立った。あの親子が行ってしまった道から、そのうちまたナラク橋へ戻ってくると僕は思い込んでいた。
一週間後、どうやらそうじゃないらしいと気づいた。
親子が歩いて行った通りは、その先で二つに別れ、一つは駅、一つは港へと続いている。親子が汽車と船のどちらで旅行に出かけたのかは、もう知りようがない。
僕は、ナラク橋を渡り、親子がやって来た方角へと足を向けた。
綺麗でしみ一つなく、形が変わってて、いかにも高そうな服を来てる人達がたくさん住んでいる所を、僕は知っていた。
商工業地区の道はどこもそうだけど、細い道がくねくねと入り組んであちこちに伸びている。飲み屋街はその向こうにある。
僕は通い慣れたくねくね道を通らずに、ナラク橋から続く街道を真っすぐに進んだ。
鉄板とパイプをめちゃくちゃに積み重ねて作った山のような大工場の脇を通りすぎた。
平日の日中だったから、大人達はみんな工場の中なのだろう。街道は荷汽車の長い列がガタゴトと通りすぎる他は、人通りも少なく閑散としてしている。荷汽車の鉄輪が巻き上げる砂埃で、つねに埃っぽかった。
大工場沿いの高い壁に沿って歩くと、ときおり大きな門があって、そこに立つ憲兵がいつも僕を睨みつけてきた。
僕はまっすぐに前を向いて、さっさと通り過ぎた。僕は迷子じゃないし、どこかに行くつもりかちゃんと判ってて歩いてるんだと思わせたかった。
通り過ぎる門の中には、ひどく錆びついて、何年も開けた事が無いんじゃないかと思うような古い門もあった。その前にも憲兵が立ってるのが不思議だった。
‥なんか様子が変だ。身体が全然揺れてない。でもやっぱり、こっちをジロジロと睨んでるーー。
僕は怖かったから、やっぱりまっすぐ前を向き、そのまま通り過ぎた。
そういった古い門の前には、いつも落ち葉が降り積もっていた。それを3つ程通り過ぎた時、僕は気がついた。憲兵の足元にも落ち葉が積もっていたのだ。そしてお菓子の空き箱も。
僕は、思い切って憲兵の方へ顔を向けた。右の腕が無い‥。人形だった。
なんだ‥と思い、ほっとした。少なくとも、こういう閉め切られた古い門の前ではビクビクしなくても良いのだ。
僕は人形の傍へ行った。枯れ葉が一杯たまってて、すり足で歩くと前方に葉っぱで津波が起きた。
落ち葉の山に潜った足を蹴り上げて人形に浴びせかけた。憲兵の顔はむっと怒った顔のまま固まっている。
どんなイタズラしても怒らない憲兵。こんな面白いおもちゃがあったなんて‥。僕は嬉しくなった。
人形の足元に腕が落ちていた。持ち上げると重くて湿っぽかった。
腕の付け根にネジが付いていた。人形の肩をみると、小さな穴が空いていた。
僕は腕を拾い上げた。布みたいな手触りで、カビ臭い。
手のひらの側を持ち、腕を持ち上げた。
‥ネジも穴もあるのなら、またくっつくかもしれない。
重心が上に行ってふらつき、なかなか入らない。
ネジが肩にコツンと当たると、砂がパラパラと目に降って来た。顔をそむけながら、どうにかネジを穴にはめ込んだ。
そっと手を離した。腕は落ちない。
良い事をしたんだ。そんな気分になった。
背後を荷汽車が通っていった。ゴツゴツと下から突き上げられるような振動。腕はぶらぶらと揺れて、どさりと落ちた。
「ちぇっ」
僕は落ちた腕を蹴ると、腰に両手を当てて人形を見上げた。
「だらしが無いなあ。せっかく直してやったのに‥。たるんどるぞ、キサマぁ」
僕はほっぺたを打とうとして飛び上がった。届かない。
「キサマっ、ハンコウするつもりかぁっ」
僕は人形の腹をげんこつで叩いた。
その時の僕は、すごくニヤニヤしていたと思う。いつも親父に殴られている仕返しのつもりだったのだろう。
「判ったか! 。判ったら返事をしろっ」
その時、人形の目が動いた。
「あれ‥?」
次の瞬間、ピィーッともポォーッともつかぬ大きな音が耳を貫いた。僕は飛び上がった。
そして、大きな犬が吠える様にガミガミと怒鳴る声。
「こらっ!。貴様そこで何をやってるんだ。無断で工場の敷地内に立ち入ってはいかんっ!」
僕は辺りを見回した。誰も居ない。
「今からそこへ行くからな、動くんじゃないぞ、貴様っ」
どうやら声は人形から出ているらしい。僕は急いで逃げ出した。
後ろから憲兵が追いかけてくるんじゃないかと不安だった。心臓が破裂しそうにドキドキしていたけど、必死で走った。
次の門が見えてきた。さっきの荷汽車がその中へ入っていくからーー、「使われている門」だ。今度の憲兵は人形じゃない。
僕は立ち止まった。
捕まったらどうしよう‥。
後ろを振り返った。さっきの門には今頃憲兵が駆けつけてるだろう。そこに誰も居ないと知って、こちらへやってくるかもしれない。
戻ったらきっと捕まる。でも、次の門に立っている憲兵は、僕の事をまだ聞いてなくて知らないかもしれない‥。
悩んでる時間はなかった。僕は歩き出した。
普通にするんだ。普通に、普通に‥。
僕はこれまで通り前を向いて歩いた。憲兵はやっぱり睨みつけてるけど、こちらにやっては来なかった。
動かないで‥お願いだから、そこにじっとしてて‥。
無事通り過ぎた。でも、通り過ぎた後もまだ、怖かった。背中にも目が付いてればいいのにと物凄く思った。
精一杯耳を澄ませる。こちらへやってくる足音は聞こえてこない。
ずっと工場脇を通っていた街道が、前方で左に折れていた。それは目的の場所へと向かう方角で、工場の憲兵達ともう遭わずに済むと言う事だった。
歩く速度が自然に早くなり、いつの間にか駆け出していた。
駆けながら振り向いた。僕を追いかけてくるような人影は見当たらないーー。
僕は立ち止まり、膝に手を手を付いて息を喘がせた。
大工場は、街道沿いに連なる平屋の町工場の影に隠れ、お椀を伏せたような丸い屋根が見えるだけだった。その横に白い塔が見える。
「あんな所に、塔が建ってたんだ‥‥」
初めて見る建物だった。きっと、僕の家からは大工場に隠れて見えなかったのだろう。
横にでこぼこしていて不恰好だけど、かなり高そうな塔だった。
トンカントンカン、ガラガラガラガラ、ジィーッジィーッ。急に、色々な音が辺りの町工場から聞こえてきた。
その騒がしい音が、妙に気持ちを落ち着かせた。僕は、また歩き出した。
しばらくすると、灰色の大きな建物が並ぶ場所を通った。全て倉庫なのだろう。
町工場から離れた為か、やけに静かだった。
さらに進む。
やがて、住宅街に差し掛かった。
でも、僕らが住んでる様な住宅街じゃない。
細かなレンガで模様が描かれた綺麗な路面。色とりどりの花が植えられた花壇と高い樹が並ぶ沿道。廃材や錆びたパイプで無く、木の板で出来たなめらかな壁。その壁の奥に、こじんまりとした家が建っていてーー。
そういうのが道沿いにずっと続いていた。
富裕街。来るのは始めてだった。
そこは、親父の様な手と体を使う仕事で無く、頭と言葉を使って仕事をする人達が住む場所だった。
「本当だったんだ‥」
小さな頃に、母さんから話しに聞いていた通りの場所だった。
どの家にも、窓がなかったのだ。
〜つづく〜
【あとがき】
HPで大規模な更新作業をしていたため、しばらくこちらへの連載を中断していましたが、久々に再開させて頂きます。
一応最後まで書くつもりですが、プロットを書く度にボリュームが増えていくので、また途中で小休止してしまったらごめんなさいです。(当初は短編のはずだったんだけど‥)
ちなみに、挿絵の方はまた、話が一区切り付いてから描かせて頂きます。
結構頑張ったつもりだったんですが、一日に一点づつ描くのが精一杯でした。もっと手際よくやらないと、とても全話分描けないぞ、俺‥。orz(←しっかりするのだ)
‥というわけで、あれこれ悩みつつも、最後まで頑張ります!。
(`・ω・́)ゝ