5:お尻のおばさん
”がんっっ! ”
いきなりげんこつが飛んで来た。
いたい‥。
ものすごく痛い。
僕は、頭を押さえて振り返った。
拳を降ろした父親。その向こうで、お尻のおばさんが腰に手を当てている。
おばさんの足下には大きな紙袋が落ちていて、中から肉の包みや野菜なんかが飛び出し地面にばらまかれていた。
‥カミサマ、何で子供って、何かをする時大人を怒らせずに出来ないの? 。
と、思った。
二人とも凄く怖い顔で、それが僕のためにしているのが凄く嫌でーー。
どうして子供なんかに生まれてきちゃったんだろう‥。
僕はべそをかいた。
親父は黙ったまま僕のシャツの襟をつかむと、おばさんの前まで引きずっていった。
頭をぐいぐい押さえられ、何度も何度もごめんなさいをして、落ちた物を拾い集めた。
親父は食べ物の汚れを一つ一つ袖で拭き落とし袋に詰め戻すと、
これでなんとかとおばさんに差し出した。
おばさんは受けとろうとしない。
親父は袋の底についた泥に気づくと。片足立ちをして膝でぬぐった。
いやあ、うちの坊主が失礼しましたとかなんとか。
おばさんは受け取ろうとしない。
ただ、
「弁償しなさい」
と言った。
おやじはきっとごねるだろうなと思った。酒代以外にはものすごくケチだから。
でも親父は、ちょっとのあいだ肩を落としただけで直ぐに財布を取り出した。
大きなため息。さっきの僕みたいに。
おばさんはお金をひったくるように受け取ると、身体に似合わず小さな財布に入れて素早くしまいこんだ。
ついでに紙袋までひったくった。
親父と僕はあっけにとられた。
「奥さん、そのぉ‥お金は渡したのだから、その食料はこちららにもらえませんかね」
まあおどろいた。といった顔のおばさん。
「あなた達、こんな地面に落ちた不潔な物を食べようとでも言うの?」
「じゃあ‥、あたなはどうするんで?」
「もちろん、処分するざます」
嘘だ。肉は包みに包まれてたし、お芋や人参だって洗って皮を剥けば済む事じゃないか。
お金と一緒に、食料までふんだくろうとしてるんだ。僕は唇を噛んだ。
おやじは粘り強く説得した。あの喧嘩っ早い親父が、めずらしく微笑みさえ浮かべている。
「あー、それは‥、奥さん、私らの方でやりましょう」
親父は紙袋へ手を伸ばしたが、おばさんは手をはねのける様に背を向けると、肩をひとゆすりしてずかずかと歩いて行ってしまった。
「ちょっとあんた! 、いくらんなんでもそれは貰いすぎだろう」
さすがに親父も怒った。
いいぞ、そうこなくっちゃ。
ところが、親父は一歩踏み出しただけでしゃがみ込んでしまった。
「あれ? 、父さんどうしたの? 。あのおばさん行っちゃうよ!」
親父の怒りの矛先がおばさんに向けられたので、僕は何とか親父をけしかけようと必死だった。
「うぅ‥‥」
親父は苦しそうにうめいた。
お腹を押さえて、ぜぇぜぇと荒い息を吐いてる。
えへんと大きな咳払い。ちょっと粘つく様な音でーー。
僕は、不安になった。
「どうかしたの? 、父さん‥」
やがて、ふうと一息つくと、親父は立上がった。
「‥なんでもない。くそ、昨夜は飲み過ぎた」
「昨夜? ‥」
「行くぞ」
「どこに?」
「家に帰るんだ! 。決まってるだろう」
またゲンコツが降ると思い、身体をすくめて目をぎゅっと閉じた。
今度は降ってこなかった。
親父は肩を落として歩き出した。
僕は心の底からがっかりした。
今日はレストランでバーベキューを食べるはずだったのに‥。
半年ぶりの外食だったのに‥。
ずきずきと頭が痛む。手をやるとこぶが出来ていた。
ご飯も食べられないし、お金も取られちゃうし、強烈なゲンコツをもらうし、今日は何もいい事ないじゃないか‥。
また涙がにじんできた。
「お前‥」
親父が急に口を開いた。
僕はすごく腹が腹が立っていたので、すぐには返事をしなかった。
「あの親子に、どんないたずらをしてたんだ」
「イタズラなんかしてないよ!」
ムッとした。
僕がどんなに大変な思いをしてたのか、父さんはちっとも判ってないんだ‥。
‥‥‥。
でも、もし、「じゃあ何してたんだ」と聞かれたらどうしよう‥。
昨日変な夢を見て、それがあんまり本当みたいだったからつい信じてしまって、
それで勘違いをして、よそのお家の人たちにーー。
「僕のこと知ってる?」
って聞いていた‥なんて、とても言えなかった。
そんな事したら、頭がおかしくなったのかと思われてしまう。
僕は不安になった。
「ああいう連中にはちょっかいを出すんじゃない。覚えておけ」
ただ注意をされただけだった。ちょっと安心してーー、口が滑った。
「お金持ちにはへいこらしろって事だね」
「そうじゃ無い!」
拳骨が降ると思った。まったくもう、カミナリは一度に一回で十分だ。
でも、降って来たのは奇妙な言葉だった。
「‥あれはカナリアの妹だ」
「なあに、それ? ‥。だいたい、あの子はお姉さんも妹も居ないって言ってたよ」
「お前、そんな事聞いてたのか!」
はっと首をすくめて目を閉じた。こんどこそ拳骨が‥。
でも、降って来たのはため息だった。
「‥とにかくあの親子には関わるんじゃない。判ったか!」
‥‥‥。
「返事は?」
「はい‥」
親父はそれっきり、何も言わなかった。
僕は足元の石ころを蹴った。憎しみを込めて。
お腹がグゥと鳴った。
‥別に僕は、何か悪い事をしようとしたわけじゃないんだ。
みんなあの夢が悪いんだ。
あんな夢さえ見なければ、今頃はおいしいお肉をお腹いっぱいに‥。
口を尖らせて、親父の顔を見上げた。
苦い薬でも飲んだみたいな顔だった。
暑くなったのか、帽子をとると、ぐいと額の汗をぬぐった。
僕は見た。
右の目上。紫色に。
葉っぱみたいな形のアザ‥。
女の人にチョッカイでも出したのかもしれないーー。
皿の上のくし。まだ肉が三切れ残ってるーー。
ぴしゃりと乱暴に閉まった扉。まるで僕が悪いみたいにーー。
‥‥「昨日」は確かにあった。
あれは夢ではなかったのだ。
〜つづく〜