第三十四話 あさひの場合、君の歌に応える頃
ゆうちゃんと二人で急いで、非常階段を駆けあがって、踊り場に辿り着いた時。
『さあ、出番だよ、まひる―――』
情けないけど、そのまま泣きだしそうになった。
だって、あなたがステージの上に、また立っていた。
たった―――たったそれだけのことで、胸の奥から沢山の熱い何かが溢れ出してきそうになる。
だってあなたが歌を諦めたことを知っているから。
だってあなたがたくさんの言葉に傷ついたことを知っているから。
だってあなたがその疵を隠してきた表情をずっと見てきたから。
そんなあなたが今―――。
少し緊張したような表情で、でもそれでもそんな仕草を無理に隠さずに、不思議な安心感を纏ったまま。
吐かれた息の奥にあるかすかな震えも、立ち振る舞いの中の少し落ち着かない様子も、あなたのことをずっとずっと見てきたから解ってしまう。
でも、そんな微かな揺らぎの中で、あなたは確かにその場所に立っていた。
胸の奥がぎゅって不意に締め付けられる、頑張れ頑張れって気づけば口が無意識のうちに動いてる。
会場は少しざわついた後、しんと静まって―――ただ、あなたの声を待っていた。
ゆっくりと君はステージの真ん中まで歩ききると、まよいさんと少し言葉を交わして、そっとマイクを受け取った。
今、まひるちゃん、どんな気持ちだろう。
そこにあるはずの緊張や、不安が、どうしてか私まで同じように感じてしまう。胸がぎゅっと詰まって、涙腺がぐちゃぐちゃに震えて、呼吸すら忘れてしまう。
ただ、それでも、あなたは―――。
『どうも、ぱららいずボーカル、まひるです』
そう言葉を紡いだ。
まるで、長年の旧友に久しく会うかのように、気安く気楽に。
でも時々混じる吐息にかすかな緊張が滲んでいるのは変わりない。
それでも、そうすると決めたのだとわかった、怖くても、それでもいつも通り一歩踏み出したのだと、そうわかった。
『お久しぶりです。元気にしてました? みなさん。私は……元気だったり、元気じゃなかったり。まあ、色々ありました』
『なんやかんやあって、ぱららいずは再スタートすることになりました。そんな今日に、ここに、こうやってあなたたちが集まってくれて、凄く嬉しい。本当はもう、それだけで泣いちゃいそうなんだけど』
あなたは口を開き続ける。
みんなが抱えている不安や怖さを受容れて、それでもあなたはありのまま、ゆっくりと歩くようなペースで、そこにいる一人一人に語り掛けるように言葉を紡いでいく。
『でも、泣いてちゃ唄えないんで、今日、終わるまでは泣くの頑張って我慢します。だから、どうぞ最後までお付き合いください』
そうしてからふっと小さな静寂が訪れる。
その後に。
『今日、この唄は――――たくさんの愛をくれたあなたたちに――――『あなた』のために唄います』
え―――、と声が漏れた。
そして、気のせいだろうか。
よくステージが見えるといっても、それなりに離れている非常階段のこの場所に。
あなたの視線が―――じっと向けられた気がした。
どうして今、まひるちゃん、言い直したの、『あなた』って――――?
疑念が解消する間もなく。
『どうぞ、聞いてください――――――
『アイのことば』』
その―――曲目は。
まひるちゃんが――――ぱららいずが、ライブではほとんどの演奏することのなかった曲。
ファーストアルバムの、限定盤にだけつけられて、まひるちゃんは『うまく歌えなかった』と言ってお蔵入りにしていた曲。
会場が一瞬、動揺と期待でざわついたけど。
それを打ち消すように、まひるちゃんの背後の三人が高らかに音を鳴らした。
『――――痺れていって』
そして、あなたは。
そう告げる、その瞬間まで、確かにずっと。
ずっと―――――私だけを見つめてた。
※
私は結局、ずっと自分なんかを誰かに好きになって貰えることなんて、絶対ないって想ってた。
だって、私は自分独りじゃ何一つだって決められないし。
だって、私はまひるちゃんみたいな、みんなに愛されるほどの輝きもないし。
よぞらちゃんみたいな、誰にも負けない凛々しさもないし。
ゆうちゃんみたいな、誰に何と言われようと我が道を行く意思もない。
私自身に褒められるようなところは何もない、素敵なみんなにくっついてそれをどうにか誤魔化してるだけ。
『ファン』でいることに拘ったのは、結局のところそんな自分を知られるのが怖かったから。
だって誰かを応援するのは簡単だもの。
必死に自分なりの選択と責任をもって頑張っている誰かへ、外野から無責任に手だけ振っていればいい。
たくさんの人に紛れて、たくさんの声に紛れて、誰でもないまま、何の責任もないままに好き勝手言っていればいい。そうしていれば、なんの責任も負わないまま、自分も輝いているような錯覚に浸っていられた。
そしたら私自身がどれだけ魅力のない奴でも、誰も気にはしない。
画面の端に映ってるだけの『観客A』のことなんて、誰も知ろうとはしないように。
それでよかった、それがよかった。
それくらいに、私は私のことが嫌いだった。ずっと、ずっと。
だから、私が大嫌いな私は、自分のことを好いてくれる人なんているはずないって想ってた。
だから、あなたに好きって言ってもらえた時に。
……どうしたらいいかわからなかった。
そんなはずないって想った、こんな私、好かれる要素どこにもないじゃんって、そうやって今まで、何度も自分に言い聞かせてきたんだから。
心がぐちゃぐちゃで言葉の一つも飲み込めなかった。大好きなあなたが、大嫌いな私を肯定していることが上手く理解できなくて、ただ混乱することしかできなかった。
ああ……ただの『推し』と『ファン』でいられたら、あなたのことなんてうわべしか知らない遠い存在でいられたら、きっとこんなに悩むことはなかったのにね。
でも、君はそれでも私が好きだと言って、こんなどうしようもない私のことを知りたいって言ってくれた。
そしてそこに至るまでの過程で、私も『歌手』ではないあなたのことを知って、それでも、それ以上に好きになってしまっていた。
あなたのことを知ってしまった、あなたに私を知られてしまった。
最初は知られたくなかった、隠していたかった『独占欲』を抱く私も、『淫らな妄想』に溺れる私も、あなたには相応しくなくて、知られて嫌われることが怖くって。
ねえ、まひるちゃん。私は、あなたに好きになって貰えるような人間じゃないんだよ。
あなたにあいしてもらえる資格なんて、どこにもないよ。
そう言っているのにあなたは諦めてくれなくて。
それがどうしようもなく苦しいのに、あなたは私から逃げないでいてくれることに淡い希望を抱いたまま。
あなたに私を知って欲しいと想う矛盾した心は、結局どっちつかずのままだった。
でも――――。
もしかしたら、私もあなたに好いてもらえるだけの何かがあるんじゃないかって、そんな夢みたいな想いは結局消えてくれなくて。
だから今にして思えば、そのせいでずっとうじうじしていたのかな。
好きになって欲しいのに、いざ好きになって貰えたら怖くって、なのにやっぱり好きになって欲しくて。
裏も表もわからない、煮え切らないそんな想い。
めんどくさいかな、めんどくさいね。
……本当に。
でも。
でも。そんな私でも、今日初めてちゃんと自分の意思を口にできた……気がする。
たくさんの人に背を押してもらって、あなたの声に勇気を貰って。
そうやって我武者羅に走り出して、どうにか、ここまで辿り着いて。
そうして今、やっとこうして気がつけた。
あなたの好きを上手く受け止めきれなかった理由を。
あなたに好きになって貰える自信がなかった理由を。
あなたに―――こんな私を愛してもらえるはずないって、ずっと思い込んでいたこの心に。
やっと、やっと気が付くことができた気がする。
そう――――。
私は、愛される資格なんてないって、ずっと想ってた。
私のほんとの心を知ったら、みんな私のことが嫌いになるって想ってた。
私のしたいこととか、私の幸せとか考えだしたら、みんなに迷惑かけちゃうって、ずっとそう想ってたのに。
でも―――。
もし。
誰かにとって幸せの中に。
私の居場所があるのなら。
私の幸せが、誰かにとっての幸せになれるなら。
もしかして、私は誰かのことを好きになっても。
いいのかな。
あなたが歌ってる。
私のために唄ってくれてる。
『あなたがいれば幸せなんだ』
そうなの?
『あなたが笑っているのが、きっと何よりの幸せなんだ』
本当に?
『ずっと、ずっと』
私なんかで。
『好きだったよ』
本当にいいの?
『きっと君は知らないけれど』
わかんないよ。
『ずっとずっと想ってたんだ』
自信もないよ。
『君と一緒にご飯を食べて』
でも。
『君と一緒に遊びに行って』
もし、許されるなら。
『君と一緒に何度も話したあの夜の中で』
私も。
『君がどんな人なのか』
私もあなたと。
『君がどんな心を持っているのか』
あなたと同じことを想ってたいの。
『君にとって何が幸せか』
あなたにとって何が幸せか。
『ちょっとずつ知っていったその先に』
ちょっとずつ知っていって。
『私の幸せもそこにあるんだって気づいたんだよ』
あなたの幸せを一緒に感じてたいの。
『だから、君の隣にいたいよ』
だからね、あなたの隣にいたいよ。
『これからも、ずっと、ずっと』
まだ、ずっと、ずっと。
『君のことを知っていたいよ』
あなたのことを知っていたいの。
『そんなことを想ったら、少し胸が暖かくなったんだ』
ああ、涙ばかり溢れてくるのに、どうしてか胸は暖かい。
『だから―――ね?』
本当にいいのかな。
『これからも―――私と一緒にいてくれますか?』
私もあなたと一緒にいたいよ。
『あなたの想いをまた聞かせてくれますか?』
あなたに沢山知って欲しいよ。
『ずっとずっと、あなたを好きでいていいですか?』
あなたに好きになってもらいたいよ。
『ねえ』
まひるちゃん。
『――――あいしてる』
あいして欲しいよ。
『あいしてるよ』
誰より、あなたを。
あいしてたいよ。
零れた雫も、漏れた嗚咽も。
今はただ拭うことすらできなくて。
ぼろぼろと、ぼとぼとと、落ちるそれを振り払うことすらできないまま。
ただ君に向けて手を振っていた。
暗闇の中、握りしめたライトを精一杯、あなたに見えるように。
会場を包む轟音のような歓声に包まれながら。
それでも必死に、必死に応えてた。
「あいしてる!!」
君に届けと、あらん限りの声を震わせて。
「私もあいしてるよ、まひるちゃん!!!」
ただ、それしかできなかった。
ただ、それだけで幸せだった。




