第二十九話 まひるの場合、夜の頃
「ね、あさひ」
「どうしたの、まひるちゃん」
「ゲームしよ」
「――――」
ご飯を食べ終わって、二人で洗い物を終えたころ。
そんなことを言ってみたら、あさひの表情がぴたりと止まる。
そんな姿を私は微笑みを浮かべたまま、眺めてた。
君は固まった表情でどうにか言葉をさがそうとしてるけど、あまりうまくはいっていないみたい。
「…………なんのゲーム?」
「うーん? そりゃあいつものだよ『あいしてる』」
私がそう言うと、君の表情は今度は明確にぐらりと揺れる。動揺と不安が、眼元に如実に表れる。
「………………」
「今、いや?」
もしかしたら、心の準備ができていないのかもしれない。
ともすれば、次で決着がついてしまうから、当然と言えば当然だけど。
ただ、君は、少しの間、何かに耐えるように目を閉じて、やがてゆっくり瞼を開くと改めて首を横に振った。
「ううん、いいよ」
そんな君の言葉に、私は静かに微笑んだまま、眼を閉じる。
そんな些細なやり取りを楽しむように、惜しむように。
だって、終わりは近いのだから。
そして、私は、今日、このゲームを終わらせる気でいた。無論、私の勝ちで。
そんなことは露ほども知らないはずのあさひだけれど。
どこか覚悟を決めたような面持ちで、君は私のことをじっと見つめていた。
※
窓をふっと開けてみると、すっかりと靡く夜風は秋模様。今のご時世、半袖で気持ちよく過ごせる数少ない季節に微笑みながら、窓際で足を開いてこっちこっちと君を呼び寄せる。
あさひは少し躊躇うように足を迷わせていたけれど、やがて諦めたようにため息をつくと私の足元にすとんと腰を下ろした。相変わらず、私より小さくやわらかな身体はちょうどいい抱き心地だ。
「…………緊張してる?」
そうやって尋ねると、君の身体は吐き出される息とともに弱く震える。抱きしめているとその感覚がよくわかる。
「緊張しないほうがどうかしてると想うの」
「ま、確かに」
どう転んでも、何を告げても今日、私たちの関係は大きく変わる。
言葉が受け容れらるか、想いが否定されるか、何もわからない。わからないまま、口を開く。
「まひるちゃんは……余裕そうだね」
「んー、慣れかな。ライブ前はいつもこんな感じだったよ」
自分の言葉が他人にどう聞こえるか、どう伝わるかわからない。
それでもステージの上に立てば、歌い切るしかない、その時に出せる私の全てを出し切るしかない、たとえどう想われようと。そういう割りきりと、諦めを、綺麗な言い方をすると覚悟っていうらしい。
「ずるい、私ばっかり緊張してる……」
「緊張は、私もしてるよ、そういうふりに慣れてるだけ」
軽口をたたきながら、ふうと吐いた息に感情が全て溶けだして、身体から力が抜けていきそう。そうならないようにお腹の奥に少し力を溜めて、弱く震える喉のまま言葉を続ける。
「…………ほんとかなあ」
「ほんとだよ、で、肝心のゲームだけどさ」
あさひの体温を感じながら、秋風に目を細めつつ、言葉を続ける。決めていたことを一つ一つ、辿るように。
「…………うん」
「折角だし、基本に立ち戻るのはどうかなって」
「…………基本?」
「そう、愛してるゲームってほんとはさ、愛してるって言って、返事して、それを交互にどっちかが照れたり笑ったりするまで繰り返すゲームなんだけど」
つい、この間ネット記事で見た情報を想い出しながら、言葉を続ける。
「…………へえ」
「私ら、結構適当だったじゃん。ま、残り少ないし、最後くらいちゃんとした形でやってみるのもいいかなーって」
そう言いながら、ちらっと横目で君の表情を窺ってみる。んー、既にちょっと赤いけど、大丈夫かな。
「…………わかった」
うーん、大丈夫らしい、あさひは何か覚悟を決めるようにふんとお腹に力を入れている。私はそんな姿に苦笑しながら、ぽんぽんとその小さな肩を叩いた。
「ちなみに、向き合ってやるのが本来のルールなんだって」
ぐぅとあからさまな苦汁の声を聴く。ま、そうだよね、目線逸らしてたら、まだ感情誤魔化せるもんね。ただ、それでもあさひはゆっくりと、でもしっかりとこっちに向き直ってくれる。ま、もうすでにかなり顔が紅いんだけれど。
「ぐぬぬ…………」
「はは、大丈夫?」
このまま始めたら、一瞬で決着がつきそうだ。
あさひはしばらく唸ってから、軽く自分の頬を叩くと、ようやくじっと私と視線を合わせた。頬はまだ赤いけど、それはどっちかっちていうと、さっき叩いたからかな。表情は、凛としている。
「うん……! おっけー」
「よし、じゃ、はじめよっか」
そう言って、録音ボタンをぽんと押す。
ぴろんという、独特な音を立てながら、スマホの画面が赤く縁どられる。
「……順番は?」
「んー、じゃんけんで」
「よし…………最初はぐー」
「じゃんけん……」
「ぽん…………あ、やば」
私がチョキで、あさひはパー。
この世の終わりみたいな顔で、あさひの顔からみるみる血の気が引いていく。はは、そんな大げさな。
「じゃ、私からいくね」
「う、うん…………」
少しの間、沈黙が流れる。
そんな言葉の隙間を、秋の夜風が静かに流れて埋めていく。
「あさひ――――あいしてるよ」
言葉を紡ぐ。
「私も」
見つめた君はまっすぐな視線をこっちに返してくる。
「照れ……ないか、じゃ、次はそっちの番」
胸の奥が少しだけ熱くなる。
「あいしてるよ、まひるちゃん、世界で一番」
眼を見るのが少しだけ難しい。
「うん、私も」
吐いた息に少し熱が灯ってる。
「…………じゃ、次はそっち」
「あいしてる、ずっと、ずっと前から」
「うん、私もあいしてる、あなたに出会った時から」
「私は―――大学で出会ってしばらくしてからかな、一緒に居て、気付いたら好きになってた」
「………………そっか、私も好きだった。大学になってから、もっと」
「一緒に住んでからね……もっと好きになったかも」
「………………私はずっと、ずっとこれ以上ないってくらい好きだったよ」
「なにそれ、ずるい」
「そんなことない、まひるちゃんの方がずっとずるいよ」
「そうかなあ…………、うーんじゃあ、夏の水着すんごく可愛かった」
「まひるちゃんも水着すっごく綺麗だった、守ってくれて優しかった」
「うむむ……えと、あさひがキスしてきたの、すっごくびっくりした。そのまま寝ちゃうし」
「あ……あれは、その、色々抑えきれなくなったと言いますか……」
「お、照れてる?」
「照れてません。まひるちゃんだって、私が色々言った時、急にキスしてきたじゃん」
「あー……あれね、あれは、やられっぱなしはいけないと思いまして……」
「義務感だったの……?」
「いや、ちゃんと自由意思でしたけど、ほら、まだ気持ちが定まってなかったというか」
「じゃあ、今は定まっているというのですか?」
「う、うん、多分ちょっとは」
「私はずっと好き好き大好きあいしてるで固定だよ」
「うぐぐ……それ言われると弱いなあ……」
「まひるちゃん、私のこと好き? …………いや、やっぱなし、めんどくさい女過ぎる今の発言」
「……好きだよ」
「絶対照れた今」
「そんなこと言ったら、あさひの方も顔真っ赤じゃん」
「ていうか、途中から、お互いずっと顔真っ赤だよ」
「つまり、引き分け? だったら先十勝は私の勝ちなんだけど」
「だめ、だめ、それは絶対ダメだから。まだ決着はついてません」
「…………ははは、じゃあどうやって決着付けますか?」
「………………」
気づけば、二人して、恥ずかしいこと言い合って、お互い頬は真っ赤なまま視線は逸らして。でも向き合ってるから、照れてるのだけは何も隠せてなくて。
うーん、想ったよりぐだぐだだあ。まあ、私達らしいっちゃらしいけど。
「うーん、ずばっと決めるつもりだったんだけどなあ……」
そう簡単にはいかないか、と想いながら仕方なく笑ったら、あさひは何を想ったかぶんぶんと首を横に振りだした。
それから私の方をじっと睨むと、どことなく拗ねたような口調で口を開く。
「というか、私に対して、そんな好き好き言っていいの?」
「というーと?」
なんか好きって言っちゃダメな事情とかあったっけ。まあ、告白がまだ済んでいないのはそうだけど。
あさひはしばらく怯んだように顔を伏せていたけれど、やがて絞り出すように私をじっと見つめながら言葉を吐いてくる。
「…………私がどれだけ独占欲強いか、前言ったと想うのですけど」
返事をしながら、そういやそんなこともあったねーと頷いてみる。
いや、まあ、あさひ的にそれが一大事なのはよくわかってる。わかってはいるんだけれど…………。
「いやでも、正直、私は嬉しかった」
「―――――――――っ」
もちろん、あさひの考えている通りのことになったら、お互い縛りあって、結局苦しくなるのは解ってる。解ってるけど。
「それくらい、あいされてるってことでしょ。悩んでるのも、それだけ私のこと考えてくれてるから。あさひが本当に私のこと、唄えなくする気だったら、とっくの昔に出来てたでしょ?」
まよいとのことで苦しんだ時、二人でこうやって窓際で唄を唄っていた時。
あの時、何か呪いの言葉を吐いていれば、正直当時の私はそれだけで唄うことなんて止めていただろう。それくらい危うかった自覚はあるし、それくらいあさひの言葉に信頼を置いていた自覚もある。
止まり木が毒の棘の一つでも生やしていれば、翼が折れた鳥なんていとも簡単に二度と飛べなくなっていたに違いない。
「だから……なんていうかな、正直、あんまり心配してない」
そうやって私が言うと、あさひはきつく唇を閉じたままじっと、私を見ていた。
どこか―――怒ったような表情で。
あ、踏んだかな。地雷。
そう想った瞬間には、あさひの表情は必死なそれに変わってた。
「――――まひるちゃんは、わかってないよ」
そうやって強く、きつく結ばれた口から漏れた声に、きっと数えきれないほどの感情が込められていて。
私はそれをただ、じっとあさひの瞳を見つめたまま聞いていて。
そんな私達に窓から吹く秋風だけが、状況にそぐわないけど、どこか心地よかった。
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