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第二十六話 あさひの場合、反省の頃—③

 まず初めに、君の心に惹かれた。


 ついで君の歌に惹かれた。


 声に、言葉に、振る舞いに、私なんかが手を伸ばしても届かない場所で堂々と立っている君の姿に。


 そんな君の全てに惹かれて、それだけで満足だと想っていた。


 でも、いざ君の隣に立って、君が私の手の届く場所まで近くに来た時。


 その手のひらに、指を重ねられることを知った時。


 気づけば我慢できなくなっていた。


 君の笑顔に惹かれた。


 君の表情に惹かれた。


 君との時間に惹かれて。


 君に触れることに惹かれた。


 それはいけないことだった。それはやましいことだった。


 ファンとして、友人として、ルームメイトとして。


 それは抱いてはいけない想いだった。


 わかってる、そんなことは、嫌でも。


 なのに抑えきれなくて、とてもじゃないけど君には見せられないはずのこの想いは。


 それでも私の身体の中から消えてはくれなくて、どこか出口を探して、ずっと胸の奥で燻っていた。


 知られるのが怖いのに、知って欲しくて。


 聞かれるのが怖いのに、口は自然と開いてく。


 「ね、まひるちゃん、私ねほんとは、汚いの」


 リビングのソファで、いつも通り君の足の間にぽすんと身体を挟み込んで、体重を預けながらぽつりとつぶやく。


 君の顔は当然見えない、見るのが少し怖い。


 「まひるちゃんのこと好きだけど、それを想えば想うほど、やましいことばっかり考えちゃう。なんてことないよ、って顔しながら、頭の奥ではやらしいことばっかり考えてるの」


 自分の心の蓋を開いて見せたら、そこにあるのは醜くて悍ましくも生々しい、そんな欲。


 「きっとね、まひるちゃんが想ってもないような、いけないことを一杯考えちゃうの。ゲームのせいにして無理矢理したらとか、まひるちゃんを独り占めしたいとか、その…………もっと深くまで繋がりたいとか」


 繋ぐ言葉は曖昧だけど、それでも言ってはいけないことを言ってしまっていて、顔が熱くなってそのまま消えそうになる。それなのに、どうしてか不思議とするすると言葉の続きは溢れてくる。まるでずっと前から告げることを決めていたみたいに。


 「まだ返事を貰ってないから、そんなことしちゃいけないのはわかってるの。そうでなくても、こんなふうに汚い欲で見られたらまひるちゃんが嫌がるのはわかってる。……でも、わかってるのに、上手く止められなくて」


 恋とか、愛とか。


 まひるちゃんが歌の中で歌っていたのは、きっとこんな汚い想いじゃなかった。


 もっと純粋で尊くて、私なんかが抱く薄汚れた想いじゃなかった。


 『あんた、あいつの歌の何を聞いてたわけ?』


 脳裏に浮かんだまよいさんの言葉が棘のように私を刺してくる。


 痛い、辛い。


 でも、言わなくちゃ、まひるちゃんが折角聞いてくれたんだから。


 応えなくちゃ。


 「ほんとはね、ちゃんと、ちゃんとしたファンでいたかったの。だって私はただのファンで、まひるちゃんは歌手だから。そう線引きして、まひるちゃんの邪魔は絶対しない、ただのファンの一人でいたかった」


 「なのに上手くできなくて、その癖、割り切ってまひるちゃんを独り占めにするような人にもなれないんだ」


 「だから、こんな半端な自分が嫌で―――」


 ああ、我ながら何言ってるんだろう。


 ダメダメな、どうしようもない独り善がりの告解。


 口にするたびに、喉の奥が痛くなる、どうしようもなく。


 今、振り返ったら君はどんな顔をしているんだろう。


 上手く想像は出来ないけれど。


 「まひるちゃんがね、知りたいって言ってくれて、嬉しかった。でもね私、こんなんなんだ。全然、綺麗じゃなくて、まひるちゃんの歌みたいに、透き通ったような愛も想いも持ってなくって」


 そう―――あれたらよかったのにね。


 「ごめんね、こんな私で…………幻滅した?」


 もし、幻滅されてしまったら。


 そう想うだけで胸は痛くて、お腹の奥に孔が開いたみたいで、そのまま身体の中身が全部零れ落ちてしまいそう。


 君の顔は見えない。


 ただ身体の横でそっと手のひらが重なっているだけ。


 君の指は冷たくて、でもその手を握るのは、少し憚られる。

 

 だって、私の手が酷く汚れているような気がしたから。


 しばらく静かな時間が続く。


 カーテンも開けずに、電気もつけずに喋り出したから、部屋は暗くて静かで、少しもの寂しい。


 背中に触れる君の体温だけが暖かいけど、今はそれも少し冷たい気がする。


 振り返りたいけど、それをするのは少し怖い。


 ……………………。


 そのまま、消え入りそうな時間がしばらくたって。


 「んー…………」


 君の少し悩むような声が耳を軽くくすぐった。


 「昔さ」


 「……うん」


 君の声は何か言葉を探しながら、口を動かしているような、少し不思議な響きだった。


 「道徳か倫理の授業でさ……恋愛感情とは何か……みたいな授業あったんだ」


 「へえ…………」


 私の学校ではそういうのなかったな。


 「でさ、私それに『要するに性欲』って答えたら、そんな単純なわけがあるかって、ばちくそに怒られてさ」


 「………………うん」


 それはまあ、怒られそうではある。なんというか、学校の先生が期待しているのはそういう答えじゃないんだろうなっていうのは、なんとなくわかる。


 「それでふと想ったんだけど。なんていうか、私たちが生きていくうえで『性欲』って結構、不可触(アンタッチャブル)じゃん。誰だって持ってるけど、人前で口にしてはいけないもの。当たり前に存在するけど、当たり前になかったことにされるもの。人によっては、それがあるってだけで嫌がるような人までいるんだよね」


 君の声は静かで、ゆっくりと何かを確かめるみたいに、一歩一歩言葉を繋いでいく。


 「でもさ、私たちは誰しも生まれてきた以上、その欲と切っても切り離せない関係じゃん? おとぎ話のシンデレラや白雪姫だって、好き合っていったら、きっとどこかで向き合わないといけない感情じゃん。もちろん、その欲がいやって言う人も、その感情を抱かない人もいて、それはそれで一つの答えなんだけどね」


 ゆっくりと言葉を繋ぐ、私のところまで階段を一つ一つ、辿って降りていくように。


 「だけど、その欲や気持ちを抱くこと自体は、きっと何もおかしいことじゃないじゃん。産まれ持ってあることなんだから、ご飯がなければお腹が減る、疲れたら眠くなる。それと同じでさ、好きな人ができたら触れたくなる。それは別に何もおかしいことじゃないじゃん。どれだけそれが不可触でも、どれだけ見えないように隠してもなかったことにはならないんだから」


 暗がりの底で、膝を抱えている私の所まで、ゆっくりと道を辿るように。


 「もちろん、好きって気持ちはきっと性欲だけじゃないけどね。一緒に居て楽しいとか、なんてことはない話を聞いてくれるのが好きとか、料理上手いのが凄いとか、いざって時にドンドン行動するところが尊敬できるとか」


 こてんと私の肩に君の頭が預けられる。


 「そういう色んな気持ちを、全部ひっくるめて、好きとか、愛してるってことなんだなって、最近想うようになったかな。もちろん、性欲とかも含めてさ」


 ぎゅっと君の腕が私の身体に回って、抱きしめられる。


 「だから―――なんていうかさ。そんなに、あさひは、あさひのこと嫌いにならなくていいと想うよ。産まれてきて自然な気持ちなんだと想うし。ホントにまずかったら、私も止めるしさ。いやらしいこと想うのなんて……ぶっちゃけあれだよ、私もしてる。だから、そんなに気にしなくていいと想うよ」


 ぎゅって回された腕が優しくて、かけれている言葉も暖かくて。


 「優しいね……まひるちゃんは」


 本当に、そう想う。


 「あさひほどじゃないよ……」


 少し後ろを振り返ると、いつものように少し自信なさげに笑う君の表情が見えた。


 「ううん、優しいよ、昔から」


 私をあの駅前で見つけてくれた、あの日から。


 君はずっと、優しいまんま。


 私の想いを、暗くて醜い私の想いすら、眩しい日差しと一緒に溶かししまうよう。


 ぼそっと漏らした私の言葉に、まひるちゃんは少し苦笑いして、またぎゅっと抱きしめてくる。


 その感触が、誰かに包まれている暖かさが、ただ心地いい。


 ……そういえば昔、心理学の本か何かで読んだことがあったっけ。


 性欲は、赤子がミルクを口から貰う感触から始まるらしい。


 誰かに触れてもらうこと、誰かに触れたいと想うこと。


 そこに愛情を感じること。


 それが成長の中で、段々と変化していって、やがて性欲というものになるのだと。


 突き詰めて言えばそれは、愛する人に触れたいという、ただそれだけの感覚。


 軽く顔を横に向けて、肩に顔を寄せている君と目を合わす。


 「まひるちゃんは―――こんな半端な私で嫌じゃないの?」


 そうやって尋ねてみると、君はどこかおかしそうに笑ってた。


 「うん、()()()()()()()()()()


 そう―――まるで、当たり前だと言うように。


 「私はさ、楽器もできない、なんなら唄い始めたころは楽譜も読めない。割り切るの下手だし、気持ちの整理には時間かかるし、いっつも迷ってばっかりで、我ながら結構どうしようもない奴なわけですが」

 

 君は笑ってた。


 「そんなことを、昔、曲作ってる時に、まよいの奴に相談したらさなんて言ったと想う?」


 じっと澄んだ瞳で私の眼を見つめたまま。


 「『あんたは、それでいい』だって。普通の人は、そんな簡単に割り切れないし、そんな凄い自分でもいられない、それが普通。だからこそ、そういう半端者でも、ちゃんと自分の心と向きあって唄ったら、それは絶対、同じように迷う誰かの心に響くからって」


 あ――――。


 「だから、私の歌はそもそも『半端者』の歌なんだよね」


 『あんた、あいつの歌の何を聞いてたわけ?』


 言葉が脳裏をよぎる。


 「だからさ、あさひは、大丈夫だよ。性欲があっても、半端でも、割とみんなそんなもんだよ。そんなことで、私はあさひを嫌いになんないし、きっと、あさひも自分を嫌いにならなくていいんだよ」


 あの言葉の意味を、君が歌ってきたはずの言葉の意味を。


 私は今更、ようやく―――。


 「ていうか、本気で嫌だったら、そういうのは止めてるし。だから、えとその―――あの―――あー…………こういう態度がよくないんだよね、多分」


 まひるちゃんはどうにか上手く言葉を繋げようと悩んでる。


 でも、私にはもうそれだけで充分だった。


 君が必死に私のために言葉を探してくれている。


 私の想いの置き所を一緒に思い悩んでくれている。


 そのままの私でいいと、そう言ってくれている。


 私はもう、それだけで―――。


 「ううん、ありがと、まひるちゃん」


 そう言うと君は少し照れたように頬を掻く。


 「あはは……上手く伝わってる?」


 「―――うん、これ以上、ないくらい」


 君は少し自信なさげで、戸惑っていて、でもそんな君の言葉だから私の心に小さな勇気をくれるんだね。


 ……ううん、本当は、この勇気はずっと前から君の歌の中で私は貰っていたはずなんだ。


 少し、迷って視界が曇っていたから、見えなくなってしまっていただけで。


 ずっと、ずっと。


 『君の声を聴かせて』と。


 『君の想いを歌って』と。


 半端者でもいいんだって、君はずっと歌ってくれていたのに。


 ふうと吐いた息から、身体の力が漏れていく。


 いつの間にかぎゅっと握りしめていた掌が、きつく結んでいた口元が、ゆっくりとそのこわばりを溶かしていく。


 怖かった―――、嫌われるのが、醜い自分を見せるのが、自分の想いを曝すのが。


 ずっと――怖かった。君はそんなことで、嫌いになるような人じゃないって知っていたのに。


 「そっか、うん、私も聞けて良かった」


 そう言って、君は笑った。



 ああ。



 ああ。



 ああ―――。





 好き。





 好きだな、ほんとに。



 こんな私を受け止めてくれる、こんな私を許してくれる。


 そして何より、君の隣にいたら、こんな私でもまあ捨てたもんじゃないかなって想えてくる。そう思わせてくれる。


 そんな君が、好き。


 「まひるちゃん」


 「なに、あさひ」


 「()()()()


 「――――」


 始まりの合図(愛してる)は口にしない。


 ただ、溢れるほどの想いだけを伝えるために。


 息を呑む君の姿をただ網膜に焼き付けて。


 「本当にね」


 「好きだよ」


 「誰よりずっと」


 「独り占めにしたいくらい」


 「好きだよ、まひるちゃん」






 「―――あいしてる」






 電気もない。



 カーテンも開いてない。



 そんな昼間なのに、真っ暗な部屋の中。



 君を振り返って、そのまま抱き着いて。



 零れる雫も隠さないまま。



 そんなことを呟いていた。



 割り切れない半端者の私のままで。



 それでもただ、今の気持ちを真っすぐと。



 暗くて静かな部屋の中で。



 ただ、君への想いを。








 ※





 本日のリザルト


 引き分け(あさひ17勝、まひる9勝)

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