第二十六話 あさひの場合、反省の頃—②
好きな相手のことを想うと、気持ちがどうしても抑えられなくなる。
もっと近づきたい、もっと触れたい、もっと君の表情をみていたい。
ただ、そうやって思えば思うほど、自信はなくなる。
こんなに近づいていいのかな、こんなに触れていいのかな。
こんな表情、君に見せていいのかな。
だってこんなにたくさんの気持ち、今まで感じたこともないし、こんな気持ちで君に触れたこともない。
どうなるかわからない、だから怖くなる。
あの後、まよいさんは、さっさとカフェを去ってしまって、後には呆然とする私だけが取り残された。
どういう意味だったんだろう。
『あんた、あいつの歌の何を聞いてたわけ?』
ぐぅぅ、私だってまひるちゃんの歌は全部聞き込んでるよ。そりゃあ、製作者の一人のまよいさんに比べたら大したことないだろうけどさ。
『あいつがあんたに、『ただのファンでいろ』なんて、一言でも言ったわけ?』
もちろん、当たり前だけど、まひるちゃんはそんなこといってないよ。
でも、でも、でもなあ…………。
不可解と、意気消沈で、どんよりとした頭でしばらく項垂れる。しばらくそうやって、唸ってから、さすがにそれ以上カフェにいる気にもなれなくて外に出た。
カフェの扉を開けて、ぶわっと吹いてくる風は、暑さのピークはさすがに過ぎていて、少しだけ涼しさを乗せて髪を撫でる。でもそんな涼やかな風も、今の気分は晴らしてくれない。
そうして、はあとため息を一つついていたら、「あ」、と聞き覚えのある声がした。
「あさひいた、今帰り?」
視線をあげる、そこにあったのは、何も知らないまひるちゃんの明るい笑顔。そっか、今、丁度バイト終わりの時間なんだ。
一瞬思わずどきっとして、がばっと持っていたカバンで顔を隠してしまう。……やってから、どう考えても過剰な反応だったことに気が付くけど、既に時遅し……。
「…………あさひ?」
「…………アサヒ、ハ、イマセン」
「なぜにカタコト……?」
自分でも漏れた声がカチカチすぎて聞いてられない。しばらく覗き込まれて、逃げるのは無理だと諦めて、しぶしぶと鞄を下ろした。君の表情は少しだけ、心配そう。
「いえ、その……あさひです。ちょっと知り合いと……話してて」
「あー、まよいでしょ? さっき連絡来てた、そこらへんで待ってたらあさひ来るかもって」
……くそう、何やってくれてんだあの人、今はまだ気持ちの整理全然できてないってのに。
下ろした鞄をもう一度引き上げて、なんとなく紅くなりそうな顔を隠す。ついでにまひるちゃんの顔も視界から隠してしまう。今はあんまり直視できないから。
「………………」
「あー……あさひ?」
少し、沈黙。いやいつまでもこうしていられないのは解ってるけど。
「…………………………」
「やっぱ、あれ? なんか怒ってる?」
そしたら、鞄の向こうから、君のそんな静かな、心配そうな声が飛んできた。
………………怒ってる? どうしてそうなるんだろう。
「その、ほら、なんか前の愛してるゲームからちょっと、距離、あるじゃん?」
それは主に私の反省のためなのですが……まあ、そんなことちゃんと説明してないからわかんないよね。
そう私に尋ねてくれるまひるちゃんの声は、本当に心配そうで不安そう。いらぬ心労を溜めさせているという罪悪感が、ずるずると私の顔を隠していた鞄を下ろしてく。顔はまだ、多分、紅いままだけど。
「だから……怒ってるかなって」
うう……、視界を開けた先に会ったのは、案の定大変不安そうなまひるちゃんの顔。申し訳なさが喉の奥からぼこぼこと湧いてくる。
「怒っては……ないよ、その、私の反省のためだから…………」
またこの前みたいに、暴走しないように。
まひるちゃんの、ただのファンでいるために―――。
『あいつがあんたに、『ただのファンでいろ』なんて、一言でも言ったわけ?』
一瞬、まよいさんの言葉がフラッシュバックして、少しだけ息が詰まった。
うるさいなあ、じゃあ、どうすればいいっていうんだよう。
まひるちゃんの幸せを邪魔しないために、まひるちゃんに求めすぎないために。
まひるちゃんのために―――。
どうしたら―――。
「………………うーん、そっか」
君は困ったように首を傾げる。そんな姿が、私の罪悪感を余計に助長する。
「…………最近、ふと想ったんだけどさ」
君は静かにゆっくりと言葉を繋ぐ。
「私、実は、あさひのことちゃんと解ってないかもしれない」
え、と思わず言葉漏れた。視線が合った君はうーんと悩みながら言葉を探してた。
「今みたいな時にさ、あさひがどうしてそんな風に想ってるのか、ちゃんと理解できてないんだよね。ゆうとかよぞらとか、なんならまよいの方が解ってんじゃないかって想う時もあってさ」
辿るように、手繰るように、一つ一つこれでいいのかなって、確かめるみたいに言葉を繋ぐ。
「私が……今まであんまり余裕なかったのもあるかもだけどさ。こんなに一緒に居て、一緒に住んでまでいるのに、ちゃんとわかってない。それに、あさひはちゃんと私のことわかってくれてるのに、私だけわかってないみたいな……それがちょっともやっとしてさ」
思わず喉の奥で何かが詰まる。だって、それはとても当たり前なこと。まひるちゃんは私と出会ってからずっと、ぱららいずやまよいさんのことで、悩んでいたからだし。そして何より、私自身が、まひるちゃんにずっと想いを隠してきたから。
だから、仕方がないんだよ―――。
「だから、今更かよ! って怒られるかもしれないけど、あさひのことちゃんと知っていきたいと言うか」
だから、私が悪いんだよ。
「どんなこと考えて、なんでそう想っているのか、ちょっとずつ教えてくれたら嬉しいな……って」
だからね。
「そう想うまひる……なのですが」
…………。
「どうかな、あさひ」
君はそう言って、少し自信なさげに笑みを浮かべて、それからゆっくりと頷いた。まるで私たちが出会った時、いつかの駅前でそうしていたみたいに。
また鞄を上げて顔を隠してしまいたいけど、上手くできない。
顔が紅くて、それをがっつりみられているのに、どうにも目を逸らせない。
そこまでしてもらってようやく気付いた自分の感情に、我ながら、本当にどうしようもないわがままだとそう想う。
知られるのは怖かった。
君に抱くやましい気持ちも、君を独り占めしたいわがままな気持ちも。
こんな醜い私、見せちゃいけないんだって想ってた。
だってそうしたらきっと君に嫌われてしまうから。
そう想っていたはずなのに―――。
君が私のことを知りたいなって、気持ちを聞かせてっていってくれるのは。
どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく聞いて欲しいとも想ってしまう。
さっきまでとは違う理由で顔が熱い。
ああ、どうしよう、こんなに甘えていいんだろうか。
なんて、迷っている振りをしているのが、我ながら恥ずかしい。
「……その、おうち帰ってからでいいですか?」
だって、君に知って欲しくて、だって、君に解かって欲しい。
やっぱり私はどうしようもない、わがままなのかもしれない。
そんなことを想いながら、ようやく絞り出した私の答えに。
君は優しく微笑んで、ゆっくりと頷いてくれた。
そうやって秋風に押されるまま、二人で帰り道をそれとなく歩き出した。
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