第二十四話 あさひの場合、雨降りの頃—①
全国一億二千万のまひるちゃんファンの皆様、しとしとと秋雨も降り始めるころ、いかがお過ごしでしょうか。
私はと言いますと、この前のまひるちゃんの「ずっと一緒に居てね」発言により、全治三日の深手を負いのたうち回る今日この頃です。なんならちょっと物理的に身体も痛い。
鋼鉄―――という形容で足りるかわからないほど限界の理性により踏みとどまりましたが、あそこで耐えきって勝利をもぎ取ったことを誰でもいいから褒めて欲しいものです。いや、ほんとに。
なにせ、現状はまひるちゃんは10勝まであと2勝、私は未だ6勝を残しています。次、負ければ王手がかかってしまいます。
そうなると、まよいさんの毒牙にまひるちゃんがかかってしまうのです。なんとか、なんとしても、それだけは阻止せねばなりません。
しかし、どう考えても、前回の一件は致命傷。少しばかりの静養も仕方ないところでしょう。
幸い、今日はレポートも何もない土曜日、まひるちゃんはバイトでお出かけ、家事も午前中にあらかた済ませておきました。
となれば、後は自由を満喫するのみです。ふふふ、実家にいたころには決して味わえない完全な解放感。秘蔵のぱららいずCDとライブ映像のDVDを引っ張り出して、さてどれから聴こうかと迷ってしまいます。
最近はまとまって聴く余裕もなかったからね。なにせ、まひるちゃんと一緒に居るときは、基本二人で一緒にだべだべしてしまうのです。いや、それはそれでとても幸せなことなのですが。
まあ、こういう一人時間も、時には必要ということだと思う。
さーて、何から聞こうかな、なんてるんるんしながらジュースとお菓子を準備していると、ふと視界の端に開いたドアの隙間が映った。
…………まひるちゃんの部屋、ドア開きっぱなしだ。別に普段、鍵を掛けているわけでもないし、私も結構頻繁に出入りするから、別にそれはどうということはないのだけれど。
………………。
外で雨が降っている静かな音が、部屋を満たしていたからだろうか。
ちょっとだけ―――魔が差した。
ジュースとお菓子は一旦、キッチンにしまい直す。食べかすとかで汚しちゃったらいけないし。あと、私の部屋に置いてあった、CDとヘッドホン一式を、まひるちゃんの部屋にお引越し。
電気もついてない主のいない部屋に、こそっりとおじゃましまーすなんて呟きながら忍び込む。まひるちゃんは今日は、午後はずっとアルバイト。なのであと5・6時間は帰ってこない。
なのでその間、私がこの部屋で何をしてても、バレはしない。
もちろん、本当はやっちゃいけないことだけれど、ちゃんとお片づけをすればばれないし、まひるちゃんも気にならないと想うのです。
だから、まあ、その、いいかなって。
そんな言い訳にもならない、弁明をしながら、私はこっそりまひるちゃんのベッドまでいくとそのまま音を立てないようにぼふっと枕にダイブする。
少し甘いような、くすぐったいような、そんなまひるちゃんの匂いが視界を埋め尽くす枕からしてくる。
あまり音とほこりを立てないように、そのまましばらくじたばたしてみる。いい匂い、特別に香水とかつけてるわけじゃない、一緒に使ってるシャンプーの匂いのはずなんだけど。それでも思わず嬉しくてじたばたしてしまう。
好きな人の匂いって、なんでこんなにいい匂いに感じるんだろう。胸の奥がふわふわとあたたかくなるような、頭からつま先まで、ぎゅるぎゅると血が巡っていくような、そんな不思議な高揚感に満たされる。
ふふふって思わず枕に顔をうずめたまま、にやけてしまう。そうやって匂いを嗅いでいると、まひるちゃんの首筋あたりにぎゅっと抱き着いた感触が想い起こされて、余計にやにやしてしまう。
そのままじたばたし続けてもいいのだけれど、今日は一人だから、もっと好き勝手出来ちゃうのだ。
用意したCDをプレイヤーにセットして、ヘッドホンをつけたら、スイッチをオン。そして聞き慣れたイントロに耳をすませながら、いそいそと布団の中に潜り込む。布団の中も当たり前だけど、まひるちゃんの香りが一杯で、全身がまひるちゃんに包まれているみたい。
程なくして、まひるちゃんのすっと息を吸う音が耳をくすぐって、ぱららいずの曲が始まる。
最近のお気に入りは、念願の限定ファーストアルバムに収録されていた、隠しシングル『アイのことば』。
愛してる、好きだよ、他の誰にも負けないくらい。
そんなストレートな愛の言葉を、まひるちゃんが真剣に、声が枯れそうなくらい必死に唄ってる。まるで本当に愛の告白をその曲に乗せてしているみたいに。
ファンの間では限定版にしか載ってないにもかかわらず最高傑作との呼び名も高い、そんな一曲。実際、私も最近はこれが一番好きだ。
何よりこの曲、本当にまひるちゃんに愛を囁かれているかのようで、まひるちゃんに対して拗らせているファンであればあるほど評価が高い。つまり私の評価は言わずもがな。
そして、今、こうしてまひるちゃんの匂いに包まれながら、この曲を聞いているとまひるちゃんに抱きしめてもらいながら、愛を囁かれているような疑似体験が出来てしまうと言うわけです。
う、うへへ、たまんない。
まるでその手が私をぎゅっと抱きしめて、耳元で言葉を紡いでくれているような。
『好きだよ』
『誰よりもずっと』
『君のことが、一番―――』
好き。
………………。
ヘッドホンの遠く向こうで雨の音がする。
もちろん、こんなのただの私の妄想。
実際に愛を告げてもらってるわけでも、抱きしめてもらってるわけでもない。
だって、まひるちゃんが私の好きにどんな答えを返してくれるかはまだわかっていないから。
ただ、そんな答えもあと数回、長くても6・7回も、愛してるゲームをすれば結論は出てしまう。
―――君は受け入れてくれるかな、それともまよいさんの方に行っちゃうのかな。
愛してるゲームを繰り返すうちに、何度も見てきた君の照れる顔を想いうかべると、もしかしたら私のことを多少なり好いてくれているのかもしれない。なんて思い上がりの考えは浮かぶけど。
それ以上に、もしそうじゃなかったらなんて不安の方が、ぎゅっとお腹の奥をいじめてくる。
人間はプラスの感情より、マイナスの感情の方が強く感じるように出来てるらしい。
いつかまよいさんが言ってた言葉、納得するのは嫌だけれど、それでも納得してしまう。
ああ、どうして、幸せより不安の方がこんなに強いんだろう。雨が降っているせいかな、それで少しだけ身体が痛いせいなのかな。
自分の身体を思わずぎゅっと抱きしめる。ヘッドホンから響く、録音された君の愛の言葉をただ漠然と聞き続ける。
それにしてもおかしいね、最初は見返りなんてなくてよかったのに。
君が笑ってくれていれば、それでよかった。私のことなんて振り向いてくれなくても、君が幸せならそれがよかった。だって私はただのファンだったから、ただステージの下で見上げているだけの、それだけの存在だったんだから。
なのに、君と一緒に過ごすうちに、一緒の部屋で暮らすうちに、一緒にゲームをするうちに。
欲張りになってしまう。君からの言葉が欲しくて、君からの想いが欲しくなる。
ああ、ダメだな、私。ダメな子だ。
君の布団の中で赤ん坊みたいに膝を抱いてぎゅっと丸くなる。
|与えているだけで幸せだった《なのに欲しい》。
|君が笑えていればそれでよかった《もっと欲しい》。
|君の隣にいるのは私じゃなくてもよかった《そんなのもう耐えられない》。
だけど今は。
君が、私だけのものになれば―――なんて。
そんな許されないことを、想ってる。
息が荒れる。
身体が熱くなる。
抱きしめた肩が震える。
君の匂いが、君の声が、君の想いが。
私の心をダメにしていく。
ダメ。
しちゃ、ダメ。
指がそっと服の内に、伸びていく。
ダメだ、やめろ。
そんなこと――――。
熱く震える身体がどうしようもなく何かを求めてた。
ああ――――。
ほんとに私はダメな子だ。
喉の奥から微かに、くぐもるような声が漏れた。
雨の音がこんな私の醜さも全部隠してくれればいいのになんて。
そんなことを願いながら。
ただ君の名前を呼んでいた。
「………………あさひ?」
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