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閑話 よぞらの場合

 「ね、ゆう、あの二人大丈夫だと想う?」


 夜道に去っていくあさひとまひるを見送りながら、隣にいたゆうにそう尋ねてみた。


 ゆうはしばらく二人の背中をじっと見ていたけれど、やがでいつもの無表情のまま小さくうなずいた。


 「わからない、でも、あの一件についてあんなに感情をあらわにするまひるを見たのは初めてだし、あんなに自分の想いを素直に喋るあさひを見たのも初めてだ」


 それからふうと珍しく、ため息のような安堵のようなものを漏らしていた。


 「だから、大丈夫だよ、きっとね」


 そんな答えに、私はそうね、と声を漏らしてしばらく去り行く二人の背中を眺めてた。


 「私も、あんなあさひ、初めて見たかも」


 そうやって口にする頃には、夜道の暗がりの向こうへと、小さな背中は二つ消えていってた。



 ※


 

 「あさひとはどんな風に仲良くなったんだい?」


 それから、なんとなく寝られなくて、ベランダでぼーっと夜風を浴びていた。そしたら、コップに炭酸水を入れたゆうがそう言いながら私の隣に腰を下ろしてきた。


 軽くありがととだけ呟いて、渡されたコップを受け取る。口に含んだ水は甘くもなく酸っぱくもない、ただ泡立つ刺激だけが喉の奥に流れてく。


 「んー……最初はあさひの方から声かけてきた気がするけど、結局、私の方からあさひの面倒を見に行く感じだったかな。ほら、あの子、結構人の悪意とかに疎いから、見てられなくて」


 私とあさひが一緒に通っていた中高一貫のお嬢様系女子校という場所は、お世辞にもあんな悪意も敵意もないお人好しな子が無防備でいられる場所ではなかった。


 私の答えに、ゆうはああと軽く相槌をうつと、同じく炭酸水を口に含みながら頷いた。


 「想像しやすいね、とても。大学生から友達になった身としては、よくもまあ、あんなに悪意のない純正乙女が、苛烈な女子社会に揉まれながら生まれたものだと感心したものだよ」


 ま、そこは良くも悪くもあさひの両親の教育のなせる技なんだけど。なにぶん、いい人たちではあるけれど、過保護で過干渉な面も両立してる。悪意がない分だけコントロールが効きづらいのは、親子ともどもなとこがあるけどね。


 「ま、一般的な悪意のない純正乙女は推しのストーカーとかしないけどね」


 ぺっと舌を出してそうぼやくと、珍しくゆうがくすっと笑う。


 「……違いない。そんな生半可なものではなかったね、私たちの友人は」


 そう言って、しばらく、くすくすと笑い合う。


 それからふっと窓の外を見上げた。学生街の夜の街。居酒屋やらカラオケやらどこかで騒ぐ声がして、街の光で星空の一つも見えないどころか、暗がりに浮かぶ雲すら見えるそんな空。


 「まあ、でも、なんか楽なのよ。あの子のそばに居ると」


 口に含んだ炭酸水は少しぬるくなっていて、ベランダに吹く風と同じような温度になっている。でもそのぬるさがどうしてか心地いい。


 そんな私の隣で、ゆうは黙って話を聞いていた。


 「うちの学校さ、なんというかそういう場所だから仕方ないけど、まあ、マウント取りが常時行われてたわけ。自分の家がどんだけ凄い、こんな凄いことが私は出来る、こんな凄い人と知り合いで、親がこの前こんなことをしたとかね」


 「なんかもうそういうのが骨身に染みついてんでしょうね、誰かと誰かをずっと比べて、誰も彼もが自分が下に行かないように、自分をよりよく見せるように、そのために誰かを貶してる……そんな場所だった」


 うちの実家はただの町医者だったから、そういう根性はあいにく身についてこなかったけど、そんな環境に置かれれば人は嫌でも適応してしまう。


 「その気がなくても、気付いたら会話の流れで巻き込まれてる。お宅はどう、どこに旅行に行った? とか、どんな教育を受けてきた? とかね。そういう気がない子も、段々とそれに染まってくる。ていうか、染まれないと排斥される。そんで、目立つ奴は嫌でもそういう妬みや比較に常に晒される」


 幸か不幸かでよれば不幸寄りで、私は何かと目立つ人間だった。背が高い。顔立ちがしっかりしてる。剣道で全国に出た。成績もそこそこいい。そういう人間は嫌でも誰かの薄暗い感情の標的にされる。


 褒めの皮を被った妬みの言葉も、賞賛のふりを媚びの言葉も、何気ないフリをした比較の言葉も、あそこにいればいやでも聞き飽きる。それのいなし方や、嫌味にならない程度の返し方も、身に付ければ身に着けるほど、同時に他人の嫌な部分がより鮮明に見えるようになってしまう。


 最初は影すら追えなかった相手の剣筋が、眼が慣れればはっきりと見えてしまうように。悪意とか敵意とかそういうものも、慣れれば慣れるほど鮮明に言葉の裏に何が仕込まれているかありありと見えてくる。


 「そういう環境で、中学の頃からあの子、危なっかしかったから。私と何人かでグループ組んで、それとなくあの子のことを守ってた……っていうほど、のことはしてないかな。どっちかっていうと、疲れた私らがあの子を逃げ場所にしてたってのが近いかも」


 比喩に隠れた否定と、妬みと嫉み、比較と無意識のマウント合戦。


 あさひはそういうものにはとんと無縁で、喜ぶときは素直に喜ぶし、悲しむときには素直に悲しんで、あの子が凄いと言う時は本当に凄いと想っているのだ。言葉の裏を探ろうと、最初は何度かそれとなく探ってみたりもしたけれど、すぐに毒気を抜かれてやめた。


 『よぞらちゃん、全国大会出れたの!? すごい!! すごいよ!! いつも頑張ってたもんね!! 絶対応援行くから!』


 『よぞらちゃん、疲れてる? そんなことない? ならいいけど、なんとなーくそんな気がして』


 『えっと今日ね、初めてバンド見たんだ! ライブハウスで! 感想? えっと、えっと、えっと……凄かった!! うん、凄かったよ!!』


 あの子の前では言葉の裏に隠れた悪口を警戒したり、無意識にとった行動で上げ足を取られてとやかく言われることは考えずに済んだから。


 そう、ただ楽だった。だからそばに居た。


 私の想いはきっとその程度のものだ。


 「なるほど、今、あさひがああやって笑っていられるのも、よぞらたちのお陰というわけだね」


 ……なんて想っていたら、となりのゆうはしたり顔でそう頷いていた。


 「……話聞いてた? そこまでのことしてないって。他の友達はどうかしんないけど、私は半分、あさひのこと休憩所代わりに使ってだけだから」


 そう否定してみるけれど、ゆうは特に表情も変えずうんうんと頷いてばかりいる。


 「ああ、聞いていたよ。よぞらがそういう言い方をするということは、おおかた本気で守っていたんだろう。大丈夫、これでもツンデレ鑑定二級・クーデレ鑑定準一級の資格を持っていてね、目利きには自信がある」


 …………この次元誤認オタクは。リアルの相手にツンデレの法則を当てはめるんじゃないっての。


 「あのね……」


 「とまあ、冗談は置いておいて。本当にただあさひのことを都合よく利用していただけならね、あさひはあんなに信頼の眼で君を見ないよ」


 そう言って、ゆうはどことなくしたり顔のまま微笑んでくる。思わず少し目をそらすけど、その行為が余計に図星を表しているような気もする。


 「……あの子が人を信じやすいだけでしょ?」


 「そうかな? ああ見えてあさひもちゃんと独立した一人の人間だよ。一年半付き合ってきたが、少なくとも彼女の人を見る目は確かだと私は思ってる」


 「…………」


 返す言葉がぱっと思いつかない。あんまり強く否定してもあさひを貶すことになるし、かといってこうやってなんかいい奴扱いされるのも居心地が悪い。


 「その感情はね、よぞら。居心地が悪いではなく、恥ずかしいと言うんだよ?」


 「読むな、人の心を」


 剣道を、というか一対一で相手を倒すという競技をやっている以上、他人よりも相手がされて嫌なことや相手の心情を読む機微には秀でてると想ってる。想っていた……が正しいのか。


 「ちなみに、こうやって話している間も、よぞらが()()()()()()()()()()()()、あえてたくさんの言葉を伏せているのも、わかっているつもりだよ」


 「………………」


 「どうしたんだい、さっきから眼ばかり逸らして」


 「…………うるさい」


 そう口から漏れた言葉があまりに力なくて、我ながらうんざりする。


 あんまりにその誤魔化しが雑だったものだから、ゆうのやつは私の頬に指をぐりぐりと当てて遊び始めているし。


 はあ、酒の勢いで身体の関係を持ってから成り行きで付き合い出したけど、本当にこいつでよかったんだろうか。心が見透かされ過ぎていて、心配になる。というか、私、氷の女王とか真意がよめないやつとか高校時代は散々言われて気がするんだけれど。


 「そういう君が見せてくれる、素直な顔だからこそ可愛いんだよ」


 「…………ほんと、うるさい」


 はあ、と零れた息が少し熱い。頬はあまり紅くならない質のはずだけど、なんとなく心配になって炭酸の水を口に含んで少し誤魔化す。ただいい加減ぬるい炭酸じゃ、そこまで頬は冷えてくれそうにもないんだけれど。


 「そういえば、今は楽に過ごせいているかい? あさひは大丈夫だろうけど、私やまひるがそばに居て、しんどい想いをしてないかい?」


 そうやってゆうが少し心配そうに尋ねてきたからべっと舌を出して、あえてそっけなく返してやる。


 「……まひるは楽よ。何言ってもちゃんと返ってくるから、からかったらちゃんと怒るし、いじってて面白いしね」


 「ほうほう……私は?」


 「…………まあ、楽っちゃ楽。あんた好きなことにしか興味ないから、裏表とか考えてる暇ないんでしょうけど」


 私がそういうと、ゆうは少し照れたように頭を掻いた。相変わらず表情は別に動いてないけどね。


 「それはそれは……お恥ずかしくも、誇らしいような」


 「変態だけど」


 「それは……誇らしいね」


 「……いや誇るな」


 そんなバカなやり取りをして、ふうと一息ようやくついた。なんだか少し眠くなってきたし、そろそろベッドにいってもよさそう。


 まだ遠く向こうで喧騒は響いているけれど、こころなしかそれも小さくなってきてる。街はだんだんと眠りに近づいている。


 あいつらもいい加減、家に帰ったかな。落ち着いてちゃんと話、できてたらいいんだけれど。


 「おや、もう眠るのかい?」


 「ん、ちょっと眠くなってきた。ありがと、付き合ってくれて」


 「構わないよ、私も少し話したかったし」


 そんなやり取りをして、ベランダの窓を閉めてから、寝室に入ってぼふっとベッドにうつ伏せになる。


 どうなるかはわからない。わからないけど、あの二人ならちゃんと向き合えれば大丈夫だとそう想った。


 だって、私の竹刀が折れたあの秘密を喋った時に。


 怖くもあったし、不安でもあったけど。


 それでもまひるなら否定せずに聞くんだろうなっていう、不思議な確信があったから。あさひに喋った時にも感じた、そんな根拠は曖昧でなのにどこか明確な確信。


 だから、きっと大丈夫。


 あの二人なら、大丈夫。


 そう想って眼を閉じた。


 暗がりの中、少し遅れてもぞもぞとベッドに入り込んでくるゆうの体温を感じながら。


 「おやすみ、よぞら」


 「…………おやすみ、ゆう」


 そう小さく呟いた。


 そろそろ夏の終わりもちかい。


 虫がどこか遠くで鳴きだしている夜の頃。


 今日は嫌な夢を見ないですみそうと、なんとなくそう想った。

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