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第十三話 ゆうの場合

 「まひるはさ、あさひになんて言われたのよ」


 そう口にするよぞらの言葉に、まひるはただ茫然とすることしかできないでいた。


 まひるが抱えているのは、自身が音楽に掛けた青春を、そこで培ったたくさんの繋がりを台無しにしてしまったという思い込みによる罪悪感。そしてそれをもたらした自分への、ある種の絶望。


 それが知られるのが怖くて、彼女はその秘密を、新しい友人たちに伝えないことを選んでいた。


 そして、私はあの事件以来一年以上隣にいながら、その決断を覆すことも、彼女の心を変えることもできないでいた。


 「あんたの秘密をあさひが知ってて、『だから、まひるちゃんのこと嫌い』ってあさひが言ってたの?」


 「…………言ってないけど」


 「そもそもわざわざ、十回目のおねがい使ってまで、あさひが伝えたかったことなんでしょ? それなのに、そんな大事な場面であさひがあんたを否定するだけの言葉を吐くと想ったの?」


 「………………」


 よぞらの言葉に、まひるはぐっと押し黙る。


 「あんたもこの一年であさひの性格は、いい加減わかったでしょ」


 「…………でも」


 よぞらはどことなく淡々と、まるで事実だけを並べるように、一つ一つ言葉を丁寧に並べていく。一つ、一つ、まるでチェスの駒を並べていくように。


 「そう、じゃあ、あんたはあさひが、こんな大事な時間を使ってまで、あんたを否定するような奴だと想ってたわけだ」


 「…………それは違う……けど」


 まひるはよぞらの言葉に言い返そうとするけれど、うまくできずにぐっと俯いてしまう。そんな姿に、よぞらは軽く肩を落として、ふうと一つ息を吐いた。


 「よくわかってんじゃない、あの子、そんなことしないわよ」


 「………………」


 「…………あんたは別に否定されてない。あさひはそんなこと言わない。もちろん、知られてたって言う事実そのものがショックなんでしょうけど、それでもあんたが想ってるほど、誰もあんたを否定してない」


 「…………」


 よぞらの言葉に、まひるはじっと押し黙る。私はそっとその隣でゆっくりと息を吐いた。


 「あんたを否定してんのは、まひる、他でもないあんた自身でしょうが」


 そう言ったよぞらの言葉に、まひるは少し怯むように顔をうつ向かせる。


 私もあさひもこういう言葉は中々口にできない。あさひは本来の性格上、私はまひるの過去を知っているがゆえに、うまく踏み込んで言葉を掛けてあげることができないでいた。


 その言葉を紡ぐことで、彼女に痛みを与えると知っているから。


 ただ、もちろん、人は時に痛みを得なければい進めない時がある。


 それを知っているから、よぞらは淡々と言葉を投げ続ける。


 「あんたが、こんな自分、許しちゃいけないって想ってるから。あんたの罪悪感は何処にも消えていかない。誰が許そうと、誰が受け容れようと関係ない。それはまあ、愁傷なことなんだろうけど。じゃあ隣にいて大丈夫って言ってるあさひの気持ちは、どうなんのよ?」


 「………………」


 まひるはただ言葉も出せず押し黙っていた。


 「私はあやひやゆうほど優しくないから、普通に言うけど。今、あんた、あさひと向き合うことから逃げてるだけだからね?」


 ただ、そうよぞらが口にした瞬間に、少し息を吸う音がした。


 抑え込んでいた想いの蓋が外れるように、まひるの顔が勢いよくばっとあがった。


 「わかってる!! わかってるよそんなの!!」


 少し荒い声。涙で滲んで、誰かへの……いや恐らく自分自身への怒りに満ちたそんな声。


 「逃げてるのも! 向き合えてないのも!! わかってる!! わかってるよ!!」


 いつ以来だろう、この友人のこんな姿を見るのは。いや、もしかしたら、高一の頃に出会って、初めてなのかもしれない。


 涙をこぼして、必死に声をあらげて、心の中の何かに必死に抗って。


 「でも! どうしたらいいかわかんないの!! どんな顔であさひに会えばいいかも! 知られてたことに何を想えばいいのかも! これからどうやって一緒に居ればいいのかも!」


 そんな泣き崩れる友人の様子を、私とよぞらはじっと見つめていた。一緒に居て初めて見る、その姿をただじっと。


 「だって! だって!! だって………………」


 あげた声はやがて萎んで、代わりのように溢れる涙がぼたぼたと床を濡らしていく。心の中の雨がそのままそこに落ちているかのように。


 「私―――酷いことしたんだよ……? 友達傷つけて、色んな人の期待裏切って、沢山の人に責められて…………そんな、そんな奴が普通に笑って過ごしてるなんて……おかしくないの?」


 少しだけ歩み寄って、その背中に触れた。


 私より幾ばくか背が高いはずの友人の背中は、震えて縮こまって、まるで小さな子どものようだった。少し胸が痛むのを感じながら、私はゆっくりとその背中を撫でる。


 「…………剣道やってるとさ」


 すると背後のよぞらがゆっくりと、何かを確かめるように少しずつ口開いた。


 「自分の竹刀の感覚は眼ぇつむってもわかるようになるの。ちょっと全体が歪んだとか、ちょっと紐が緩んでるとか、振ってれば嫌でも身体に染みついて違和感に気付けるようになる」


 まひるの顔が涙に濡れたまま、不思議そうにすこし上がった。


 「中三の全国大会で、私、団体戦の大将だったんだけど、その日、竹刀振ってたらなんか微妙に違和感あったんだよね」


 「あ、なんかやばいかもって思ったわ。でもその時、割と破竹の連勝中でさ、部の雰囲気的になんか言い出しづらくって。予備の竹刀も使い慣れてないのを大舞台で握るのが嫌で。結局、今日一日くらい大丈夫でしょって、そのまま試合に臨んじゃって」


 ふっとよぞらは一つ小さくため息をつく。


 「折れたよね、バッキリ。それだけならまだよかったけど、破片が面の隙間を抜けて相手の人の首筋に刺さっちゃってさ」


 「もちろん、事故だからさ。周りは気にしないでっていってたし、幸い大事に至らなかったけど。ともすれば目に刺さってたし、顔に縫い跡ができてもおかしくないし、刺さりどころ悪かったら命の危険だってあったかも」


 「そうやって考えると、急になんだか寒気がして、そのまま大将戦も負けちゃって」


 「なにより辛かったのがさ、試合前に感じた違和感のこと、怖くて誰にも言えなかったんだよね」


 「あの時、ちゃんと竹刀を交換してれば、あんなことにはならなかった。それをしなかった自分を誰かに知られるのが怖くって、まして、それのせいで誰かに取り返しのつかない疵を負わせたかもしれない。挙句の果てにチーム背負ってんのに負けちゃって」


 「結構きつかったんだよね、あの一件は」


 「竹刀が折れる夢とか、正直、そっから何回も見たし。なんなら今でもちょっと見る。試合前は竹刀が今度こそ折れないかって、不安で何度も確認するようになっちゃったりね」


 「…………未だに、この話知ってんの、あさひと、たった今聞いたあんたとらゆうくらいよ。それくらいに私の黒歴史」


 「ね、まひる」


 よぞらは何気なく、軽く笑って少し自信なさそうに首を傾げた。




 「私のこと、嫌いになった?」




 「卑怯者、臆病者って見損なった?」




 そんなよぞらの問いに、まひるはしばらく泣き崩れた顔のまま、よぞらをじっと見ていた。それから、やがて何かをぐっとこらえるように、ゆっくりと首を横に振った。



 「そんなんで、嫌いに……なんないよ」



 「そう、なんで? 結構ひどい話じゃない? 自分の汚点を晒さないで、ひた隠しにしてる。誰かに取り返しのつかない疵、負わせたかもしんないよ?」



 「…………もう、よぞらは、そんなことしてないんでしょ。それに、わざとやったことでもないし、私の知ってるよぞらは、なんでもガチだし。人をむやみやたらに傷つける奴じゃないし」

 


 絞り出すように、でもどこか拗ねた子どもが言葉を漏らすような答えを聞きながら、よぞらはどこか安心するように微笑んだ。



 「そ、ありがと。じゃあ、私も同じ理屈でまひるを嫌いにならないことにしとくわ。だって、あんたもむやみやたらに人傷つけないし、ちょっと口は悪いけど、ま、あさひに害意がないのはわかってるし。どうせ、そのやらかしもわざとやったことじゃないんでしょ」



 そう言って、よぞらの視線がこっちを向いたので、私はゆっくり頷いた。



 「まひる、ずっと伝えてはいるけれど、あの一件は、誰が悪いものでもなかったよ。それに君が想っているほど、周りは君を責めていない。でなければ、佑哉や文音が再結成をしようなどと話しをもってこないだろう?」



 そうやって、背中を撫でるとずびっと涙と鼻水をすする音が、まひるから少しした。



 「………………うん」



 そんな言葉が返ってきた気がするのは、きっと、気のせいじゃないだろう。



 そんなまひるを見て、よぞらは少し肩の力を抜いていた。表情もいつもより柔らかく。なんとなくだけど、そのたった一言で、もう大丈夫だという感覚を私たちは感じてた。




 傷はそう簡単に癒えるものじゃない。




 後ろ暗い過去も、決して消えて無くなったりはしない。




 裏を返せば、そんな消えない痛みを、誰だって多かれ少なかれ抱えて生きている。




 決して彼女だけが背負っている罪ではないと言うこと。




 そして、それでも他人を許せるのなら。




 きっといつか、この友人も自分を許せる日も来るのだろう。




 なにせこの友人の隣には、彼女の大ファンが常にぴったりくっついているのだから。




 これまでの一年間、微力しか果たせなかった私だけれど、だからこそ、この高校からの親友の変化を、とても嬉しく想う。簡単には言葉にならないほどに。




 そうしてよぞらは軽く笑って、口を開いた。

 


 「ていうか、あんたがあさひに嫌われるって発想が凄いわ」

 


 「それは確かに、天地がひっくり返っても嫌いにはならなさそうだ」



 「…………? まあ、あさひは性格天使だから、誰にでも優しいけどさ」



 「「……………………はあ?」」


 

 なんてすっとぼけをかますまひるを端目に眺めながら、ピンポーンと夜分遅くに鳴るインターホンの音を私たちは聞いていた。




 「ほら、お迎えきたわよ、泣き虫家出娘」


 「そういえば……よぞらが罪深い過去を披露したし、これは私も隠されし過去の告解が必要かな?」


 「…………ずび。ゆう、中二の頃の自称が『天を覆う闇』だった話は別に言わなくていいからね」


 「高校の頃に音楽に関わり始めたきっかけが、エロゲ―の楽曲のせいなのも別に言わなくていいからね」


 「……そうか、では去年のコミケで性癖が拗れすぎて『ナマモノ百合同棲純愛兼NTR3P闇落ちSM拘束催眠開発羞恥連続絶頂快楽堕ち』ものを書いた話は?」


 「「しなくていいから!」」


 そんな風にやいのやいのいいながら、いつのまにやら泣き止んでいたまひるの背をよぞらと一緒に押して、玄関の向こうで待っているもう一人の友人の元へと向かう。


 そうして今にもガタガタと震えている扉を開けて、勢いよく開いたその向こうで。


 「ごめん! まひるちゃん! あの! 待ってた方がいいかなあって思ったけど! やっぱり来ちゃった!!! えとえと!! ごめんね! なんか急に色々で、ほんとごめんね!!」


 そうやって、さっきまでのまひるもかくや、というほどにぐちゃぐちゃになった泣き顔のあさひを見て。三人ともどうしてかこらえきれなくて笑い出してしまった。


 そんな私たちを見て、あさひは少し困惑してあたふたとしていたけれど、やがてどうしてかつられたように笑い出していた。


 ご近所の皆々様には大変迷惑で申し訳ないが、その日はしばらく女子大生四人の少し姦しい笑い声が夜の学生街に響くこととなった。



 過去の罪悪感はどうしたところで消えはしない。



 なにせ自分自身がその罪を許せていないのだから。



 ただそれでも私たちは相も変わらず今日を生きていて。



 誰かの隣で、まるで何事もなかったかのように笑っている。



 それはともすれば、酷く残酷に見えることもあるけれど。



 それでもこうやって、今日、笑える日を尊ぶことは。



 きっと間違いではないのだろう。



 そんなことを考えた、夏も終わりが近い静かな夜のことだった。



 

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