第十二話 まひるの場合、いつかの頃—④
それからの時間は、ただただ、まるで夢のよう。
真宵と二人で詩と曲を持ち寄って、あれがいい、これがいいって言い合って、私の無茶な要望を真宵は軽く笑いながら、一週間もすれば完璧な曲を創り上げてきた。
自分の書いた歌詞が、洗練されたメロディと一緒に、明確に一つの形になってその場に産みだされた。そんな瞬間が、言葉にならないくらい嬉しかったのを覚えてる。
そんでその日のうちに、真宵の家のマイクでレコーディングして、CDに焼き付けて手書きにマジックで『1stシングル』って書いたときは、どうしてか涙さえ零れてきた。
今、想い返すと、恋も知らない子どもが唄った愛の歌だから、ちょっとくさくて聞けたもんじゃなかったけどね。途中で恥ずかしくなって、結局あれは最初のアルバムのオマケで載せるだけになっちゃったけど。
そしたら、次の週には夕卯と一緒に、ライブハウスや軽音でCDを一緒に配り歩いて、バンドのメンバー探し。夕卯の顔が広いから、知り合いから知り合いへ、なんかゲームのクエストみたいに、あっちこっち走り回って、聞いてください、お願いしますって頼みまくったっけ。真宵は曲作るのに忙しいって言ってついてこなかったけどね。
結局、一・二週間して文音さんが、その四日後くらいに佑哉さんが捕まって、私たちのバンドはあれよあれよという間に形になった。
私が楽器なしのボーカルで、文音さんがギター、佑哉さんがベース、真宵は何でもできるから余ってるところでいいって言って、結局ドラムになったんだよね。あいつ音楽に関してはまじで万能だったから。
それからは、ひたすら練習と曲合わせ。既存の曲の演奏でもいいらしいけど、真宵が自分の作曲にこだわってたし、私もどんどん自分の作詞が形になってくのが面白くてその数か月でさらにノートを書きつぶしてた。数が多すぎて、どれ採用したらいいかわらかないって、他のみんながぼやいてたっけ。一応、受験期だったから、あんまりに音楽にのめりこみ過ぎだって、親にしこたま怒られたけど。
それでも、やっぱり楽しかった。
自分の考えたものが形になる。自分の声でそれを実在の歌にする。
他の誰も唄ってない、私が初めて、私たちの演奏で初めてこの世に生まれるそんなたくさんの歌たちを唄ってるだけで、どうしようもなく楽しかった。
駆け込みで一夜漬けで勉強しまくって、高校もなんとか無事に受かって、晴れて四月、その時はやってきた。
バンドの名前、何にしよっかってみんなで考えて、色々案を出し合って、なんでか私の『まひる』にちなんで、『ぱららいず』になった。まひるから、麻痺るってことらしい。なんじゃそりゃ!! って猛抗議したし、独りだけ推されるの恥ずかしいって散々抵抗したけれど。ボーカルってそういうもんって、真宵には笑われたっけ。ちなみに発案は文音さん。
というわけで、私たちのバンド―――ぱららいずの初ライブの日はそれはもー…………れつに緊張したよね。
吐きそうって言うか、吐いたし。
泣きそうって言うか、泣いたし。
本番が近づくにつれ、練習も厳しくなるし、真宵の指導も鬼教官かってくらい怒鳴られまくったっけ。でも、それでもみんないい演奏にしようと必死だった。私も歌うしか出来ないけど、だからこそ精一杯やろうって想ってた。
命を燃やすようっていう表現が、本当にしっくり来てて。あの当時、私の中では多分、実際に何かが燃えていた。胸の奥はずっと熱くて、何かがずっと飛び出しそうで。その何かに燃料を与えるように、声を上げて、震えても指を空に突き出していた。
てなわけで、バチクソに緊張した初ライブなんだけど、当たり前だけど人はそんなに集まらなかったから直前まで駅前の暇そうな人見つけては声をかけてたんだよね。幸か不幸か、それがちょっと緊張を紛らわしてくれたから助かったけど。
そうしていよいよ始まった、初ライブ。
今でも目を閉じればその時の光景が、響かせた声が、指の震えの感覚が、脈打つ心臓の鼓動が、指先に灯る微かな熱さえありありと想い出せる。
ただ、何を考えてたかはさっぱりと想いだせない。
あの日、あの場所で、私はただ唄うため、それだけの存在だった。
思考も、感情も、全部が全部、ただ歌にこめた想いを誰かに届けるためだけに造り変えられたみたいだった。アドリブや演奏ミスに対する合わせも、何一つだって考えなくても、喉が、声が、勝手に応えてくれる。
ちょっとした全能感。生まれてこのかた何一つだって、ちゃんとできなかった私が、初めて掴んだ、自分にも何かできるっていうそんな感覚。
そうして不安も、怯えも、怖さも、全部が全部溶けて一つの雫になっていくような、その感覚に押されるまま私はあらん限りを唄い続けた。
最後の一曲歌い切ったあとには、もう、熱も、声も、息の一つだって身体に残ってないような、全てを燃やし尽くしたようなそんな感覚。
最後は視界もぼやけて、立つことすらままならなかったのを、文音さんに支えてもらって初めてのライブを終えた。
……そして、そんなライブの反響はと言いますと。
結果から言うと、すごい沢山の人に褒めてもらった。
ライブハウスのオーナーさん。近隣の合同大学軽音サークルの人。趣味でインディーバンドのブログ書いてる人。エトセトラ、エトセトラ……。
あんまりにみんな褒めるから、びびっているあいだに、夕卯が次回のライブや飛び入り参加の予定をあれよあれよという間に決めてしまう。他のみんなもノリノリで、文音さんは現実? って佑哉さんの頬を引っ張てて、佑哉さんは引っ張られながらもちょっと浮かれてて、いっつも無愛想な真宵もその日えらくご機嫌でしっかりとにやけてた。
そこから先の三年間は、紙飛行機が風に巻かれて飛ぶみたいに、ただただ怒涛のように過ぎていった。
次のライブが決まって、そこでまた唄って褒められて、アルバム出して、そしたらまた次のライブ。
声をかけてくれるライブハウスが増えて、他のバンドにもちょっと名前が知られるようになって、嬉しいことにファンになってくれる人までできて。
舞い上がる風がただただ上へ上へと、小さな紙飛行機を飛ばしていくように、みんなは楽器を、私はマイクを引っ提げて、どこまででも行こうと駆け上がっていった。
なんにも出来てこなかった私が、初めて、誰かに褒められるような何かが出来た。
もちろん、真宵の作曲があって、みんなの演奏があって、夕卯のプロデュースがあって初めて形になったものだから。私がやってるのなんて、みんなが丁寧に創ってくれたケーキの上に最後のイチゴを乗せるだけみたいな、そんな取ってつけでしかなかったけれど。
それでも、そんな時間がただ楽しくて。
そんな時間がきっとどこまでも続くんだって。
いつまでも、いつまでも、なんて。
そんなことを、あてもなく夢に見ていたんだ。バカみたいに。
でも夢はいつか醒めるもの。
風に巻き上げられた紙飛行機は、やがては舞い上がった高さの分だけ、呆気もないほどに地に堕ちる。
そして得てして、そこまで高く舞い上がった紙飛行機は、堕ちたときには歪んで、ひしゃげてもう二度と飛ぶことなんてできなくなる。
そう、結局。
結局のところ。
私の過ちがあの夢のような時間を終わらせてしまった。
ケーキに最後のイチゴを乗せるだけのどうでもいい役回りの奴が、結局全てを台無しにしてしまった。
最終的にそれが誰の手によって、もたらされたものであれ。
最初の原因は結局私だった。
初めて手に入れた夢のような時間を、私が自分の手で情けなくも終わらせたんだ。
それが辛くて。
ともすれば、消えて無くなってしまいそうな夜があった。
もう二度と唄えないように、喉を潰してしまおうなんて想った夜も何度もあった。
零した涙は自嘲と慚愧でぐちゃぐちゃに汚れてて、まるで目から真っ黒な澱みが垂れ落ちているみたいだった。
大事にしていたことだからこそ、それを失った自分が許せなくって。
たくさんの人に期待してもらっていたからこそ、それを裏切った自分がもうどうしようもないものに想えて。
大切な人を傷つけてしまったという、取り返しようもない事実が、もう私をどこにも行けない場所に連れて行ってしまってた。
あの頃から、私は何にも変わってない。
どれだけ取り繕っても、根っこは何にも変わってない。
それをずっと隠していたのに。
知られてしまった。
違う、ずっと知られていたのに。
私が、どれだけ愚かで、酷い奴で、醜いかを。
ずっと、ずっと――――。
※
「―――で、それがどうしたの?」
は?
膝に蹲っていた視界を上げる。目線が合う。
よぞらは椅子に座ったまま、蹲る私を見て、ふんと軽く鼻を鳴らしてた。
「昔、あんたが何してたかなんて、今更、気にしてどうすんの?」
「結局、今、誰と向き合ってるか、ってそういう話じゃないの?」
「まひるはさ、あさひになんて言われたのよ」
そんなよぞらの言葉に、ただ茫然と口を開けた私を。
ゆうは隣で、静かに、でも小さく微笑んでそっと見ていた。