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第十二話 まひるの場合、いつかの頃—③

 「…………まず、誰、あんた?」


 「舞浜 真昼(まいはま まひる)、……隣のクラスの、ほら、最近軽音で話題になってた子だよ」


 目つきの悪いだぼっとした真宵さんが、まず私に怪訝そうな視線を向けて、もう一人の無表情で背の小さいほうの夕卯さんが、豆乳オレをすすりながら捕捉した。


 そんな返答に、私は思わずうぐっとひるむ。軽音で話題になってる私のイメージは十中八九、ただ独り善がりにボーカルだけをやろうとするわがままな奴だったから。


 ただ、それでも怯むわけにはいかなくて、ぐっと胸に抱えたノートと一緒に身を乗り出すように口を開いた。


 「い、今、私、歌えるバンド探してて、い、一回でいいから、私の歌聞いてくれませんか!?」


 しどろもどろ、半分泣きかけ、みっともないのも良いところだ。そんな私に真宵さんは呆れたように口ぽっかり開いて、夕卯さんは眼を細めてズゴズゴ豆乳を啜ってた。


 「あのさあ、あんた軽音で相手にされなかったはみ出しものでしょ? 私らそんなのの歌、聞くほど暇じゃないんだけど……」


 そう真宵さんは、まったくもって予想通りの正論を投げかけてきたわけだけど。



 「―――いや、聞こう」



 え? と私と真宵さんの声が、同時に重なった。当の一言を発した背の小さな少女はしたり顔で腕を組んでいた。その口元では、もう空の豆乳オレが、煙管みたいに揺れていた。


 「え……いいの?」


 「ちょっと、夕卯、何勝手に……」


 当然、真宵さんは噛みつくように隣の少女を睨むけど、彼女はさして気にした風もなく小さく首を傾げた。


 「何事も実際に、聞いてみなければわからないさ。それに真宵、もしかすると彼女が、君の探していた人材かもしれないだろう? というか君は、自分の耳で聞く前に大衆の噂で結論を決めてしまうのかい? 果たしてそれがロックかな?」


 そんな言葉に、ますます真宵さんの眼は険しくなるけれど、当の夕卯さんのほうは何も気にした風もない。そのまま喧嘩でも始まりそうな険悪な雰囲気だったけれど、やがてふんと軽くため息を漏らすと、険しい視線が今度は私に飛んできた。


 「あー、もー、わかった。さっさと行くよ。あんたこの後、時間あるんでしょ? 聞くからさっさとついてきて」


 困惑していた。よくわからなかった。


 でもとりあえず、私の歌は聞いてもらえるらしい。


 喉の奥が少し震えて、胸の奥が少し縮こまる。


 ずっと独りで練習はしてたけど、誰かに聞いてもらうのって、ちゃんとしたのは初めてだから。


 認められるかもしれない期待と、否定されるかもしれない不安と、両方を胸の震えの中に抱えながら。


 二人の少女に言われるまま、その後ろを必死について行った。


 ここからだ、ここから私の音楽が始まるんだ。


 そう、自分に必死に言い聞かせながら。



 ※



 というわけで連れていかれたのは、駅前の小さなライブハウス。


 その真ん中、まだ観客が二人しかいないその場所で、私は今流行のJポップを頑張って歌った果てに。


 「……どうだい、真宵」


 「え? 微妙」


 そんな言葉を頂いていた。


 ………………ハッキリ言って、泣きそうだった。


 いや、でも微妙って言われた理由は嫌でもわかる。


 なにせ緊張して上手く喉が動かなかった、歌詞も幾つかとちって飛ばしてしまった、スマホで曲は流してもらっえたけれど、うまくタイミングが獲れなくて歌い出しが変になった場所が幾つかあった。


 ………………やっぱ私、ダメかなあ。


 ちなみにそんな話をしている間に、二人は私の歌詞を書き記したノートを見て、あれやこれや言っている。ここがあー、で、ここがその曲で、これはどこから取ってきたとか。控えめに言って、自分が書いたものをあんなに堂々と見られるは初めてで、恥ずかしさでそのまま爆発して死んじゃいそう。


 というか心臓がずっとバクバク鳴ってて、冷や汗がこれでもかとダラダラ流れる。人生でこんなに恥ずかしかったことは、小5の頃に下痢で下着を汚してしまって、ノーパンで授業を受けてたとき以来だと想う。いや、なんなら、衆目に晒されてる分、あれよりきっと恥ずかしい。


 ていうか、そっか、微妙かあ。


 そりゃそうだよね、誰にも見せずに独りで練習してただけだもんね。


 歌いたいってそれだけの気持ちで頑張ってきた。でも歌いたい奴なんて、世の中にいくらでもいるんだから。きっと私みたいなありふれた奴、掃いて捨てるほどいるもんね。


 顔が紅い、今にも泣きそう、歯はかちかち震えてて、ほんとはすぐにでも逃げ出したい。


 しばらく二人がノートを見ながら、あれやこれや言っているのを見届けて。数分後に、ようやく二人の視線がこっちを向いた。


 ああ、残念だけど、あんたじゃないって言われるのかな。


 覚悟はしてたはずだけど、ダメ元だって何度も自分に言い聞かせたはずだけど。


 いざ否定されるとなると、心はやっぱり潰れそうなくらいに、苦しかった。


 「あんた、ハッキリ言って、ぱっとしない」


 「う…………」


 「真宵、それは言い方が―――」


 冷たい言葉。だけど、真実の言葉。嘘も誇張もどこにもない。


 そう、結局、私は—――。



 「あまりにパッとしないから確認するんだけど、さっき()()()()()()()()()()()()()()



 ……………………?



 「…………真宵、どういう意味だい?」


 私と夕卯さんは、二人揃って首を傾げた。


 「あんたの作詞見てるけど、どっかどーみても『マイカ』の影響受けてるでしょ。なのにさっき唄ってたの流行の奴じゃん、系統全然違うし、唄いたくもない歌、唄われても判断できないから、反応に困るんだけど」


 そう言って、真宵さんはふうとため息を一つついて、私に軽く視線を向けてくる。私は思わず少したじろいで、たどたどしい声で言葉を漏らした。


 「え、えと、その、最近デビューしたばっかりの人だから、知ってるかわかんなくて、誰でも知ってる曲の方がいいかなって……想ったから」


 そう言い訳するように漏らした言葉に、もう一つため息が帰ってくる。ただそれは諦めとか、落胆って言うより、ただ単に会話の噛み合わなさに呆れているような、そんなため息だった。


 「言っとくけど、こっちは三歳の頃から、アジカン聞かされて、ギター触ってんの。あんたよりよっぽどそこらの音楽には詳しいから、しょうもないとこで気を遣われても面倒なだけなの。つーか、知らない曲でも、歌の良し悪しくらいわかるから、さっさと歌える歌、唄いなさい」


 ドクンと。


 言われた言葉に、どうしてか胸の奥が微かに熱く震えてるのを感じてた。


 さっきまでの恥ずかしさや不安とは少し違う、そんな震え。


 「…………なんでも、いいの?」


 「くどい、言っとくけど、次で最後にするからね。変に出し惜しみしないで、自分の一番の歌唄いなさいよ。で、何唄うの? 『恋ガタリ』?『届けない』?」


 わからない、この心の動きを、私は多分、生まれてから一度知らない。


 でも、その熱い震えを感じながら、今度は不安も全部忘れたまま、何かに背を押されるように勝手に私の口は開いてた。




 「『震えた指』で」




 真宵さんは一つ息を吐いて、スマホから伴奏を流してくれる。



 夕卯さんは静かに私のノートを閉じると、じっとこっち見つめだす。



 私の胸は熱い何かをドクンドクンと身体中に動かしてる。



 頭の奥はどうしてかスッと透明で。



 音を聞くだけで、身体が自然と動き出す。



 歌い出しは迷わない。



 歌詞だって一字たりとも忘れてない。



 耳を閉じたって、伴奏を止めたって、タイミングを見誤らない自信さえある。



 あの日のクリスマス、あの寒空の橋の下。



 だって、私は。



 誰にも負けず、高く、高く、空の向こうまで響いていたあの人の声を。



 どこかの誰かへ届けと、私の心を揺らしたあの唄を。



 あの時感じた、私の背を押した衝動を。



 まだ何一つだって忘れてなんていないんだから。



 だから、唄った。



 後も先も考えず。



 あらん限りを、全力で。



 今度は、誰にどう想われるとか、失敗したらどうしようなんて不安は欠片だって感じなかった。



 だって、これはそういう歌だから。



 震えたっていい。



 怖くたっていい。



 それでも、ただ唄え、今ここにある私の全てを。



 どこかのあなたに、届くように。



 遠く空の向こうまで、届くように。



 そうあらん限り、唄いつくした。



 ずっと、独りで何度も何度も、唄い続けた歌だったけれど。



 どうしてか、その日、初めて、本当の意味で。



 あの時唄っていた、あの橋の下の、あの人の声と、自分の声が重ねられた気がしていたんだ。


 









 ※









 暑い。



 熱い。




 まだ暖房もついてない、地下のそのライブハウスの一室は、そこそこ冷えているはずなのに。



 私の熱は、さっぱり下がらず、荒れた息をただひたすらに繰り返していた。



 歌い―――切った。



 これが誰かの望みにかなうかはわからない、期待に沿えるなんて夢のまた夢かもしれない。


 それでも、確かに歌い切ったっていう、不思議な充足感が私の身体を満たしていた。


 事実、個人的にはずっと唄っていた歌だけど、こんなに思いっきり歌えたことはなかった。渾身の出来だ、これでだめなら仕方ない。今は何でかそう想えた。


 しばらくそうやって息を荒げていると、すっと目の前に紙パックが差し出されていた。よくわからないまま、それを受け取ると私のそばまで歩み寄っていた二人と目が合った。差し出されているのは夕卯さんが、持っていた豆乳オレのパックだったみたい。……さっき飲み干してなかったけ、予備?


 「どーだい、真宵?」


 無表情な彼女の視線が、隣の眼つきの悪い少女の方に向けられる。なんでか真宵さんの方は、どこか難しそうなを顔で、しばらく頭をがりがり掻いていた。それから、ふぅっとおもむろに息を吐いて、私から目を逸らす。


 「………………なくはない」


 「えと…………それって、ダメより? ……いいより?」


 そんな私の疑問に、夕卯さんがくすっと微笑んだ。今日初めて、彼女の表情が変わったのを見たかもしれない。


 「いいより、だね。それもだいぶ。基本、まよいは今まで誰の歌を聞いても、『なし』しか言ってこなかったから」


 そんな彼女の言葉に、真宵さんは少し顔を赤らめて、びっと私に指を差してくる。思わずそれにたじろくけれど、その頬が染まっているから不思議と圧はあんまりなかった。


 「言っとくけど、改善点は山ほどあるからね!? まず音程がとこどころズレてるし! ブレスの入れ方が素人くさい!! あと、感情込めすぎて息が続いてないとことかあったし! 基礎のボイトレとか全然してないでしょ! 歌い方でわかんのよ! 喉から出しすぎ、腹で唄うの! あとはあとは―――」


 畳みかけられる言葉に少したじろぎはするけれど、どうしてか私の頬には気づけば笑みが浮かんでた。さっきまで呆れたような視線ばかり向けていた表情が、今照れたように真っ赤になっているのが、何より最大の成果だし。どうにも悪い出来じゃあ、なかったんだなって。そう想えたから。


 ちらりと隣を見たら、同じく微笑んでいた夕卯さんと目が合った。


 「素晴らしい歌だったよ、真昼。私は、音楽に関しては門外漢だ。でも君の綺麗な声と、そこに込められた想いには、心を揺らす律動が確かにあったよ」


 「はは、……ありがと。私もこんなにちゃんと歌えたの初めてかも」


 そう笑い合っていたら、頭上から剣呑な視線が降り注いでくる。


 「何、二人していい感じに終わらせてんのよ。いい? 真昼、あんた明日から特訓だから、まずは基礎。ボイトレして、音程も完璧に仕上げんのよ、あとは体力、一曲でバテてたら、ライブじゃ話になんないんだから」


 おおう、と私は思わずたじろいで…………少したってから、ん? と一つ首を傾げた。


 「……明日から? ……ライブ?」


 なんで、そんな話が出てくるんだろう?


 「…………おや? 真昼、君は私達がボーカルを探している話を聞きつけて、声をかけたんじゃなかったのかい?」


 そう問うてくる、夕卯さんに私はえ? って思わず口から漏らしながら、ゆっくりと首を横に振る。


 ボーカル? 募集? いや、もし認めてもらえたらとは考えていたけれど、具体的にどうなるかなんてさっぱり考えてなかった…………。


 「あら、そうだったの? でもよかったじゃない? あんた歌える場所が欲しかったんでしょ? なんならあんたの詩に私が曲書いてやってもいいけど? というか、今更逃がさないから。あんたは明日から、ずっと基礎練よ基礎練、まずは歌える身体づくりから始めんの」


 ぼけーっと呆けている私に、真宵さんはそう言って、妖し気な笑みを浮かべてた。さらに呆けている間に、それとなく立ち上がろうとした肩を、夕卯さんにそっと抑えつけられる。


 「ようこそ、真昼。我らのバンドへ。……と言っても、メンバーは今のところ、君と真宵だけなんだけどね。ちなみに私はマネージャーなんだ、このバンドハウスのオーナーの身内なのもあって、色々とバンドの手助けをしていてね。趣味でプロデュースの真似事もしてたりするんだ」


 あれ? あれ? と事態の変化について行けてない間に、二人の視線が段々と妖し気なものに変わってく。まるで、ここまで来たら、もう逃がさんぞとでもいうように。


 「目標は来年の春にデビューだから、それまでにメンバー集めと、曲の作成。あんたは基礎を徹底的にしごくから、覚悟しててね? 私の曲で歌うんだもの、半端なんて許さないから」


 「見ての通り、真宵は少し難しい性格でね。曲のセンスはいいし、演奏も素晴らしいんだが、少しこだわりが強いとこがある。それもあって組んでくれる人が見つからなくて困っていたんだ。いやはや、丁度いい人材がやってきてくれて非常に嬉しいよ」


 あれ? いいのか? ほんとにこのまま頷いてしまっていいのか?


 なんて疑念がぐるぐると頭上を回る。脳内では、気付かないうちに契約を結ばされる詐欺師の啓発ビデオが虚しくリフレインし続けていた。


 「じゃ、明日からよろしくね、真昼」


 「来年からのデビュー、とても楽しみにしているよ。真昼」


 そして、妖しく笑うそんな二人に。


 私はただ冷や汗を垂らしながら、黙ってうなずくことしかできなかった。


 念願の歌う場所が出来たことは確かだったけど。


 思ったより話がでかくて、……大丈夫かななんて、思っていたことだけは覚えてる。


 そんな中三の秋も終わりが近づくころのことだった。






 ※

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