第十話 あさひの場合、お風呂の頃—①
「ね、まひるちゃん、一緒にお風呂入らない?」
「へ?」
私がそう提案すると、まひるちゃんは目を丸くした。それはもう、人間ってちゃんと驚いたら目が丸くなるんだねえって思うくらいには丸かった。
ふふふ、動揺してる、動揺してる。
最近、というか、前回の愛してるゲームから、まひるちゃんはずっと露骨に警戒モードなのだ。ごろごろしてるところに、私がちょっと近づくだけでびくっとして、私が顔を少し寄せるだけで冷や汗がダラダラと流れてた。
揶揄って首筋にふっと息を吹きかけたら、ひゃんっと可愛い声を頂いたっけ。あれで一勝にしてもよかったけれど、それは少しもったいなくてやめときました。
だって、もっと可愛い顔がみてみたい、もっと深いところに触れてみたい。
こうやってゲームというお遊びに、想いを隠していられるのももう少しだけなんだから。
―――もし、十勝してしまったら。
私は、私たちの関係はどうなってしまうんだろう。
ぎこちなくなるかな、離れてしまうかな、崩れてしまうかな。それとも―――。
いつかのゆうちゃんとよぞらちゃんの言葉がふっと頭をよぎってく。
『閉じ込めて抑え込んだ想いは、いつかどこかで君の心を歪めてしまうよ』
そう、ゆうちゃんは言っていた。確かに、そうかもしれない。
『大きな秘密なんて、ずっと抱え続けてたら、絶対どっかで隠しきれなくなるでしょ』
そうよぞらちゃんは言っていた。ほんとに、そうだったのかもしれない。
だって、最近ずっと、胸の奥で誰かが声を上げているような気がしてるもん。
不意に言葉が、喉の奥から零れるようにこみあげてきて、全てを喋ってしまいそうになる瞬間があったりするし。
この前、君に初めて口づけをして、そんなこともちろん覚えてるわけだけど。
起きた後、君が『あの、あさひ、さっきのって……?』って言った時。
何も知らないふりをして、何も気づかないふりをして。
『どうしたの?』って、笑顔でとぼけた瞬間に。
喉の奥から、『全部、ほんとだよ』って、言葉が漏れていきそうになった。
止めた言葉はどこにもいかない、抑えた想いはどこにも消えない。
胸の奥で、喉の奥で、じっと溜まって、いつか外に出る瞬間を今か今かと待っている。
もう少し、でも、まだもう少し。
今の君との時間を楽しんでいたいから。
もう少しだけ待っててね。
そう胸の内で今にも声を上げようとする、小さな私に言い聞かせてから。
そっと君に微笑んだ。
さあ、まひるちゃん、ゲームをしようよ。
全部が嘘で、全部がお遊びな、そんなゲームをしよう。
あいしてるって呟いて、本気にした方が負けだからね。
―――ああ、でも、そういう意味ではきっと。
ほんとはずっと、私は負けっぱなしだったのかも、しれないね。
※
戸惑う君の手を引いて、お風呂場へ。
意識すると、喉の奥がきゅっと狭まって、息が上手く巡らないような感じがする。
ふうって空気が口から漏れるたびに、手足の先が少しから少し力が抜けていくような気もしてる。
あれ、ちょっと……緊張してるかな。
いつも使ってるお風呂場なのに、進む手足がどことなくぎこちない。まひるちゃん気づいてないといいけれど。
ただ、ふっと振り返ってみた君は、なんでかもう顔が紅くなっていて、このまま『あいしてる』って呟いたら私の勝ちになっちゃいそうなくらいだった。全部冗談だよって言って、それでおしまいでもいいんだけれど。
でも――――それじゃ、もったいない。
「じゃ、入ろっか?」
そう言っているはずの自分の声がどことなく遠い。緊張のし過ぎで、視点が少しズレてしまったよう。
そんな遠いレンズの奥で、私は戸惑う君を置いて、何気ない調子で服を脱いでいく。
靴下を脱いで、タイツを脱いで、上着を脱いで、スカートを脱いで後は―――。
踏ん切りを込めているのをバレないように、緊張で震える指に気付かれないように。
優しく、自然に、なにげなく、そう見えるように意識して。
カチッとホックが外れる音がして。
上の下着を外した。
晒される、まひるちゃんの前で、私の身体が。
好きな人の前で、私の裸が。
逸る息をできるだけ抑え込む、まだ背中しか見せてないけど、お風呂に入れば当然そんな風にはしてられない。
でも、こんなのそもそも序の口でしかなくって。緊張でぎこちなくなっている指を何気なく、でも必死に動かして次の場所に手を付ける。
私の身体の一番、大事な場所。
その覆いに、私のショーツに、指をかけて、そっと降ろした。
衣擦れの音が嫌に耳に残る。肌を晒しているはずなのに、身体全体が妙に熱い。今、自分の大事な場所が何にも守られていないことの恥ずかしさが、毒みたいに身体にじわじわ回る。
ただ。
それでも。
君の前では、私は何もないフリをして笑う。
まるで、そうただの同性の友達同士が、普通にお風呂に入るだけみたいな顔をして。
「さ、入ろ! まひるちゃん!」
振り返ってそう言った。
手で無意識に大事なところを隠しながら。
君は少し戸惑った顔をしたまま、でもやがてどこか困ったような顔をして、ゆっくりと服を脱ぎ出した。衣擦れの音と一緒に、君の身体を覆っていた服の奥から君の肌が少しずつ露わになっていく。
思わず一瞬、呆けてしまった。
あ、ダメだ。あんまり見過ぎたら不自然だし。
「さ、先はいってるね?」
だから、そう言って、そそくさと浴室のドアを開けて、そっと中に入った。
後ろ手にドアを閉めるけど、その向こうで君の衣擦れの音がまだ、ゆっくりと響いてる。
……あはは、変だね。一緒に住んでるんだから、まひるちゃんのバスタオル姿とか、下着姿とか、着替え姿とか、なんやかんや見てきたはずなのに。
いや、でも、ちゃんと本当に裸になって向き合うって多分、初めてなんだよね。
もちろん、本来、女の子同士のその行為に、さしたる意味はないけれど。
意味をつけてしまっているのは、私の想いがこうなってしまっているから。
ふぅと長く息を吐いて、身体を少しだけお湯で流した。
熱い、当たり前だけど。夏だしね。でも、その熱さが今は少しだけありがたい。
きっと、顔が紅くなってても、のぼせたって誤魔化せるから。
湯舟にそっと手をかけて、ゆっくりとお湯の中を辿るように足を入れる。
ちゃぽんと音がして、大きな波も立てずに、お湯は私を肩まで飲み込んでいく。
ちょうどその頃に、浴室のドアが、ぎぃと開いた。
そこに立っているのは、裸の、生まれたままの姿のまひるちゃん。
スラッとした細い足。スレンダーなのに、女の子特有の柔らかな曲線を描いた素敵な身体。なだらかで繊細できれいな手。そして、その全てが透きとおった肌色で繋がってる、不思議な感覚。えっちなのもそうだけど、それより先に、綺麗がくるそんな姿。
あ、って息を呑まれるように、その姿を見つめてしまって。数秒してから、あんまり見過ぎたらよくないと思って、眼線を身体からそっと逸らした。
そんなまひるちゃんは、ちょっと頬は赤くて、目線を逸らしながら、でもちらっとだけこっちを見て、なんでか少し不貞腐れたような顔してる。
そして君は、私と同じように、身体をお湯で濡らした後に、やがて何かを諦めるようにため息をついた。それから、ばしゃっとちょっと勢いよく私と一緒に湯舟の中に腰を下ろした。
大事なとこは隠さずに、というか、多分あえて隠そうとしないで、湯舟の縁に手を載せて堂々としてる。……けど、顔が紅いのは、多分、お湯のせいじゃないんだよね。入る前から紅かったし。
「…………まひるちゃん、照れてる?」
だから、思わずそんな言葉が口を突いて出た。
君は少し気まずそうな顔をしながら、ますます顔を紅くして、もう一度盛大にため息をつくとぶすっと顔をしたまま私に流し目を向けてきた。
「…………急にお風呂一緒に入ろって言われたら、普通照れない?」
そんな言葉に、私は三角座りをしたまま、うーんと考える。言われてみればそうな気もするけれど、女の子同士ならそうでもないような。いや、でもやっぱり裸を見られるのは少し恥ずかしい気もしてくる。大浴場じゃなくて、こんな狭いユニットバスだし。なんなら膝も触れあいそうな距離だし。
…………なんかそう考えると私の方も照れてきたかも。というか、そんなお誘いをしたという事実に照れてきたと言うか。いや、でも愛してるゲームなんてしてる時点で、今更なのかもしれない。
「それは……そうかも?」
ただ、なんだか自信がなくなってきた。もしかしなくても、私、また暴走して変なことしてるかな……?
そんな私の言葉に、まひるちゃんはえーって感じで、細めた目でこっちを見てくる。
「あさひはたまに、無自覚にとんでもないお誘いしてくるよね……」
「…………ちょっと、自覚はあります。……はい」
ふと想い返せば、いろんなことをやらかしているような。愛してるゲームもそうだし、こうして一緒に住むのだって、私が暴走した結果と言えばそうだったり。
…………うむむ、今更だけど、なんか色々恥ずかしくなってきた。
「……まあ、いいけど。別に誘われるのも、嫌いじゃないし」
まひるちゃんはそう言って、微笑んでから肩をすくめた。
私は思わず照れたように頭を掻いて、えへへと誤魔化し笑いをうかべるばかり。
でも、そんなやりとりのおかげで、ちょっとだけお互い気が緩むのを感じてた。
恥ずかしさと、緊張と、裸を見てしまう葛藤と、いろんなもので少し上手く動けなかったから。そんな重りが少しだけ肩から降りて、ようやくいつもの私達に戻ってこれた気がする。
「えへへ……いつも、ご迷惑をおかけしております」
「いーよ、前のプールみたいに楽しいことも多いし、今日はどういう目論見だったの?」
ちゃぽちゃぽとお湯が跳ねる音を聞きながら、二人して小さな浴槽で、生まれた姿のままにししと笑い合う。
それからは、少し緊張も解けていつも通り話が出来た。
「え、うーん、愛してるゲームの一環だったり? 特別なシチュエーションならどうかな、なんて」
「あー、なるほど……って言っちゃっていいのそれ?」
「なんか隠しとくのも恥ずかしくなってきて……我ながら隠し事むいてないかも……」
「はは、それはそう、あさひの隠し事、すぐわかるもん。前のお母さんの電話の時とかもそうだけど、顔見てたらすぐわかる」
「うむむ、わかりやすい女……褒めてる?」
「褒めてる、ちょー褒めてる。素直で、信じやすいってことだから」
「むにに……まあ、まひるちゃんがそう言うなら、それでいっか……」
「ふふふ、さ、身体洗おうよ、どーする、洗いっこでもする?」
「うーん、それもありだけど……って、ちがーう、私が攻めるためにお風呂にしたんだぞー?」
「えー、どっちが攻めとか決まってないじゃん? まあ、うん、洗いっこはやめとくか………………さすがに私も恥ずかしい」
「―――わかった、やる」
「あさひ、今の話聞いてた……?」
「聞いてたよ、もちろん。だからやるよ、まひるちゃん」
「どゆことなの。あ、なんかスイッチ入ってる?」
「うん、有言実行スイッチ入ってるよ、いまの私は」
「…………あさひのそれは、割とまじなやつだなあ」
「ふふふ、覚悟するのじゃ、まひるちゃん」
「無事で済むかな私……」
そんな、楽しい、友達のようなやり取りを繰り返す。
狭い浴室の中、足が触れあうほどの距離で、二人して無邪気に笑いながら。
まるで何事もない、ただの友達かのように。
もちろん、まひるちゃんとは、紛れもなく仲のいい友達同士ではあるけれど。
そうじゃない部分もあって、そうでいたくない部分もあって。
ただの恋や愛とも、この胸にある想いは少し違って。
友達だけのやり取りも楽しいけれど、それだけじゃ物足りない部分もあって。
やっぱり抑え込んだ想いは、決して消えて無くならないのだと。
どこかで、ふとした瞬間に顔を出してしまうのだと、私はそんなことをふと想い出したいた。
それから、二人して、わーきゃー言いながら、浴槽からいったん出て。
君が浴室の小さな椅子に腰かけた、その瞬間に。
さ、始めよっかって思った瞬間に。
気付いたら、ぎゅっと後ろからまひるちゃんに抱き着いていた。
その細くてすらっとした綺麗な背中に。なめらかで柔らかい肌に、そっと自分の肌を重ねてた。
「あさひ……?」
そんな君の少し困惑したような声と、その背中ごしに響く小刻みな心音を聞きながら。
「まひるちゃん、あいしてるよ―――」
そう君の耳元で呟いた。
さあ、ゲームをしようよ、まひるちゃん。
私の本当の想いを秘めた。
そんなゲームを。
※