第九話 まひるの場合、水浴びの頃—①
その光景を今でも時折、夢に見る。
どころか、ふと何気なく歩いている瞬間にさえフラッシュバックする。
輝かしくも、華々しく、されど、痛々しくも、愚かしく。
ただ、舞台の上で独り善がりに叫んでいたあの頃を。
でも許してよ、高校生のガキがたまたまライブハウスでいい出会いに恵まれて、天才だなんて持て囃されて、調子に乗ってただけなんだから。
その行いが、誰かを傷つけてるなんて想いもしなくて。
その道行きが、どれほど幸運に恵まれていただけなのかを知るよしもなくて。
ただ、がむしゃらに、ただ視野狭窄に、世界の広さの一つも知らない子どもが、自分の心を叫んでいただけなんだから。
そう言い訳をしてみても、詰る声は止まってくれない。
見ず知らずの誰かの声、何度も怒られた相棒の声。
親の声、先生の声、先輩の声、そんで最後は決まって私自身の声。
朝起きて、あーあ、あんな痛い高二病みたいな記憶、全部なかったことになってればいいのになんて、考えたことは数えきれなくて。実際、そういう夢を見たことも、いったい何回あったっけ。
でもそういう全部を忘れた夢は、結局唐突に誰かに真実をバラされるところまでがセットなんだけど。
あまりに苦しいから、誰かに責任をおしつけてやりたいけど、心当たりが自分の顔しか浮かんできません。やれやれ困ったもんだよね。
思い出して意識するだけで、胸の奥は少し重りが入ったような感じがして、自分の中の気力のようなものが、煙のようにひゅるひゅると抜け出ていくのを感じてしまう。
消したい過去があまりに大きすぎて、そしてそれが私の根幹にあまりに深くかかわりすぎて、これを消すとなると私ごと消す以外道もない。まあ、そこまではやらんけどね、友達にも迷惑掛かるし。
それでも、大学、入って、今の友達と一緒に居るあいだ、特に愛してるゲームなんて、ふざけたもといごほうびな遊びをしている間は、そんなことも忘れられていたんだけれど。
この前、バンド時代にお世話になった二人に、やり直さないかなんて誘われてしまったものだから少し想い出す機会が多くなった。おかげでメンタルもぶれっぶれ。こんなんで、残り3勝に迫ったあさひの快進撃を止められんのかよって話なんだけど。
『私ね、おねがいごと決めたよ。愛してるゲームで10勝したときのやつ』
『―――だから、あと三回。覚悟しててね?』
しかも、一体、何をどう決心したのか、とうとうあさひが本気になってしまった。
これは、もう私はダメかもしれん。あさひがガッツポーズしただけで、3勝ぐらいもぎ取られる自信がある。
そもそも、既に7勝3敗でボロ勝ち状態のあさひが、どうしてそこまで本気になるのか。なんだ、どんなお願いをさせられるんだ。あさひのことだから、そんな無茶なことは言ってこないとは思うけど。
なんだろう、コスプレ写真集とか作らされたりするのかな、前のイベントの時といい、意外とそういうの好きだったんだよね。私とよぞらのコスプレで異様にテンション上がってたし。そういえば、あの日に、あさひ覚悟完了してたんだよね。あれ、ありそうだな、なんかこれ。
なんて戦々恐々とした妄想を繰り返すこと、およそ3分。
「まひるちゃん、何ぼーっとしてるの? 行こうよ!」
今日は、あさひと一緒にプールに来ております。
二人で。
あれ? よぞらとゆうは誘わないの? って聞いたら、それもいいけど、また今度! 今回は二人で行きたいなとのことだった。
あーそっかー、そーいう時もあるよなーなんて当時の私はぼんやりと考えていた。
いや、だめだろ、二人きりは。
しかも水着姿だぞ。
こんな可憐、純朴、無自覚、豊満、攻撃全振り想い人を私の隣に置いていいわけがないだろう。
今の私の理性は性に目覚めたての中学生のそれより脆いぞ。さっきから意味のないボディタッチを繰り出しそうな、右手を抑えるのに必死なくらいなんだぞ。
しかも今日のあさひは、普段のおしとやかな雰囲気を崩さないぎりぎりのラインで、夏モードというか、全体的に解放されている肌面積が多い。オレンジのパレオがいい感じに、ひらひらしてて、ところどころちゃんと際どい。しかもそれを自慢げに見せてくるものだから、その仕草がかわいくてもうやばい。
一緒に住んでんだから、下着姿も見慣れてるじゃないのと脳内よぞらがツッコんでくるけど、違うんだ。そうじゃねえんだ。このセクシーあさひが公共の場に公開されていることがやばいし、そのあさひと隣に並んでるこの状態がやばいんだ。
脳がパにくりすぎてやばい以上の語彙が出てこない。おかしい、少なくとも5年以上作詞を続けていたはずなんだけどな、この脳みそは。もうちょっとなんかいい感じの表現ないんか。
「どしたのー、まひるちゃん」
「…………やばい」
なかった。ちょーかわいい。
キュートとセクシーを両立させて高いレベルをオールウェイズに提供してくる。
不思議そうに首を傾げる姿も、私のことを慮ってくれる気遣いの範囲も、素直に向けてくれる友人としてのあたたかな好意も、それと並列された覗くうなじのなだらかさも全部いい。あまりにケチの付け所がない、私の需要をみたすためだけにチューニングされた存在過ぎる。神様ありがとう。
「顔……赤いよ? ……あ、もしかして熱中症?!」
「ああ、うん、そっちが理由じゃないから、うん、大丈夫」
私があわや熱中症かと勘違いして、あさひはあたふたと肩に下げていたバッグからペットボトルやタオルを慌てて取り出そうとする。視線がちょっと涙目になって、必死に私の体調を窺おうとする。
友人の体調不良を即座に慮れるその優しさ、二億点。
いや、こんなことしてたら、日が暮れる。私ら、まだ更衣室をでて少しの手洗い場から動けてないぞ。
というわけで、さすがに大丈夫とあさひを宥めて、ようやく夏の眩しい日光が照らす外に出た。
今日私達が来たのは、電車で数本の所にあるアミューズメントパークのような場所。けっこうおっきなプールに、ウォータースライダーあと温泉も併設されてて、盆も過ぎたころたけど、まだまだ人は溢れるほどにいる。
わあわあと、きゃあきゃあと、ザアザアと。
夏の熱気と、あちこちで響く子どもたちの歓声と、水がはじける音を聞きながら二人揃って、思わずおおっと感嘆してしまう。
実はこーいうところくる機会あんまりなかったり。中高の頃は音楽オタクだったから、半ば仕方なくはあったけど。
「うはー、思ったよりすごいや、どこいこっか?」
「あっちの大っきなプールかな……? あ、出店とかもあるよ? あ、あっちは波のプールかな?」
しばらく二人で目を白黒させてから、ちょっと目を合わせたら、思わず二人揃ってにやっと笑ってしまった。
「実はあんまりこういうとこ来たことなかったから、ちょっとわくわくしてるかも……」
「ふふふ、まひるちゃん、私も……」
というわけで意気揚々と、売店で借りたでっかい浮き輪とシュノーケルを肩に担いて、転ばないようでも浮足立つ気持ちを抑えきれず小走りで駆けだした。
行き先は言葉にしなくても、ぴったり一致しちゃってて。
とりあえず目指すは、あの一番でっかいプール。それから、奥のウォータースライダー。
なにせ夏だぜ、学生だぜ、楽しまないと。
二人揃って、蒼すぎるほど、晴れ渡った空の下、水しぶきと歓声の音が響く波間に走っていった。
そうやって、笑い合ってる間は、なにもかも忘れていられた。
私の愚かさも、私の過去も、あさひの本気とそのおねがいも、何もかも。
まるで雲一つない空の向こうに、全部溶けて消えてしまったような。
響く笑い声の中に、全て流されてしまったような。
そんな時間を過ごしてた。
蝉の音はまだ聞こえない。
※