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第八話 あさひの場合、夏コミの頃

 ゆうちゃんに連れてこられた夏の同人即売会。


 初めての雰囲気と初めての場所、雪崩か何かのようなお客さんたちにひたすらおつりと本を手渡す最中、まひるちゃんとよぞらちゃんが休憩に出て少ししたころ。


 見知った顔が二つふっと顔を出した。


 見知ったって言っても、向こうの方は多分、私を知らない。


 ―――だってその人たちは、ずっと私が見上げていたステージの上に立っていた人たちだったから。


 「や、久しぶり、ゆう」


 「元気してたー? またいいの描いてる?」


 「―――ああ、二人とも元気そうで何よりだよ」


 ゆうちゃんがそう言って、何気なくすっと手を上げた相手は、ラフそうな格好で、20過ぎくらいの、どことなく明るい雰囲気を纏った男女の二人組。背中にはおあつらえ向きにギターケースを背負ってた。


 そんな二人を見て、私は思わず呆然としてしまう。


 この二人は―――。


 「『ぱららいず』解散以来だから一年半ぶりくらいかな、なつかしい」


 「私とゆうやはちょこちょこ会ってるけど、他はリアルで顔は合わせてないしね、まひるとか元気にしてる?」


 「……ああ、今日、ここに来てるよ、今は休憩中だけどね。そこらへんの廊下にいるはずだ、また顔を見せてあげてくれ」


 そんなゆうちゃんの言葉に、その男女二人は顔を見合わせると頷いて、そっとその場を立ち去った。列が混んでるから、気を遣って早めに話を切り上げてくれたみたい。


 去り際に軽く会釈をしたら、二人はにこっと笑って手を振ってくれた。私が誰だかわかってるかな、まあ、わかってるはずもないんだけれど。


 ぼーっとただその二人を見送る私の隣で、ゆうちゃんは黙って、いつもの無表情で、でもどことなく何かを考えこむような雰囲気でその背中を見つめてた。


 


 ※



 私が高校の頃、おっかけをしていたバンドがある。


 名前は『ぱららいず』。


 ベースがさっきいた男の人、佑哉さん。


 ギターがその隣にいた女の人、文音さん。


 ドラム兼コーラスが真宵っていう、私と同い年の少女。


 そして、ボーカルがまひるちゃん。


 私達が高一のころに結成されて、高三の卒業と同時に解散されるまでの約三年間。


 地元の狭いライブハウスと一部のネットユーザー内ではあったけど、ある種の伝説に近い熱狂と人気を得たバンドだった。


 ただ、そのバンドは結局、解散してしまって、まひるちゃんは今でも、そのことを私やよぞらちゃんには言えないと秘密として隠してる。


 そんなバンドのかつてのメンバーが今、まひるちゃんと会ってる……。


 どうしよう、ファンとして様子が知りたいのも一つだし。まひるちゃんの気持ちが大丈夫なのか心配にもなってくる。


 でも……いま、受付を離れるわけには……。


 「あさひ」


 なんて思考をしていたら、不意にゆうちゃんから声をかけられた。


 同時に、目の前でお客さんがお札を持って不思議そうに首を傾げてもいた。


 や、やばい、ぼーっとしてた。


 慌てて、謝りながらお客さんに本とおつりを手渡して、慌ててゆうちゃんの方を見る。


 「ご、ごめん、ゆうちゃん。ぼーっとしてた」


 そんな私の答えに、ゆうちゃんは特に表情を動かさず、ゆっくりと首を横に振る。


 「気にしなくていいよ、今日、無理言って手伝ってもらっているのは私の方なんだから」


 「う……うん、あ、あとね、ゆうちゃん……あ、でもやっぱり」


 やっぱり私、まひるちゃんの様子を見に行きたくて……、そう口にしかけたけど、やっぱりこの列を独りで捌くのには無理がある。何より、そんな私のわがままに付き合わせるわけにもいかないし……。


 ただ、ゆうちゃんはふむと軽く頷くと、じっと私の方を見つめてきた。


 「どうしたんだい、あさひ? 急用でも出来たかい?」


 喉の奥に突っかかって、うまく出ない言葉がある。


 石か何かが胸の奥に挟まったみたいな、躊躇いと不安の言葉。


 それを飲み込んでしまうのに、私はずっと慣れていたはずだけど。


 「え、えっとね―――まひるちゃんの様子、心配だから……見てきていい?」


 指先が少し震えるのを感じながら、思わずそう口にしていた。


 理由にはなってない、理屈にもなってない。そんな拙い言葉。


 だけど、そんな私に、ゆうちゃんはゆっくりと頷いた。いつもの穏やかな表情で。


 「ああ、構わないよ。丁度よぞらも戻ってきたしね、そのまま少しまひると一緒に休憩しておいで」


 そんなゆうちゃんの言葉に頷きながら、私はそそくさと席を立つと、丁度こっちに向かっていたよぞらちゃんに手を振った。


 さあ、行かなくちゃ、まひるちゃんの所まで。


 この行いに意味があるのかもよくわからないけど、それでも、また名前のない衝動に背を押されるまま。


 私は急いで、まひるちゃんの所まで駆け出した。






 ※




 


 「聞いたよ、真宵のこと。さすがにちょっとショックだったな……」


 「私ら、全然、気付いてあげられなかった、ごめんね……」


 「いや、二人は悪くないでしょ。まあ、どうせ大学上がるころには、身の振り方考えなきゃいけなかったし。それに半分は私が調子乗ってたのが原因だったし、なんというか、しゃーないですよ」


 まひるちゃんの姿を見つけたのは、丁度三人が話し始めたころ。


 「結局、わかったあと……どうなったんだ?」


 「あの後、真宵から何か……連絡来た?」


 「いいえ、なんにも。……でも、私の方も受け容れられる余裕なかったかな。大学からの友達にもバンドしてたことは黙ってるし、それ以上関わるのも正直しんどいかなって」


 慌てて、廊下の隅っこの柱の陰に隠れた、きっとこの話の内容をまひるちゃんは私に知られたくはないだろうから。


 「そっか……でも、もう解散の前にあった、無闇な誹謗中傷はなくなったんだよな?」


 「………………」


 「まあ……そうですね、うちのルームメイトが大分頑張って、お灸据えてくれたみたいなんで、とりあえずは丸く治まってます。今、あの時のことで困ることはまあ、ないかな……」


 その想いを知って尚、ここで話を聞いてしまうのは、ただの私のわがままだけど。


 「じゃあさ……やり直してみる……気はないか?」


 「やっぱりね、二人で話してて想ったんだ、もったいないって。だって、真昼の歌で心を動かしてくれた人一杯いたじゃん。あんなの誰にだってできることじゃないよ、だから……もう一回頑張ってみない?」


 「……………………」


 ひゅっと思わず胸がぎゅっと握られるような感じがした。


 なんでだろう、おっかけしてたバンドの再結成の話なんて、喜ばしいことのはずなのに。


 「………………」


 「……………………」


 「………………………………はは」

 

 どうして、こんなに胸が締め付けられるように痛いんだろう。


 隠れてしまったから、まひるちゃんの顔は、表情は窺えない。


 「……すいません。ありがたいん……ですけど、正直、今……そういう気分になれなくて」


 だけど、声だけでどんな顔してるのか、わかってしまうくらいには。


 痛くて、苦しくて、辛そうな声だった。


 「私の歌が、どんな形にせよ、誰かを……傷つけてたんだってわかったら、どう唄えばいいのかわかんなくなっちゃって……」


 思わずぎゅっと自分の身体を抱きしめた。


 「言われた言葉が、頭から離れないんです。……歌おうとして、誰かを傷つけるかもって想ったら……うまく喉が動かないんです」


 君の声は少しだけ震えてた。


 「せっかく誘ってもらったのに、ごめんなさい……」


 儚いような、掠れるような、そのまま消えてしまいそうな声だった。


 「もう、あの歌たちに意味があったのかすら――――――わからなくなっちゃって」


 その声に、誰も何も言えぬまま。


 「―――だから、ごめんなさい」


 痛いような、苦しいような、辛いような。


 そんな沈黙だけが後に残ってた。


















 ※


 『ぱららいず』の解散のきっかけは、ある一件のネットの書きこみから。


 それは内部告発めいたものから始まり、歌詞への否定を経て、バンドメンバー、特にまひるちゃんへの悪口から人格否定が執拗なまでに繰り返されていた。


 その頃から、まひるちゃんはバンドでの演奏に少し陰りが見えて、今想うとステージ上でも無理に笑っている姿が少し増えていた。


 多分、ライブに来ていたほとんどの人に、そんな悪意はなかったけれど。


 たった一滴、水瓶に落ちた猛毒のような、そんなたった一滴が、あの場にあったはずの共感を、楽しさを、高揚を、どこか台無しなものにしてしまっていた。


 それから数か月の後に、ぱららいずはメンバー高校卒業という名目の元、解散してしまうわけだけど。


 誰もが、その脳裏に、あの悪意の書き込みを思わずにはいられなかった。


 もちろん、あの書き込みによって、どれだけ苦しんで、どれだけ痛みを背負ったのかはまひるちゃんをはじめとした当人たちにしかわからない。


 たとえ、その犯人が解っても、もうその人がそんな行為をしないとわかったとしても。


 また、第二、第三の悪意の人が産まれないとも限らない。


 ただ、誰かに表現を見せる以上、誰かの前で歌を唄う以上、それは避けられないことだっていう人もいたけれど。


 でも同時に、そんな言葉で、悪意で傷ついた心が癒えるわけじゃないことは、誰にだってわかってた。


 そして、まひるちゃんの苦しみは、まひるちゃんにしか解らない。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 だって、まだ言葉にならない衝動が、胸の奥をずっと高鳴らせる躍動が、誰かに背中をずっと押してもらってるような感覚が。


 あの日、君に手を取ってもらった、あの日からずっと変わらず、私の心を動かしてる。


 君のために何かがしたかった。


 君の心をどうにかして救いたかった。


 君の歌に意味がないなんて―――そんなこと言わせたくなかった。


 話が終わるころを見計らって、何気ないふりをして顔を出す。


 君は少し疲れたような顔で、それでも無理に笑って、二人に手を振って別れてた。


 そうして、隣を歩いて、まるで今来たみたいな顔して、他愛ない話をするふりをしながら考える。


 改めて目の前にある君の顔は、どことなく無理をした笑顔で、その顔を見てるだけで胸の奥がジクジクといたんでくる。


 どうすればいいんだろう。


 どうしたらいいんだろう。


 私に何ができるんだろう。


 いつかの君に貰った想いを、貰った言葉を、貰った勇気を。


 どうすれば君に返してあげられるのかな


 なんて考えるふりをしながら。


 不思議と、私の心は既に答えを一つ決めていた。


 でも、すぐはダメ。今はダメ。大事なことだから、ちゃんと勇気と覚悟を持ってやらないと。


 そのためには、ちゃんと必要な手順があるから。


 「ね、まひるちゃん」


 「ん……なに? あさひ」


 君は少し元気なさそうな顔で笑った。もうそこそこ長い付き合いだから、隠しても無理しているのがわかってしまう。


 「私ね、おねがいごと決めたよ。愛してるゲームで10勝したときのやつ」


 「…………へえ、なにすんの?」


 君にそんな顔、させたくないな。


 「ないしょ、でもね、大事なこと」


 「…………? ふーん……?」


 君は少し不思議そうに首を傾げてた。そんな君を見ながら、私はゆっくりと眼を閉じる。いつかの歌う君を、瞼の裏に想い返しながら。




 「―――だから、あと三回。()()()()()()()?」




 隣を歩く、あなたの手を、今度は私が引っぱるために。



 「…………あさひ?」



 そっとその手を握って、一歩前に出てから、君のことを振りかえる。



 まひるちゃんは珍しく、少し困惑したような、戸惑ったような顔をしてた。



 今はまだ、何も言えない。



 あなたはまだ、何も知らない。



 それを伝えることは、きっと怖い。



 心を明かすことも、きっと怖い。



 誰かの心に触れることは、大切な人の心に触れることは、きっともっと恐ろしい。



 ただ、それでもと、前に出る。



 ただ、それでもと、あなたを見つめる。



 「覚悟―――しててね?」



 きっと、いつかあなたにもらったこの勇気を。



 あなたに返す時が来たんだ。



 まだ何も知らないあなたに向けて。



 私はただ笑顔を向けた。



 さあ、本気で頑張ってみよっか。



 あと、三回。



 君にあいを告げるため。


















 ※



 本日のリザルト

 なし

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