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第七話 あさひの場合、真夏の頃—②

 『お母さんへ、連絡ありがとう。でも、夏休みはしばらくこっちにいようと思います。お盆には帰るから、あんまり心配しないで。


 お金のことで迷惑かけちゃうのは嫌なので、少しバイトをしてみようと思います。夏休みの間だけだし、そこまで勉学の邪魔にはならないと思います。一応、前期の成績も優等生だったし大丈夫だよね?


 あとね、人を紹介してくれる話はごめんだけど、お断りしといてください。まだ心の準備ができないし、大学だっていい出会いがたくさんあるんですよ。また今度、帰った時にでも話します。


 じゃあ、お父さんにもよろしく言っておいてください。


 あさひ』



 その日の夜、まひるちゃんにあれやこれやと相談して、そんな文章をお母さんに送った。返信は多分来るとして、明日かな。


 直接怒って何か言われることが無いから、メッセージはこういう時、少しだけ気が楽だ。ふうと息を吐いて、身体の力を抜く。


 「送れたー」


 「お、よかったじゃーん、おつかれ、あさひ」


 リビングのクッションでぐいーっと腕を伸ばしてそうアピールしたら、まひるちゃんが笑ってくれた。それに私もにししと笑い返して、特に意味もなく二人で隣のクッションにごろんと寝転がる。


 「ぐぅ~~、緊張した、頑張った、私」


 「はは、えらいえらい」


 お父さんやお母さんに口答えするなんて、正直、人生で両手の指で数えるほどしかしてこなかったから、未だに緊張で胃がぷるぷる震えてる。正直、怒った返信が来るんじゃないかと、内心はびくびくしっぱなしだ。


 きっと端から見たらこれはただのわがままで、無責任なものだと想う。


 お金すらまともに稼いでない奴の独り善がりの減らず口。


 でも、それでもこれが、ほんとの私の想いで、私の言葉だった。


 「勇気……出せた」


 「……そだね、あさひ凄いよ」


 否定されるかもしれない。


 受け入れてもらえないかもしれない。


 怒られるかもしれない。


 それを理解して、それを考えて、それでもなお自分の想いに嘘はつかないで。


 大切なこと、本当にしたいことを、ちゃんと守ろうとすることは。


 とても勇気のいることなんだ。


 そんな言葉をいつかまひるちゃんに教えてもらった。


 「まひるちゃんのおかげだよ」


 「私、なんもしてないけどね。ま、お役に立てならなによりだよ」


 君はそう言って、優しい笑顔を私に向けてくれていた。


 その膝に少し頭を預けて、ゆっくりと眼を閉じた。



 そんなことないよ。



 言葉にしないまま、心の中でそう告げる。


 だって私はまひるちゃんに、いっつも勇気を、自信を、自分を大事にするってことの大切さを。


 ずっとずっと教えてもらっていたんだから。


 きっと君が、私の名前を知る、ずっとずっと前の頃から。



 君がずっと私に勇気をくれていたんだ。








 ※








 中学より前の記憶は、少しあやふや想い出しにくい。


 楽しかった記憶はさらにもっとぼやけてて、それ以前、私は何が好きと思っていたのかそれすら正直想い出せる自信がない。


 別に虐待とかされていたわけではないけれど。


 いつも誰かの顔色ばかり窺っていたのは覚えてる。


 初めて買いにいった靴はこれがいいわねって、お母さんに手渡されたちょっと大人っぽいきらきらの靴。


 初めて貰ったランドセルは、女の子なんだからこれだよなってお父さんが無造作に棚から手に取った革張りの赤色のもの。


 初めて手にした鉛筆は、真っ黒で、芯が固くて、こう見えて高級なんだからってお母さんが自慢げに渡してくれたもの。


 初めて学校で使った裁縫セットは、革張りでみんなと全然違う、お父さんが特別に注文してくれたもの。私は届くまでそれがどんな色なのかすら知らなかったけど。



 …………初めて、私のお願いを誰かに口にできたのは、おばあちゃんが駄菓子屋で小さな飴玉を買ってくれた時だったかな。ソーダ味の水色のおっきな飴玉の、甘くてしゅわしゅわする味わいを、私は今でも覚えている。



  お父さんもお母さんも立派な人だった。


 お父さんは薬を作る会社の役員で、何億円っていうすごいお金を、すごい若さで動かしてる。


 お母さんは大手の会社から独立した社長で、こっちも凄い額のお金と、凄い沢山の人の人生を背負って、それでも立派に仕事をこなしてる。


 そんなだから、隣の家より私の家は大きくて、毎朝お父さんの誰よりおっきくて黒い車で、学校まで通ってた。


 世間的には私はお嬢様って感じらしい。


 それだけ、たくさんお金を与えられてる、何一つ不自由ない子どもってこと。


 月曜日はバイオリンを弾いて、火曜日はお茶道を習って、水曜日と金曜日は塾に行って、木曜日はスイミング、土曜日と日曜日は英会話教室とフランス語教室へ。どれも彼もお金のかかる習い事ばかり。それを小学校から高校3年の受験期に入るまでずっと休まず続けてた。


 学校は私立だし。中高は一貫の女子高で。成績はそこそこ上の方。部活は中学は茶道部で。高校は華道部だった。


 身に着けているものは鞄から、靴から、ブラウスから、髪留めまで。決して派手ではないけれど、見る人が見ればわかる高級な物。シックで大人っぽくて、手触りがよくて、よく管理されていて、そんな風に私の装いには他の子の何倍も手間と時間がかかってた。でもそこに私の意思はなくて、髪型すらお母さんの機嫌で決まる。


 何一つ不自由なんて、なかったけれど。


 何一つ私が選んだものは、ありはしなかった。


 貰ったものは全部お父さんとお母さんが選んだもので。


 習い事は必要だからと二人が決めてしまったもので。


 通った学校も始めた部活も、私のことなんて置いてけぼりで、二人が楽しそうに話しあって決めていた。私は最後の結論に従うだけ。


 「それでいいわね、あさひ?」


 そんなのがお母さんの口癖で。


 「これいいよな、あさひ?」


 それがお父さんの常套句だった。


 そして、私の行いに私の装いに、どれだけお金がかかっているのかを話すのが二人は大好きで。私はその様子をいつもにこにこ笑って聞いていた。そうしないと二人の機嫌が悪くなるのを知っていたから。


 これだけ稼いでいる私たちがいるから、あさひは良い環境で勉強することができるのよって。


 俺たちがこれだけ用意しているから、お前は他人と比べ物にならないような装いができているんだよって。


 にこにこと笑って、そんな話を聞く。


 笑顔以外許されてはいないから、頷く以外望まれてはいないから。


 おばあちゃんだけは、私のしたいことを聞いてくれた数少ない人だったけど。


 悪い物ばかり与える、安いお菓子ばかり食べさせるって言って、両親はおばあちゃんのやり方が嫌いだった。おばあちゃんに買ってもらった一個200円のガチャガチャのキーホルダーが、次の日、知らぬうちに消えていたことも何度かあった。


 他人と比べて、きっと私は恵まれた家庭に生まれたのだとそう思う。


 他人と比べて、きっと私はたくさんの物を与えられて生きてきたのだとそう思う。


 だけど、胸の奥はいつもどこか、少し孔が開いたみたいに痛くって。


 どうしてそんな風に痛いのか、私自身もうまくわからないままだった。


 



 まひるちゃんに出会ったのは、そんな頃のこと。





 高校生になって、しばらくした初夏の頃のこと。





 私が初めて、習い事をズル休みした日のことだった。

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