第六話 まひるの場合、真夏の頃
『調べてみたけれどね、やはり害がある人が買ったわけでもなさそうだ。前みたいにストーカー騒ぎなんてことにはならないよ』
試験も終わって、いよいよ夏休みって頃に、ゆうからそんなメッセージが飛んできた。最初は何のこと? って首を傾げたけれど、しばらくしてあの黒歴史CDのことだと思いいたる。いや、ていうか本当に、誰が買ったのか突き止めたのかすげーなこいつ。
『ありがと……でも、私の活動知ってた人、近くにはいるってことだよね?』
その事実だけで、正直こっちとしてはかなり危機感を抱く案件なのだけど。
『そうだね。でもまあ、世の大半の弁えたオタクは、推しの生活の邪魔はしないよ。お互いが心にそっとしまっておけば、誰も傷つくことはない』
そんなゆうの言葉に、まあそうだよねと理解はしつつも、心の中にもやもやが残るのも正直なとこだ。普通に街を歩いてて、あ、こいつあの時のやつだ、なんて想われてるって考えるだけで少し気が滅入る。
ただ、それでも、これ以上私から出来ることは何もない。向こうが口に出さない以上、私も口を出す意味はないのだ。
『だといいなあ』
『そんなに後ろめたいなら、いっそ先に、あさひやよぞらにだけでも、明かしてしまえばいいじゃないか』
そんなのゆうのある種の正論を目にして、しばらく思考するけれど、やがてため息をついて誰にも見られていないのに首を横に振った。
だって、あさひやよぞらに私の過去を明かす姿を想像するだけで、胃がキリキリと痛んだし、冷や汗だって浮かんでくる。
いつか、明かすかもしれない。いつか、バレるかもしれない。
それなら、自首じゃないけれど、自分から明かした方がいいに決まってる。
でも今は、まだそういう気分にはなれないでいる。
一体、いつまでそうなのかすらよくわからないけど。
『そんな勇気なーい』
ひとえにそれは、私の臆病さゆえだろうか。
『そうか、まあ各々想う所はあるだろうし、最終的にはまひるの問題だ。まひるの決定がすべてだよ』
『まあ、ですよね』
正論オブ正論だ。どこまで行っても決断は私がするしかない。
『でも、私はその気になったらいつでも応援してるし、頼まれれば手伝うよ』
『あんがと、良い奴だねあんたは』
まあ、昔からそうだけど。伊達に自分の趣味と掛け持ちのうえ、無償で私のマネージャーなんてやってない。
『それほどでもない……ところで次の新刊にあさひとまひるのネタで一本描いていいかな』
『指定は?』
『無論、成人向け』
『ダメに決まってんでしょうが』
欠点は己の欲に忠実過ぎることくらいか。
あさひの痴態を描いた新刊っていうのもみてみたくはあったけど、なんせ相手役が私なわけだ。羞恥心でそのまま穴掘って埋まれる自信がある。というか、当たり前のように生ものに手を出そうとするんじゃないよ。
そんな風にやり取りを終えて、うーんとベランダで足を延ばす。気候はもうすっかり夏で、足を延ばしたベランダの先はうだるような熱気が渦巻いて、見上げた空は明け透けなほどに雲一つない。直射日光で雲が全部吹き飛ばされたみたいだ。スマホからは熱中症アラートがずっと通知され続けてる。
試験が終わった解放感と、夏の熱気でどうも意識がぼーっとしていく。響いてるのは風の音だけ、そこそこアスファルトだらけの学生街では、暑すぎて蝉の音も聞こえてこない。
そんな風にしばらく間抜けにぼーっとしていたら、とんとんと音がしてふと振り返るとあさひが片手にアイスバーを二つ持ってこっちに歩いてた。
そのまま私の隣でベランダに腰を下ろすと、すっと私に向けてアイスを二つ差し出してくる。
「イチゴとチョコどっちがいい?」
「んー、あさひはどっちがいいの?」
私がそう問うとあさひは少し惑ったように首を傾げて、うむむと唸ってから口を開いた。
「え、うん、どっちでもいいけど……」
「どっちかと言えば?」
割と、あさひは私にこういう判断をゆだねると言うか、私の選択を優先しがちなので最近はこういう風に聞くようにしている。一緒に住んでいる以上、やっぱりどっちかだけが我慢する形は避けたい。
「……イチゴかな」
「私もイチゴ、じゃんけんにしよっか」
さーいしょはグー、と手を出して、私がチョキであさひがグー。無念の敗北なので潔くチョコの方を受け取る。
「やた、勝利」
「勝者の栄光を受け取り給え、まあ、チョコも好きだよ私は」
特に濃い目のチョコの奴が好きだ。ただまあ今回は普通の甘いチョコ、でもこれも別に悪くない。
冷たさと甘さとかすかな苦さを舌で感じながら、二人でぼんやりと空を見て過ごす。特に何をするってわけでもなく、最近はたまにこういう時間を過ごしてる。
しばらくそのまま無言で、シャクシャクとお互いのアイスを食べていたら、ふとあさひの視線がこっちに向いた。
「一口交換しない? 私もそっち食べたくて」
そう言って、すっと少し先端が溶けたイチゴのアイスがこっちに向けられる。最初はこういうやり取りも大分照れながらやったもんだけど。さすがに今ではすっかり慣れっこだ。まあ、同じ食卓を囲んでいるわけだし、こんな機会よく考えれば山ほどある。
……あるわけなんだけど。
改めて、少し溶けたストロベリーアイスを直に見る。当然だけど、その先端は丸く溶けているのはあさひがそこを舐めたから。
アイスを食べるとき、舐める派と噛む派がいると思うけど、あさひは思いっきり前者。当たり前だけど、そこにはあさひの涎がべったり。
いつもの同じお皿を二人で突っつくのとは、少しだけ訳が違う……気がする。
でもまあ、照れる方がきっと、気まずいんだよね。友達ならなおのこと。
だから「うん」と言って、できるだけ何も考えずに、その先っちょを咥えて嚙み切る。なるだけ情緒が無いように、なるだけ余韻もないように。
今、何滴あさひの唾液が私の身体の中に入っているんだろう、なんて煩悩は思考の端に置いておく。というか、わざわざ勝ったのに交換を申し出てくれてるあさひの優しさに申し訳がない。
「おいしい?」
「……うん、なんか一際甘い気がする」
十中八九プラシーボなそんな感想を述べて、私は顔が熱くならないように口の中のアイスで頬を冷やしながらそっと自分のアイスを差し出した。私の方は思いっきり噛み切る派だから、きっと情緒もそんなにない。
と、想ってはいたのだけれど。よく考えたら、私がいくら噛み切ろうがあさひの食べ方は変わんないじゃん、ということに気が付くのが数秒後。
なので私が差し出した茶色い棒状のものを、あさひはぺろぺろと拙い舌遣いで舐めだした。眼を閉じて髪をかき上げて、心なしか頬を赤らめながら。懸命にぺろぺろと。
………………なんかえろいな。気のせいか。私自身に棒はついてないけど、そこはかとないえろすが、そこにある。気がする。
ちょっと魔が差して、アイス棒を上下させてみる。あさひは急に動いたアイス棒に少し面食らって、棒が少しあさひの口元から出たり入ったりを繰り返す。
そして、あさひはぱくっとアイスを改めて咥え直すと不満げな視線でこっちを上目遣いに見上げてきた。その姿が、なんあかあれ。
………………今日ほど自分自身に棒がついてなくてよかったと想った日はなかったかもしれない。いや、ついてたほうがよかったのか? わからん。心が二つある。
ただそこはかとない罪悪感が私の胸を満たしてくるのも確かであり。
つい少し前に、ゆうと成人指定だのなんだのの話をしていたことも悪かったかもしれない。
頭の中にふと浮かんだあさひの様子は、現実じゃあり得ないほど艶やかで、どことなく煽情的で。そんなあさひに私が手に持った棒を舐らせている様子がありありと浮かんできて。
…………………………。
「あさひ」
「むー、動かさないでよ、まひるちゃん」
「ね、あさひ、愛してるって言ってみて」
「え、今からゲーム? 別にいいけど……あいしてる?」
「…………私の負けです」
「………………なんで?」
「……罪悪感かな」
私がだまって膝に顔をうずめながら録音ソフトを起動した様を、あさひは不思議そうに首を傾げて眺めてた。
なんか前にもあったなこういう流れ、やるほうが逆だったけれど。
邪な考えばかり浮かぶ自分が嫌で、私はうーあーと呻きながら、染まった頬を隠すことしか出来なかった。あーあ、何やってんだろ、ただでさえ秘密抱えてんのに、さらに後ろめたい想いまで抱えちゃって。
そんな私をあさひは、不思議そうに眺めながら、未だにチョコアイスをぺろぺろと舐めていた。無自覚でやってんだから手に負えない…………。
そんなこんなで、そろそろ夏休みが始まるころ、私はこっそり自爆していたのでしたとさ。
響くの風の音とエアコンの音、あとはどこか遠くで響く風鈴の音だけ。
うだるような熱い風に吹かれながら、私は今日もあてもなく空を仰いでた。
やっぱり根本的に、私あさひに勝てないような気がするわ……。
あさひ『なんか勝ったよ』
まひる『負けました』
ゆう『詳細は?』
あさひ『わかんない』
まひる『言えない……』
よぞら『……前もなかった? この感じ』
ゆう『はっ! そこはかとなく、新刊に使えるネタの気配を感じる……』
まひる『なんもないから。引っ込んでなさい』
あさひ『あはは……』
※
本日のリザルト
あさひの勝ち(気づいたらもう六勝目だねー)