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転地療養

翌日は快晴だった。

晴れたのは空だけじゃない。朝の目覚めはすっきりと気持ちよかった。

久しぶりにゆっくり眠れたのかな?

自覚してはいなかったけど、たぶんそうだと思う。

その頃僕は、いつ寝ていつ起きたか、いや、寝ているか起きているかもはっきりしていなかったっけ。

出発前、日本で短期間入院して、点滴に繋がれたりしていたころは、ほとんど身動き一つしなかったと、後から兄さんに聞いた。あまりいい状態ではなかった、と。

記憶ははっきりしない。

ただ朦朧とした意識の中で、形のないねっとりした闇にまとわりつかれていたような気がする。

目も鼻も口も塞がれ、ところ構わず皮膚に粘りつく悪夢の澱。

とても不愉快だけど、そこから逃げたいんだかどうなのかさえわかっていなかった。そもそも逃げるって選択肢が、意識の表層に浮かんではこなかったから。


サルラは、蛇の姿が気に入ったらしい。

人間の姿より、ずっ動き易いみたい。

夜中、眠っている僕の周りにとぐろを巻いていたって聞いた。サルラからね。

それを見た兄さんは絶句して凍りつき、神原さんは大笑いしてたらしい。

2人は真夜中近くになって帰ってきて、早朝には仕事に駆り出されていた。

兄さんの部屋は、居住区にあるけど、ここの方が職場に近いから、今までも泊まっていくことがあったとも聞いた。

まあそんな訳で、僕が起きた時には、2人の姿はなかったんだけど。


「どうして、って?」

朝食のテーブルで、千絵さんは困った顔で僕を見た。

さっき僕がした質問が、困惑の原因だ。

答えて欲しくて、僕は千絵さんに頷く。

「私が、龍ちゃん達と口をきかない理由が知りたいのね?」

千絵さんはフォークでベーコンをつつきながらうつむく。

窓から射し込む朝日を受けて、くっきりと長いまつ毛が、産毛のある柔らかそうな頬に影を落としていた。

「ほら見なさい、姫。マオから見たって不思議なんですよ。そんな態度は無意味だって言ったじゃないですかー。」

サルラが、僕のコップにオレンジジュースを注ぎながら促した。

流石に蛇の姿じゃ、こういうのは難しいから、今は人間だ。

千絵さんはため息をひととつついた。

「…私、大怪我したの。映画に出てたころ。私の母が女優だったから、子供の頃からたまにそういうお仕事してたわけで、まあ端役だけど。もう1年半になるかな、事件に巻き込まれて死にかけて。何ヶ月も寝たきりだった。」

すごく綺麗な人だとは思ったけど、やっぱり芸能界の人だったんだ。

でも、事件、てなんだろう?

死にかけたなんて、普通じゃない。

千絵さんは、俯いて言葉を切る。何だか辛そうだ。

「あれは到底、助かるはずない状態でしたね。もはやヒトの残骸だ。いくら龍一さまの執刀でも、姫でなければ死んでいた。」サルラの言葉に、千絵さんは顔を上げた。大きな目が更に大きく見開かれている。

「え、ちょっと、何で見てきたみたいに?だって、あなたが来たのって、その…」

サルラはうんうんと頷いた。

「確かに、我々が龍一さまにリクルートされたのは、その事件の後ですが、龍一さまの執刀ケースは、可能な限り資料として録画されます。通常アクセスでは個人情報の特定は難しいですが、僕らには障害になりませんし。ここのサーバのアーカイブに保存されていますよ。ご存知なかったんですか。」

サルラはどこまでも淡々としていたが、千絵さんは青ざめていた。

片手で口元を覆っていたけど、その指先は震えている。

僕はわけがわからないまま、サルラと千絵さんを見ていることしか出来なかった。

サルラは人間じゃないのにサーバがどうのって、という驚きもあり、人外をリクルートって、いったいどういうこと?なんて疑問もあったりで、どう突っ込んでいいかわからない。

千絵さんはというと、すっかり言葉を失ってしまったみたいだ。

サルラは、感情の読めない目で彼女を見つめた。

「あなたにあんなことをしたのは、一体何者です?傷の状態を見る限り、単独犯の人間、ですよね。凶器はナイフかな。そいつがまだ生きてるってことはないでしょうが、生存しているなら、今すぐにこの僕が片付けて来ましょう。」

千絵さんは首を横に振った。震える手でグラスを持つと、オレンジジュースを一気に飲む。サルラは淡々と頷いた。

「でしょうね。龍一様が見逃す筈はない。」

千絵さんは、幾分落ち着いた様子で、再度首を横にふる。

「違うわ、サルラ。犯人は自殺したの。」「それは、極めて残念です。」

オレンジジュースを空いたグラスについで、サルラは続けた。

「僕が不思議だったのは、何故あなたがあんな被害に逢ってしまったかってことです。千絵さん、いや神原の巫女姫さま、あなたの特殊な体質は、人類・人外問わず、危険な有象無象を魅了し狂わせる。しかし、あなたを育てた龍一さまなら、そんなことは充分知ってたはずでしょ。あの冷徹で周到なお人が、なぜそんなミスを?」

千絵さんは両手を膝に下ろした。

「それは私のせい。私に構わないでって、子供扱いしないでって龍ちゃんに食ってかかったの。反抗期、だったのかも。後は、悪い偶然が幾つも重なったから。」

「だからって、あんなことに?」

サルラは呆れた様子だ。

「あの冷酷な人がそんなことで判断を誤りますかね?我々を捕獲した時なんてもう。恐怖ってモノをはじめて感じましたからねぇ。ったく、あなたが聖女ならアレは魔王かラスボスか。ううっ。」

サルラは心底寒気を感じるみたいに体を震わせた。千絵さんはちょっと笑って、フォークを手に取った。僕はいま、何か不穏な言葉を聞いたような気がする。捕獲、ってなにごとなの?


「物語の聖女って、私みたいに癒せる相手が限られてはいないでしょ。光が見える人に、気休め程度に干渉出来るだけなんて、意味ないよね。」

僕は更に混乱した。せいじょっていうのはよく分からなかったけど、神原さんが魔王でラスボスって、何なんだ?

冷酷とか何とかって、絶対褒めてないし。口は悪いけど、あの優しくて穏やかな人に対する形容としては絶対おかしい。

「魔王、なの?神原さんて、怖いひと?」サルラに聞いてみた。

「あー、まあ、それは言葉のあやというか、うん。」

サルラは考えこむ。

「魔王、じゃあないですね。だいたい龍一さま、魔法は使えない。魔族とやらを従えているわけでもないし。」

「魔法!あるの、ほんとに?」

僕は興奮していた。

「マオ、食いつくのそこですかー。ありますよ、魔法。」

ジュースのおかわりがあります、という程度の軽い口調でサルラは首肯した。

「でもね、あれはあんまり実用的とは言えませんねえ。小隊規模だと、近代兵器で武装した職業軍人の敵じゃない。この惑星レベルの武装をした軍人相手で五分五分ですかね。何せ火力が低すぎる。」

よく分からないけど、魔法ってそんなに強くはないってこと?

「そういうことですね。歴史が長い分、限界も対処法もよく研究されてますから。師団クラス、あ、兵隊さんがとっても大勢、ってことですけと、その規模だと勝負以前に制圧されます。つまり、戦争向きではないですね。」

なんだかがっかりだ。ゲームの魔法はどれも派手でカッコいいのに。

「とはいうものの、暗殺分野なんかではまだ重宝されてるみたいですよ。あ、暗殺って、誰かをこっそり殺すってこと。それ専門の組織も複数あるとか。この街にもそれらしい者が入り込んでいますしね。魔法使いと、暗器使いに、あと召喚士とか。」

淡々と説明しつつ、サルラは食器を集めた。

「姫。彼らのターゲットはあなたです。」何気なく付け足されたそのひとことは、ひどく剣呑だった。

僕は驚いて千絵さんを見た。

彼女は気にとめる様子もない。

「人間は、有性生殖種ですよね。だから、血統とやらを重視する。閨閥でしたっけ、特権階級の有力者どもは、時の最高権力者の寝室に一族の娘又は息子を送り込むことで、権力基盤を盤石にしたい。連邦盟主正妃の地位ともなると、彼らの渇望してやまない特大トロフィーです。子供を作るのは無理でも、そのタイトルさえ獲得できれば、最弱からの大逆転が約束される。末代までの栄華。愚かものにとって、なんて魅力的な響きなんでしょうね。聞いてますか、姫。」

「聞こえてるわ。」

どうでもよさそうに答えて、千絵さんは立ち上がった。

サルラがお盆にまとめた食器を持って、隣室の流しへ向かうみたいだ。

膝丈のシャツブラウスからのぞく、引き締まったふくらはぎ。

そこから細いくるぶしへと続くラインに、鋭く彫られたようなアキレス腱の形。

彼女は今日も裸足だった。

木の床を踏む華奢なかかと。僕は見てはいけないものを見ている気分だ。

でも、どうしても目が離せない。

「そんな他人事みたいにー。いいですか、あなた方人類が請託の証として、連邦盟主に差し出す諸々の財貨、その象徴こそが正妃でしょうに。」

「生け贄ってことね。」

隣室との堺のドアを潜りながら、千絵さん。サルラはため息まじりに続けた。

「盟主が即位するのは、人類社会が破滅の危機に瀕した時でしょう。疫病、天災、侵略、食糧危機、経済破綻、世界大戦、それらの危機が人類の手に余るとき、古の盟約に従い、かの一族が全権を掌握する。他種族に頼らなければ自分たちの面倒さえみられないなんて、全く救いがたい無能ぶりだ。」

「私には関係ないわ。」

流しで水を流す音に混じって、千絵さんが続ける。

「連邦に加盟してさえいないのよ、この星は。首都惑星リマノから見たら、辺境の更に外れだわ。取るに足らない小さな世界だけど、逆に連邦が壊滅しても、影響はわずかなはず。」

「しかし、ここにはあなたがいる、巫女姫。敢えてこの辺境の惑星をサンクチュアリとしたのは、神族とかいう、例のご大層な一族の仕業かもしれない。ここは中央から隔離し易い立地だ。放牧場?実験室?神原の遺伝子には、人為的介入の形跡があるじゃないですか。つまり家畜の品種改良でしょ。そのせいか、生殖能力は低いようですが、ごく稀にあなたのように、人類と、それ以外のものとを繋ぐ稀有な能力者が生まれる。なによりあの化け物種族と番って、子孫を残せる可能性が高いという。盟主たる神族への捧げ物として、最高のスペックをもつ存在。まさに最高の血統だ。はは、リマノ貴族とやらの高貴な姫君が束になっても敵わない。」

サルラの発した言葉の意味は、完全には分からなかった。

が、その口調に含まれた皮肉と嘲弄に、僕は怯むと同時に憤りを感じた。

サルラは人間じゃないけど、だからといってこんなふうに人間や千絵さんを馬鹿にしたりするのは違う。

僕はムッとしてサルラを睨んだ。

「なんでそんなこと言うの、サルラ。」

言葉が勝手に口から出る。サルラは、僕に顔を向けて、少し戸惑ったみたいだ。

「そんなこと言うサルラは嫌い!」

叫んでいた。

違う、嫌いじゃない。

そうじゃないけど。のどの奥から何かがせりあがる。涙が滲んでくるのに言葉はそれ以上出て来ないんだ。

サルラはふっと笑った。

「マオ、僕の言い方が気に障ったなら謝ります。挑発が過ぎましたね。ですが、僕は千絵さんにもっと自覚を持って欲しい。一歩間違えば、関係のない多くの人たちを巻き込む危険があります。龍一さまは、姫が盟主正妃となることには強く反対されていますが、仮に別の女性がその地位についても、姫に対する暗殺の試みは減らないでしょうね。ならばいっそこちらからリマノに乗り込んで…」

「いいえ。私は、生け贄なんかにならないわ。」

サルラを遮ったのは千絵さんだ。

彼女は毅然とした態度で部屋を横切り、サルラの前に立った。

「地位なんかいらない。私が欲しい人は、たった1人だけよ。私のことは私が決める。あなたにも、他の誰にも口出しさせない。」

「姫…。」サルラは、何やら複雑な表情で首を横に振った。

「やれやれ。そーゆーとこですよ。どこまでじゃじゃ馬なんだか。」


「全くや。」

静かな声と共にドアが開く。

サルラと千絵さんがぎくりとした様子で、入ってきた神原さんを見た。

「いつの間に?」

「そんな…、だって、結界は反応しなかった…。いつからいたのよ、龍ちゃん!」

口を聞けないフリなんかどこへやら、千絵さんは噛みつきそうな勢いで神原さんに詰め寄る。

当の神原さんは、邪気のない笑顔で千絵さんの頭を撫でた。

「おかえり、千絵。」

千絵さんはその手を払いのけて、何か抗議でもしたい様子で口を開きかけたが、結局一言も発しないまま、くるりと振り向き、元の椅子に座った。

敢えて神原さんを見ようとしない。

真っ直ぐ結ばれた唇、紅潮した頬。

拗ねた子供みたいだ。

さっきサルラが、神原さんが千絵さんを育てたって言ってたっけ。神原さんはすごく若く見えるけど、恭兄さんの態度を見ると、実際は千絵さんのお父さんと言ってもおかしくない年齢なんだろう。この点は、後になってその通りだとわかった。

千絵さん的には、演技がバレたのが、よほど悔しかったのかもしれないけど、サルラがいう通りそんなの最初からバレてたんなら、意味なかったんじゃないかな。

「で、サルラ、誰がラスボスやて?リクルートはええとして、捕獲てなんやの?人聞き悪いわ。」

神原さんは満面の笑顔をサルラに向けた。たしかに笑顔、なんだけど、うーん、これって?

側で見ていても圧を感じる。

青ざめたサルラが、一回り縮んだように見えるのって、気のせいじゃない。

「ほとんど全部聞いてたんじゃないですかー。だからラスボスなんです!っと、ところで、お仕事は?」

「ああ、それな。終わった。いや、終わらされた。長いこと休み取ってへんのが人事にバレてしもて、さっき人事部長から、休暇を申し渡されたんや。で、茉央、千絵、ベリー摘みに行かへんか?」

ベリーつみって何?ぼくはきょとんとしてたんだろう。サルラは渋面で何か言いかけたが、千絵さんに遮られた。

「行く!!ラズベリーパイ焼いて、龍ちゃん!」

「ええよー。」

「やたーっ!」

さっきまでの不貞腐れた表情はどこへやら。彼女は目をキラキラさせていた。立ち上がり、奥へと駆け出す。

「靴と、長ズボンだよね。あとカゴとか。待ってて!」

後ろ姿を見送りつつ、サルラがぼやく。

「危険ですってー。中央緑地でしょ。あんな人気のないとこへ、このタイミングで。正気ですか、龍一さま。」

「ふふ。おまえ、ベビーシッターな。千絵は俺が。あとはナーガども、出番や。」

神原さんの声で、辺り一面、縦横に白い光の帯が走り、煌めきの残光が僕の目を眩ませた。

屋根から床へ。

サルラが初めて現れたときと同じだが、光は1条だけではなかった。

「え、何しとん、お前ら?」

神原さんの呆れた声に目を開け、僕は絶句した。

蛇だ。

大きいの小さいの、サイズは色々だけど、サルラそっくりの白い蛇たち。

6頭の爬虫類もどきが、神原さんを取り囲むように床に円陣を形成していた。

「あー、そのですね、ちょっとしたブームといいますか、その形態がバズったといいますか。僕ら元々、決まった形ってないじゃないですか。」

白蛇たちが一斉に頷く。

サルラと同じく、こいつらは蛇なんかじゃない。そういうことかと僕は納得した。

あまり気にしてはいなかったけど、サルラは、自分について、僕らとか我々とか、複数形でいうことがあった。

まとめて捕獲、じゃなく、リクルートされたのかも。

「ま、ええか。カレッラ、フォスファルス、ユーディト、マーキア、ついてこい。シグとルカは留守番。状況によっては呼ぶ。」

一斉に頭を下げる蛇たちを横目で見て、サルラはため息をついた。

「そういうことですか。でも戦力過剰じゃないですか、龍一さま。たかが刺客狩りに。」

しかくがり、って、なんだろう?

ヘアスタイルかなあ?

神原さんは、サルラを見てにやりと笑った。

笑顔なんだけど怖い。

きれいすぎる顔だからか、余計にヘンな迫力がある。

僕の気のせいじゃない証拠に、サルラがさらに縮んでいた。

ほんと、器用だ。人間の姿でもサイズを変えられるなんて。

「お前の意見では、俺は冷酷で周到なんやろ。ま、釣れる勢力はひとつとは限らんしな。手は抜くな。ベビーシッターに専念しいや。」

サルラは、諦め顔で頷いた。


千絵さんが準備を終えて戻って来た。

ウキウキと楽しそうだ。

それを見て、サルラは更にため息をついていた。

既になりゆきを予測してたんだろう。

この後起こったことを考えると何だか僕もため息をつきたくなるけれど。

神原さんは屈んで僕と視線を合わせる。

「ラズベリーパイは好きか、茉央。」

「んー、わかんない。食べたことないかも。」

「ほな、食べてみ。子供のころから千絵の好物なんや。材料の調達を手伝うてくれたら嬉しいな。」

「うん、わかった。」

神原さんの目がふっと笑う。

「ええ子や。さて、行こか。」

「うん!」

いつの間にか蛇たちの姿は消えていた。残ったのは神原さん、千絵さん、サルラと僕だ。

というわけで、僕たちは、ベリー摘みへと出発した。


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