33 台本
「ふへへへ…………」
叶歩は自室のデスクに向かって、まるで足先をくすぐられているかのようにニヤニヤと破顔して、シャーペンを走らせていた。
「叶歩、何してんの?」
叶歩があまりにも平常ではない表情をしながら不審な声をあげていたので、姉の美咲は、心配するような顔を叶歩に向けた。
「えへへ、秘密」
叶歩はそう言って笑いをこらえ、再びノートに文を書き連ねていく。
叶歩が今書いているもの。それは陽菜乃の『設定』と『人格』だ。
昨日陽菜乃が叶歩に発表した『友情レンタルサービス』。それに関して、陽菜乃は次のような条件を提示したのだ。
・『レンタル友達』としての設定や人格は、叶歩が自由に指定することができ、陽菜乃はその設定通りの友人を演じる
陽菜乃が真にどのような意図をもってそれを提示したのかはよく分からないが、その説明を聞いた時、なかなかそそるシチュエーションを強制できるのではないのかと、叶歩は考えた。
現在陽菜乃との間には微妙な距離感があるし、守らなければいけない秘密もあるのだが、たまには息抜きとして、かわいい陽菜乃を見たいという気持ちもあるのだ。
なにしろ、叶歩は陽菜乃の人格を自由に設定できると言われたのだ。つまり陽菜乃に対してあんなことやこんなことをさせたり言わせたりするのが自由だということだ。そう思って、叶歩は早速、かわいい陽菜乃を見るための『人格作成』に取り掛かったのだ。
『陽菜乃の人格』を書き終えると、叶歩はメッセージアプリを使ってその怪文書を陽菜乃に送った。陽菜乃がそれを読んでどんな反応をするのかなぁと心待ちにしていたが、数分後『了解』とだけ返信が来た。
(ふーん……)
あくまで『レンタル友人』という設定なので、レンタルされていない間はあくまで雇われ人としての態度を取ることにしたらしい。叶歩はそんな淡泊な返信に少しだけもやもやしたが、陽菜乃には陽菜乃でいろいろと苦悩があるのだろう。
(いつもだったら、もうちょっと会話あるのになぁ……)
ともかく、明日にはとってもかわいい陽菜乃が見れるはずだから、いまそれ以上に望むことは特にない。
そう、叶歩は明日陽菜乃と遊ぶ約束をした。陽菜乃の提示した条件で、一時間あたり100円を支払うことになるのだが。
お小遣いはそれなりにもらっているので、それくらいの出費は特に気にしない。それにこの夏の間に貯金を全て使ってもいい、という覚悟で生きているので、どれだけ無駄遣いすることになっても構わない。
ちなみに、お出かけにはヒメもついてくるらしい。叶歩が自分の近くにヒメを配置するのは、万が一でも陽菜乃に告白されないための保険だ。純な女の子(元男ではないという意味)であるヒメがいるならば、陽菜乃も大胆なことはやりにくいだろう。
そう。陽菜乃との時間を楽しもうとは思っているが、告白されてはいけない。これは絶対条件だ。それを守ることは最も大事な信念なのだ。
ヒメのことを利用しているみたいで悪いが、彼女も僕の事情は理解してくれているので、積極的に協力してくれている。この前もヒメは陽菜乃にひどいことを言おうとしていたが、あれも僕と陽菜乃を近づけすぎないという意図があったのだろう。ヒメは悪いやつではないのだ。
そうしているうちに夜も更けてきたので、叶歩は明日会う陽菜乃に思いを馳せながらベッドにもぐりこむ。
(僕の設定した人格になって、一体どれほどかわいくなってることやら……ふふ)
とはいえ、少しだけ懸念があるとすれば陽菜乃がどのくらい『設定』に入り込んでくれるか、だ。
素直に僕の提示した通りの性格を演じてくれれば、きっとものすごくかわいい陽菜乃が見れる。でもちゃんと演技をやってくれるだろうか。
……いや、きっと大丈夫だ。陽菜乃は律儀な人間なので、指示されたことには従うはずだ。ましてや陽菜乃自身が提示したルール通りの『人格』なので、素直に従うしかできないだろう。
ベッドの中のボクはもう、にやにやがとまらなかった。
***
そして次の日。
待ち合わせの場所に、叶歩とヒメは一足早くやってきていた。
「叶歩ちゃんは、陽菜乃ちゃんに何を指示したのですか?」
「それは見てのお楽しみだよ……きっと頑張って演じてるから、たくさんかわいいって言ってあげようね」
「ですね」
そんなことを言って駅前で待っていた。ヒメとの他愛もない会話をしながら、通り過ぎる人間の様子をぼけーっと見る。
そしてついに、その時が来た。ふわっと甘い風が吹いて、叶歩の前髪がしゃらりと揺れたのだ。
その瞬間叶歩の後ろで足音がかつんと鳴って、ぽんぽんと優しい手つきで肩を叩かれた。
叶歩は興奮を胸に秘めながら、振り向く。
そこにいたのは、案の定、陽菜乃だった。いつも通りピンクのチェックワンピースを着ている。しかしひとつだけいつもと違うのは、彼女の髪形だ。いつもストレートにおろしている陽菜乃の髪は今日はいつもと違って、気合いが入っていた。
陽菜乃は叶歩が振り向くやいなや、きゃぴっと目元でピースをする。
そして“ツインテール”をゆらしながら、花々が芽吹いてしまうほどの笑みを、叶歩に向けた。
「叶歩ちゃん、おまたせっ♡」
にこにこを固定しながら『ぶりっこ』を演じる陽菜乃の肩は、少しだけ小刻みに震えていた。




