39話 ジョシュア視点①
ジョシュア殿下はいつも笑顔で素敵ですね。
物心がついた頃から、よく言われた言葉。
穏やか、優しい、落ち着いている、臣下にも国民にも笑顔を向ける完璧な王子。
いつからか、俺はみんなの求める完璧な王子を演じるようになっていた。
王宮で開かれるパーティーや、外交での挨拶。
王子として参加する国の催し事。
子どもだからと怠けることなく、俺は常に完璧な王子として人前に立った。
「まだ5歳とは思えないくらいに優秀な方ですね」
「これは将来が楽しみだ」
そんな言葉にも、謙遜しながら笑顔で振る舞う。
王子として生まれたのだから当然だ──そう思っていたはずなのに、なぜか突然プツッと糸が切れたように笑顔を作れなくなった。
7歳の誕生日を迎えたすぐあとだったと思う。
「ジョシュア殿下。朝食はお部屋で召し上がりますか?」
「……ああ」
乳母の手が離れてからずっと俺の世話をしてきた執事、オリバーが静かに問いかけてくる。
俺はベッドから降りることもせず、ボーーッと窓から見える空を見ていた。
この部屋から出なくなって、もう1週間か……。
笑顔が作れなくなった俺は、高熱が出たとウソをついて部屋に閉じこもった。
本当のことを知っているのは、執事のオリバーと父、姉の3人だけだ。俺の完璧王子ぶりが演技だと知っている3人でもある。
そのため、今はメイドも部屋には入れず、オリバーが1人で俺の面倒を見てくれている。
「お待たせしました」
用意された朝食をもそもそと少しずつ食べる。
笑顔が作れなくなってから、その他のことに関しても何もやる気がおきない。
ああ……こんな姿の俺を見たら、今まで俺を褒めていた者たちはどんな顔をするだろう……。
回復したあとに変な噂が流されないよう、今の俺の状態は慎重に隠されている。
正直、本当にまた笑顔を作れるようになるのか見当もつかない。
このまま笑顔を作れなくなったら、どうなるんだ?
自分勝手で周りを見下しているような本当の俺は、家族以外の誰にも受け入れてもらえないだろう。
偽の自分を演じられなくなったら、俺には存在意義がない。
何もすることがない静かな部屋の中で、ずっとそんなことばかり考えていた。
日に日に痩せていき、正気を失っていく俺。
そんな俺を心配した父とオリバーが、ある提案をしてきた。
「街に出てみませんか?」
オリバーにそう言われたとき、俺は目を丸くして黙った。
王子として生まれてからこの7年、公務以外で街に行ったことなどなかったからだ。
「今の俺が民の前に出たら、幻滅されるだけだよ」
「もちろん、ジョシュア殿下だということは隠します。陛下からもそこはしっかりと忠告されております。別人として、街に出てみませんか?」
「別人?」
眉をくねらせて聞き返すと、オリバーは黒いモサモサの物体を俺の前に出した。
「な、なんだこれは?」
「ウイッグです。被ってみてください」
言われるがままにそれを被ると、視界が一気に真っ暗になった。
鼻の途中まである長い前髪のせいで、前がよく見えないのだ。
「……前が見えない」
「ええ。こちらからも殿下の目が見えません。王家特有の瞳の色が見えてしまっては、正体がバレてしまいますので」
「これを被っていたら、俺だとわからないのか?」
「はい。まったくわかりません」
……ということは、無理に笑顔を作ったり丁寧な喋り方をしなくてもいいということか?
俺の気持ちを見抜いたのか、オリバーがそれに答えるかのように頷く。
「このお姿なら、ジョシュア殿下の思うままに行動していいのですよ」
「!」
なんとも魅力的な提案だったが、それでも大勢の人がいる街に出るのは躊躇われた。
もし、ウイッグが取れて俺がジョシュアであると気づかれたら……。
病気であるというウソも、今までの俺の演技も、全部バレてしまう。
「……やっぱり、やめ──」
「教会はどうですか?」
「……教会?」
「はい。今、新しい教会を建てている場所があるんです。その隣に、壊す予定の古い教会があるのですが、そこなら誰も来ないでしょう」
部屋に閉じこもっている俺をなんとか外に出したいのか、俺が断った場合にそこまで考えていたのかと驚いてしまう。
まあ、誰も来ない場所なら……。
「行ってみる」
「かしこまりました。では、あまり高位貴族っぽくない服に着替えましょう」
俺はオリバーに用意された服に着替え、使用人などに見つからないよう箱の中に隠れてこっそりと王宮を抜け出した。
わざと汚れた馬車に乗り、その古い教会を目指す。
久々に外に出たな……。
馬車に乗る際浴びた、清々しい外の風がとても心地よかった。
前に座っているオリバーが、静かに俺を見守っている。
執事服から平民の服に着替えたオリバーとなら、並んでいても王子だとは気づかれないだろう。
「到着しました」
そう言われて馬車から降りた俺たちは、その古い教会を見て口をポカンと開けた。
想像以上に古くてボロボロの教会。
床も椅子も壁も所々穴があいているし、埃もたまっている。
しかし、俺はその異質な状態が一瞬で気に入った。
「……申し訳ございません。殿下。こちらではなく、新しい教会に行きますか?」
「いや。ここでいい。汚いが、どこか落ち着く。……この服は汚しても大丈夫か?」
「もちろんでございます。割れた板などでお怪我だけはされませんように」
「わかってる」
そう答えるなり、俺は教会に入り真ん中あたりの長椅子に座った。
こんなに汚い椅子に座るのは初めてだ。
……変だな。なぜか落ち着く。
誰もいない、薄暗い教会。
人目を気にすることも、自分を作る必要もない。
そんな静かな空間に馴染んでいると、女の子が突然やってきた──。




